19.パンゲアの歴史
無いに等しい仕事が終わり、美香は自室で一人ぼーっとしていた。
夜になると王宮内は暗闇に包まれる。蛍光灯もLEDもない。部屋を照らすのは窓から零れ出る月明かりだけだ。普通の使用人は仕事もなく、だからと言って何か出来ることがあるわけでもない。赤の魔術と何か燃やすものがあれば火を灯し部屋を明るくすることもできるのだろうが、あいにく魔術などというものは美香にとって無縁なものであった。
しかし日本での生活リズムに慣れ親しんでいる美香は、日が落ちてすぐに眠るなどということはできなかった。今までは暗くなってから少なくとも六時間ほど、つまり日が変わるくらいまではゲームをしたりアニメを観たりして過ごしていたのだから、この時間帯に眠気は一切感じないのだ。むしろ一番漲ってくる時間帯である。
人間不思議なもので、やらなければならないことがあるときほど眠くなるものだ。昼間アイリーンに指導されたり、お皿洗いを手伝わせてもらったりしていた時に襲ってきた睡魔はとうに何処か遠い所へ行ってしまったらしい。
結局、美香は何をするでも考えるでもなくただ座っていた。
そんなとき、一人の来訪者があった。
トントン。
扉を叩く音がした。
美香はびっくりしながら立ち上がり、扉を開けた。
「ミカエル、眠れないでしょう?」
「あ……エリック。どうしたの?」
仕事終わりに寄ってくれたのか、昼と同じ白衣のままのエリックだった。右手に持っていたランタンが辺りをぼんやりと照らす。
「昨日研究室に尋ねてきてくれたのに、ほとんど何も話せずに帰らせてしまいましたからね。その埋め合わせでもしようかと」
「えっ……いいの?」
「ええ、研究もひと段落つきましたから。中に入っても?」
「ど、どうぞ」
「失礼します」
突然のエリックの来訪には驚いたものの、美香は内心喜んでいた。ちょうど暇で話し相手が欲しかったところだしーーそれに何より、エリックと一緒に居たかったのだ。この世界に来てから、マリーもアイリーンもケビンもよくはしてくれるが、やはり美香からすれば異世界の住人であることに変わりはない。ふとした瞬間に、どうしても壁を感じてしまう。
その点、エリックは十七年の生活と転移を共にしてきた関係だ。家族同然、というか実際家族だったのだ。
美香の不安を埋めてくれるのはエリックだけだった。
「ここ、座ってよ」
部屋に入っても突っ立ったままでいるエリックに、美香はベッドに座って横をぽんぽんと叩いた。
「いいんですか?」
「だって、ベッドしか座れるとこないし。なんで?」
「いえ……一応、夜に大人の男女が同室にいるんですから、ベッドに座るのは如何なものかと思っただけです」
「エリックはそんなことしないでしょ?」
「もちろん、そうですけどね。元男に手を出す趣味はありませんから」
エリックは笑いながら、美香と少し間を空けて座った。
「この世界にはもう慣れましたか?」
「そんなすぐ慣れるわけないって。分からないことだらけだし」
「ははっ、そうでしょうね。私も久し振りですから少しボケていまして。今日も日が暮れだしたとき、思わず部屋のスイッチを探してしまいました」
「あははっ、それすごい分かる。でも不便だよね。この世界には、そういうのってないの?」
「そういうのとは、例えば?」
「……電気とか?」
「ないというよりは、実用化されていないだけですね。この世界には魔術がありますから、どうしてもエネルギー的に言えば電気は劣ってしまうんです。わざわざ電気の研究をして、それを利用できる機械を作って、発電してってするほどのメリットがないんです。もちろんそういう研究が過去になかったわけではないんですが、ここは日本ほど平和ではありませんから。十年くらい前にはまだ殺し合いの時代でしたからね」
「はー……なるほど。殺し合いってあの赤の国とか青の国とか同士でってこと?」
「そうですね。では今日は時間もありますし、歴史のお話でもしましょうか」
エリックはランタンを床に置いて、眼鏡をくいっと押し上げた。英里のころからの癖だった。
やっぱりエリックといると安心する。
「歴史、といってもこちらの世界ではそれほど多くのことは分かっていません。文字が生まれたのもたった五百年ほど前のことだと言われています。しかも正確に言えば、生まれたというよりは輸入されてきただけなのです」
「……もしかして、こっちから?」
