一三三年 三月十三日~
久々の更新。
・アリオス歴一三三年 三月十三日 アスタルト星系 大型巡洋船アクトウェイ
事態が大きく動き始めたのは、スペランツァが合流してから丸一日が経過したころだった。
全てはアクトウェイに通信してきた、スレイトン警部の一言で始まった。
「アスティミナ・フォン・バルンテージの居場所が判明した」
艦橋で、船体の各種補修作業を監督していたリガルが、船長席のホログラフから視線を投げた。彼の脇に突如として出現した、髪を全て後ろへなでつけた刑事の言葉は、彼の思考回路をすっかり切り替えてしまうのにじゅうぶんな衝撃を持っていた。
「本当か。彼女はどこに?」
「私がお伝えしたい情報はふたつだ。使い古された表現だが、悪いニュースと良いニュース、どちらから聞きたい?」
やってくる面倒事の気配を感じてぐるりと目玉を回す。スレイトンは小さなワイプの中で苦笑いし、視線を落として手元で何かを操作した。同じチャンネルを通じて、いくつかのデータが直接送信されてきた。このほんの僅かな時間でも、アキは中身を精査して、害のないデータ群であることを確認している筈だ。特に警戒する風でもなく、リガルはそれらを空中で掴み、引き延ばした。動作を感知したセンサーの情報を受け、艦橋の投影システムが小さな文字の羅列を大きく拡大表示する。
「で?」スレイトンが短く問うた。
「良いほうから」
「わかった」彼はひとつ頷くと、「言ってしまうとだな。マルメディ星系に五〇〇隻近い帝国軍艦隊を確認した。尚、これには敵の本隊と思しき、白い船の一団が確認できるそうだ。現地警察はほとんど決死の覚悟でこれを伝えて来た。今もダハク星系連邦の領宙に、非公式のルートで情報が広がっている筈だ」
「大きな脅威というべきだが、対処ができない訳ではなさそうだな。銀河連合軍は既にこの星系へ機動艦隊を派遣しているから、何とかなると言えば、なるだろう。悪いほうは?」
「悪いほうのニュースは……アスティミナ嬢は、マルメディ星系にいる。現地の旧帝国貴族が有していた別荘地に幽閉されているそうだ」
フム、とリガルは改めて送られてきたデータに目を通す。スレイトンの言葉を疑う訳ではないが、判り得る範囲での情報が文字として載っていると、何度も見直すことができる。そうして、受け入れがたい事実も、何とか理解することができた。
ふと、リガルはワイプの中から見つめてくるスレイトンの表情に気付いた。彼らしい鉄面皮だが、その皮膚の下で、申し訳なさそうに顔を顰めているのがよくわかる。
船長席の背もたれに体重を預け、何とか微笑んで見せた。
「行くのか」彼はぶっきらぼうに問うた。
「ああ」それ以外に選択肢があるのだろうか?
数瞬を迷った末に、スレイトンは言った。
「君について、少し調べた。ゴースト・タウン宙域での一件から、君は彼女に親愛の情を抱いているようだな」
「ああ。悪いか?」
「咎めてはいないさ。部下だったら、甘すぎると一喝する所だが、君は実績があるからな。私が言いたいのはひとつだ。リガル、君が行く必要はないんだ」
人のことが言えないではないか、とは、リガルは口に出さなかった。彼も、この自分に親愛の情を抱いているに違いない。不遜な確信であることは承知の上だが。
一度、何気ない風を装って作業に集中しているクルーたちを見回す。首を捻って背後を見やると、アキとプリンストンが、同じようにまったくの無表情でこちらを見つめ返してきた。
笑みを堪えて、スレイトンへと視線を戻す。
「約束した。何かあったら呼べと。きっと、俺は呼ばれてる。だから行く。それだけのことだ」
「まるで機械みたいだよ、君は」
辛うじて、リガルは後ろの彼女を振り返るのを堪えた。
男は眼鏡をかけなおし、小さくため息をついた。
「止めて聞く男ではないと、短い付き合いから学んだ。なるべく生き延びろ、リガル。君が死ねば、オリオン腕の果てから葬式に参列しなければならなくなる」
それが彼の精一杯の冗談なのだと気付き、リガルは声を上げて笑った。
