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24.失踪

夜が明けた。

暗闇の中で、しかもやる事もなく徹夜するというのは難しいもので、何度も寝落ちしかけたが、すんでのところで耐え切った。幸か不幸か、今の美香には眠気が飛ぶほどの痛みを容易に生み出せた。いや、生み出せてしまった。元の世界のことに想いを馳せるだけで果てしない痛みが頭を襲う。それだけ自分がこの世界に馴染んでしまったのだと思うと、より一層早く帰らねばという思いが募り、寝てはいけないとキツく自分に言い聞かせた。


美香はふらふらと頼りない足取りでクローゼットを開けた。頭が重い。頭痛と眠気で吐き気がしてくる。だがそれも全て元の世界に帰るためだ。一切の妥協は許されない。

一番手前にあったメイド服を手に取ると、それはマリーから貰ったズボンタイプもといミニスカタイプのものだった。

メイド服を着るのももう最後だ。結局ほとんど着れなかったから、今日くらいはこれを着てやろうと思い、袖を通す。メイド服を着るのにももう随分と慣れてしまった。


いつもならまだ爆睡している時間だろう。王宮の中はまだ静かで、厨房から聞こえるかちゃかちゃした食器の音も、練習場から聞こえる稽古の音も聞こえない。向こうから大きな欠伸がひとつ聞こえただけだ。夜の警備の人かもしれない。

僕には一応、この時間辺りで王子を起こすという仕事があったのだ。起こして、お茶を出して、そのあいだに朝食を運ぶというのが本来の仕事だった。今までアルヴィンより早く起きたことはないので、もちろんまともにできたことはないが。


最後だということもあり、こっそりとアルヴィンの部屋に入り、お茶を入れる準備をする。不慣れだが、一通りはマリーとアイリーンから教わった。手際も味も二人には遠くは及ばないけど、飲めないことはない。今日も微妙な完成度の紅茶に一人で満足し、まだすやすやと寝ているアルヴィンの様子を確認する。


じっくりと顔を見るのは初めてだが、やはりかなりのイケメンである。色素は薄めで爽やかな印象を受ける。この口から僕に対してだけ罵詈雑言が飛び出してくるのだと思うと腹立たしい。黙っていればイケメン。残念イケメン。


アルヴィンをじっと凝視していると、口元がもぞもぞと動いた。

美香はビクッとするが、どうやら起きたわけではないらしい。いや、起きても別に後ろめたいことはないんだけど。

「母さん……」

アルヴィンがもぞもぞと腕を動かす。夢の中でもお母さんが恋しいらしい。さすがマザコン。

見た目は僕に似ているらしいが……これだけ嫌われているのから察するに、性格はあまり似ていないらしい。そもそも僕は男だし……。


口元がもぞもぞするのが少し気になって、アルヴィンの眼前に顔をもっていったときだった。

「母さんっ……!」

アルヴィンはそう言って上半身を起こして、突然僕を抱き締めてきたのだ!しかもかなり強く、僕のおっぱいに顔を押し付けてくる。


「えっ、ちょっ!」

疲労でぼーっとしていた僕も驚いて、反射的にアルヴィンを振り解こうとする。が、なかなか離れない。無駄に鍛えているだけはある。そもそも、今の女の力じゃ男のアルヴィンに敵うわけがないのだ。


「も、もう……アルヴィン!起きろ!」

思わず主人を呼び捨てにしてしまうが、今はそれどころではないのだ。男に抱きつかれて、気持ち悪いという感想しかでてこない。全身鳥肌が立って、ぞわぞわっとする。

「かあさ……ん?」


「違うって!僕は母さんじゃないよ!」

美香が耳元で叫ぶと、ずっと寝ぼけていたアルヴィンの目が大きく開かれた。その目に飛び込んできたのは、嫌わなければいけない美香の胸元。そして自分が抱きついている体勢になっている。


