7.黒の国の暗躍
美香 (ミカエル):異世界パンゲアに転生してきた元男で現美少女。
エリック:美香と転生を共にした男性。元々パンゲアの住人。
ケビン:白の国の執事長。ノリが軽い。
アイリーン:白の国のメイド長。厳格な統率役。
リカード:盗賊の生き残り。
夜も深まった頃、リカードに接触したエリック。その目的は……?
「少しお時間を頂けますか?」
盗みを働こうとした矢先の出来事だった。
その声はあまりに事務的で機械的で。
リカードは立ち竦んでその場を動くことができなかった。
「そんなに緊張しないでください。別に取って食おうってわけじゃないんですから」
言葉に反してその声は酷く猟奇的に思えた。暗闇のせいで顔が見えない。そのことがますますリカードの恐怖心を煽った。
何も反応できないリカードを見て、エリックはひそかにほくそ笑んだ。
なんてやりやすいんだろう。愉快なほどに適任適役適材。
さっそく仕掛けてみるとしよう。彼が冷静でないうちに。
エリックはつい先ほど念思で受け取った情報を読み上げる。
「名はリカード。コレヒドール半島の中小国スルー王国にて出生、その一年後弟グラディスが生まれる。家族で農業を営み、貧しいながらも平穏な日々を暮らす。しかしリカードが五歳になった年、スルー王国が白の国と赤の国の戦争に巻き込まれ王国全土が戦場と化してしまう。父親は傭兵として、母親は看護隊として敵地に送り出されるもスルー王国はたった一週間で敗北、白の国に降ることになる。両親の消息は今も尚不明。リカードは戦乱が激化し自分と弟も徴兵されることを恐れ緑の国に逃亡するも、まともに金を稼ぐことができず盗人に身を落とす。生活環境が激変した弊害で弟グラディスの心臓の病が悪化、長期の魔術医療を必要とする病状に陥る。リカードは弟グラディスの入院費用を稼ぐためにより盗人業が盛んなリンガエンに身を移し、盗賊団として本格的に活動を始めるーー」
エリックはその後も淡々と言葉を紡いだ。リカードの出自、経歴、家族構成、現状に至るまで、ありとあらゆる個人情報が羅列された。
エリックの言う通り、リカードが幼少期を過ごしたスルー王国は今はもうない。緑の国では移民登録は行われず、リカードも弟であるグラディスも記録上存在しない存在だった。
すなわちリカードの存在、そしてその個人情報はこの世界どこの誰も知り得ないはずなのだ。ただ一人、本人であるリカードを除いて。
その情報を、こいつは持っている。
リカードは絶句し、動転し、狼狽した。
「もう少し細部まで調べてありますが、聞きますか?」
まるで何でもないことのように、恐ろしいことを口にする。
動悸が酷く乱れている。息が荒い。呼吸が苦しい。
自分の身体が自分のものでないような錯覚に陥る。真っ黒な闇に呑まれて、自分もその一部になってしまったみたいだ。
「……どこでそんなこと」
もはや見栄を張る生気も失われてしまった。
やっとのことで発した声は、掠れてしまって届かないんじゃないかと思えるほどだった。唾を飲み込もうにも、口の中はからからに乾燥し切っていて喉が上手く動かない。
「知り合いに優秀な情報収集家がいるんですよ」
エリックの答えは答えになっていなかったが、そのことを認識できないほどにリカードは平生を失っていた。
「質問はそれだけですか?」
おかしなことは幾らでもある。
なぜ俺の存在を知っている?なぜ俺のことを調べた?なぜ俺がここにいることを知っている?お前は誰なんだ?なぜ俺に接触する?
なぜ、なぜ、なぜーーーー?