「努力はする。ありがとう、警部。とても助かった」
「どうかな。私は君を殺したつもりでいるよ。罪悪感すら鎌首をもたげてる。だから、礼は終わった後に言ってくれ」
「あんたは律儀な人だよ」
「よく言われる。またな」
彼の映像が消えると、そのワイプが在った空中をしばらく見つめる。
考えるということができなくなってしまったように、リガルの頭を空白が満たした。
背後に人が立つ気配を感じる。漂ってくるコーヒーのにおい。彼女かと思い振り返ると、そこには灰色の男がいた。バレンティア航宙軍の軍服は、アクトウェイの黒い航宙服の中ではよく目立つ。
不思議と、理由の分からない憤りが胸中に湧き上がるのを自覚しつつ、リガルはプリストンを見上げた。
「なんだ?」
「リガル船長、スレイトン警部から、何か?」
「ああ。アスティミナの居場所がわかった。同時に、救出が極めて困難なことも」
「マルメディ星系ですか?」
思わず彼の顔を見る。まさかアクトウェイの設備を使って、バレンティア航宙軍と連絡を取り合っていたのだろうか。しかしそれは無いだろう。そうすれば機動艦隊が危険に晒されるし、アキが止める筈だ。
軍人はリガルの胸中を察したのか、微かに口の端を吊り上げた。それが笑みだとわかるまで、リガルは数秒を要した。
「ただの推測です。航宙軍に連絡を取っていた訳ではありません。メンフィス准将の仰った通り、ダハク星系連邦が敵の手に落ちつつあるというのならば、マルメディ星系を戦場に選ぶのは妥当でしょう」
「防備も整っているだろうか。軍事的な意味で、駐留している敵艦隊を別として、という意味だ」
プリンストンは微かに眉を吊り上げて驚いて見せた。
「ルガート造船財閥が、帝国軍に加担していると仰りたいのですか。あくまで彼らは私企業です。巨大な権力と財力を誇ることは否定しませんが、大戦の最終的な勝利者が銀河帝国軍であることは疑いようもありますまい」
「兵站から見れば、確かにそうだ。俺が言いたいのは、既にルガート造船財閥の中に協力者がいるのではないかという懸念だ。アスタルト星系のこともある。目先の利益に目がくらむ矮小な野心を抱く輩は、どこにでもいるだろう」
「仮に財閥が敵に回っているとしたら、どのような脅威を相手取らなければならないと、船長はお考えですか」
「まず、マルメディ星系内の敵兵力はかなりの装備を整えているだろう。補給も万全で、艦隊を相手取るというより、ひとつの巨大な要塞陣地を攻撃するのと同じ状況に陥るだろうな。こちらは民間船だから、軌道爆撃用の運動エネルギー弾などは搭載していない。星系丸ごと要塞になっているのなら、恐らくバレンティア機動艦隊でも簡単には制圧できないだろう」
「同感です。しかし申し上げるならば、その中に四隻で飛び込むのは愚行というもの。いかな四隻といえど、たかが四隻なのです」
肘掛に腕を置き、右手でこめかみを支えた。リガルは苛立ちを隠しもせずに肘掛の上を指でこつこつと叩く。目の前の男が気に食わないではないが、なまじその言葉が真実であるが故に、ふつふつと湧き上がる怒りを自覚していた。
一人、灰色の軍服を纏った男は動じずに、リガルの黒い瞳を見つめ返している。同じく灰色の髪は、船内の隔壁をそのままほぐして糸にしたようで、前髪の隙間から覗く青い瞳が沈着に見つめ返してきた。
この男は、得体が知れない、とリガルは思った。本当にただの監視役なのだろうか。アクトウェイの行動を監視し、いざというときにはリガルの息の根を止める。
しかし、単純にアクトウェイが敵に通じているという疑惑を持っているのならば、まさかこの男一人を送り込むというのは愚策に思える。たった一人で、船の生体端末を相手に船長の首が取れると思っているのだろうか、あのクライス・ハルトという男は。
突然に湧き上がったある推測に、リガルは懸命に無表情を装った。
逆だ。もし、”この男こそが疑念を抱かれている”のだとしたら? 疑われているのが、リガルでなくプリンストン・B・エッジだとしたら?
