一三二年 五月二〇日~ ①
久々の更新です。受験が終わったので、久々にアップしてみました。
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・アリオス暦一三二年 五月二十日 大型巡洋船アクトウェイ M二二三宙域
民間船とのランデブー地点に合流した時、リガルは顔を顰めた。依頼主のアルトラ宙運の輸送船は、アクトウェイよりも大きい大型輸送船だ。全長は二キロを超え、ノロノロとした動きでアクトウェイの隣を航行している。他にも、何隻か民間の護衛船がいたが、どれもアクトウェイの半分ほどしかない。
さらに、ここM二二三宙域を通るルートは、海賊たちのたまり場になっている宙域だ。当たり一帯には海賊被害にあった船の残骸とこの宙域に元から存在している小惑星の薄い膜。レーダー波は乱反射して若干性能は低下するし、何処から船が襲い掛かってくるかわからない。アルトラ宙運の船の目的地であるカスティ星系まで、一時たりとも気が抜けない。
「こんなにでかい船だとはな」
「ホントに」
リガルがぼやくと、ジュリーが同意する。フィリップは溜息をつくばかりだ。
「こんなにでかい船、この四隻で守りぬけられるか?いざとなったら逃げ足は遅いし、普通なら何とかなるが、今回の味方は輸送船を武装した改造船だ。その上、この宙域には海賊がわんさかいるときた」
たまんねぇな、なんて捨て台詞を残して、フィリップは黙り込んだ。まったくもって、全員がその意見に賛同した。依頼を受けたときの詳細情報には、このような項目は無かった。ただでさえ依頼を受けてくれるノーマッドがいない為に、恐らくアルトラ宙運が偽装したのだろう。訴える気にもなれないが、なんだかむしゃくしゃする。
しばらくの間、アクトウェイは無為な時間を過ごした。クルー達は自分の持ち場でコンソールを叩き、暇つぶしに艦内のチェックをしている。キャロッサが、各自にふたつき紙コップの珈琲を運んできて、感謝の吐息が漏れる。
「どうぞ、船長」
「ありがとう、キャロッサ」
「いえいえ」
笑顔を残して、キャロッサは奥の厨房に引っ込んだ。途端に、フィリップがキャロッサの後姿を見やる。
「良い娘だな」
「それ、前から思ってた」
セシルが声を上げる。どうやら、キャロッサのいない間に、彼女の品評会が始まるようだ。得てして船の中では、このような会話が交わされるものだ。それは、船乗りにとっては子守唄にも等しい。リガルはリラックスした気分で、手元の熱い珈琲を口に運んだ。目に入るホログラフの表示を流し読みして、たまに、艦橋のディスプレイに映る宇宙空間を見つめる。
ゆっくりと流れていく星星は、なんだか温かみを持って感じられた。実際は、艦の外はマイナス二〇〇度ほどの極寒だ。出ようものなら、瞬時に身体は凍結し、体中の穴という穴から血液が沸騰して噴射され、絶命する。
僅かに背筋を寒気が走り、リガルは座っている船長席の肘掛を軽く叩いた。
「船長は、どう思います?」
セシルの言葉で我に返り、クルーを見回す。全員が、黙ってリガルの言葉を待っていた。
頬をぽりぽりと掻いて、考え込むふりをする。
「そうだな。まあ、俺の乏しい経験で言うのもなんだが……」
「またまた。船長は結構、やり手な顔してるけどねえ」
ジュリーが茶化す。フィリップが歯をむき出して笑った。
「それには、俺も同意だな。船長が本気になれば、その気にならない女の方が少ないんじゃないか?」
話題はリガルに移ったようだ。失敗したような、よく解らない感情に眉を顰めた。
「ああ、でもその点で言えばイーライも負けてないんじゃない?」
「おいおい、人をからかうのはよしてくれ。俺は海賊船しか撃沈できない」
イーライが両手を挙げる。
「なあ、そういえば、メキシコ星系への航路は封鎖されてたよな?」
フィリップが唐突に話題を変えると、視線が彼に集まった。
「いや、別に深い意味は無いんだが。向こうはバルハザールとの国境宙域であるカプライザ星系も隣接しているし、何かあったのかな、と」
「そうねえ。まあ、なんにしてもこの仕事を終わらせない限りは、行って確かめることも出来ないわよね」
セシルが言い返す。
リガルは、この話題に少し興味が湧いた。
