一三三年 三月十一日~
・アリオス歴一三三年 三月十一日 バレンティア航宙軍 第一機動艦隊
「テルミット作戦」が発動されて早三日。既に第一機動艦隊はダハク星系連邦にて、銀河帝国軍と一戦を交えていた。
旧帝国軍艦艇で構成された二〇〇隻の艦隊と、クリミア星系で会敵。敵艦隊は、始めは勇敢にも正面から迎撃する意思を示したが、一線を交えた後にそそくさと後退していった。見事なまでの撤退戦だった。こちらは五〇〇隻の大艦隊。それに比して敵の旧型艦艇は、恐らく倍の数を揃えたとしても苦戦するであろう埃のついたものであったのに、大した損害を与えることもできずに後退を許してしまった。
これがダハク領宙全域を用いた遅滞戦術であることはすぐに察せられたが、バレンティア情報軍から送られてきた情報によれば、アスティミナ・フォン・バルンテージの身柄が相手にある限り、悠長に付き合っている余裕などなかった。ここが旧銀河帝国領である以上、作戦遂行を先延ばしにするわけにはいかない。既に彼らにとって見知った土地であり、故郷だ。長引くほどに罠は増えていくだろう。地の利は敵にある。バレンティア航宙軍は長らく、旧銀河帝国領に属する諸国の国民感情を考慮して、大規模な演習を行ってこなかった。
続いて、ダニエル・アーサーはさらに奥へ進んだ。ここでまごまごとしていては、さらに後衛に控えているロリアでの敵主力艦隊との決戦など戦えようはずもない。罠を用意する暇を与えないよう、こちらは電撃戦を仕掛ける必要がある。せっせと敵が張り巡らせた網を片っ端から破っていくのだ。
機動艦隊は、正に電光石火の機動戦にうってつけの編成だった。バレンティア機動艦隊の主運用方法は、他国に勝る技術と物量を以て開戦から第一撃を与え、その後に有利な条件で講和を求めることにこそある。シナノ演習宙域でも、第五機動艦隊は真正面からの戦闘より頻繁に位置を変えての機動戦を心掛けていた。もちろん、性能の優越に物を言わせた正面からの砲撃戦も得意中の得意だ。さらに機動艦隊は数千名の、完全武装の宙兵隊員も同行させている。数万の陸上軍兵士を相手にしても、制宙権を取った後の軌道爆撃で圧倒的優位に地上戦を進める事が出来る。
次のカッテリオ星系で、参謀長率いる参謀陣が、戦力を二分しての進撃を提言した。敵艦隊は二〇〇隻を先頭単位としていると思われ、第一機動艦隊は二分しても二五〇隻ちかい戦力になる。仮に五〇〇隻近い数の敵艦隊が急襲をかけて来たとしても、被害を抑えつつ撤退するくらいの余裕は持てる。
これをアーサーは却下した。
「敵陣を破る必要がある。カッテリオ星系を中心に四つの航路が開けているが、そのどこへ行っても敵がおり、罠があるだろう。確かに艦隊を二分したとしても、その場では優位に立てるかもしれない。しかし敵は自在に動き、回り込んでくるぞ。二五〇隻の補給線維持にも兵力が無い以上、一丸となって進むべきだ」
「しかし、このままでは埒があきません。疾風迅雷の勢力を以てダハクを摂関し、次いでロリアに攻め入るべきでは」
壮年の参謀の一人が艦橋に座るハルトへ進言した。その言葉を耳にしながら、フォイエット参謀長はハルトが即座に首を振ることを予測し、そして、それは現実となった。
「ダハクに留まってはならない。敵の狙いは恐らく、ダハク領宙に我が艦隊を閉じ込めることだ」
バレンティア機動艦隊は治安維持の名目で、銀河連合の平和憲章の下に武力行為を執行している。銀河最大の軍事国家である同国の責務ともいうべきものであり、第一次オリオン腕大戦後の主要な戦闘の数々はこの憲章によって実行を裏付けられ、諸国に承認されてきた。巨大な武力は抑止力だけでなく、いざというときの平和制定のためにこそと定められたのである。
今現在、通信は確保されていないが、ダハク=ロリアにまたがる帝国軍主力部隊への攻撃を敢行しているのは、ダハク方面の第一機動艦隊と、ロリア方面の第四、そして第五機動艦隊だ。さらに後方兵站維持のための予備部隊はシヴァ共和国宇宙軍の第三管区艦隊二〇〇隻と第一管区艦隊が当たっている。銀河連合軍がテルミット作戦に投入した艦船数は、大小合わせて二二一七隻。内、完全武装を施した戦闘艦艇は一七〇〇隻、将兵四〇三〇六一名。対して、ダハク=ロリア方面に展開していると思われる旧銀河帝国軍勢力は二〇〇〇隻。この中には反旗を翻した第六、第七機動艦隊も含まれる。戦闘艦艇の数的有利は敵に在るが、敵戦力の半数が旧銀河帝国軍艦艇であることを考慮すればじゅうぶんに賞賛がある。
