一三三年 三月十日~ ①
・アリオス歴一三三年 三月十日 アスタルト星系 第二番惑星 衛星軌道宇宙港
保守点検用の小さなエアロックを大きな真空作業服で通り抜けるのには骨が折れたが、とにかくも全員が衛星軌道上に浮かぶ宙港へと侵入を果たした。ようやく真空だけでなく、一歩間違えば大気圏に突入してしまう恐怖ともおさらばだ。監視カメラ対策のためにまだヘルメットは外せないが、最低限の加圧はされている区域だから問題はない。
七人はがちゃがちゃと音を立てながら通路を走っていく。向かう先はシャトルのある格納庫だ。既に敵の装甲兵部隊はこちらの動向に気付いて待ち伏せしているだろう。この隙に保守点検用のドロイド群をハックしてこちらの兵力に加える。こちらはブラスター程度しか持っていないが、多くのドロイドを用いて格闘戦に持ち込めればじゅうぶんな勝機はある。宙港整備用にプラズマカッターや溶接機材を搭載していることを、リガルはスレイトンらの協力を得て確認していた。
一度、加圧されたセントラルターミナルへ向かう通路を走る。あと五つのハッチを超えれば、まばらに人の行き交うロビーに出ようかというところで一斉に引き返した。体力強化のために、こんなシャトルランもどきのことをアクトウェイでやったことがある。あの時はイーライが一位を取り、リガルはフィリップの次だった。下から数えた方が早い。
既に、アキが周辺のネットワークを探っていた。彼女にしては大きく肩で息をついている。生体端末内の電子部品は食物の消化と酸素供給によって電力を補給しているから、その分、呼吸が荒くなっているのだろう。
声をかけようとしたが思い留まった。そんな余裕は失われつつあったし、彼女にとって返答そのものが余計な酸素消費となりかねない。
「皆さん、聞いてください。この宙港の通信設備にコンタクトしたところ、ルーチンを埋め込んでの操作を確立しました。アクトウェイへと通信を送ります」
「頼む」
朗報だ。この段階で通信を取れたことは喜ばしい。コンプレクター、グローツラング、そしてアクトウェイは密度の高い小惑星帯の中へと逃げ込んでしまっている。これはスレイトンから得た情報だ。警察組織は地上軍の代わりに宇宙空間を索敵する各種天文台や偵察設備の情報をリークされていた。情報の信憑性は第二番惑星の自治政府お抱えの公安警察が保証しているから、まず間違いないだろう。
途中、幾度も立ち止まらねばならなかった。保守点検用通路は宇宙空間と宙港居住区の中間に位置しているため、万が一外殻が破損した場合に備えたエアクッションも兼ねている。
この宙港の管理者、あるいはその点検業者は優秀だ。空気があれば埃や塵がどこからか運ばれて来て薄らと積もっているものだが、しっかりとした定期清掃で塵芥ひとつ見当たらない。
ようやく、ドロイドが格納されているリンパ――リンパ節の様に各所にあるから、作業員たちはこう呼んでいる――に辿り着いた。既にドロイドたちは燃料電池からの大電力を用いて稼働状態になっていた。そのまま六体のドロイドが先導し、ローラーのついた三本足に支えられた球体が複雑な動きをしながらハッチを潜っていく。
「ドロイドの安全装置をキルしました。攻撃と防御のためです」
「どういうこった?」
「手加減できないから気を付けろってことだろ」
ロドリゲスの疑問にディルが答えた。リガルはアキが「邪魔をするな」と言っているように聞こえたが、気のせいだろう。彼女はいつになく血に飢えているように思えた。生体端末らしからぬ暴力的な一面が出ているとすれば、彼女はおかしくなったのだろうか。戦々恐々とする足を必死に持ち上げ、重たい作業服で通路を走る。
途中で、他のドロイドたちが合流してきた。一瞬、敵も同じことを考えたのかと度肝を抜かれたが、それらが揃ってこちらの列に加わってのを見て胸を撫で下ろした。一抹の不安を覚えつつも、アキの演算能力はいささかも衰えてなどいなかった。