「そうだな。一個星系が丸まる封鎖されるなんて、そうそうあることじゃない。案外、フィリップが言っている事は正解かもしれないな」
不安げな色を見せたクルー達の仲で、不意に黙っていたアキが鋭い声で告げる。
「船長。民間護衛船から通信です」
それぞれが気を引き締める。リガルは一度咳払いし、モニターに現れた通信接続の表示に触れた。途端に、彼の目の前に四角い映像が映し出される。
画面は、向こう側の船の艦橋を映しており、船長席に座る男は中年の髭を生やした男だった。ノーマッド特有の、少し鋭い瞳でリガルを見据えた。
「こちら、民間船ノベルズ。アクトウェイか?」
リガルは、同じような無表情で応対した。
「こちら、アクトウェイだ。ノベルズ、どうしたんだ?」
「ああ。先ほど、こちらのレーダーが、不審な動きをする小惑星を捉えた。そちらはどうかと思ってな」
その言葉に、リガルはセシルを見た。意味を理解したセシルは手際よくキーボードを叩いて、結果を船長席のコンソールに送信する。即座に表示されたデータを見て、リガルは首を傾げた。
「こちらのレーダーには、その様な反応は出ていないが―――」
その言葉を聴いて、向こう側の船長は少し困った色を浮かべる。それに、リガルは迅速な解決方法を提案して見せた。
「他の船長にも聞いてみよう。頼んで良いか?」
ノベルズの船長は快諾した。
「ああ、任せて欲しい。それとな……どうも、他の船には違和感を感じる」
その言葉に、リガルは反応した。より一層興味深げな瞳で、身を乗り出すように映像の船長を見つめる。
「どういうことだ?」
「考えても見ろ。普通、民間船は航行時に他の客船に存在を示す為に、航行灯を点灯するな?」
当然だ。宇宙空間を航行する場合、凄まじいほどの速度で行きかう船同士が、万が一にも相手が自分を認識しないような事があれば、船と船同士は激突し、乗員乗客は全て死ぬだろう。それを防ぐ為に、民間船は航行灯を点ける。軍の場合は、旗艦に組みこまれた管制システムと、各艦の船長とAIの技量で、整然とした艦列を整える。だが、民間船にはそんな技量を持つ、訓練を受けたものは少ないし、AIもそこまで高価なものではない。
嫌な予感がして、リガルはアルトラ宙運の民間輸送船の映像を呼び出す。
そこで、ノベルズの船長の言っていることが解った。
「なるほどな。航行灯が点滅していない。通常ならば、点灯させるのが航行規定だ。この船はおかしい」
「そういうことだ。他の船にも、私から連絡しておく。アクトウェイは輸送船を監視してくれ。何か起こったら、すぐに対処できるようにしておいて貰いたい」
リガルが頷くと、相手側の船長は通信を切った。灰色の砂嵐に塗れた画面を消し、見つめるクルーに対して右手の人差し指を立てて、上に向けてくるくると回した。全員が即座にコンソールへと向き直り、アクトウェイは瞬時に第二級戦闘体勢へと移る。その間に、戻ってきたキャロッサもその合図を見て、船長席の左後ろの壁際にある衛生長席に座り、しっかりと座席にハーネスで身体を固定する。その怯えたような瞳がリガルを捉えた。
アクトウェイの船長は、自信のある笑顔を作ってみせる。
「大丈夫だ、キャロッサ。君は、いつ俺たちが怪我しても良いように、救急箱を持っていてくれ」
一瞬、きょとんとした顔でキャロッサはリガルを見つめていたが、やがて瞳に力がこもり、頷くと、それからは本当に大丈夫なようだった。安心して正面に姿勢を戻し、リガルはてきぱきと指示を下す。
「セシル、アルトラ宙運の輸送船と周辺宙域を警戒。イーライ、FCS起動、いつでも発射可能にしておけ」
「了解」
「了解です、戦闘」
右斜め前の位置にいるイーライと、左斜め前の位置にいるセシルが応答し、それぞれの作業に取り掛かる。次いで、リガルは正面にいるジュリーと、イーライの隣にいるフィリップを見た。
「ジュリー、いつでも回避機動が出来るように、全推進装置起動。フィリップ、機関出力を上げておいてくれ。何が起こるか解らない。ただ、あんまり悟られないようにな」
「あいよ、船長」
「アイアイサー、船長」