しかし、敵は防衛側で、こちらは攻撃側である。さらには先述したように、銀河連合軍には土地勘が無い。見たことも無い星の並びがスクリーンを満たしているのは、宇宙を渡る船乗りにとっては、本人でも意識しえない精神負荷がかかる。星の海が変われば心が変わる。アーサーの耳にも、日に日に増えつつあるクルーたちの小さなトラブルの発生が届き始めていた。これこそが敵の狙いのひとつであると思えなくもない。生死を分ける一瞬で、小さな口喧嘩の内容を思い出して反応が遅れる事もあるのだ。そして、その一瞬が船の命運に深く根差しているのだ。
「敵の狙いは、我が軍の分散、そして疲弊だ。典型的な遅滞戦術だな。さらには通りすがる各惑星の物資も、現地住民が飢餓に陥らないぎりぎりの量だけが残されている。これではバレンティアが買い上げることもできん」
「分散せざるを得ないのでは? 閣下、お言葉ながら少数であればあるほど、停泊も負担が少なくて済みます。後方からの補給物資を頼るだけでは、ロリアまでは辿り着けるとは思いません」
「敵の意図に乗る必要はない」
フォイエット参謀長が言った。灰色の髪の毛を撫でつけながら、アーサーが何も言わないのを見て再び口を開く。
「どの道、一カ所に長く留まっていれば、我々ではなく敵に利することにしかならん。いつ反撃を受けるやも知れぬのだ。もし敵がこちらの疲弊を誘うように小規模な小競り合いを繰り返し仕掛けてきたら――」
「我が艦隊と言えども、危険だ。この戦いは負けられない。テルミット作戦の成功の暁には、旧銀河帝国軍はそのおおよその戦力を失うことになる。そもそも国家軍隊でない彼奴等にとって、背後に支援基盤が存在しないのは大きな足枷だあれだけの戦力を過不足なく運用するには、現地住民からの徴発が欠かせないだろう」
「しかし長期戦ともなれば、我が軍が不利になるのは目に見えています」フォイエットは司令官席の脇にあるコンソールを拝借し、立体映像投影装置で巨大なダハク星系連邦の領宙図を呼び出した。さらに銀河連合軍の兵站線と、第一機動艦隊の位置が相対表示されている。「既に我らの補給線は三つの星系にまたがっています。今のところは何の妨害も受けておりませんが、これ以上進むとなれば、ある程度は覚悟しておく必要があるでしょう」
補給線は軍隊のアキレス腱だ。どれほど強大な武力であっても、兵站が機能しなければ意味が無い。バレンティア航宙軍の輸送船は大型で鈍重故に、輸送部隊には護衛部隊が付き、さらにシヴァ共和国の第三管区艦隊がいるといっても安心などできない。
「偵察部隊からの情報は」
「第一から第十二までの、軽巡洋艦一隻、駆逐艦三隻の臨時編成部隊を、現在までの進路とその隣接する星系へ差し向けておりますが、敵の航宙部隊が存在するのは以下の通りです。尚、情報の分析が行われていない生の状態であることを御承知ください」
「信憑性は?」
「十分かと」
「ならいい。メンフィス准将は?」
参謀の一人が答えた。
「既にアクトウェイ、及びコンプレクターの戦闘痕跡を追って離脱行動中。しかし……」
「なんだ」
若い参謀は、しばし躊躇した末に言った。
「本当に、スペランツァを単独行動させてよろしかったのでしょうか。ダハク星系連邦に進出している帝国軍の数は膨大なものになります。ましてや、准将はレイズの実質的な最高指揮官です。無謀にもほどがあるのでは」
百も承知、とアーサーはその意見を切って捨てた。
英雄であるリガルのアクトウェイとハンスリッヒ・フォン・シュトックハウゼン率いるコンプレクターが、アスタルト星系方面へ向かったらしいとの情報は把握していた。アスタルト星系にはルガート造船財閥の支社がある。それなりに大規模な造船ドックを保有する同星系で、リガルらがどのような状況に陥っているのかはわからない。
テルミット作戦は、リガルとその周囲に繋がる人々との化学反応的な影響力に期待している部分がある。複雑な心境で、アーサーは腕を組んだ。天下のバレンティア航宙軍、その指揮統率を担うジョン・テイラー機動艦隊司令長官の思惑は理解しているつもりだが、共感はしていなかった。英雄とはいえ、リガルはたかが一人の人間である。この大戦の趨勢を決める作戦において、いち放浪者の力量などを期待して良いものだろうか。