一度、産み落とされてしまった疑念を払拭することは簡単ではない。できるのは、せめて隠すことくらいだ。
リガルはわざとらしい苦笑いを浮かべた。
「誰も彼もが、止めるんだな。約束は果たされるべきだ」
「しかし、あなたが果てるべきではない」
「そこには正義があるんだよ、プリンストン」
「そうでしょう。ではあなたはどこにいるのですか、リガル船長?」まさか、この男にそのような哲学的な問いを投げられるとは思わなかった。「なるほど、確かにアクトウェイはあなたの船だ。一隻で戦局を変えられるくらいですから、今回の戦いでも、相応の活躍を見せていただけるでしょう」
「どういう意味だ」
「あなたはこの船ではないんですよ、リガル船長。この船を率いているのが、偶然にあなたであったというだけの話です。ご自分がこの船そのものであるように振る舞うのはおやめなさい。そんな役割は、生体端末でじゅうぶんです」
「彼女を侮辱するのか」
「おわかりでないようでしたので、申し上げたまでです」
まるで機械的なやり取りだ。文言だけ見れば、それは上官を慮って上申する部下の鑑というべきだろう。
この男の態度は、そうではない。言葉の端々に滲み出ているものは、ただの空虚で、虚ろな響きだけ。言うなれば、宇宙だ。この男は宇宙を口にしているのだ。
プリンストンは立ち上がり、一礼を残して艦橋を去って行った。彼の背中を目で追っていたアキが、こちらへ視線を投げる。
白く、ウェーブのかかったセミロングから目を逸らして、リガルは居心地の悪さと共に椅子に座りなおした。そのまま座席を深くリクライニングさせて、考えをまとめるために艦橋を覆う星の海に視線を投げた。
自分は言った。いつでも助けにいくと。しかし問題は、彼女が本当に助けてくれとメッセージを放っているにしろ、いないにしろ、自分は助けに行かずにはいられないということだ。プリンストンの言葉を聞いた後ならば、そう思える。心の底からアスティミナを助けたいと思う、その感情に嘘はない。
俺はこの船ではないと、彼は言った。
目を閉じて、この艦橋にいるクルーへと想いを馳せる。
自分は、本当に船長として、彼らを導いてこれたのだろうか?
アキならなんと言うだろう。難しい問いですね、と小首を傾げるだろうか。けれど自分は、心のどこかでは、彼女がこの不安を理解し、大丈夫です、と抱き寄せてくれるのを期待している。
今という瞬間ほど、自分を小さな人間だと、リガルは実感したことが無かった。
本当は何をすべきなのか。自分が為す事は、つまるところ誰のためであり、本質は何処へ行きつくのか。今までに思考しなかった多くの疑問を振り払うように身を起こす。
と、誰かの手が肩に置かれるのを感じた。
振り返るまでもなく、薄いコーヒーのにおいで彼女とわかる。白く細い指に、一瞬、力がこもって、離れた。
俺は大馬鹿者だ、とリガルは思った。何をぐずぐずと迷っていたのだろう。この船に乗り込んでいるクルーは皆、この自分を信じ、今日まで従って来てくれたのだ。何を隠すことがある、リガル。問えばいいのだ。これまでのことを。これからのことを。
それを躊躇うほどに、彼らは赤の他人ではないのだから。
「俺を信じられるか」
言ってしまえば簡単なもので、質問は一言で済んでしまった。
食堂へ集めたクルーたちが顔を見合わせる。おどけた様子はなく、むしろ張りつめた空気が、今までにない雰囲気をこの船にもたらしていた。動じていないのはアキくらいのものだ。プリンストンは姿を見せず、予めアキに確認を取った限りでは、自室に引っ込んで報告書を書いている、とのことだった。端末が別のため、盗み見ることはできないらしく、リガルとしてはその内容が大いに気になった。
手に持った保温ポットをテーブルへ戻して、セシルが困惑した様子で、言った。
「何よ、リガル。ジェイスと一緒に銀河でも征服したくなったわけ?」
フィリップとジュリーが吹き出した。キャロッサも口元を抑え、イーライは呆れたと言わんばかりに天井を仰ぎ見、ぐるりと目玉を回している。アキでさえ、片頬を微かに吊り上げて笑っていた。
