8.フィクション・ファンタジー
美香 (ミカエル):異世界パンゲアに転生してきた元男で現美少女。
エリック:美香と転生を共にした男性。元々パンゲアの住人。
ケビン:白の国の執事長。ノリが軽い。
アイリーン:白の国のメイド長。厳格な統率役。
リカードに接触を果たし、目的を達成したエリック。夜は開け、四人は移動を再開する……。
美香がぼんやりと目を覚ましたのは、もう昼といっても差し支えないほどの時刻だった。
「……?」
いつも手元に置いてあるはずのスマホを手探りで探すが、一向に感触がない。何だか背中も痛いし、肩も重い。でも学校には行かなきゃな、皆勤だしと思いながらもぞもぞする。
「ミカ、起きた?」
ぽけっとしながら声のする方に振り返ると、そこには褐色肌の赤髪美女が座っていた。美香は大きな瞳をさらに丸くした。しかし未だに夢うつつだ。
「おはよう」
「おはようございます……?」
声を発してみて、ようやく脳が覚めた。
……そうだ。本当に夢じゃなかったんだ。
白衣の英里も。血塗れの男も。赤髪の女も。盗賊も。魔術も。そして……この身体も。
何もかもが現実だったのだ。
「ゆっくりでいいわよ。昼から出ても十分間に合うから」
「うん」
寝起きでぽーっとしているミカを見て、アイリーンは申し訳なく感じた。
こんなに寝ていたのも、きっと酷く疲れが溜まっているからのだろう。それも仕方のないこと、いきなり今までいた世界から転移させられて負担にならないわけがない。むしろわめいたり暴れたりしないミカは落ち着いた方だと言えると思う。もし自分がいきなり異世界に飛ばされたら、絶対に正気でいられるとは言い切れない。
ロナルド様も何を考えているのか……。
この子に災厄が訪れなければいいのだけれど、と願わずにはいられなかった。
*
美香はアイリーンと共に昨日と同じ火車に乗り込んだ。そこには既にケビンとエリックがむっすりした表情で二人を待っていた。
その光景を見て、二人には申し訳ないが少し溜め息を吐いてしまう。やはり昨日のことは全て現実だったのだ。
優しい母も、厳しい父も、生意気な妹もここにはいない。僕がいなくなっても、元気にやってるだろうか。少しくらい悲しんでくれているかな。捜索届けくらいは出してくれてるだろうか。まあ、いくら日本の警察が優秀でも異世界にまでは捜索に来てはくれないよな、と自嘲気味に苦笑する。
エリックなら何か知ってるかもしれない。
「ねえ、エリック」
昨日と同じ席に座り、隣に並んだエリックに話しかける。と同時に火車が動き出す。
「なんでしょう?」
エリックは本から目を離さずに答えた。美香は昨日と変わらないエリックであることに、ほんの少し安堵感を覚えた。
エリックだけはこの世界でも僕の隣にいてくれるのだ。
「僕と英里兄さんがいきなりいなくなったりして、大丈夫なの?」
「ええ、全く問題ありませんよ。君と私の存在はなかったことになっていますから」
「……どういうこと?」
エリックは視線を美香に向け、眼鏡をくいっと上げた。
「あちらの世界は、私たちが転移した時点で『佐藤英里と佐藤美香が"元々"存在しない平行世界』に移行したのです。ですから、あちらの世界のことを心配する必要はありません」
「あー……そうなんだ…………」
美香はその平行世界とやらを上手くイメージ出来ず、というよりは、あまり想像したくなかった。しかし美香は漠然とした喪失感を、五感全てで味わっていた。
また一方で、ある希望を抱いた。
「それって、僕がまたあっちの世界に移れば元の世界に戻るってこと?」
本のページを開きかけていたエリックの手がピタっと止まった。美香は何かまずいことを言ったかと急に不安になる。
クラスがシーンとなったような、あの雰囲気。
「……そういうことになりますね」
実を言うと、エリックは瞬時に隠しきれないほど驚愕していたのだ。
美香の返答は先ほどの決して丁寧とは言えない説明で、美香が平行世界理論を正確に理解したことを意味していたからだ。