アクトウェイがにわかに騒がしくなる。艦首部分にあるエネルギービーム砲塔は、砲門を開口しないものの、何時でも発射できるようにエネルギーが充填された。機関出力は上がり、その分起動したFCSに供給されていく。全てのミサイルのシステムがオンラインになり、PSA装甲は強度を上げる。これで、突然航宙軍の一個戦隊が襲い掛かってきても対応できる体勢は整った。
「諸君、先ほどの通信を聞いていたから解ると思うが……今の状況は、極めて不審だ。あらゆる可能性が考えられるが、とにかく、準備だけはしておいてくれ」
それだけ言うと、リガルは手元の珈琲を再び口に運ぶ。
その時、事態は唐突に動き出した。
「船長、護衛船の一隻が―――」
セシルの叫びは間に合わず、護衛船として航行していた一隻のノーマッド船、ノベルズが爆発した。強烈な光とエネルギーを放出した為、アクトウェイの船外カメラは一時的に麻痺する。それもコンマ数秒であるが、クルーの反応速度を鈍らせて、残りの三隻の船を回頭させてアクトウェイに艦首を向ける時間には充分であった。短く推進剤を噴射すると、護衛船三隻は発砲する。
「面舵!イーライ、ばら撒けるモノは全部ばら撒け!」
リガルの声で、アクトウェイは意識を取り戻した。大きく右側に転蛇すると、まず船体に搭載されている複数の対空レールガンが火を噴いた。猛烈な弾丸の嵐が、複数の武装民間船へと伸びていくが、これは元々対艦兵装ではない。敵のPSA装甲に一センチ口径の劣化ウランの弾丸が衝突し、膨大な運動エネルギーが熱エネルギーに変換される。瞬く間に、三隻の武装船のシールドが眩い光で包まれる。それでも、彼らは執拗に荷電粒子ビームを放ってくる。
次いで、アクトウェイの複数個所から、猛烈な熱量と電波を放出するデコイが射出された。直前に発射された、武装船のミサイル四発は、それを追いかけて大きく軌道を逸らすとアクトウェイの周囲が爆発で彩られる。
その混乱の最中、アルトラ宙運輸送船は離脱し始める。
セシルが叫んだ。
「輸送船、離脱軌道!加速しています!」
「くそ、囮か!」
苦々しげにフィリップが叫ぶ。それを、リガルは叱咤した。
「うろたえるな!イーライ、一番から九番までミサイル発射!後部主砲斉射三連!」
「了解!」
アクトウェイの左右にあるミサイルベイが開き、九発のミサイルが発射される。弾頭はプラズマ弾頭だ。それらは複雑難解な軌道を描いて三隻の武装船へと向かっていく。武装船は、民間の船に設置できるだけの対空設備で迎撃する。
だが、それでも管制用のFCSだけは良いものだったようだ。的確にミサイルを弾幕の中に誘い込むと、九発のうち、七発が撃墜され、火球となった。残りの二発は一隻に命中する。
民間船のPSA装甲を、大きなプラズマの火球が削った。武装船とはいえ、それらの全長は二〇〇メートルをゆうに超える。それを、僅か数秒で装甲を貫通し、船体の六割近くを蒸発させると、後に残るのはパワーコアのオーバーロードによる爆発球のみとなった。
それに戦闘意欲が削がれたのか、残りの二隻は牽制射撃をしつつ後退して行く。それを見て、キャロッサが溜息をついたのが、リガルには解った。
「追い払ったんでしょうか?」
セシルが漏らす。リガルは否定した。
「いいや、これは囮だ。必ず本隊が来る。セシル、正面を警戒しろ」
「了解」
戸惑いつつ、セシルは応じた。コンソールで前方宙域の詳細データを呼び出す。すると、興味深い反応が見られた。
「船長、前方のデブリに紛れて、一二の量子反応を感知。微弱ですが、艦船のようです」
驚いた顔で、イーライが答える。
「確かか?ここいらは最近の海賊被害で、多くの残骸が転がっているはずだが……」
セシルは今一度表示を見つめた後、自信を持って頷いた。驚きを隠せない表情だ。
「いや、確かに船よ。パワーコアから放出される量子反応は、船のものならすぐに解るほど定期的なパターンがあるの。これはそれに完全に当て嵌まる」
感心したような顔でリガルを見やる。”船長、やはりこの船のクルーは最高です”。
リガルはそれを無視した。
「よし。敵は待ち伏せを行うつもりだ。だが、こちらはその裏をかく。イーライ、一番ミサイル発射機にフラッシュノイズ弾頭装填。残りはプラズマ弾頭だ。それと、艦首主砲は何時でも発射できるように」
「アイアイ」
