一三三年 三月六日~ ②
・アリオス歴一三三年 三月七日 アスタルト星系 第二番惑星
一行が降した結論はこうだ。
アスタルト支社がある地域は、リガルらの宿泊していたホテルより地上車でおよそ一時間の距離にある。ここへリガルやアキが乗り込むのは、万が一にも相手に顔が知られていた場合に、取り返しのつかない事態になりかねない。何しろ電子新聞で顔が出た身だ。用心するに越した事は無かった。
実際に支社を訪ねる貿易商人の役割を買って出たのは、ロドリゲスとメイスだった。夫婦で自由貿易商人を騙り支社へと潜入することは比較的容易であると思われたのだ。
現在、アスタルト星系に所属している多くの商船を持つ独立商人は、それぞれがなけなしの庇護を求めて、ルガート造船財閥を頼っている。同財閥は多くの民間運送企業への船舶提供から、多くの政府へとコネクションを持つオリオン腕で最も有力な財団のひとつで、宙運業事態を取り締まることで資金を集めているオリオン腕いちの大富豪、ニコラス・フォン・バルンテージの資産を結実させた象徴たる黄金の花束に次ぐ政治的影響力を持つ企業である。前者と異なる点は、そのコネクションの多くが広く分布していることだ。ニコラス氏率いる黄金の花束は、アルトロレス連邦周辺の国々へと大きな影響力を行使しているが、ルガート造船財閥のそれは正に人類社会の隅々にまで浸透している。金のバルンテージ、政のモーティネルと称されることもままあった。
酒場での情報収集で、多くの飲んだくれた独立商人から聞きだした情報を統合すると、商人の身分で支社内へと入り込み、ロドリゲスとメイスが、アキが直接駆動させることのできる、遠隔式のメモリーデバイスを、建造物内の情報絶賊端末に差し込ませる。そこからアキがセキュリティを突破して、情報を掠め取るという算段だ。
計画において重要なポイントはふたつ。ひとつは無事に支社内部まで潜入できること。もうひとつは、アキの遠隔操作が本当に発動できるかどうかだ。支社の入る巨大なビル、その足下から少し離れた位置にあるカフェテリアでコーヒーカップを傾けながら、リガルは落ち着かない様子で、目前の美女を見やった。
アキは、静かに電子新聞を読んでいる。携帯端末を使って目の前に表示されるホログラフにゆっくりと目を通す様は、いつもの彼女らしからぬものだ。その気になれば直接的に情報を取得できる彼女が、いちいち文章を目で追って世間の事情に食指を広げることはそもそもない。
「気になりますか、あのふたりが?」
目線は文字を追ったまま、アキが言う。リガルは喉を鳴らし、腹いせにアイスコーヒーを一気にストローで吸い上げた。
よく晴れた午後である。コンクリートではなく自然石を外壁に用いて、煉瓦や木材でかたどられた建造物の数々は、落ち着いていながらも決して沈黙してはいない適度な格調を持って並んでいる。旧帝国領の建築物はその多くが旧時代的な風合いを持つようにデザインされているのだという。古き封建制度を守り続けた最後の政府であった帝国は、おおよそ専制主義に見られる悪辣な行政を民間に強いることはなかったものの、やはり、君主の気まぐれで起こる政治的事件は後を絶たなかった。帝国憲法でさえあやふやな時期があったという。そもそも、原始的な独裁政治が星間国家という、地球のいち大陸どころでは収まりきらないものに対して、適切な政治意志集約手段であったかどうかは、リガルにしても疑問を抱くところであった。
今のアスタルト星系は、それほど貧困に陥っているような様子は見えない。多くの人々はごく普通の暮らしを営んでいる。店を開き、談笑している市民や街を通りすがる親子、時折、巡視のために通りすがる黒一色の警戒灯を灯した警邏車。路地裏へ回ればホームレスや低所得者層のみすぼらしい家々があるが、宇宙全土が平等になることなども無い故に、言うなればありふれた光景と言えた。
帝国軍の姿は無かった。惑星政府より武力を以て行政権を奪い取ったところまでは良いものの、実際に統治の面で影響を及ぼしているのは、変わらずに惑星の各地域を担当する警察組織と、軍だった。宇宙軍を有さないアスタルト星系地上軍は地対宙兵装を用いて攻撃を敢行したらしいが、発射基地の多数が軌道爆撃を受けて沈黙したらしい。
