10.白の王宮
美香が目を覚ますと、そこは見慣れた自分の部屋ではなかった。ベッドの肌触りも違う。
「あれ……」
部屋を見回すと、目を疑うような豪勢な装飾品が視界に映った。今寝ていたベッドから、テーブルから、それこそ名前も分からないようなものまで。
美香は一瞬今度こそ攫われたのかと思ったが、先ほど起こった事の一部始終を思い出した。
そうだーー。
火車の移動が終わったらすぐにこの王宮に連れてこられて、そこでアイリーンとケビン、エリックもそそくさとどこかに行ってしまったのだ。代わりにふわふわした感じショートボブの子にこの部屋に連れてこられ、美香はこのベッドの快適さのあまりすぐ眠りこけてしまったのだ。
まあ疲れてたんだから仕方ない、けど……。
「ここは……どこなんだろ?」
美香は今更ながら居心地の悪さにそわそわし、おもむろに立ち上がり月光を頼りに部屋をうろうろした。
ここはきっと白の国の王宮なのだろう。未だに現実味がないが、ここが王宮だと言われてこんな煌びやかな部屋まで見てしまっては言い訳もできない。我が家じゃありえない。
夢でも、ない。
つまり……とうとう来てしまったのだ。
自分をこの世界に連れてきた奴の本拠地に。
ケビンもアイリーンも何だかいい人っぽかったし、僕が誰なのかも、どうして転移させられてきたのかも分かってなかった。だからきっと二人の上司ーーつまり王様が何らかの理由で、僕をここに無理矢理連れてきたのだろう。
ステレオタイプの傍若無人な王様。
「英里ーーエリックは何処にいるんだろ」
エリックはこちらの世界で唯一の仲間だ。そのエリックが近くにいないというのは不安でたまらない。実際にどうこうしてくれるわけではないのだろうが、やっぱり安心感が違う。
一人で見知らぬ場所、というか異世界、さらには見た目どころか性別まで変わってしまっているのだ。
心細いことこの上なしだ。
見た目といえば、この服装も落ち着かない。
これは確か……ネグリジェ?とかいうやつだ。
一枚着だし、胸の下がキュッと詰まっていてとても可愛らしい。アダルトなビデオで見たことがある。淡いピンク色なのがさらに煽情的だ。いやー、僕もこんな女の子が目の前にいたら辛抱堪らんで襲っちゃうな。うん。いや実際いたらたぶんチキって無理だろうけど。それ以前に僕が女の子なんだけど。
……僕が襲われるのか?男に?いやいやないない……ないよね?
知らぬ間に襲われる側になってしまったことに現実味がないまま怯えつつ、美香はひとつ当然の疑問を抱いた。
誰が着替えさせてくれたんだろう?
今は、やっぱり、その、女の子の身体だから……あのふわふわショートボブの子、か…………?
そう思い至った瞬間にかっと顔が赤くなる。
名前も知らない女の子に裸を見られるなんて……いや身体は女の子同士だけど、僕はそれでもやっぱり男なわけで……女の子に裸見られたのか……しかも知らないうちに…………。
美香は一通り寝巻きについて思考を巡らせ凹んだ後、再びベッドに座り、改めて自分の身体を見下ろした。
それにしてもーー。
何度見ても全く素晴らしい四肢である。指、手、腕、肩、胸、お腹、腰、太腿、脚、足……どこをとってみても間違いなく最高クラス。SSSだ。しかもそれら全てが深雪のように真っ白で、幻想的な妖艶さを醸し出している。
美香は一男子としての興味心から、自分の豊満な胸にそっと手を当ててみた。
「んっ……」
ふにゅ。むにゅ。その得体の知れない感覚が美香を侵食する。こそばゆさが気持ち良さに変わってゆく。揉みしだくことに夢中になり、無意識のうちに内股を擦り合わせていた。切なさを伴ったもどかしさが下から湧き上がってくる。
恐る恐る疼きの根源の方へ手を伸ばす。
「ひゃっ……あっ……」
触れるだけで身体が思わずビクッと震える。
先ほどまでとまた異質の感触に、美香は高揚感と期待感を覚えた。撫でたり擦ったりしてそれを刺激していく。
「はんっ……んんっ……」
口から艶かしい喘ぎ声が漏れる。
その動きは徐々に激しくなっていく。小さな波がピクンピクンと身体の奥で起こっているのが分かる。
一際大きな波が今まさに美香を襲おうとしたその時。
ガタガタッ!
「わぁっ!」
突如大きな音がした方に目を向けると、そこにはただ窓があるだけだった。再び窓がガタガタと音を立てた。
「なんだ風か……」
ぼそっと呟いたその声で美香の頭はさーっと冷め、同時に白い頬は林檎のように真っ赤に染まった。
うわああああ何してるんだ僕!僕男なのに!女の子の身体で……うわああああっ!しかも変な声まで出して……隣に聞こえてたらどうしよう!?でも気持ち良かったな……ってそうじゃなくて!男なのにっ……!