いや、自分は嫉妬しているのだ。機動艦隊司令官である自分ではなく、リガルが選ばれたことが。得心してもなお晴れぬ暗澹たる感情を振り払うように、アーサーは手元の保温ポットを取り上げてコーヒーを飲み下した。
「我々としては、放浪者の動向を前提に戦う訳にはいかん。不確定要素が多すぎる。しかし重要な局面だ。可能な限り、選択肢を試しておきたい。それに、メンフィス准将は軍人だ。いざというときの覚悟はできているだろう」
「そう……そうですね。失礼いたしました」
「構わないさ」
自分にはその覚悟があるのか。アーサーは自問しつつ、目の前の難題を解くべく議論を重ねていった。
・アリオス歴一三三年 三月十二日 アスタルト星系 大型巡洋船アクトウェイ
信じられない光景にリガルは自室の立体映像投影装置が浮かべる四角いホログラフの表示を凝視していた。驚きと共に、頼もしさと、そして大きな疑問とが鎌首をもたげ、画面の脇に浮かんでいる三十センチほどのアキの仮想モデルがちらりと訝しげな表情を見せた。
真っ暗なリガルの自室である。盟友たるカルーザ・メンフィスがこの星系に突如として現れた理由がまるでわからず、微かな不信感を露わにして、光学センサーの拡大表示しているスペランツァの雄姿から目を離さない。
「いかがなさりますか」
おずおずと、アキが尋ねた。といっても、声色には微小な変化しかなかったが、リガルには彼女の戸惑いが手に取る様にわかった。何しろ、彼自身ですらこの状況を信じられないからだ。
カルーザ・メンフィスは彼の友人である前に、軍人だ。レイズ星間連合宇宙軍はシナノ宙域会戦で甚大な被害を被り、バルハザール方面で蜂起した第三機動艦隊の対処で手一杯の筈。シナノでモントゴメリー中将は戦死し、第一艦隊の指揮は彼が担っている。だからこそ、単艦でここに現れるという軽挙が信憑性の無いものとして目に映った。
だが、確かめる手段が無い訳ではない。リガルはアキに、メッセージで現在の状況を各クルーの携帯端末に送信させ、艦橋に集まるように指示を出した。今頃は戦闘の疲労が押し寄せて惰眠をむさぼっている彼らを叩き起こさねばならない。状況が確認されれば、またベッドに戻ってもらうこともできる。
「最悪の場合、スペランツァが敵に操られているか、偽物だということも有り得る。ともかく、通信だ。星系外縁部のスペランツァに対して、超高速通信は接続できるか」
「できます、船長」
「よし、呼び出してくれ」
腕を組んでベッドの端に腰掛けていたリガルは、指で腕を叩いて若干の時を待った。
程なくして、新しい画面が現れる。見知った青年軍人の顔が現れ、リガルは不安の半分ほどが霧散するのを感じた。
「やあ、リガル。いろいろと無茶をやっているみたいだな」
「こっちの台詞だ。どうしたって、スペランツァだけでこんなところにいるんだ、君は」
「話すと長くなる。それに、通信では傍受の危険性もある。全速でそちらへ向かう。一日ほど待ってくれ」
彼の言う通り、丸一日が経過したころ、スペランツァは第二番惑星の軌道上に入った。宇宙に溶け込む漆黒のアクトウェイを中心に、けばけばしい紫色の角ばったコンプレクター、流線型を基調とした白銀の船体を持つグローツラング、そして灰色のレイズ星間連合の国旗を塗装されたスペランツァだ。
アクトウェイの食堂に、各船の船長が一堂に会した。円形の卓を囲むのはリガル、ジェームス・エッカート、ハンスリッヒ・フォン・シュトックハウゼン、そしてカルーザ・メンフィスだ。各船の色をそのまま反映したかのような服装の男たちはむっつりとした表情で並んでいる。ついてやってきたクルーたちは食堂の隅で茶を飲み交わし、新顔であるリズ・ブレストンを迎え入れて話しに花を咲かせていた。
沈黙を破ったのはカルーザだった。キャロッサが卓の上に置いていったコーヒーを一口飲んで大きく息を吐くと、並ぶ顔をしみじみと見渡す。
「早々たる顔触れだな。エッカート、お目にかかれて光栄だ。私はレイズ星間連合宇宙軍第一艦隊司令官、カルーザ・メンフィス准将だ」
貴公子は傲慢な笑みと共に会釈を返した。
「こちらこそ、准将。噂はかねがね。レイズ=バルハザール戦争ではさぞ活躍なさったそうだな」
「活躍などしていない。戦った、そして勝った。それだけだ」
