一三三年 三月十六日~
・アリオス歴一三三年 三月十六日 アスタルト星系 大型巡洋船アクトウェイ
思えば、ワセリージャンプで一週間と二日という遠距離であっても、帝国軍がアスタルト星系へ雪崩れ込まなかったことは奇跡といってよかっただろう。ボレスタフ星系とマルメディ星系の間隙に位置しているアスタルト星系は、今や帝国軍の支配から逃れているのみならず、積極的に対抗しようとしている星系であるからだ。
第二番惑星のスレイトン警部らから最後の通信を受け取り、リガルは、やり手の刑事へと親しみを込めて笑みを浮かべた。
「結局、行く事になったよ」
「そうか」
短く答え、彼は眼鏡のずれを片手でなおした。感情らしきものは見えないが、沈着冷静な瞳の輝きが微かな温かみを帯びている。この短期間に友情のようなものが芽生え始めているのだろうが、こちらは既に、宇宙の彼方へ飛び立つ準備を済ませている身だ。これから酒を酌み交わすには、少し遠すぎるというものだろう。
リガルは少し間を挟んでから、あることを思いつき、吐露した。
「なあ、警部。どうして俺達に手を貸したんだ。マルメディ星系が近くにある。周辺星系の帝国軍なんて悠長なことを言っていられないだろう」
彼もまた、考えをまとめるために僅かに黙り込んでから、答えた。
「あの星のため、この国に住む人間としての矜持を守るため、と、以前に伝えた筈だ。それに、マルメディ星系に敵の本隊が集結しているとは知らなかった。先日、君に伝えた時に、私も知ったんだ」
「しかし、粛清の手は必ずやってくるだろう。リスクが大きすぎる。この星系には、航宙軍はいない」
「だから?」スレイトンは悪びれもせずに先を促す。
「何か下手をすればそれまでだということだ。機動兵力がいないのなら、鎮圧にやって来た帝国軍艦隊へ、抵抗してみせるなんてポーズも取れないだろう。対宙兵装はあっても、遠距離から狙いを定められて運動エネルギー弾を放たれたら、為す術もなくあなた達は終焉を迎えるから。これは単なる憶測でしかないし、だからどうしたと言われてしまえばそれまでの話だが。あんたは自分の愛国心を満足させるために、俺達を利用したんだ」
「最初に言った通り、私はこの国の国民が抱く矜持を示したに過ぎない。ダハク星系連邦の生い立ちとその気質。国民病ともいうべき、独立不羈の精神を。それに示し合わせれば、君がニュアンスとしてこちらへ伝えたがっている独善的な政治扇動者というものは、誤解だと気付いてもらえると思うが」
「別に、そこまで落ちぶれた人間だと思っていやしないさ。スレイトン警部、あんたはもっと他人の言うことを聞くべきだ」
皮肉気に、彼は口を「へ」の字に曲げた。眼鏡のレンズ越しに見える瞳が険しさを増す。
心苦しいばかりであるが、スレイトンは恐らく、この星系から帝国軍を排除することしか考えていなかったのだ。愛国心や人民の思想が、偶然にその目的と合致していただけで、彼自身の根幹は何も変わっていない。加えて言えば、取り巻く環境のみが激変している。有力な企業であったルガート造船財閥アスタルト支社は既に事実上崩壊しており、帝国軍の反乱へ加担した経営陣は軒並み逮捕されている。陣頭指揮を執ったのは、ほかならぬスレイトンだ。
地上軍は事実上、再編を余儀なくされている。アスタルト星系第二番惑星上に現存している、実質的に最高の組織は、惑星政府の擁する警察組織、つまり、スレイトンらだ。
彼はぎらぎらと輝きを放つ瞳で身を乗り出すと、リガルへ向けて微笑みかけた。あまり好印象ではないのは、言うまでもない。
「リガル船長。やはり君は私を勘違いしている。そんな権力欲など、無い。ああいったものを手に入れたがる輩を、これから探し出すつもりではあるが、それはこの惑星の治安を守るためだ」
「あんた自身の予防措置では、ないわけだ。結果としてそうなるにしても」
「君の言う通り、最終的にそうなってしまうだけだ」
そこでリガルは、スレイトンの苛立ちが図星をさされたからでなく、自らの誇りを穢されたことからきているのではないか、と思い当たった。この自分の不遜な言葉に、彼は怒っている。いつも鉄面皮を崩さなかった彼が。一方で、こちらの推測通りに彼が惑星を牛耳る準備を着々と進めているということも考えられるのだが、そこまで心配していても仕方がない。