異世界ーーつまり美香の生まれ育った世界での教育レベルは非常に高いものであったが、実用的なものは殆ど無かった。むしろ子どもらに完成された思想を押し付け、彼らの個性を奪う自己満足的なものだと思っていた。しかし現に美香は自分の理論を即座に解するまでの思考力を身につけている。
侮っていた。
やはりミカエルは要注意だ、とエリックは心に留める。
「あ、そうだ、エリック」
「次はなんですか?」
「魔力について教えてほしいんだけど……」
「魔力、ですか」
「うん。昨日アイリーンにちょっとだけ聞いたんだけど、あんまりよく分からなくて。エリックなら分かりやすく説明できるって、アイリーンが」
「私からもお願い」
二人の会話を聞いていたアイリーンも助太刀をした。昨日聞かれて上手く答えられなかったのが悔しかったのもあり、自分もエリックの説明を聞いておきたかったのだ。エリックは王子の教育係も兼ねていたため、ミカにとっても自分にとっても、教師役には最適な人材に思えた。
「いいでしょう、この世界の基礎知識ですから。ケビンさんも聞いていてくださいね、常識ですから」
「へいへーい……」
エリックは眼鏡をくいっと上げながらケビンをじろっとうち見る。するとケビンは居心地悪そうに天井を仰ぎみた。
ケビンは魔力に関しての知識もない、というか、以前説明されたのだが理解できなかったのだ。「知らなくても使えるんだからいいじゃねぇか」とボヤくのを聞いて、エリックは溜め息を吐きつつ話を始めた。
「魔力というのは我々ヒューマンやエルフを主として生物が生まれながらにして保有しているもので、その大きさを表す魔量は種族や、特に個体に大幅に依るものです。例えば同じヒューマンでも、アイリーンさんは魔術師級の魔量ですが、反して私などはそもそも魔力自体を持っていません」
「魔術師って?」
「ああ、魔術士の階級です。あまり気にしなくて構いません」
魔術師。これまたかっこいいネーミングである。テンション上がりまくりである。今更驚きはしないが、さりげに人間以外の種族がいることも発覚する。
本当にゲームの中にいるみたいだ。
「もう一つの魔力の捉え方は魔色によるものです。この概念は少し難しいのですが……ああ」
ミカエルの理解力はかなり高いようだが、それでもまだこの世界に来てから一日と経っていないのだ。どうやって説明したものかとエリックが思案していると、一つ妙案を思いついた。
エリックは美香にだけ聞こえるくらいの声量で説明をつけ加える。
「魔色は"属性"だと思ってください。赤、青、緑は三大色と呼ばれていて、人口勢力的にも大半を占めます。魔力は"MP"、魔術師なんかは"ジョブ"の上位"クラス"にあたります。わかりましたか?」
「なっ……!」
美香はその瞬間に一切を了解した。美香の頭の中は既に、中学時代プレイしまくった超有名ゲーム"フィクション・ファンタジー"、通称FFの世界が広がっていた。
「エリック、地図ある?」
「え?ああ、はい」
美香はエリックから地図を荒っぽく受け取ると、それを広げて穴が開きそうなくらい凝視した。
「……ランギッド・ヴァリィ……バン・ブンドック……ナワラン・プノス…………」
「ミカエル?どうしたのですか?」
美香の豹変ぶりにエリックは目を丸くして伺い見る。我ながらいい例えだとは思ったが、まさかこれほど食い付くとは思っていなかった。アイリーンとケビンもぽかーんとしている。
だがこれは美香にしてみれば、ゲーム廃人にとって当たり前のことをしたまでだった。システムとフィールドの把握、暗記は進めていく上で前提条件に過ぎない。
そして設定だと思えば、頭にすらすらと入ってくる。
「エリック」
「は、はい?」
「さっきヒューマンとかエルフとかって言ってたよね?」
「それがどうかしましたか?」
「もっと……もっと詳しく、教えてくれない?」
流石のエリックも顔を引きつらせる。
知識欲に支配された美香はもう止まらなかった。さながらネットで関連事項を徘徊するサーファー。エリックは火車の旅が終わるまで、美香の好奇心の波に呑まれることになるーー。
そしてようやく長移動も終わり。
四人は白の王都ーー白光の中心街ジェネラルサントスに足を踏み入れた。