夏の雨
ド素人です、わたくし。
宇宙ロケットの発射。
ダイナマイトの爆発。
今か今かとそれらを待ち構える様に高鳴る、心臓の鼓動。
はっきりとした血潮の音が、私の体を小刻みに揺らし、胸を強く締め付ける。
何時の間にか私はその音に呑み込まれた。
身体は脳へ電気を送るのを忘れた様に、思考が停止する。
私の本能的な感情は封印される。
すっかり空虚感で充満した脳。
久しぶりの薄暗い私の部屋も、懐かしい家具の匂いも、私の身に入り込んで来ない。
ただ私の小さな鼓動だけが、私の軽い足だけを下界へ導かせる。
玄関にある、蜘蛛の子の様に散らばる靴の中、丁度表を向いていた薄汚い下駄を履く。
恍惚な頭の儘、柄が一つ剥き出しの傘を手に、僕は田圃の横の、アスファルトで舗装された無機的な歩道を闊歩する。
日々ベランダから眺めると、何の変化も無い田園風景。
けれど今日は違えている。
一層大きく鳴く蛙。
未来を恐れる様に首を垂れている稲穂。
定刻通りに農作業に励まぬ老夫婦。
いつもの鄙びた景色の風情は、寂寥へと化けて、私の目の前に佇んでいる。
その訳は単純で、明白なものである。
首を上に捻ると、徐々に暗澹としてきている広大な空と、墨絵で描かれた様な雲がある。
その空は、獰猛な虎の如く唸り始め、今にも襲いかかってきそうだ。
自然と、私の眼光は炯々となっていった。
午前九時を過ぎた頃。
私のメトロノームの針は、いつ振り切れてもおかしくない程に、大きな振幅である。
全身に張り巡らされている細い血管の枝の先に至るまで血を送る。
私一人、冷えたアスファルトに案山子の様に立ち尽くしている。
何時の間にか、田圃の稲穂と共に取り残されていた。
噪くサラリーマンの勇ましい革靴の音や、女性のヒールの高い靴の音は無い。
そっと、瞼を閉じる。
どんなに瞼をきつく瞑ったとしても闇にはならないのは残念だが、時間が経つに連れ、耳の感覚は透徹されていくのがわかった。
そして、その瞬間は漸く訪れた。
ビニール傘に一滴の雫が、バチンと強く当たった。
その淡白な音は、私の鼓膜を大きく震わせ、脳内を駆け回った。
その時の、無計画な、思うが儘の荒れた音。
けれど、平成のこの世の、この時刻の、たった一度限りの音。
此処に立つ私だけに聞こえる音。
感銘を受けた。
否、その言葉一つではない。
心底に眠る憤りや怒り、悲哀や杞憂、全ての悪の感情が溢れ出し、喜悦や愉しさが私を包み込む、その様ながした。
しかし、それは、無様に一人立つ己を諫める様な忌々しきものだとも解釈できる。
時計の長針が緩と時を刻むに連れ、空は激しい音楽を奏でていく。
斜めに強く降る雨。
ビニール傘では到底耐えきれない風。
そして、此処から人間を追い出す様に最終警告をする雷。
音楽は遂に‘ヤマ’を迎えている。
自然の脅威を本能的に恐怖と捉え、私の身体は慄然としている様だ。
雲から怒りの光と音が相俟って放電する度、瞼は震え、足は竦む。
けれど止められない。
心は静謐を保っている。
もう私はこの音楽を、何十分も聴いている。
飽きないのかとあなたは思うだろうが、既に中毒化し、心酔したこの私を止められまい。
無論、素晴らしいミュージシャンの様に瀟洒された音楽でも、楽譜通りのアイデンティティを喪失した音楽でも無い。
これは、どちらかと云えば「ろうず」の音楽だ。古びていて、何処か欠落していて、無視されて、売れなくて、誰も知らない。
だが、絶対に消滅する事の無い、大自然が創り出すこの一度限りの歌を、私は心から愛して止まない。
目を開けると、下駄は濡れ、足は冷え、傘の骨が折れ、服は斑点模様を描いている。
それも何処か、この風情ある世界観に無限の圧力を感じ、立ち止まって愉しむ私の姿が其処に居る。
“異”を感じ、俗世から乖離したこの空間こそ、私の求めるユートピアかもしれない。
しかし、この音楽は、偸安の僥倖である。
すぐに曇天へと変わったと思えば、漸次、雲の間から光が差した。
この世に未練が無くなったのを機に、私は階段を一気に駆け上がる。
私が次に目の前を見ると、先程の雨の所為か、川が大きな音を立てて、私の体を流した。
また思いついたら変更あります。