15.メイドのお仕事
かくして美香の王宮でのーーアルヴィン王子専属使用人としての生活はスタートした。
試用期間は今日から一週間。
それで様子を見て王子が採用するかどうかを決めるそうだが、マリー曰く形式的なものなのだそうだ。特に王の客人としてわざわざ異世界から転移させられてきた美香の本採用は確実だろう、と。
マリーは喜んでくれたが、美香としては微妙な心境だった。メイドとして働くのはもちろん嫌だし、あのマザコンセクハラ王子の専属となると尚更だ。
でも……ここで採用されなかったら一体どう扱われるんだろう?王子のためにわざわざ転移させてきた奴が、はい無理でしたじゃあ元の世界に戻してあげましょうね、なんて絶対にならない。あの王ならあの山に捨ててこいくらいは言いそうなものである。
マリーが言うのだからそんな心配も杞憂なのだろうけど。
何はともあれ、僕も今日からメイドさん、かぁ……。
なんかラノベのタイトルとかに有りそうだな、としょうもないことを考えながらあてがわれた部屋のクローゼットから一着取り出す。
昨日と同じメイド服である。
これからこれが制服なのかと思うと、げんなりする。
でももう時間がない。あと十分もすればマリーが仕事の説明に来てくれるはずだ。教えてくれるのがマリーだっただけまだ嬉しい。
苦労しながらメイド服を着て、ふと疑問に思うことがあった。
この世界の時間は、元の世界と同じなのか?
美香自身に聞こえる言葉は翻訳魔術によって全て変換されているから単位が同じなのは納得できるのだが、実際それが既知のものと全く同じだとはわからない。
体感だけで言えば秒とか分とかは同じ気がするけどーーエリックなら知ってるかな。ここに来てからエリックと会えてないし。仕事が終われば聞きに行って、ついでに愚痴も聞いてもらおうかな……。
知らないことで不安ばかりが大きくなる中で、十七年間共に生きてきたエリックの存在は、美香にとってより重要なものになっていた。
*
部屋で待っておいてと言われたため大人しくしていると、約束の時間ちょうどにノックが聞こえた。美香は思わず姿勢を正す。
「ミカエル様、よろしいですか?」
「はい!」
「失礼します……」
マリーは昨日と変わらない丁寧な物腰で礼をした。
「一週間教育係を務めさせていただくことになりました、マリーです。あ、改めてよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
美香もマリーに合わせて丁寧に挨拶をする。これからもお世話になりそうだし、メイドとしては先輩だ。
「ミカエル様のお仕事ですが、基本的にはアルヴィン様に付きっ切りになります」
「えっ!」
専属とは言ってたけど……付きっ切りって、そこまでするの?ああでも王子を元気付けるためだけに呼ばれたんだからそんなもんなのか。
「おはようからおやすみまで?」
「はい。アルヴィン様がそうおっしゃれば、ですけれど。食事の用意や洗濯、宮内の掃除などは私たちがいたしますので、ミカエル様のお仕事はそれほど多くないと思います。これから一緒にがんばりましょうね!」
「わ、分かりました……」
これは想像以上に"専属"になりそうだ。
家事全般やったことないから、それをしなくていいのはありがたいけど、逆に何をやらされるんだろう?