「フム。ならばひとつ助言しておこう。君もここに座るのならば、所属ではなく、どの船に乗り込んでいるかで自分を紹介するべきだ。誇りを持っているのなら、尚さら、な」
「御尤もだ。では改めて。戦艦スペランツァ船長を務めている、カルーザ・メンフィスだ」
「よろしい。よろしく、准将」
ひと悶着を済ませてから、カルーザはハンスリッヒを見やって首を傾げた。長い金髪をいじくっていた右手を離し、ハンスは肩を竦めて見せる。
「俺はいいだろう。知らない顔じゃないんだ」
「そうだな。元気そうでなによりだよ」
「その言葉、そっくりそのまま返すさ」
最後に、カルーザはリガルを見やった。お互いに頷き合う。
それだけで十分だった。
「さて、顔合わせも済んだことだし、今まで何があったのかを話し合おう」
「無論だ」
カルーザの報告を聞き、そしてアスタルト星系での一連の戦いに関する情報交換がなされたあと、彼は言った。
「いやはや、やはり無茶苦茶なことをしたんだな。いくら旧帝国軍の艦艇とはいえ、シャトルで挑むとは。アキがいなかったらどうしたつもりだ?」
「君こそ、こんな奥地に俺を焚きつけるために一人で来るなんて、いったい軍人の責務とやらは何処へ行ったんだ」
「お互いに、他人のことを言えた義理ではないらしいな」
苦笑いする二人の間に割って入ったのは、エッカートだった。彼はやや短めに切った金髪を掻き上げると、カルーザへ慇懃な視線を投げる。
「お互いの状況を整理すると、どうやら帝国軍は第一機動艦隊の動向を察知して、ダハクを放棄する勢いで後退しているようだな。おおよその位置はつかめないか?」
「ダニエル・アーサー中将なら偵察部隊の情報を集約して、敵の位置を知っている可能性はあるが、こちらからコンタクトすることはできない。そういう決まりだ。我々は我々で、テルミット作戦に従事する銀河連合軍を支援しなければならない」
ハンスリッヒが手元のコーヒーカップをくるくると回しながら呟いた。
「問題はアスティミナ嬢がどこにいるか、だ。彼女を救出すれば、帝国軍が何をしようとしていたかが知れるというもの。少なくとも思惑を撃ち砕くことができるだろう」
「アクトウェイをおびき出す、敵の作戦だったら?」エッカートがやぶさかに言った。
「その議論は無しだ」うんざりした様子で、リガルは手を振った。「問題は一人の少女が攫われ、助けを求めているであろうということ。俺達の安全の問題じゃない」
「然り」ハンスリッヒの言葉。
「恐らくはリッキオ・ディプサドルもアスティミナ嬢の近くにいるだろう。今のところ、第二番惑星のスレイトン警部からは何も情報がない。各星系単位で情報網が切断されているらしいとのことだ。カルーザの話では、ジョスカボフ星域などでは敵の存在を感知できなかったという。当初の予定通りマルメディ星系のルガート造船財閥本社へと向かい、情報を得るべきではないか?」
額を手で覆うようにして、カルーザは食いしばった歯の隙間から声を漏らした。
「たった四隻でか」
「最強の四隻さ」
美男子の言葉に、貴公子が頷く。リガルはただ一人、憮然とした表情で黙考していたが、他に選択肢が無さそうなのも事実だ。
アスタルト星系には、遅かれ早かれ第一機動艦隊がやってくる。この星系の二つ隣りがマルメディ星系で、さらに四つ飛べばロリアの領宙だ。アスタルト支社の状態を見るに、帝国軍は造船財閥への影響力を強め、艦艇の整備や補給を確実なものとしようとしているのは間違いない。単純な論理が通用するのならば、マルメディ本社へ赴けば、ジェイスかディプサドル、そしてアスティミナがいるはずだ。
方針は決まり、リガルは三人へ声をかけた。
「皆、食事くらいは食べていけよ。キャロッサの話だと、惑星政府からほぼ無制限に補給品を受け取れるらしい。帝国軍へ渡す予定だったものが大量に余っているんだとさ」
「お言葉に甘えさせてもらおう。腹が減ってはなんとやら、だからな」
席を立ったハンスとエッカートがクルーたちの輪に加わっていくのを見送ってから、リガルは立ち上がり、座ったままのカルーザに気が付いた。彼は鋭い目で一点を見つめている。
「どうした?」
声をかけると、カルーザは首を振った。
「いや、なんでもない。キャロッサの手料理か。ブレストンは大喜びしているんだろうな」
そそくさと席を離れた彼の胸に過ったのは、独りで何かをむつかしく考え込んでいるイーライ・ジョンソンの姿だった。