「今頃、向こうに到着してる頃だ。入れなくても、周囲に帝国軍兵士がいるかどうかだけでも確かめられるが」
「それは、ありえないでしょうね。仮に帝国軍がルガート造船財閥と癒着していたとしても、わざわざ表だって帝国軍を支持するような真似はしないでしょう」
「うん。それにしても気になるのが、アルダンテ支社長の姿を、民衆の誰もが目撃すらしていないということだ。これだけの大騒ぎになれば、政府の次に頼りになる大企業の重役の姿が見えないのは、政治的におかしい気がする」
アルダンテ支社長は小太りで人懐っこい笑みがトレードマークの壮年の男で、多くの惑星広告に顔を出してはその人の好さから人気を博していたという。旧帝国領ということもあり、バレンティアなどの経済的繁栄の著しい地域に比べて貧しいこの地域への投資も積極的に行っているらしく、その莫大な個人資産、企業資産の多くが、星系事業――小惑星をくりぬいた資源採掘基地の建設や造船所の規模増大、この星系を本拠地とする独立商人を始めとする放浪者たちへのメンテナンスサービスなど、社会福祉へと多大な貢献を為した人物であるらしい。
今時、よくできた人間がいたものだ。金を儲けるだけじゃなく、自分が受け持つ地域、星系の暮らしをよくするために、積極的に金をつぎ込んでいる。酒場で得た情報をアキがまとめたものと自分の記憶には、朗らかな顔で彼を褒め称える酔っ払いの赤ら顔が、薄らと残っていた。
だが、商人ほど信用ならぬものはない。リガルは先入観を振り払って、いつの間にか電子新聞を閉じていたアキの視線を真っ向から受け止める。
「私としては、支社長が帝国軍と関わりを持っているとしたら、この時期に公衆の面前に顔を出さないのは適切でもあり、不適切であるとも言えます」
「なぜだ? 星系内で最も大きな影響力を持つ人物のひとりだぞ。そんな人物が朝の霧のように消えてしまったとあっては、星系中が大騒ぎになることは間違いない。現に、こうしていくつもの電子新聞社が取り上げているんだし」
「そう、問題はそこです」
アキは大きく身を乗り出した。ワンピースの胸元から目を逸らして、リガルは彼女の肩を掴んで座らせる。
「どこだって?」
「アルダンテ支社長が姿を見せないことです。メディアでは取り上げられていませんが、ネットに流れる噂の類やSNSなどを軽く走査したところ、支社長どころか副支社長も姿を見せていないそうです」
「表だっては出ていないってだけじゃないのか?」
「いいえ。これらの情報源はルガート造船財閥に属する社員からも、少数ではありますが確認できています」
となると、アルダンテと副社長などの、アスタルト星系におけるルガート造船財閥系の重役幹部のほとんどが、帝国軍により拘束、あるいは殺害されているか、それともとっくにこの星系を脱出しているのか。それとも、帝国軍と結託してこの星系を我が物にしようとしているか、ということである。
「しかし、どうも納得いかない」一度は収まった頭痛の再発を感じながら、リガルは顎を抑えた。「ルガート造船財閥の幹部連中に危害を加えているとしても、だ。それならばなぜ惑星政府には手出しをしていない? 昨日の情報収集でも、特に星系首相の身が案じられたとか、テロ行為があったという話も聞かない。帝国軍は圧倒的な武力で脅迫しただけだ。現に、惑星上の地上軍に爆撃までしている」
「軌道爆撃とはいえ、環境への影響は多大なものがあるでしょうし、神の雷が如く天から罰を降らせることができるのなら、これ以上は無い脅迫材料といえますね」
「いつからそんな神話的比喩を用いるようになったんだ、アキ?」
「たった今です」
さらりと彼女は答える。その時、リガルのジャケットの胸ポケットに入っている携帯端末が軽く振動した。取り出して画面のロックを解除すると、現場近くにレンタルした地上車で監視しているディルからだった。二人は無事、星系支社へと潜入することに成功したようだ、という。口座から戸籍、何から何までをアキが用意した、惑星住民の中で未だ死亡届の出されていない住民のものを利用した偽装身分は、ここにきて効果てきめんというべきだろう。