「ジュリー、急加速準備。合図があったらすぐに全速だ」
「了解、船長」
それから一分間、薄く広がるデブリ宙域に近付いていく間にアクトウェイは完全に準備を整えた。PSA装甲は前面に高出力で展開され、船体各所にある対艦兵装は全てがオンラインになり、一部分のエネルギー砲塔などは、既に海賊船に狙いをつけている。既に用意された武器をイーライが再点検し、セシルは片時もモニターから眼を離さずに、ジュリーは何時でも回避軌道を取れるように、そして、フィリップは機関出力を万全の状態に保つべく指を走らせている。
長く続くかと思われる緊張の中、キャロッサが震えているのに、アキは気づいた。彼女の仕事は、黙ってクルー達の仕事を再検討し、その命令を実行に移すだけだ。だが、彼女の正面左側で震えているキャロッサを見ると、どういうわけか彼女は立ち上がって、艦橋を横断してキャロッサの前に移動した。驚いたキャロッサは、ただ呆然とアキを見つめる。戦闘状況にある船で自由に動き回るなど、本来、あってはならないことだからだ。
その様子を、リガルは背中で感じていた。ここは、アキに任せるのが一番無難だろう。
「大丈夫ですか、キャロッサ」
「え、ええ、なんとか。それよりもアキさん、いいんですか?」
アキはよく解らない表情でキャロッサを見つめた。眉を顰めて、肩をすくめて見せる。
「どういう意味です?」
「いえ、その……AIのチェックが無ければ、船が安全に動かないことくらい、私でも知ってます。貴方は仕事をしなくて良いんですか?」
その言葉に、アキは淡々と答えた。
「大丈夫です。私の知る限り、この船のクルーは間違いなく最高の技能を持っています。それは私と船長が確認済みですから、私のチェックは要るようで要らないんです。それに、貴方も大切なクルーですから、キャロッサ」
僅かに、リガルは驚いたように肩を震わせた。アキとの付き合いは長いが、あんなことを言うのは初めてだ。やはり年月を経たAIは予測不可能である。
……まあ、そんな事を本人に言ったら、何をされるかわからないのだが。
キャロッサは少し黙ったままアキを見ると、唇を横一文字に引き結ぶ。どうやら覚悟は決まったようである。
「解りました。私、頑張ります」
アキは笑った。
「ええ。でも、何かあったらすぐに言ってください」
「はい。ありがとうございます」
アキが自分の座席に戻ると、リガルは手元のコンソールでオブザーバー席のコンソールにメッセージを入力し、送信する。アキの目の前に「ご苦労様」とメッセージが表示されると、彼女は生態端末の中に組み込まれた艦内コンピューターとの通信システムで、リガルに返信する。程無く、船長席のコンソールがメッセージの着信を告げる。
「『後でビールを一杯』、か」
小声で呟き、リガルは笑みを零す。その時、セシルが告げた。
「後一分で、デブリ帯へと進入します」
「よし。全員、気を引き締めろ。ここで決まるぞ」
アクトウェイは、静かに宙域へと進入していく。なるべくデブリの密度の低い航路を選んで進んでいく姿は、傍から見れば海賊の襲撃から逃げ延びた船が、気を抜いているようにしか見えない。ジュリーの冷静で、技術の高い航行で、恐らく海賊船団のレーダーはアクトウェイが気づいているとは夢にも思わないはずだ。
やがて、緊張感がピークに高まった時、敵艦を確認した警報が艦橋に鳴り響く。
「敵艦、出現!」
リガルは即座に命じる。
「フラッシュノイズ弾頭発射!同時に二番から六番まで連続発射!迎撃を撹乱させろ!」
イーライがミサイルを発射する。姿を現したばかりの海賊船団は、まともにアクトウェイをロックオンできていない。デブリ帯で索敵能力が低下している割合は、安物を使用しているか遺族せんだんのほうが大きいのだ。その隙を突いて、巧妙に、そして注意深く発射されたミサイル群が真っ直ぐに敵艦へと向かっていくと、途中で信管が作動する。
