友達になってください②
(ああ、まずい)
ステラ・イクシードは普段では考えられないレネのアクティブな行為にひどく戸惑いっていた。
レネに気づかれないよう周りの視線を確認する。司書科の女の子達は時間が止まったように静まり返っていた。読書好きでおとなしい人が集まる学科のため、本でも読んだことがないものを見てしまったと顔が語っていた。
ステラは再度視線をレネに戻した。
レネは四才児のようにグズいている。それでも感情が一線を越えないようにがんばっている様子が自分の心をひどく動揺させていた。
同学年にくらべてひと回り身体の小さいレネが泣いている姿は、誰かに傘を取られて帰れないと泣いていた小学生の時の出来事をステラに思い出させた。月日が流れ、あの頃よりもお互い背丈も伸びたし、色んなことを経験して多少のことでは取り乱したりしない大人になっているはずだった。毎日一緒にいたはずなのに、それでも手の届かない遠くに消えてしまいそうな印象を感じさせるレネの姿はこうやって目の前にするとまったく変わっていないことに気づかされる。その度にステラはレネに対して愛おしい感情が湧いてくるのだった。
小学校入る前に隣に引っ越してきて、それ以来家族ぐるみで付き合いのあるステラにはレネが何に対して悲しんでいるのか手に取るようにわかる。だから何と言えば良いかもすでにわかっていた。
「だいじょうぶ、レネの気持ちは十分わかっている。私に会えたことが嬉しくて仕方ないんだよね。それは私も一緒だよ」
ステラは自分も落ち着けるよう意識をしながらゆっくりとした口調で語りかけていた。
「本当?」
「本当だよ。レネの考えていることは何でもわかるし、それは間違ってないから。私も突然抱き着かれたから混乱しちゃって、きちんと気持ちを伝えることができなかった。……ゴメンね、レネ」
いつもは上から見てしまうけど、今はレネを見上げている。初めて目にした光景にステラは妙な新鮮さを感じてしまっていた。
頬についた涙の跡を消そうと右手を伸ばしたが、もう少しのところで届かない。
するとレネは両手でその手を包み込むように胸元に手繰り寄せた。
「ううん、いいの」
柔らかい胸の温かさと規則正しく刻まれる心拍音がステラの腕に伝わっていった。
「私も混乱してた。何言っているかステラちゃんわからなかったと思う。ゴメンね、ステラちゃん」
ステラはレネの言葉の端々から自分への優しさを感じていた。
「安心した、いつものレネだ。自分のことより他人のことばかり気にかけている。気にかけついでにお願いだけど、私もそろそろ起きてレネの制服姿をちゃんと見たいな。……ダメかな?」
「えっ。……うん」
レネはためらいがちにマウントポジションを解いて、今までのことを申し訳なさそうに立ち上がった。
ようやく起き上がることができたステラはこれから何を話すかいつものようにレネを見下ろしながら頭の中で思案していた。
「……私のせいでステラちゃんの制服汚れちゃった」
自分の行動にひどく悔いているのか、制服を一瞥した後レネは下を向いてしまった。
「そんなこと気にしてないよ。埃なんて叩けば落ちるから。それより私を見て、レネ」
言われるがままに顔を上げたレネだが、落ち込んでいるのは誰が見ても明らかだった。
「……もう、また泣こうとしない。レネを泣き止ませる方が何倍も大変なんだから。今日から始まる学校生活が楽しみだって言ってたじゃないか。私の大好きなレネの笑顔はどこにいったの? 初日から泣き顔じゃ洒落にもならないよ」
ステラはブレザーのポケットからハンカチを取り出しレネの目元に溜まった涙をこぼれないようにやさしく拭って、
「さあ、笑って」
お手本を見せるように優柔な笑顔をレネに見せた。
「うん。……ありがとう、ステラちゃん」
小さく頷いたレネは今彼女に見せることのできる精一杯の笑顔を返していた。
「私も、ずっとそばにいてあげたい」
続けて言葉をかけようとしたが、一瞬言葉に詰まった。
「……私もレネのこと大好きだから。でも、今は一緒にいるのはやっぱり難しい。なぜだかわかる?」
ステラはレネの目線まで膝を曲げ諭すように質問した。
「……もうすぐホームルーム始まっちゃう。いつまでもこうしていちゃ、やっぱりダメだよね。みんなに迷惑かけちゃうし……」
「相変わらず素直でいい子だね」
やや左下に目線を落としているレネの頭を軽く撫でながら言葉を続けた。
「ホームルームに出てこれから迎える学校生活での心構えをきちんと聞く。レネの知らないことを教えてもらえるはずだから。それがレネの今すべきことだと思うんだ」
レネはステラの顔を見つめた。もう少し一緒にいたいという気持ちがストレートにわかるくらい眉が垂れている。
「ステラちゃんとずっと一緒にいるとホームルーム始められない。そうすると先生もみんなも困っちゃう。私のわがままでみんなに迷惑かけちゃうのはいけないこと。他の人にわがまま言っちゃいけないってお姉ちゃん言ってた……」
自分を見つめている故に小さな声でも何とか聞き取れた。それくらいレネの声は雑踏の中に消えそうになっていた。