船長席の背もたれに深く身を持たせて、リガルは考える。ここで彼を野放しにしたまま、マルメディ星系へ飛んでしまっていいものだろうか。
艦橋の下段、正面にいるジュリーが座席を回してこちらを振り返る。リガルは微かに首を横に振り、コンソールから浮かび上がるスレイトンのワイプへと視線を戻した。
「どうにも疑り深くなっているみたいだ。あなたの誠実さは、今までの行動でわかっているつもりだったのにな」
スレイトンは戸惑いを隠せない様子だったが、素直に頷き、
「仕方のないことだろう。生きるか死ぬか、だ。いかな英雄といえど、根幹は人間。その軛からは逃れようがない」
溜息混じりに、リガルはこめかみを抑える。柄にもなく頭痛がしてきた。やはり先日、プリンストンに言われた一件が響いているのかもしれない。彼は今、アキと並んで跳躍に備えているが、特にこちらの会話に興味を示すでもなく、オブザーバー席のコンソールで作業に勤しんでいる。
先日はよく眠れなかった。ハンスリッヒとエッカート、そしてカルーザに事情を説明し、方針と突入計画を立てた後も、この悩みだけは消えることはない。たとえクルーたちが、本心からこの船と運命を共にするつもりだとしても。
「俺はアクトウェイじゃない、か」
「なに? なんだって?」
「いや……そう言われたんだ。俺はアクトウェイを自分と間違えている、それは生体端末の役目だ、と。確かにそうだ。俺は自分勝手な人間だな、そう思ったんだ」
スレイトンは妙に得心がいったようで、頷きながら顎を抑える。
「フム。それが今までの君の言動に影響を与えていたわけか。なるほどな、君らしい」
「俺らしい?」
「君は自分の行動、その根幹に根差す意志を大切にしたいからこそ、放浪者で在り続けることを選んだ。違うか? そんな独善的な人種が、自分勝手だと言われて大いに悩んでいる訳だ。滑稽だよ」
「では、どうしろというんだ」
「そうだな。これは人生の先達からの忠告だと思って聞け。他者から認められる行いをする者は、自分を認めることができない類の人間なんだ。他者には器用に接することができるが、自分に対しては不器用になる。厄介なことにこういう手合いは、自らを見止めることに良心の呵責を覚えるものだから、手が付けられない」
憮然と黙り込むリガルへ、スレイトンは笑みを向けた。今までのものとは質の違う、朗らかな笑みだった。
リガルは、アスティミナとニコラス・フォン・バルンテージを思い起こした。警戒心の無い、完全に相手を信頼しきっている表情。
「やはり、君を信じて正解だったみたいだな」スレイトンは一人頷き、「行ってこい、リガル。星々は君を受け入れるだろう」
さらばだ、とスレイトンは通信を切った。
消化不良の念は否定しきれないが、リガルはなんとなく、彼の言っていることが理解できているような気がした。
人間、自分よりも他者のほうが信じられるものだ。何故なら、鏡を使ってもありのままの自分を見つめなおすことができないからで、正確な情報は他者にしか持ちえないからだ。そのために人はコミュニケーション手段を有しているのかもしれない。どんな生物であっても、正しい己の姿を知ることは生存戦略上、極めて重要であろうし、有効であるといえる。自分に何ができるのか。何が苦手で、どんな行動を取るのか。戦略とは対象の知識だけを持ち得ては成立しない。自身を知り、それに対する相手の行動モデルを推測することで、初めて最適な行動選択肢を選ぶことができる。
翻って、今の自分はどうか。クルーたちは信じてくれている。ならば、それでいいのではないか。
論理的に考えれば、それが最も妥当な評価というものだが、いやしかし、と胸中で声を上げるのは、スレイトンの言う良心の呵責というやつなのだろう。なるほど、自分は自分を、偉い奴だと意地でも認めたくはないのだ。それを良心と呼んだスレイトンは、まさしく自分の心理を的確に表現してみせたのだ。
これほど自分を理解するのに、親愛の情なくしてできるだろうか?