リガル個人としては、彼女が生体端末である点を利用しなければ事態を打開できないことを頭で理解はできていても、心が納得していなかった。愛する女性を利用することに抵抗を覚える男が宇宙にいるものだろうか、と、複雑な心境でコーヒーを啜るしかない。
「私にも連絡が来ました。ふたりは無事なようですね」
「今のところ、な。油断はできない。アキ、いつでもできるように用意しておいてくれ」
彼女は、今いちど開いた携帯端末の画面から顔を上げ、独特な色彩を持つ瞳で彼を見据えた。生体端末特有の、人間の感情を写した眼差しとは違った光を湛えた視線に、思わずどきりとする。
「どうかしたか?」
「リガル、何かを悩んでいるのですか。いつもの覇気が感じられませんが」
「……なんでも御見通しか。君をこうして利用するようなことになって、少し嫌だな、と思ってさ」
「私は構いませんが、そういう問題でもないのでしょうね」
「わかるか?」
アキはにっこりと微笑んだ。カフェの窓から差し込む陽光が眩しい。
「ええ。あなた方人間は、機械であれば気にも留めないことを気にする癖がありますから。それが命であるのか、それとも人間という機械に施されたプログラムなのかは判然としませんが、見ていてとても気持ちのいいものです」
どことなく照れくさくて、リガルは視線を背けようとしたが、変わらず微笑み続けるアキの顔を見ている内に、この戦乱の世で沈みがちであった心が浮かび上がるのを感じた。
アキは変わった。旧アクトウェイのAIをしていたころから、彼女は彼女であるに違いないのだが、昔では考えられないほど人間的な仕草をする。リガルにとって、彼女は母の様な存在でもあり、愛するひとりの、対等な女性だった。アキ自身、その気持ちに応えられるかわからないと戸惑いつつも、こうして幸せそうに笑ってくれるまでに人格の成長を遂げている。
今が続けばいいのに。そう彼が念じた瞬間、思い上がりに罰がくだされるように、アキの表情が一転して険しいものになった。
「どうした?」
「今、接続できました」
「対象に、か?」
アキは小声で言った。
「はい。セキュリティは、待ち構えていたようにすぐに突破できました」
「トラップは? 何か妙な関数が設定されているかもしれん。サーバーへの侵入前に――」
「既に侵入しています。あらゆる変数をモニターしていますが、特に追跡やデバッグ等の動きは認められません。容易く情報を入手することができました」
妙だ。曖昧に頷き返しながらも、リガルの神経が危険信号を発している。慣れないことはすべきではない。プリンストン・B・エッジにでも任せればよかった、と今更ながらに天を仰ぎ見た。
「デバイスに帰還信号を送信。これでロドリゲスとメイスが無事に帰ってくれば、万事順調ですね」
「ああ――」
少し気を抜いて、沿道を眺めた。カフェは交差点の東側に位置しており、こちらからは太陽に照らされたコントラストに染まる街並みが見える。四車線の道路が十字に交錯するありふれた街路。アスファルトの上を走る地上車も色とりどりで、そのうち、やけに大きな黒い一台が急ハンドルを切り、カフェの道路を挟んで反対側で停車する。
弾ける様に開かれたドアから現れたのは、なんと古めかしい装甲服に身を包んだ人間たちだ。路上を歩く人々も、突然の彼らの出現に度肝を抜かれ、何の反応を示す事も出来ずに立ち止まっている。
ビームライフルの銃口がこちらへ向けられた。
「アキ――!」
リガルはカフェのテーブルを横倒しに蹴る。四角いテーブルが、卓上に置かれたグラスの数々を道連れにしながら倒れて壁になり、何もできずにいる彼女を地面へと押し倒しながら、その影へ隠れる。
銃声。青白いエネルギービームが頬を掠める。合成樹脂製のテーブルなど軽々と貫通するということは、まず間違いなく軍用の高出力製品だ。それにもましてあの装甲服。
腰からブラスターを抜く。これ一丁で、あの兵士達を相手にしなければならないのか。
「伏せろ! そのまま店の奥へいけ!」
「リガルはどうしますか」
「俺はここで食い止める。とにもかくにも、安全なところへ行くんだ。さあ!」