「そうだね、お姉さんいつも言ってたね。他人のわがままは悪いこと以外何でも聞いてあげなさい。そのかわりレネのわがままはお姉ちゃんが何でもかなえてくれるって。私じゃ役不足で叶えてあげられないから」
レネの眉毛がさっきより下がったように見えた。そんなことはないと言いたげだったが、適格な言葉にまとめることができず困惑の度合いが増しているのが伝わってくる。
お姉さんの言葉一つ一つがレネに生き方を教えるものだ。守るべき教えと目の前にいる大好きな友達との別れを両天秤にかけるなど想像すらしたことなかっただろう。お姉さんも大好きな友達も彼女にとってはあって当たり前なのだ。どちらを選択するとか諦めるとかはあり得ない。
(酷な言い方だったかな)
軽率な表現だったかもしれないとステラは後悔しかけた。
(でも、このままじゃ……)
無言で自分を見つめるレネの顔貌に昔のことを思い出させる。
レネと彼女のお姉さんに初めて会った日のこと、その時去来した思い、校舎の入り口で泣いていたレネを傘に入れて一緒に帰った雨の日の情景、男の子に傷つくことを言われ、それを隠して笑顔でいた初夏の下校時間、結局はお姉さんにバレて一悶着あった後、彼らが謝罪することでことは収まったこと。
ひょんなことから嫌いになると言われて困惑したレネの誕生会、拾ってきた猫が飼えなくて塞ぎ込んだ表情と、その後ステラの家で飼うことが決まり自分のことのように喜んだ笑顔、……レネと一緒に過ごした日々の些細な出来事がステラにとってどれも愛おしくて手放したくない思い出となっていた。
それ故に私はずっとレネの側にいる、ずっと守っていくんだという思いを少しずつ募らせていた。
そんなレネが全寮制のリフェラン進学を希望していると聞いた時、自分でも信じられないくらい動揺した。彼女が何を思って決断したのかは長い付き合いでわかりあっていたつもりだったが、見ず知らずの世界に飛び込もうとする彼女の目の輝きの中に自分の姿は映っていなかった。
応援するよと声をかけたにもかかわらず、やめてほしい、諦めてほしいと願ってしまいその日はひどく落ち込んでしまった。レネは小さくて泣き虫で誰かの手を借りないと生きていけないはずなのに、どうしてこんなに強い意志を持つことができるのかと打ちのめされてしまう。
レネは彼女自身が思っている以上に未来を見つめ揺るぎない決意を持って先に進んでいく。いつの間にかステラが手を差し伸べることのできない存在になっていくのを感じていた。
別れたくないと思っていたのはむしろ私の方だ。レネの側にいたいから無理矢理志望校を変え、彼女に悟られないように勉強して勉強して勉強して、ギリギリだったけどリフェランに合格した。そして今こうしてレネの前にいる。着けられた足枷を引きずりながらまたレネに会うことができた。
(私……)
一時の別れを想像させることがレネをすごく悲しませてしまった。私の見せたくない思いがそうさせてしまったのかとステラは悔やんでいた。
司書科の制服を着たレネと教育科の制服を着ている自分との関係が以前とは違った舞台に上がっていくのを今は否定したかった。
(ダメだ。……このままじゃ、私の方が離れられなくなってしまう)
「ねえレネ、お互い自分のできることからしよう」
レネに対しての抱えていた罪悪感とは裏腹にステラは今まで見せている自然な笑顔を保ちながら自分にも言い聞かせるように語りかけていた。
「……」
離れることが名残り惜しい。そんな表情でレネが無言の抵抗を見せていた。潤んだ目でステラを見つめるその様は彼女の決意を挫けさせそうになる所まで来ていた。
「午前のホームルームが終わったらまた来るから、一緒に食堂でランチを食べよう。今は別れないといけないけど、すぐ戻ってくるから。約束する。レネはホームルームに出て、どんな先生だったとか、どんな話をされたとかを教えてほしいな」
レネは表情を変えずじっとステラを見つめていた。
「そんな顔しないで。私は約束を守る。それはレネも知ってるよね?」
「……」
レネは無言で頷いた。
ステラはレネの頭を撫でながら安堵の表情を浮かべていた。
「午後のホームルームは自己紹介の時間になると思うから、何を話すか考えないといけないね。こういうことは一人で考えるより二人で考える方がいいアイデアも浮かぶから」
レネが安心する言葉をかけながらも、ステラ自身は言葉の端々が不安で震えてしまいそうになるのを必死に耐えていた。自分の感情を知られるのが恐くて仕方がない。一緒にいたいけど、この場から離れることしか思い浮かばない。
「また来るね」
ステラは後ろを向くと早足でレネから離れていった。
不必要に歩く速度を上げていきながら後ろを振り向きたい衝動が体中を駆け巡っていった。きっとレネは私の後ろ姿をまた泣きそうな目で見つめている違いない。
(私はなんて酷い友達なんだろう)
突き当たりの角をまわり教育科のある棟に繋がっている廊下に足を踏み入れた頃には知らないうちに駆け足になっていた。