もう考えるのはやめるべきだろう。リガルはコンソールを叩いて、アキが事前に用意していたステータスを参照し、最終チェックを終えた。
「マルメディ星系へ跳躍せよ」
・アリオス歴一三三年 三月十七日 大型巡洋船アクトウェイ
自室で休んでいたリガルは、アキの訪問を受けることになった。唐突にブザーが鳴り、薄暗い船室で寝台から身を起こした彼は、はだけたシャツと航宙服のズボンを引きずりながら入口へと歩いて行った。
しばらく眠り込んでしまった。悩んでいると睡眠時間が足りなくなる。暗い天井は貪欲に思考を吸い取っていく。自分の中から解れていく思索の糸を眺めることが、ここ最近の日課となってしまった。あまり芳しくない体調が顔に出ていないことを祈りつつ、ハッチの枠に手をかける。
「誰だ?」
「私です」
聞き慣れた声に、リガルはパネルに触れてハッチを開く。
アキは静かに部屋の中へと入り、ハッチぎりぎりのところで立ち止まった。それを閉じて、リガルは寝台へ腰かける。アキも、特に何を言うでもなく、室内に一脚だけ用意されている椅子を引きずり、楚々とした仕草で浅く腰掛けた。
肩を竦めて見せると、彼女は真っ直ぐに視線を射込んでくる。
「最近、お悩みのようですね」
案の定な話題に、リガルは思わず笑みを浮かべた。それを隠す為に背を向けて、隔壁の収納スペースから冷えた水の飲料パックを取り出し、ストローをさして彼女へ渡してやった。アキは静かにそれを受け取るが、飲むことなく、膝の上に置いた。
「まあな。いろいろな価値観に触れて、目下、苦悩中というやつだ。そういう君は、何か悩みごとはないのか?」
「機械に悩み事ですか、リガル。ナンセンスですね。コンフリクト、と言ったほうがよろしいのでは」
「構わない。要は、君が困っていないかということだ。何かあれば、力になる。それが俺の役目だよ」
視線を飲料パックに戻して、彼女は一口だけそれを飲み込んだ。ストローで吸い上げる事に慣れていないのか、恐る恐るといった風に。小さな咽頭が上下する。
「私の悩みは、あなたが、他人の悩みにしか関心を示さないことです。あるいは、無視していること。そのような顔で船の中を歩かれては、クルーが不安がりますよ」
「だがなぁ。こればかりは俺の問題だ」
「どのような問題ですか?」
いつも通り、静かに問いただしてくる彼女の動機を察して、リガルは頬を掻いた。真っ直ぐすぎる気遣いは、嬉しくもあり、照れくさくもある。
「姿勢の問題さ。俺は今まで、真摯に君達と航海してきたつもりだが、もしかしたらそうではないかもしれない、と疑ってしまった。君はどう思う。俺は、自己中心的な男なのかな」
「結果的に他者からそう見えるとしても、あなた自身が思い描いた行動の動機には関係がないでしょう。あなたが本心から唯独論を信じているのならば、話は別ですが」
「完全にそう思っていないと言い切れるか?」
「その必要がありますか?」
質問に質問で返され、リガルははっと息を飲んだ。
「あなたが、あなたのことを完全に理解する必要がありますか? 人は、自分の事をよく理解できません。私はあなた方と違い、生体脳ではなく電子脳で稼働しています。それでも、自分が何者なのか、はっきりと自信を持つ事ができなくなる時があります。ですが、わたしも、あなたも、さも自分をわかっているかのように振る舞うことができる。そうすることが重要でなく、そう『できてしまう』ということが重要ではないでしょうか」
アキはいつもと変わらぬ様子で彼を見つめている。黄色がかったブラウンの瞳。
その必要があるか。いいや、そんなことは問題にはならない。何故なら、本当の人間ではない彼女が、一個の人格として確立しているかどうかという問題を抜きにして、自分は彼女を愛しているのだから。そんな自分が、今さら人間の内面に存在する複雑性に追い詰められて、自分を見失うとは。
逆だな、とリガルは自嘲気味に胸中で呟いた。俺がアクトウェイであると勘違いしているなんて、甚だ間違いだった。それは、確かにアキだけでじゅうぶんだ。プリンストンの言葉は、今まで疑うべくもない個所をつつかれて、この自分が動揺しただけなのだ。
船のため、一丸となって宇宙を目指そうとする自分のやり方は、外部からは横暴で傲慢の極みとして見えるのだろう。