「真面目な話をしているんだ!」緩んだ空気の中で、リガルは頬を上気させて、「これから、マルメディ星系にいく。帝国軍本隊も、ジェイスも、アスティミナもいるからだ。敵は五〇〇隻。星系も要塞化されているだろう。今回ばかりは、生き残れないかもしれない」
イーライが腕を組んで唸った。「何が言いたいんです、船長。今まで通りじゃないですか。何が不安なのか、理解できない」
太い指をパチンと鳴らして、フィリップは白い歯を見せた。
「ははあ、わかったぜ。船長、あんたプリンストンの野郎に何か吹き込まれたんだろう」
むっつりとした沈黙の後で、また笑いが満ちる。耐えかねて、リガルはテーブルに掌を叩きつけた。
「だから、なんだっていうんだ。俺は、君達に対して真摯でありたい。プリンストンから言われた。俺はこの船を自分のものだと思っているし、誇りも抱いている。クルーである君達を真に尊敬しているが、結局、それは俺のエゴで、みんなの思惑は違うのではないか、と」
「で、あんた自身はどう思ってるんさね、リガル?」
「どう、とは」
「簡単な質問のはずだけどねぇ」
ジュリーは自分の長い、くすんだブロンドを指でもてあそびながら、目を細めた。はだけた航宙服の胸元がやけに目につき、リガルは彼女の伏せた視線を注視する。
「この船はあらゆる意味で、最高なんだよ。わかるかい? 元帝国貴族のこの私、ジュリエット・フォン・シュトックハウゼンがありのままの姿でいられるのは、ここがアクトウェイだからさ。ま、批判したいだろうけど、こればっかりは事実なんだ。私は、私らしくありたいし、そうなりたいと思えたのは、この船に乗っていたからこそさ」
にやりと笑って、ジュリーはイーライを指さした。
「こういう馬鹿野郎が一人か二人、乗っているのも、良いポイントさ」
怒ったように肩を回すイーライをなだめながら、フィリップは眠そうな目でリガルを見やった。
「俺も同意見だな。べっぴんも多いし、退屈しねぇ。宇宙は広すぎる。一隻くらい、あまねく駆け巡った船があっても、いいじゃねぇか。だからこそ、危険な場所へも飛び込んでいく。それのどこがいけないんだ?」
「もう一度言うがな。それは俺の自己満足でしかないかもしれないんだぞ。今までだって、じゅうぶんに君達に気を使ってこれたか、俺はもう自信がなくなっているんだ」
セシルがちらりと、隣に座るアキを一瞥した。
「アキはどう思っているの。あなたの目に、リガルがそんな利己的な人間に見えるのかしら?」
白髪の美女は律儀に首を傾げた。
「利己的と頑固は、違いますか?」
本日三度目の大うけに、リガルは遂に立ち上がった。苛立ちも露わに腕を組んで、テーブルの前を行ったり来たりする。それに合わせて、クルーたちが笑い疲れて視線を左右に動かし始めた時、彼は立ち止まり、くるりと振り返った。
「じゃあ、いいんだな。俺がどんな無茶を言おうと、君達は俺を信じる訳だ。俺が君達の言うように、仲間を軽視しない、善人だと」
「それは少し違いますね」ここでイーライが口を開き、「俺は、別に船長のことを善人だとは思っていない。あなたは、ただ為すべきことをしているだけだ。そこに善悪は拘泥しないし、どんな価値観も、介在する余地はないでしょう。あるとすれば、それは船長の、船長自身に対する不信感であって、俺達はそれに従うだけです」
「つまり?」思わず、リガルは聞き返してしまった。
「つまり」キャロッサがおずおずと口を開く。「皆、船長のことが大好きってことですよ。そうでしょう、イーライ?」
「そういうことだよ、キャロッサ」
リガルは全員を顔を見渡し、最後に、アキと視線を重ねた。彼女は何を言うでもなく、頷くでもなく、ただ見つめ返してきた。
そうか、と不意に得心がいき、リガルは頷く。彼を見つめるクルーたちの目には、彼が突然に生き生きとして見え、その気付きが、後々のリガルにとってかけがえのないものになったことを感じ取った。
自分自身が信じられないのならば、この仲間達を信じれば良いのだ。
清々しさと共に、心を風が吹き抜ける。
その想いが大きな枷となることを、この時、リガルはまだ知らない。