テーブルから顔を出してブラスターを撃ちまくる。人々が逃げ惑う中、沿道へ向けて装甲服の一団へと攻撃を加えるも、命中こそすれ、装甲服の鏡面加工に弾かれてしまう。やはり、相手の持っているような大型のビームライフルでもなければ傷をつけることすらかなわない。
(上等だ、こんな場面を待っていた)
落ち着いて、リガルは隣のテーブルの下へと身を投げた。割れたグラスの破片が頬に傷をつけるが、なりふり構わずにそのまま跳躍、カフェのカウンターの奥へと飛び込んだ。一瞬前まで彼の身体があったその位置をエネルギービームが通り過ぎ、壁一面に高出力のビームで無数の穴が穿たれる。
アキの姿は既にない。裏口へと回ったのだろう。今となっては敵が裏口を固めているかどうかは確認しようがないが、あのように突然に敵が駆けつけて来たのならば、裏口を固めることはできていないであろう。
とにもかくにもそう自分を安心させ、迫りくる六つの、灰色をした装甲服の一団へ向けて発砲を続ける。カウンターテーブルは足下まですっぽりと隠すダイニングがあるために被弾は避けられるが、このまま撃ち続けられるとそのうち貫通される恐れがある。陰に隠れながらも自らの位置を絶えず変えながら、リガルは時折顔を出しては応射を繰り返す。
星系政府直轄の警察組織が来ないことが、嫌な予感を駆り立てる。まさか、自分達はこんなところで終わるのだろうか。まだなんの「役目」も果たしていないというのに。
と、盛大な破壊音が轟く。カウンターの脇にある洗面台に据え付けられた鏡が撃ち砕かれてその破片が散らばり、リガルは体中に切り傷を作りながらもその破片を拾い上げ、カウンターの向こう側を反射させた。
見覚えのあるバンが新たに停まっていた。そのドアから出てくるのはロドリゲスとメイス、そしてディルだ。三人が三人とも、ブラスターを撃ちまくりながらカフェテリアへ近づいてくる。既に店内へと踏み込もうとしていた敵は背後を取られる形となり、リガルと彼ら、どちらへ反撃しようか迷った、その一瞬を見逃さなかった。
すかさずブラスターを右手に構えて躍り出て、着地と共にひとりの頭部を撃つ。鏡面加工の弱いバイザーを貫通したエネルギービームに沿って、反対側から血が噴き出した。立て続けに連射しながら飛び出したリガルに動揺した彼らの背後からは、ロドリゲスらの攻撃が走り、十字砲火を受けて三人が倒れる。
劣勢と見るや否や、ひとりが音響閃光手榴弾を投げた。強烈な音と光に、リガルらが目と耳を庇うのに必死になっていると、彼らはそのままロドリゲスらを迂回して走り、あの黒い地上車へと乗り込んで走り去っていった。
リガルは耳を庇っていた。混沌とした周囲の音は聞こえるが、目の前がまるで見えない。失明したのだろうか。しかし時間と共に少しずつ視力が戻ってくるのを感じて安堵する。
「リガル船長!」
ロドリゲスの低い声だ。誰かに肩を担がれるのを感じる。平衡感覚を失って何度か倒れかけたが、大男は辛抱強く彼を支え続けた。
「船長、大丈夫ですか? ああ、血が出ています」
「ロドリゲス、アキは?」
「ここにいます、リガル」
彼女の声がした。
「アキ、君はどうして戻って来た?」
「あなたがいるからです。さあ、いきましょう」
ガラスや木片、樹脂の欠片が飛び散った店頭から、右肩をアキに、左肩をロドリゲスに支えられながら歩み出たリガルらを取り囲むように、サイレンと警告灯を鳴らした地上車が四台ほどやってきて停まった。霞む視界ではわからないが、耳元でロドリゲスが「警察です」と言った。
地上車の扉が開き、閉じる音がする。瓦礫を踏みしめて歩み寄ってくる足音に、リガルは激しい頭痛を覚えた。
「これはいったい、どういうことだ」
男の声がする。メイスが割って入った。
「いきなり、装甲服に身を包んだ男たちに襲われたんです。私達は応戦したまでです」
「それは目撃証言から決める。お前たちはとにかく、署へ来い。話はそこで聞こう。その中央の男は――」
声が遠くなる。警察署へ行けばまずい事になる、そう考えた瞬間、ブレーカーが落ちる様に、リガルの意識は暗闇へと沈み込んでいった。