まず、重水素を収束したレーザーが内部で発射されて衝突し、急激な核融合反応が起こる。それをコンマ二秒の間電磁波で押さえつけ、一度膨らんだ火球をもう一度収縮し、最期にプラズマを流し込む。すると、膨大なエネルギー・光・電磁波が放出される。さらの多数の周波数帯の量子波が怒涛の津波のように海賊船団を襲い、あらかじめレーダーをミューとしていたセシルのお陰で、アクトウェイは被害を受けずにすんだが、もろに食らった海賊船団のレーダーとFCSのロックオンシステムは完全に潰された。それでパニックになったのか、各館は発砲することも無く回頭し始め、プラズマ弾頭を搭載したミサイル五発のミサイルが着弾する。最前列に並んでいた六隻のうち、一隻を残して全てが爆発する。
デブリ宙域が爆発に照らされて、一際軽く輝いた。
「緊急加速、主砲発射!発射パターンは任せる」
「了解!」
「あいよ!」
ジュリーが待ってましたといわんばかりに加速をかける。青白いプラズマ反動推進の帯が宇宙空間に伸びて、急激な加速による重力加速度を相殺する慣性補正装置が僅かに唸りをあげた。
アクトウェイが突進しながら発砲すると、瞬く間に距離を詰められた海賊船団は二隻が爆発した。PSA装甲は予想通り貧弱で、重巡洋艦クラスの攻撃力を持つアクトウェイの主砲には耐えられるはずが無かった。細く収束されたエネルギーの槍は一瞬で柔な船体を突き破りパワーコアを貫通して爆発させる。残りの四隻は、イーライが叩き込んだ正確無比なミサイル攻撃で蒸発し、一分後には、この宙域に残っているのはアクトウェイだけになった。
「敵船団、全滅。このまま索敵を続けます」
「船長了解。みんな、戦闘配置解除だ。ジュリー、一旦ムーアステーションへと戻るぞ」
「了解だよ、船長」
リガルは残っていたコーヒーをすべて飲み干してから、アキに向かって振り向いた。
「アキ、何かあったら知らせてくれ。俺は少しだけ自室に戻る」
「了解です、船長」
立ち上がると、リガルは一度隅に座っているキャロッサに歩み寄り、ようやく緊張の解けた彼女の頭にぽんと手を置くと、そのままハッチをくぐって消えた。
しばらくの間仕事をこなしていたクルーの間から声が漏れる。
「フィリップ、アンタどう思う?」
最初に声をあげたのはジュリーだ。話しかけられたフィリップは、忙しくパワーコアを制御しながら答えた。
「そうさな……ありゃあとんだ切れ者だ。俺は別に、リガル船長が嫌いだったわけじゃないが……感服させられたね。あんな指示と判断をできる船長はそうそういない。俺の聞いた話の限りじゃあ、間違いなく一番の船長だ」
その評論に、ジュリーは頷いた。イーライは、手元のコンソールを叩いて、色々な作業ボットを使いながら兵装の点検を行いながら話に加わる。
「俺も驚いた。まさかあそこまでとはな」
「ええ、イーライ。アンタでも会話するのかい?この間まで無口だったじゃないか」
ジュリーのからかいに、イーライは真面目な顔で答えた。視線はコンソールから離さない。
「ようやく、この船のクルーたちにも慣れてきたからな」
「ふうん?アンタ、見た目どおり気難しいんだ。知らなかったわ」
ジュリーに対して無表情な視線を向けると、イーライはにやりと笑いながら言い放った。
「ああ、そのとおりだよ、『優しい航海長』さん」
フィリップとセシルが猛烈な勢いで吹き出す。以前の話を覚えているのだろう、腹を抱えて笑い出した。してやったりとした顔のイーライに、ジュリーはしてやられたという顔で睨みつける。
「皆さん、珈琲が入りました」
その時、キャロッサがトレーに珈琲を載せてやってきた。その時彼女が見たのは、笑い転げるクルーたちと、それを無感動に見つめるアキの姿だ。
キャロッサはアキに歩み寄り、話しかける。
「あの、アキさん、有難うございました」
おずおずと例を言うと、アキは首を傾げる。どうやら何のことか解っていないらしい。
「先ほどは、声を掛けてくださって……」
「ああ、成る程。別に感謝されることではありませんよ、キャロッサ。当然の義務です」
そう言うアキに微笑むと、キャロッサはトレーからひとつ、茶色い珈琲の並々と注がれたカップを置くと、笑顔で頭を下げた。
「それでも、私には助けになりました。お礼に、飛び切りの特性ブレンド珈琲を拵えてみたんです。お口に合うかどうかわかりませんが……」
「おーい、キャロッサ。俺にもくれー」
アキがカップを手に持ったとき、フィリップを筆頭にクルーたちが珈琲をせがむ。ぱたぱたと慌しく珈琲を配り始めるキャロッサをしばらく見つめてから、手元に置かれたカップを手に取り、恐る恐る匂いを嗅ぎながら口に運ぶ。
