18.衝突
美香はアイリーンが忙しい時間、すなわちアイリーンのご指導がない時間は適当にぶらぶらして過ごした。
エリックがいる研究室が一番居心地がいいのだが、そう居座るわけにもいかない。僕は向こうからすればただの新人メイドに過ぎず、研究長であるエリックの知り合いだろうがなんだろうが、他の研究者からすれば邪魔者以外の何者でもない。実際、ただ一度だけ行ったときは何かよくわからない資料をばらばらにしてしまって、エリックと他の研究者の皆さんに迷惑をかけてしまっていた。
今行っても入れてもらえるかすら怪しいレベル。
やることがないとどうしても元の世界のことを考えてしまう。
お母さん、お父さん、咲……。いなくなればいいのにと思ったことは何度もあるが、いざいなくなれば寂しい。ああいうのはやっぱり、いなくならないという安心感があってこそ思うことなのだろう。失って気付くなんとやらというやつだ。
平行世界で三人で上手くやっているのだろうか。まあ確かに……僕がいなくても困ることはないのだろうけど。家のことは何も手伝ってなかったし。そう思うと早めに親孝行しておけばよかったのかもしれない。
いや、まだ遅くないはずだ。
エリックによれば僕が元の世界に戻れば平行世界も元に戻るのだ。
何か戻る方法はないものかーー。
「あなたがミカエル?」
「え?あ、はい」
考え事をしていたから間抜けな返事になってしまった。
声をかけられた方に振り向くと、そこには三人のメイドの女の子が並んでいた。
「ふーん……」
真ん中の女の子がじろじろと美香の全身を舐め回すように見物してくる。見定められているようで、気持ち悪い。突然やってきて人のことをじろじろ見るのは失礼だろ、とも思うのだが、残りの二人の女の子はおろおろとしているだけだ。
「アルヴィン様と、どういう関係?」
彼女は高圧的に言葉を投げた。その態度は悪く言えば偉そう、良く言えばいいとこのお嬢様っぽかった。メイド服だけど。
分かりやすく攻撃的なその振る舞いにさすがの美香も少しムッとした。
「どちら様ですか?」
「わたくしの名前はヤング。こちらはアンとリャンですわ」
名前を呼ばれると後ろの二人がおどおどとしながら礼をした。
「で、何?」
「アルヴィン様とどういう関係なんですの?」
「どういうって……専属使用人だけど」
一応、と心の中で付け加えておく。専属とは名ばかりで、実際は数日経っているのにほとんど仕事も会話もしていない。でも王子との関係といえばそれくらいなものだ。
「そんなことは分かっていますわ。わたくしは、あなたがどうやってアルヴィン様に言い寄ったのかと聞いているのです」
「言い寄るって……僕も知らないよ」
傲慢な態度で人聞きの悪いことを言われ、美香は怒りと戸惑いを覚えた。その様子を見たヤングはイラッとして靴をカッと鳴らす。
「はっ、よく言いますわ。ネール神から授かった容姿を弄ってまでアルヴィン様の気を引いて、リア様が御隠れになったからってすぐしゃしゃり出てきて。どうせ積んだんでしょう?恥ずかしくないんですの?」
「はぁ?」
何を言ってるんだこの子は?
「先日もナイフすらまともに扱えないで。有名無実、月夜の蟹とはよく言ったものですわ。ぼく、だなんて口調も立ち振る舞いもまったく品が感じられません。どうしてあなたがアルヴィン様の専属メイドに……」
理由は分からないが、初対面の女の子にひたすら馬鹿にされていることだけは分かった。愛のない罵倒はノーセンキューだ。
僕だって好きでこんなところにいるわけじゃない……そう思うと無性に腹が立ってきた。
「僕だってーー」
「ヤング!何やってるの!」
感情のまま不満をぶつけようとしたその瞬間、僕の前方から大きな声で叫ぶ人影が見えた。その人影はばたばたと走ってきて目の前にいるエセお嬢様の肩を掴んだ。
エセお嬢様も驚いたのか目をパチクリさせている。
「もう、何も言わずにいなくならないでよー!私ヤングがいないと火も使えないんだから!みんなも困ってたよ?早く戻らないと!メイド長に怒られても知らないよ、また友だち減っちゃうよ?ほら、アンとリャンも何とか言ってやってよ!」
「ちょっと、ジェシカ!」
ヤングはジェシカと呼ばれた女の子を制止させ、美香の方をキッと睨みつけた。
「……覚えてらっしゃい」
一言だけ言い残して、ヤングは踵を返す。
「一つだけ言わせてもらうけど」
彼女の足がピタッと止まり、場の空気が張り詰める。
「僕だって好きでこんなところにいるわけじゃないから」
「っ!」
美香の言葉を聞いたヤングはジェシカを押し退け、奥の方へと走り去っていった。その後を子分二人が追い、そこには美香とジェシカだけが残された。
「あの、ミカエルさん、だよね?」
「……そうだけど」
怒りが収まらず、ぶっきらぼうに答える。
「ヤングがまた何か言ったんだったら、ごめんね。ちょっと捻くれてるけど、悪い子じゃないの。じゃあね!」
彼女は早口でそう言い残して、もう姿の見えなくなってしまった三人を追いかけていった。それを見送りながら、ジェシカにも素っ気ない態度を取ってしまったことを反省する。
ヤングにジェシカか……。
見た目はみんな可愛かったな、と努めて怒りを収めた。
*
「ちょっと、ヤング!ミカエルさんになに言ったの?」
「別に何も言ってないわよ。ちょっと挨拶しただけ」
早足でカツカツと歩くヤングをジェシカがぱたぱたと追いかける。廊下を走るのは決して褒められたことではないが、メイド長のお叱りなどどうでもいいと思うほどに、ヤングは苛立っていた。幼馴染のジェシカの前ではそれを隠そうとすることもなかった。
「嘘っ!挨拶しただけであんなに険悪なムードにならないって!ミカエルさんも怒ってたし、ヤングも苛立ってるじゃん!」
突然先を歩いていたヤングの足が止まった。そして足をカッと鳴らしながら、ばっと振り返った。
「あの生娘が悪いのですわ!分からないなどと見え透いた嘘を!分からないのは自分の醜さではなくて!」
「で、でもそんなに悪い人には見えなかったよ?」
「ジェシカも騙されてはいけませんわ!見たでしょう、私たちを見定めるような、あのいやらしい目つきを!」
「で、でもーー」
「もういいですわ!アン、リャン、行きますわよ!」
ヤングは再び歩き出し、今度はジェシカがそれを追うことはしなかった。
「ミカエルさんかぁ……」
代わりにその場に立ち尽くし、ぽつんと呟いた。