硬い靴底で喧々諤々とした通路から目的の大型シャトルの格納庫前まで、遂にハッチ一枚を隔てた場所まで到達する。敵の装甲兵部隊は遅れてこの格納庫に飛び込んでくるはずだ。
「いくぞ」
スレイトンが言い、アオリオがハッチの開閉ボタンを叩いた。シュッと気圧差で音を立ててハッチが開き、アキの操作するドロイドたちが雪崩れ込んでいく。このハッチは尾部から格納されているシャトルの左舷側尾部に位置しており、右手には昇降のためのエアロック兼ハッチがある。
ドロイドたちは即座に横隊を組んで右を向いた。ビームライフルの光条が伸びた。ドロイドの一体が表層金属を吹き飛ばされて機能停止した。しかし他にも九体の個体がおり、これらが前進して壁となる。
ディルがハッチから飛び込んだ。ここは既に人工重力の発生区画。地面に体が落ちる前にブラスターを連射。エアロックの目の前に設置されている幅の広いガラス壁と自動ドアが破れ、古めかしい装甲服を着こんだ一団に降り注ぐ。ディルの後ろからロドリゲスとメイスが飛び出し、リガルはアキと装甲兵部隊の間に立って彼女を守りながら格納庫へと足を踏み入れた。スレイトンとアオリオが警察製のブラスターを撃ちまくる。
「シャトルをどうにかしろ!」
スレイトンの切羽詰まった声に、リガルは応射しながら頷き、アキと共にシャトルへと向かう。左舷側には搭乗者用のエアロックが外殻に浮かび上がって見えた。すぐにそこまで到達し、リガルは自分の身体を盾にしながら彼女を守る。その間にアキは自分とハッチを中継する有線の接続端末を制御盤の端から挿入する。無線通信クラウド技術を駆使したもので、これを使ってアキとシャトルのシステムの中継がなされる。
早くしてくれ。そう急かそうと首を巡らせた途端、ハッチがその身を横へ退けた。思わず口笛を吹いてしまう。彼女のハッキング能力は底が知れない。今でさえドロイドを動かしているというのに。
シャトルはスレイトンが説明した通り、古くて巨大だった。全長が八十メートル弱ある。パールホワイトに塗装された艇体はいかにも目立つが、今となっては選り好んでもいられない。
アキが残っていたドロイドの全機を敵の装甲兵部隊へ突進させた。リガルが怒鳴るとロドリゲスらが回れ右をしてこちらへ走ってくる。
「船長、機動隊が宙港へ間もなく到着する。我々のエスコートはここまでだ」
ヘルメットの中のスピーカーからスレイトンの声が響く。リガルは走ってくるディル、メイス、ロドリゲスを急かしながら答えた。
「警部、また会えることを祈るよ」
「これが終われば一休みくらいはできるだろう。休暇の申請が必要だな。さあ、いけ」
最後尾について、リガルは振り返ることなくシャトルの中へ走り込んだ。既に銃撃は止み、敵は撤退している。リガルらは一直線にシャトルの中程にあるコックピットへと走り、先頭から順に着席していった。
「アキ、出せ」
「了解」
彼女以外の全員がヘルメットのバイザーを開いた。汗で湿った空気が冷え切った艇内の空気に触れて白い湯気が昇る。
同時に、アキはシャトルのメインエンジンを起動。古めかしい効率の悪いプラズマ反動エンジンが唸りを上げて、宇宙空間とをつなぐ隔壁が爆発、虚空への空間が開く。即座に各種エアロックが発動して、宙港そのものには目立った被害はない。スレイトンらは既に点検用通路へと逃げ込んでいた。
しかし急激な減圧により、シャトルは宇宙空間へ吸いだされた。慣性補正装置も小型のものが装備されているため、エンジンの点火と共に座席へ体が押し付けられる。リガルはその中で震える腕を動かし、アクトウェイのものに比べて画質の荒いホログラフが目の前に浮かび上がり、既に中枢システムを制御しているアキが気を利かせて外の情報を表示した。