「その通り、五百年前に君がいた世界ーー歴史用語で言えばパグパリゾンから人が転移していたと言われています」
「あ!じゃあ単位とかも?」
「そうです、勘がいいですね。だからパンゲアとパグパリゾンでは時間や距離の単位が全く同じだったり、文化が似ていたりするのです」
なるほど、と美香は深く納得する。
時間の単位が同じなのは不思議に思っていたが、言われてみると確かに朝昼晩三食食べたり、お風呂に入ったりするのも変な話だ。でもそれが昔の持ち込まれたものなのだとすると、全て合点が行く。
「パグパリゾンから人間が転移してくる以前から、パンゲアには生命が存在していました。自然に生まれた動物や魚、植物もいたのですが、約二千年ほど前、神が新たな生命を創造したと言われています」
「神?」
「呼び方は何でも構いませんが、一般的には暁星の六神と呼ばれています。力の暁星神ディン、知の暁星神ネール、勇の暁星神フロル、魔の暁星神スタル、武の暁星神リンク、心の暁星神グフー。彼らはパンゲアを創造し、生命を創造したと言われています。ディンは異獣を、ネールはヒューマンを、フロルは魔獣を、スタルはエルフを、リンクはジャイアントを、グフーは妖精を。六神に創造されたこれら六種族は第一世代と呼ばれています。また第一世代同士のハーフは第二世代、クォーターは第三世代などと言われることもあります」
「その、第二世代があるってことは、例えば異獣と妖精で子どもが出来たりするってこと?」
「いい質問ですね。実は全部が全部そういうわけでもないんです。第一世代の中で第二世代を作ることが出来たのは、適合性の高い異獣と魔獣の組み合わせ、繁殖能力の高いヒューマンとその他に限られるんです。例えばワービーストやマーメイド、ハーピィやハーフエルフなんかですね」
「へー。エリックはヒューマン?」
「ええ。ですが、ヒューマンでも今は魔力を持つ人が多いので、ヒューマンは皆僅かながらエルフの血が通っているのではないか、とも言われていますね。その辺りはまだ分かっていません」
「魔力の高い人はエルフ寄りってこと?」
「いえ、そういうわけでもありません。それについては少しだけ歴史をやってからにしましょう。ようやく本題です」
授業の歴史はただただ眠いだけだったのに、今は知れば知るほど疑問が湧いてくる。六神とか第一世代とか、ゲームっぽいからなのだろうか。あるいはエリックが教えるのが上手いのか。
「二千年ほど前、第一世代が創造されたのは話しましたね。それからこのパンゲア大陸で各々繁栄を続けたわけですが、当然のこととして大陸面積には限界があります。例によって、領土争いは起こりました。生誕から一千年、つまり今から一千年ほど前のことです。第一次第一世代戦乱時代と呼ばれる時代の幕開けです。といってもそれほど多くのことが分かっているわけでもありません。文字も何もありませんからね。ただ分かっているのは、異獣と魔獣、ジャイアントの三強状態であったということです」
「えっ、ヒューマンは負けちゃうの?」
「はい。一説ではヒューマンはエルフと妖精にも歯が立たなかったと言われています。大敗に次ぐ大敗で、ヒューマンは絶滅の危機に、エルフと妖精も一定の場所に留まるのは厳しいほどに追い込まれました」
ゲームなんかだとヒューマンやエルフは強いイメージだけど、ここではそうもいかなかったらしい。ヒューマンが強くないと面白くないのは美香も同じで、拗ねたような表情になる。
エリックはそれを察したのかすぐに言葉を続ける。
「しかし、それは神々にとっても不都合であったようで、それぞれの暁星神が調整を行いました。具体的には、ヒューマンはパグパリゾンから新たな知識を、エルフは異獣と魔獣をテイムする能力を得て、また妖精は質量を持たなくなりました」
「質量を、って?」
「詳しくは分かっていませんが、妖精、すなわちサタンとフェアリーは、他の生物の心の中に住むようになったと言われています。それこそがグフーが心の暁星神と呼ばれる所以です。まあとにかく、これで第一世代間の力が拮抗したかに思われました。しかし……」
ごくっ、と唾を飲み込む。
「今度はヒューマンの勢力が肥大化してしまったのです。これは単純にヒューマンが強くなったわけではありません。もちろん武器の使用などである程度強くはなりましたがーー何より、同盟という概念が生まれたことが最大の要因でした」
「同盟?」