「とりあえず今日一日は見学にしましょう。ついでに王宮の案内もしたいですし、所謂レクリエーションですね。さっそく行きましょう!」
「あ、あの、マリー」
「なんでしょうか?」
「ずっと気になってたんですけど……僕ももう使用人でマリーが先輩なわけですし、敬語はちょっと」
昨日は客だったけど今はもう同じ使用人だし、それに敬語で話されるのは逆に緊張してしまうのだ。
特にミカエル様。これは勘弁していただきたい。本名じゃない上に様付けはだいぶキツイ。
「ごっ、ごめんなさい!ご不快でしたか?」
「い、いや、別に……」
「でもごめんなさい、敬語はその……癖なんです。昔っからずっとだから、抜けなくて」
「それなら別にいいんだけど!ただ呼び方だけでも」
「なんとお呼び……呼べばいいですか?」
「ミカ、って呼んでほしい、です」
「ミカさんでいいですか?」
「は、はい。お願いします」
「それじゃあ、ミカさん。行きましょうか。あっ、でもミカさんは普通に喋っていただいて大丈夫ですよ。友だちですから」
「う、うん。ありがと」
でもマリーは敬語のままじゃん、と心の中でツッコむが、それはそれでマリーっぽいかもな、と思うのであった。
*
結果から言えば、美香の家事のセンスは最悪であった。
見学先でちょっと試しにやってみましょう、となるのだが、美香の能力は悉くマリーの斜め上を行った。もちろん、悪い意味で。
洗濯をすれば洗い場を泡だらけにして洗濯物を増やし、料理をすれば炭素化合物を増産する。掃除をすれば物はさらに散らかり、風呂洗いをすれば服をびしょびしょにして帰ってくる。終いにはさすがのマリーも顔が引きつっていた。
それでいて本人は至って真面目なのだから尚更タチが悪い。
加えて、美香は宮内で半端なく目立つ。
新しい使用人というだけでも話題になるのに、王子の専属でかつあの容姿だ。目立たない理由がない。
そんなこんなで美香にとってもマリーにとっても、疲れる一日となったのだった。
*
翌朝美香はマリーに、やんわりと戦力外通告を食らった。具体的には厨房、洗濯場に出禁を言い渡され、その時点で完全な王子専属となることが確定した。
しかしそのアルヴィン王子からの扱いも散々なものであった。
マリーに言われた通りにアルヴィンの部屋に行くと、美香が手伝うはずの着替えも既に済ませ、早々と仕事を始めていた。
「お、おはようございます」
「朝食はまだか」
「はっ、はい!今持ってきます!」
アルヴィンは顔も上げずに尖った声で美香を追い払う。美香は少しだけ道に迷いながらも、急いで朝食を運んだ。
「アルヴィン様、お持ちしました」
「遅い。それと私のことを名前で呼ぶな」
「す、すいません」
「食事中もそこに突っ立って見ているつもりか、早く下がれ。一々言わせるな」
「はい……失礼します」
罵りに罵られた美香はパタンと扉を閉め、アルヴィンが食べ終わるのを待った。アルヴィンが食べ終わり鈴を鳴らされ、美香はいやいや食器類を回収していると、アルヴィンが再び下を向いたまま声をかけた。
「もう来なくていい。昼食も夕飯もダイニングで貰う。一人で行く」
「えっ……でも」
「でも、なんだ」
「いえ……すいません。分かりました」
訳のわからないまま部屋を出て、ワゴンを押しながら美香はかつて味わったことのないほどに激昂していた。ここが王宮の廊下でなければ、叫び散らしていたことだろう。
ろくでもない奴だとは思ってたがここまでとは思わなかった!一々言わせるな?僕は初めてだって言ってるだろ!一昨日の話聞いてなかったの!?なんなの?親子揃って頭おかしいことばっかり言いやがって!こんな国さっさと滅んでしまえ!
「あ、あの……」
「滅んでしまえ…………」
「ミカさん?」
「へっ……あっ、マリー?」
「どうしたんですか、そんな怖い顔して」
気づけばマリーが心配そうに覗き込んでいた。
美香はびっくりして背筋をピンと伸ばす。
自分の仕えている王が酷く思われてるなんて知ったら気を悪くするだろう。例え王が悪いとしても。だが今のこの状況をマリーに伝えておかねばならない。自分の教育係なわけだし。
「何か困ったことでもあったんですか?私でよければ手伝いますよ」
「その、実は……アルヴィン様にもう来るなって言われて」
「えっ!……本当ですか?」
「うん。来るのが遅いって言われて、朝ご飯持って行ったら食べてる間は出ろって言われて、食器回収したらもう来るなって言われて……。ちょっと、さすがに理不尽だと思うんだけど……僕、何かしたのかな」
「そんなことでお気を悪くなさる方ではないと思うのですが……。分かりました、私から聞いてみます」
「うん、ありがと……」
喋ったらだいぶ軽くなった。
マリーが早速王子の部屋の方へ向かうのを見送り、愚痴っぽくなっちゃったな、と美香は反省する。これは僕と王子の問題なのに。
それに、たぶんどうしようもない。嫌われる理由は分かってる。僕の今の見た目が、亡くなった王妃ーーつまり王子のお母さんーーに似てるからなのだろう。王子はマザコンなわけだし、きっと目障りなんだ。
王子の言う通り、もう行かない方がいい。
美香はそう決意して再びワゴンを押し始めた。その顔はどこか寂しげだった。