アキはシャトルの中枢システムの演算装置までをも把握し、自分では処理しきれない宙港の通信情報などを全て送信段階で複製、容量だけは大きい記憶領域へと送り込んで参照させている。
ホログラフを見つめ、様々な天文学的観測情報までもが添えられたそれが示す結果はひとつだった。
アクトウェイは、既に戦闘状態にあった。
・アリオス歴一三三年 三月十日 アスタルト星系 小惑星帯
警報が鳴り響く。フィリップ・カロンゾが久方ぶりにアクトウェイへ戻って来て、艦橋の所定の席にシャワーを浴びた後に身を沈めたのと同時だった。
イーライ・ジョンソンは船長席で飛び上がった。アクトウェイの警報は心臓に悪い。然るべき時に鳴り、危険は必ずやってくる。
「どうした」
「敵艦船接近。嗅ぎつけられたわね。廃棄ステーションより一二一万キロの位置」
それほど遠い位置ではない。目と鼻の先と言っていいだろう。ここまで地道に捜索をし続けたのは、さすが百年を時代の裏側で過ごしてきた連中ということか。だが奴らの執念がどれほどのものであろうとこの船を沈める訳にはいかない。今の自分はこれを誰かから預かった身。帰る家を守る義務は誰にでもある。
ステーションの手狭なドックには、奥側からコンプレクター、アクトウェイ、グローツラングが収まっている。各所に設置した望遠カメラなどの情報を統合すると、敵はまだこちらには気づいていないようだった。しかし舳がこちらへ向かっているところを見ると、粗方検討はついているということだ。ここは先制攻撃を以て戦闘状態に入るべきか、それともリガルからの連絡を待つべきか。
迷いは焦燥となって胸を焦がした。クルーたちの視線が自分へ突き刺さるのを感じながら、イーライは考えた。
第二番惑星の軌道上には、こちらから特に動きは認められない。宙港近くに敵の残留部隊が遊弋していることは確認していたが、今もほとんど状況には変わりがないように見える。何か通信が為されるとすれば、それは宙港だ。他にレーザー通信をできる設備はないし、リガルならばこちらへの合図として、超光速通信の航海通信ではなくレーザー通信を選ぶはずだ。非常時の連絡手段はこれで統一してある。
と、コンプレクターとグローツラングから同時に通信が入った。金髪の貴公子と美男子がホログラフで表示される。この中で自分はとても地味な男として映るだろうな、とイーライは余計なことを考えた。
ジェームス・エッカートが何か言いかけた時、機先を制してハンスリッヒ・フォン・シュトックハウゼンが言った。
「イーライ、どうする?」
「この場の最上位は私だ、シュトックハウゼン船長」
エッカートが食ってかかった。ハンスリッヒはそれを鼻で笑い、唇をゆがめた。
「私はそこな、盟友の盟友たるジョンソン氏に問うているのだ。貴公子はお呼びでない」
「抜かせ。私の戦闘力が無ければ、ここは切り抜けられんぞ。何を言い喚こうが何もできん青二才が、黙っていろ」
「待て。待てったら」
まずは喧嘩の仲裁から始めなければならないのか。頭の痛い状況だが、生憎と頭痛薬をキャロッサから処方してもらう時間はない。とにもかくにも反撃手段を確立すべきだ。
「グローツラングはピックをレーザー通信の受信機としていますね。それはもちろん、攻撃にも使えるんでしょう?」
納得がいかないようだったが、彼は髪を掻き上げ、頷いた。
「諸君らと戦った時と同様だ。低出力のエネルギービームまでなら、ピックはあらゆる光線を反射することができる。電磁波も同様だが、こちらは波動特性を持つためにあまり精度がよくないな」
「ということは、あなたの船はここに居ながらにして、ステーションの外部へ砲撃できるということですか?」