それがどうした、とリガルは頭を振った。
あの情報部出の軍人が何と言ったところで、大昔から自分を見守って来た彼女がこうも断言しているのだ。これは、自分がどうありたいかではなく、どちらを信じるべきかという問題でしかない。
答えは決まっている。
人間には信じる能力がある。アキはそう言った。何かを理解することは重要だが、信じることは、他の何においても難しいことであるのだと。
「君の言う通りだ。俺は君を信じる。だから、くだらないことでくよくよ悩むのはこれまでにしておこう」
ほっとしたような笑みを微かに浮かべ、アキは手に持っている水をゆっくりと飲んだ。
モジュール化された制御システムの確認を行う。各関数は何度もエミュレートしているが入念に再試行。各ノードごとに相性がある。シミュレーションを積み重ねてついた癖だ。これらを全て把握して、主砲と対空レールガンの照準・追尾を行う。
中枢コンピュータは膨大なメモリと桁外れの演算処理能力を有している。船の全体に現在は二五六カ所ある二次推進装置と大型のプラズマ反動エンジン、特殊加工燃料を投入することで熱量を得るパワーコアの制御など、現代の航宙船に必要な演算処理の全てを同時にこなしてまだ余力のあるものだ。軍用艦艇ならば費用対効果の観点から、こうした機能は冗長的な構造を持っているとはいえ、機密の壁に阻まれてなかなかいじることはできない。
短い金髪を掻き上げ、イーライ・ジョンソンは収まりつかない煩悶を少しでも軽くせんがために大きく息を吐いた。
艦橋の砲雷長席に座っている彼の背後から、ジュリー・バックがにやにやと笑いながら声をかける。
「どうしたんだい、柄にもなく暗いじゃないか」
「そうだぜ。なんかあったのか」
フィリップの野太い声も重なり、イーライは余計に強まる苛立ちを紛らわせようと保温ポットを手に取った。そこで中身が無いことに気が付く。こうして空であるのを確かめるのは二度目だ。キャロッサにお替りを頼もうと思っていたのを、すっかり失念していた。
「なんでもないよ。なんでもない」
「そんなことねぇだろ。船長のことか? なんか最近、自信なさげだもんなぁ」
「そうさね。らしくないよ。こないだの食堂のことといい、自分ってものを疑っているみたいだ」
「わかるのかよ、ジュリー」
「ああ、なんとなくね。ついこの間までアタシもそういう感じだったから、よくわかる」
気遣わしげにセシルが彼女を見やる。イーライらも横目で様子を見た。ジュリーは特に落ち込んでいる風でもなく、真っ直ぐにイーライを見据えている。
「あんたもそうだろう、イーライ。敬服しているリガルがああなった。だから、あんたも揺らいでいるのさ」
ほとんど反射的に、彼は首を振った。
「そんなんじゃない」
「いいや、そうさ。今まで、一分の疑問も挟む余地が無かった船長の仕事ぶりに翳りが差したから、あんたは動揺してるのさ」
「違う」頑なに、イーライは否定を重ねる。「俺は、船長を疑ってなんかいない」
唇を噛み締め、俯く彼の肩にそっと触れる指先がある。
キャロッサだった。彼女は、やや紺色がかったショートヘア―を揺らして、憂いを帯びた目でイーライを見つめている。その視線で自分を取り戻し、彼は大きく座席にもたれて、顔を擦った。
自分の内面にどんな変化が起きているというのだろう。これまで、全てが順調に進んでいたというのに。
そう。恐らくは、順調すぎたのが原因なのだ。
今までの軍隊生活から抜け出て、こうして放浪者の自由を享受している現在。それ以上を求めてしまう、この感情は野心なのか。自分にそのような感情があるとは知らなかった。目の前には愛する女性がいて、恐らくは彼女も自分を愛してくれているだろうというのに、それでも満足することはない。
人間とはかくも欲望に忠実な生き物である。
しかし、今まで通り、このアクトウェイに自分を引き留めてくれるのは、彼女だ。キャロッサ・リーン。この女性がいてくれれば、他には何もいらない。
イーライは保温ポットをキャロッサへ向けて振った。笑みを浮かべて手渡す。
「お替り、くれないか」
「……はい」
嬉しそうに微笑み返す彼女の華奢な背中を見送って、イーライはクルーたちに肩を竦める。