芳醇な豆の、深く香ばしい香りが口腔内を満たし、次いで何ともいえないコクと味わいが下の上に広がる。その様子を、しばし瞳を閉じて堪能すると、アキは目を丸くしてカップを見つめる。
「美味しい……」
目を丸くして、もう一度珈琲を口に含む。同じ驚きがアキを満たし、同時に幸せな気分になった。
「これが、『感謝』の味ですか―――」
そう呟くと、少しだけ微笑んで、また珈琲を口に運んだ。
自室のハッチを開くと、リガルは室内に配置されている水道から、冷たい水を食器棚から取り出したガラス製のコップに注ぐと、そのまま一息に煽った。黒色の航宙服の襟を少し緩めて、そのまま洗面台へと向かって顔を洗う。白いタオルで滴る水滴を全てふき取ると、ようやく、二十畳ほどの室内のベッドの近くにある、コンソールデスクへと腰を落ち着けた。
電源を入れて、コンソールが起動するのを待つ。程無くして、起動したことを知らせるホログラフによる画面が表示されると、リガルは迷うことなくアキの意識データを呼び出した。しばらく待たされ、そのこと自体にリガルが驚きを隠しえないでいると、突然、隣に見慣れた女性のホログラフが現れた。生態端末のアキと、まったく同じ姿で表示された彼女は、少し申し訳無さそうな顔で船長を見つめた。
「遅れて申し訳ありません、船長」
「いや、構わないが……何をしてたんだ?」
アキは少し俯くと、悩ましげな表情で言った。
「珈琲を、飲んでました」
その言葉に、リガルは目を丸くしたまま黙り込む。一分ほどの間があって、彼は静かに聞き返した。
「飲んでたのか?珈琲を?」
アキは頷く。
「で、どうだった?」
感想を聞くと、アキは少しだけ嬉しそうに報告した。
「美味しかったです、とても」
「そうか。それは……うん、なによりだ」
取り敢えず頷くと、リガルは本題に入った。
「それで、アキ。君を呼んだ理由はわかるな?」
「ええ。海賊のことでしょう?船長」
「その通りだ。今のところ、事態は俺の推測どおりに進んでいるが、これからはそうもいかない。まあ、これを期待していた、と言うのが正しいだろうな。まあ何が言いたいかと言うと、この先もう一度襲撃がある」
その言葉に、アキは腑に落ちないような唸り声を上げた。リガルは説明する。
「いいか、この間の俺たちと海賊船団の戦闘は、海賊船団のボスに知られているだろう。俺たちが考える限り、あの輸送船、ひいてはアルトラ宙運は、あの海賊となにかしらの同盟関係にあるのか、それとも輸送船を海賊が使っただけなのか……どちらかは解らないが、前回一二隻で真正面から掛かって敗れた相手がだぞ。待ち伏せを行うからといって、同じ数で勝てると思うか?」
その言葉で、アキは納得した。つまり、先の襲撃はこのあとの本命の襲撃のために、アクトウェイを油断させることにあるということだ。すると当然、この後はより大規模な襲撃があるに違いない。それも、先程やこの前とは比較にならないほどの。
となれば、船長はどう対処するつもりなのだろう?いくらなんでも、アクトウェイの戦闘力では対応できる数が限られてくる。待ち伏せで包囲されてしまったら対応できない。少なくとも後二隻は見方が欲しいところだが。
「それで、船長はどうするつもりなのです?」
「考えがある。アキ、まずムーアステーションのカルーザ・メンフィス中佐にメールを送ってくれないか。勿論、秘匿回線で」
アキは頷いた。この後の段取りは、赤子でも解るほど明白だ。
「警備部隊とアクトウェイで挟み撃ち、ですか」
リガルは頷いた。現状で考えうる限り最善の策であるが、それでも、彼には不満らしい。
「そういうことだ。警備部隊の戦力とでなら、問題なく海賊船団と戦闘ができる」
「了解いたしました。文面はいかがいたしましょう?」
「俺が書くから、それを送信してくれ」
「了解です」
アキが消えると、リガルはコンソールですぐに文面を書き、それをアキに転送した。彼女はものの数秒でデータを変換して送信までの手続きを終わらせる。
目の前で浮かんでいたホログラフを消して、リガルはベッドに体を横たえた。
安心するには、まだ早すぎた。