リカードの頭の中を疑問がぐるぐると駆け巡る。しかしその一つ足りとも、リカードの口から零れることはなかった。
いや、発することは出来なかった。
沈黙を肯定と受け取ったエリックは本題に入った。
「君に一つ、伝えたいことがあります」
エリックが言葉を発するたびに、リカードの身体がビクッと震える。まるで蛇に睨まれた蛙ーーいや違うーー神に裁かれる罪人。そう、神と罪人のようじゃあないか。
「神」が次に提示する情報で「罪人」はどう反応するのか。
それはあまりに愉快で、滑稽で。
闇の奥でくふっと笑いが漏れる。
「君の弟、グラディスは既に死んでいます」
「……は?」
「君は半年前一人で盗みを働いていたとき、質屋でヘマをしましたね。君はその質屋の鉄時計を盗んだのにも関わらず、その鉄時計を質屋に出してしまった。さあ大変だ。質屋には盗人だと騒がれ、君はすぐに牢屋に幽閉された。もはやこれまでかと覚悟を決めたそのとき、君の脱獄を助けてくれた人物こそが、昨日まで君が付き従っていたマーロンでした。君はそれから彼をリーダーとした盗賊団の一員として活動していたーー。
しかしあの時、君の存在は白の国に知れてしまった。君は偽名を使っていたようですが君には少しだが魔力反応がある。そしてその魔力反応から、グラディスが君の弟、脱獄囚の弟だということも知れてしまっていたのです。グラディスはすぐに病院から追い出され、路頭を彷徨うことになりました。脱獄囚の弟に温情を与えるものもおらず、彼はそのまま持病を悪化させて野垂れ死んだのです。ちょうど今から一月前のことです」
エリックは笑いが堪え切れず、終始半笑いで語りかけた。
時には旅人のように冷徹に。時には道化のように奇怪に。
人を弄ぶ神の如く揺さ振りかける。
「……嘘だろ?」
「嗚呼、本当に残念でしたね。お悔やみ申し上げますよ」
その声は嘲笑を含んでいたが、リカードはそのことに腹を立てる余裕もなく、ただ打ち拉がれていた。
エリックの言葉を否定するにはそれはあまりに現実味を帯びていたし、否定できる根拠もなかった。何よりこれまでのエリックの話した内容は本当ならばリカード以外の万人誰も知り得ない情報であるのだ。
逆らえるわけがない。
リカードにとって、エリックはもはや絶対的な神のような存在として君臨していた。
呆然とするリカードを見て、エリックは再び確信を持った。
やはり君は、私の手駒になるーー。
コツコツと音を鳴らし、リカードの方に近寄っていく。
罪人は迫り来る神に、ただ怯えるしかなかった。
「どうしてこんなことになったんでしょう?君は戦争に巻き込まれ、両親を失い、唯一の家族を守るために金を稼ごうとした。君は進むべき道を進んで来たはず」
リカードはその言葉に耳を傾ける。ゆっくりと脳が侵食されていくような感触を覚える。じわじわと、だが確実に蝕まれていく。
「それなのにどうでしょう?君は今、全てを失ってしまった。世界は君から愛する人々を奪い、苦しめた。もし今のままなら、きっとこれからも」
深い闇が自分を覆い尽くし、呑み込まんとしている。
なんだか頭がぼーっとしてくる。耳鳴りが五月蝿い。目がちかちかする。自分が今立っているのかすら分からない。
暗い煩い穢い恐い辛い苦しい怕い痛い怖いーー。
ダ レ カ タ ス ケ テ
「君は悪くない。そうでしょう?」
「……そうだーー俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くないオレハワルクナイオレハワルクナイオレハワルクナイオレハワルクナイオレハワルクナイーーーー」
「そう、君は正しい、君は悪くない。悪いのは……この醜い世界なのです」
「この世界を潰す力が……欲しくはないですか?」
「……欲しいーーーーホシイホシイホシイホシイホシイホシイッ!」
「俺の国を、俺の家族を、俺の弟を殺した!この世界を!潰す力が!」
「くはっ……くはははははっ!その通りですリカード!さあ、哀れな君に力を授けましょう!」
エリックはそう言うとリカードのこめかみに指を当てた。その途端、エリックの全身がドス黒い魔力に覆われ、その力はリカードの全身をも覆い尽くし、そして染み渡っていった。
「ああああっ!力が溢れてくる!力が!世界を壊す力が!」
「素晴らしい適性です!喜びなさいリカード、これで…………!」
「これでリカード、君も私たちの仲間ーー黒の国の一員です!」