美香は熱を帯びた身体と混乱した頭を冷やすためにネグリジェ姿で部屋を出た。今あそこにいたらまた変な気分になってしまいそうだった。
*
美香は廊下をマッピングするように慎重に散策を進めた。迷って帰られなくなったりしたら悲惨なことになる。普段なら初めての場所で一人で歩くなどというハイリスクなことはしない美香だったが、それほどのことでないと今の気分を紛らわすことができなかったのだ。
さっきまでいた部屋から徐々にマップを広げていく。何かあったら拠点に戻らないといけない、なんて未だにゲーム気分が抜けない。
「おっ……」
何か今までとは違う感じの通路を見つけ美香のテンションは俄然上がる。少し警戒するが、男子的冒険心には敵わず足を踏み入れた。無機質な床が土に変わる。それでも美香は気にせず素足で進んでいった。
するとすぐに開けた場所に出た。
そこは小さな池と少しの木々が生えているような、漫画みたいな空間だった。空気が澄んでいる。そんな雰囲気がする。
夢心地でゆったりと歩いていると、視界の端で何かが動いた。
「!」
美香は咄嗟に足を止め、物陰に隠れた。小さめの木に背を預ける青年の姿があったのだ。
誰もいないと思い込んでいた美香はすぐに元の通路に戻ろうとした。しかし同時に背後から若い男の声が聞こえてきた。
「母さん……?」
その声は悲壮感と困惑に満ちていた。
近付いてくるような気配はない。
だがなんとなく、本能的に襲われるような気がして美香はまっすぐ駆け出した。
「母さん!待ってくれ母さん!俺母さんがいないと俺っ……!母さんっ!待って母さんっ…………!」
美香が聴き取れたのはそこまでだった。
青年の声は悲痛と狂気に包まれていて、とてもじゃないが足を止めることはできなかった。
*
「はぁ……はぁ……」
美香は部屋の扉を閉め、そのまま床にへたり込んだ。
外から足音は聞こえない。青年は追ってきてはいないみたいだった。ちゃんと帰り道を確認しておいてよかった、と安堵する。
それにしても……。
さっきの奴は誰だったんだろう?
僕のことを「母さん」と呼んでたけど……見間違えた、とか?例えそうだとしてもあんなに必死になって叫ぶものか?
……。
…………寝よ。
美香はすぐに考えることを放棄し、全てを明日に託して眠りに就いた。
*
「お、お目覚めになられましたか……?」
「うん……?」
ベッド……?なんで僕ベッドで寝てるんだ……?まあ気持ちいいしなんでもいいか……二度寝しよ…………。
「お、おはようございますミカエル様」
「もうちょっーー」
そこまで言って突如意識が覚醒した。布団をがばっと跳ね除け、声の方に目を向ける。
「ご、御朝食はいかがいたしましょうか……?もうお時間はお昼頃ですけれど……」
部屋のテーブルでいそいそとお茶を入れていたのは、昨日のショートボブの女の子だった。朝起きたらメイド姿の可愛い女の子というこのシチュエーションは素晴らしい……が。
さっきまでの自分の態度を思い返して赤面する。
「あの……」
「はい、なんでしょうか」
「どうしてここにいるの……?」
「ふえ?」
女の子は一瞬ぽかーんとすると、何を思ったのかすぐに顔を真っ赤にして、即座にセットを片付けだした。
「ももももも申し訳ありません!勝手にお部屋に入ってしまって……!す、すぐに失礼致します!」
「ま、待ってください!別に大丈夫ですから!」
僕はベッドから立ち上がりながら慌てる女の子を静止させようとした。しかしそれでも彼女はまだパニックになっていたらしく何とか出て行こうとするので、無理やりベッドに座らせた。
女の子はベッドに座ると途端におとなしくなったが、代わりにそわそわしだした。
「それでなんですけど」
「は、はい」
女の子は俯き気味で、その表情は強張っている。彼女は真剣なのだろうけど、まるでお母さんに怒られる子どもみたいだと思ってしまった。童顔で、庇護欲とサディズムを掻き立てられる表情だ。でも今はそれどころじゃない。
「その、どうして僕の部屋に?いやあの、別に気にしてるわけじゃないんですけど……」
「えと、その、ミカエル様が起きなさったらすぐにお飲物を出させていただこうと思いまして……ご朝食の準備もありましたし……驚かせてしまって本当に申し訳ございませんでした…………」
「い、いや別に!全然、嬉しかったですから……」
嬉しかったのはマジだ。本物のメイドさんに、しかもこんな可愛くて清楚な感じのメイドさんに会えるだけで感激なのに、あまつさえ起こしてもらえるなんて。
ここは天国か。
「ごめんなさい……」
「いやいや……。それで、あなたは?」
「も、申し遅れました!」
彼女はまたわたわたと慌てて頭をぺこりと下げる。
「わ、私の名前はマリーです。しばらくの間ミカエル様のお世話をさせていただきます。よろしくお願いします」