アルヴィンは混乱してすぐに手を離した。

「す、すまなーー」

咄嗟に謝ろうとしたが、ふとある考えが頭を掠めた。

ミカエルに嫌わなければならない。

そう判断したアルヴィンは、混乱した状態のまま口を開いていた。


「だっ……誰が勝手に部屋に入っていいと言った!」

「はい?」

美香は紅茶を運ぼうと手にしたプレートを危うく落としそうになった。振り返ると、顔を真っ赤にしたアルヴィンが仁王立ちしていた。

「主人の許可もなく、寝室に入るなど言語道断だ!この無礼者!出て行け!邪魔だ!」

「なっ……!」


美香は自分の中で何かが切れるのを自覚した。

「僕だってお前みたいな主人ごめんだね!分かったよ、こっちから出て行ってやるよ!」

プレートを荒っぽく置き、美香はずんずんと扉の方へ向かう。

「お世話になりました!」

最後にアルヴィンをキツく睨みつけて、王宮を揺らす勢いでドアを叩きつけるように閉める。


こんなとこに居られるか……!

美香はポケットに入っていた地図をくしゃっと握り締めて、正門の方へと走り出した。





正門に辿り着くまでに誰にも会わなかったのは幸いだった。門番を適当にあしらって王宮を去る。

一週間前アイリーンとケビンに連れてこられて以来、美香は外に出たことはなかった。勤務時間に仕事場を離れるのは気がひけるというのはもちろんあったが、それ以上に異世界での外の世が怖かったのだ。言葉も通じるか分からないし、人外がうようよしてたら怖気付いてしまうだろう。十年前はまだ戦争中だったと言うし、治安も悪そうだ。

とにもかくにも、一人で出掛けることは出来なかった。


それが、今はこうして自分から進んで街に繰り出している。恐怖も不安もない。美香を突き動かすのは怒りだけだ。

街は想像していたよりもちゃんとしていた。つまり、ヒューマンが多くて清掃もされていて、よくある戦争直後みたいな状況ではなかった。


白光の中央街、ジェネラルサントス。それがこの地に与えられた名だった。


美香はくしゃくしゃになった地図を見て目的地に向かう。少し入り組んだ所にあるみたいだ。

歩くたびに周囲からの視線が突き刺さるが、もう慣れたものだ、気にしていられない。こんな大人数からずけずけと見られるのは初めてだが、危害を加えられないのなら心配はない。


中央街というだけあって、商店が集まっているようだった。

休憩所やレストラン、食料品など日本にもありそうな店もあれば、武器屋やギルドハウスのようなものも並んでいる。普通のヒューマンの他にも羽根やヒレが生えた人や、信じられない大きさの人、異獣や魔獣を連れた人もいる。そんな架空の人々が集まり、喋り、笑いあっているのを見ると、本当に異世界に来てしまったのだと実感させられる。


地図通りに進んでいくと、大通りから逸れて、怪しげな路地裏に入らなければならないようだった。

美香は躊躇うことなく突き進んでいった。


しかし美香は気づいていなかった。

白光の中央街ジェネラルサントス。光ある所に影あり。

戦争が終わってから急ピッチで進められた街の開発は、大きく発展した大通りと、その周りに位置するスラムの格差をより大きくした。二階、三階の建物に遮られ、光の届かなくなったスラムの治安は戦争中のそれよりも悪化していた。


それを利用し、美香を狙うものがいることにーー。



路地裏を進み角を曲がろうとしたその瞬間。

「っ!?」

美香は背後から布で口元を押さえられ、羽交い締めを食らう。

抵抗しようにも睡眠も食事も絶っていたため力がまるで入らない。身体は毒に対しても抵抗力を失っていた。まさに最高のコンディションだった。

酸素と共に布に染み込まされていた粉末を吸い込むと、美香はすぐに意識を失った。


かくん、と力なく倒れた美香を見て、男は表情を一切変えずにそれを運ぶ。


全ては黒の国のために。

全ては復讐のために。

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