「ええ。つまりそれまでは個々の種族が独立して戦っていたのですが、互いの利益のために手を組むということを初めてヒューマンが行うようになったということです。これによってエルフとジャイアント、魔獣とヒューマンの第二世代であるマーメイドがヒューマンサイドに加わりました」
「ジャイアントも?元から強かったのに?」
「彼らは温厚で戦いを望まず、支配ではなく和平を目指すヒューマンに感銘を受け従ったとされています。が、ジャイアントは雄しか存在しない種族で、ヒューマンの女性に惚れてしまったという話もあります。とにかく、この四種族同盟が他を圧倒していくことになります。これは第二次第一世代戦乱時代と呼ばれています」
「圧倒していくって、和平を目指すんじゃなかったの?」
「異獣と魔獣に対しては和平というよりはエルフのテイムを主に利用していたようです。言葉も通じませんから、難しかったのかもしれません。それに対して妖精には和平交渉を成立させ、現在も共生は続いています」
目に見えない妖精が信じられているなんて、元の世界で聞けば厨二か電波かと馬鹿にしていただろうが、この世界だとそれもきっと実在するのだろうと思ってしまう。
「僕の中にも?」
「いいえ、ごく限られたヒューマンにのみです。サタンと契約すれば魔力が得られると、聞いたことはありませんか?」
「アイリーンから聞いた気もする」
「サタンは契約すれば魔力を得られる代わりに、自我を奪われていくと言われ、彼らを堕黒者と呼びます。対してフェアリーは魔量の多い生命に住み着いて魔力を奪われる代わりに、魔力操作の補助をしてくれるそうです。彼らは復天者と呼ばれることもあります。」
「誰か復天者はいないの?」
「ミカエルが知る限りですと、ロナルド王と……それくらいですかね。王族くらいしか選ばれませんから」
「王族は魔量が多いの?」
「ええ、というより、魔量が多いから王族といった方が正しいですね」
「あ、なるほど」
つまりあのふざけた白の国の王と王子も強キャラなのか。なんだか納得いかない。
「少々脱線しすぎましたね。それからはヒューマン中心の時代が訪れるわけです。参考文献も多いので色々と詳しく話せもするのですが……今日はこの辺で終わりにしておきましょうか」
「ええー、もっと聞きたいのに」
エリックは立ち上がって、駄々をこねる子どもを諭すように美香に毛布を掛けた。
「明日も王子より早く起きなければならないんでしょう?さすがにそろそろ寝ませんと」
「そうだけど……どうせ王子は僕より早く起きてるよ。今日もそうだったし」
「……そうなんですか?王子はあまり朝が強くなかったと記憶していますが」
「そんなことないよ。それに僕、嫌われてるし」
「嫌われてる?」
毛布をかけられた美香はベッドに寝転がると、エリックは小さい頃のように毛布を胸まで上げてやった。
「うん。なんかもう来るなとか言われてさ。メイドの子にもそれで敵対視されるし……ほんと勘弁してほしいよ」
「……そのメイド、なんという名前ですか?」
「え?えっと……ヤング、だったかな。どうしたの?」
「いえ、一応です。ほら、もう寝なさい。君も寝起きが悪いんですから」
「うー……じゃあ、寝るまでここにいてよ。英里兄さん」
「はぁ……仕方ないな。早く寝ろよ」
「うんっ!」
冗談半分で佐藤美香に戻ってみたら、エリックも付き合ってくれた。むかしから、英里兄さんには咲と一緒に寝かしつけてもらったものだった。
隣に咲が居れば完璧なんだけどな……と考えながらエリックの顔を見ていたら、安心してすぐ眠りに落ちることができた。
*
「ふぅ……」
まさかミカエルに引き止められるとは思っていなかった。想像以上に頼られているらしい。
なら好都合だ。せっかくのアドバンテージを失うこともない。面倒だが、我儘には付き合ってやろう。
今日はそんなことよりも、大きな収穫があった。
「ヤング、か」
聞いたことがある。確か、厨房長を務めていたはずだ。彼女は十歳くらいの時に突然一人で城に尋ねてきたからよく覚えている。しかも大商人の一人娘だ。話題にならないわけがない。
彼女がここで働きたい理由は一つだった。王子様に仕えたいと彼女は幼いながらに門兵に懇願したのだ。それを聞きつけたケビンが大笑いして即採用した、という経緯だったはずだ。
つまり、ヤングは今も昔も変わらず王子のことを想い続けているということか……。
エリックは自室に戻りつつ思考を巡らし、ほくそ笑んだ。