「可能だ」簡潔にエッカートは断言した。「だが、意味はないぞ。ここにいればPSA装甲が展開できない。ステーションのパワーコアが稼働していることが知られたら、連中は即座に砲撃を敢行してオーバーロードさせるだろう。そうなれば――」
「我々が小惑星帯を漂う岩石と同じ何かになる、ということか。イーライ、ここは出て戦うべきだ。もうリガルからの連絡は待てん。一か八か、第二番惑星へ急行するしかない」
イーライは考えた。アクトウェイとグローツラング、コンプレクターが惑星に接近すれば、敵が何を考えるかを。恐らくは惑星全土を人質にとってくる。それはないだろうか。これまでそんな卑劣な手段ではなく、準軍事的にこちらを捜索してきた相手だ。しかし最低限の道理は弁えているのか。
選択肢はふたつ。ここで戦って、リガルらの安否を気にせず第二番惑星へと向かうか、ここで大人しくしていて、敵が見過ごしてくれるのを待つか。
そもそも、なぜ自分が決めねばならないのだろう。ここには宇宙一の放浪者がいて、彼がし切りたがっているのだし。ハンスリッヒはどうして自分にこうも判断を委ねる? 優秀なレイズ=バルハザール戦争の英雄でも、黄金の花束を救った立役者でもないこの自分に。彼は何を期待して、俺は何を彼に命じればいいのだろう?
イーライは心の中で頭を振った。ハンスリッヒが信頼しているのはイーライ・ジョンソンではない。リガルだ。あるいは、アクトウェイの船長席に座る誰かに期待してのことだろう。ともなれば、自分はリガルの代役としてその発言を求められているに過ぎない。
奇妙な憤激が彼の胸中に噴き出た。自分は仮にもアクトウェイの船長代理を任されている身だ。なぜ、他人に向けた期待に応えなければならないのだろうか。しかもここは理不尽で満ちた宇宙だ。その様な余裕は持っているべきではない。
「イーライ」
キャロッサの声がする。かなりの時間を沈黙に費やしてしまった。彼は自分の煩悶を振り切りる。
「敵部隊がステーションのパワーコアが再起動していることに気付くまで、あとどれくらいの猶予がある?」
セシル・アカーディアは少し面喰ったようだが、コンソールを叩いてすぐに結果を表示して投げた。
「最低でもあと七分十六秒で気付かれるわ」
「では、あと五分待つ」
「イーライ!」エッカートが叫んだ。
「リガル船長はこちらへ連絡を取ろうとしているに違いありません」
「なぜ断言できる? 敵が来ている。そのような世迷言に付き合っている余裕はない」
「彼は戦闘において、情報が何よりも重要であると理解しています。だからこそ、不必要かもしれないビーム通信をほのめかしていた。あと五分でいい。待つべきだ」
「君は待てるだろう。だが敵は待ってはくれん。それもわからんとはな。グローツラングだけでも――」
「通信です!」セシルが叫んだ。ホログラフの中で貴公子が驚愕に表情を変え、美男子が大笑した。「アキが送ってきています。すぐに戦闘開始。周辺の敵を排除した後、第二番惑星へ救援へ向かわれたし!」
ハンスリッヒが叫ぶ。
「承った!」
三十秒と経たぬ内に、グローツラング、アクトウェイ、コンプレクターがステーション内から飛び出す。姿勢制御スラスターを最大限に吹かして突如出現した三隻に対し、接近しつつあった軽巡洋艦一隻、駆逐艦二隻の敵偵察隊は咄嗟に発砲するも、前に出たグローツラングが全てを弾き返すと同時に全方向へ低出力のエネルギービームを斉射。ビーム通信の制御に当たっていたピックがこちらへ飛来して反射、敵戦隊は爆炎とともに消えた。
ステーションから出てみれば、既に周囲には帝国軍艦艇がうようよしていた。〇、五光分以内の範囲に一五〇隻が展開している。
「ショーの始まりだ。待ってろよリガル」
ハンスリッヒの言葉が心をささくれ立たさせる。イーライはこれまでにないほど混沌とした心境で砲撃命令を下した。




