表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
漆黒の戦機  作者: 夏木裕佑
第三章「それぞれの宇宙」
69/103

一三二年 十二月十四日~

・アリオス歴一三二年 一二月一四日 レイズ星間連合 惑星テリ


 青空の下に広がる丘陵地帯。その只中に建つコテージヘ向かって、一台の地上車が小麦畑の中を走る。

 自動オートメーション化され、たった独りでも数十ヘクタールの土地を管理し、作物を収穫する事が可能となった。銀河のオリオン腕へあまねく広がっている人類の居住区は広大で、交通輸送網の発達も著しい。都市と郊外は幾重もの道路で結ばれ、明確に工業を主とする都市部と食料自給を支える郊外の区分はあって無い物となった。血管とも思える高架から滑らかにつながっていく国道から砂利の敷かれた農道へと変わりゆく景色と、環境適応化テラフォーミングにより繁茂した広葉樹林の覆う山を背景に、地上車は数人の男を乗せて走る。

 後に立つ煙を後部座席から首を回して眺めながら、バルトロメオは疲れた顔を僅かに強張らせた。彼の階級章は少将のものである。肩に張られたそれを隣で見やりながら、同じく昇進して大佐となったラディスが言った。


「アステナ准将は、あなたの昇進をどう思うでしょうか」


 バルトロメオは嗜める様に彼を見る。まだ若いにも関わらず大佐という階級へ上ったしまった青年の、経験を置き去りにした朴訥な質問に答える。


「表面上は茶化すだろうな。だが胸中では悲しむに違いない」


「悲しみ、ですか」


「わからないという顔だな、大佐」


「いえ。准将は部下である私達を気にかけてくださる方でした。その私達が昇進するという事は逼迫した事態である、つまり再び危機が迫っているのだと気付くでしょう。確かに、少将の言う通りに悲しむだろうと」


 バルトロメオは驚きの色を隠さなかった。


「驚きだな。君がそこまで思慮深い男だったとは。いや、他意はないぞ」


「わかっております。少将」ラディスは彼らしくはにかみ、「私も勉強します。あの戦争が終わり、またこの戦乱の時代となった今、アステナ准将がどれほど我々に尽くしてくださったのかがわかったのです。私は愚かでした。少しでも力をつけ、あなたや、艦隊のみんなに恩返しがしたい」


「そうだな。アステナ准将が指揮を執ってくださらなければ、我々は既に原子へと還元されていたかもしれぬのだ。しかし、准将こそ君に対してそう思っているであろうことも忘れてはならない」


「私に、ですか?」


「そうだ。私にはあの方の考えている事がわかる。あの場にいたどの人間でも、いなければ今の結果にはつながらなかった、とあの方は考えているに違いない」


 そう。そこまで我々を考えている彼を、再び戦場へ連れ戻そうとしているのだ、自分達は。やりきれなさに胸が満たされ、遠くを見る目で既に目前へと迫った丘の上に建つコテージを見やった。彼の元上司は、そこで第二の人生を謳歌している筈だ。


「少将、アステナ准将が復帰なさると思いますか」


 ラディスの疑問に、バルトロメオは何とも言えない、と首を振った。


「五分五分、だろうな。予備役に編入されたとはいえ、レイズ星間連合としては強制的に連れ戻す事は、実は原則的に出来ない。だが非常事態宣言も発令された現状では何とも言えない。個人の権利よりその他大勢が優先される事態は、有りうる」


「そんな事が許されていいのでしょうか、少将。私は命令に背いてでも、あの方を連れ戻したくは――」


「口を慎め、ラディス大佐。君は若い。少しは自分を抑える事を知るべきだ」


「……申し訳ありません。ですが、私は、私個人はアステナ准将に自分を指揮して頂きたいとは思うのですが、閣下の事を考えるとそれは最善ではない、と理解してもいるのです。どうすればいいか、自分でもわからない」


「君の気持ちは私にもわかる。まったく同じと言ってもいい。だが、我々は個人である前に、軍人だ。民主主義国家の兵士である以上は、命令に従わなければならない。それがどんなに些細なものであってもだ。アステナ准将は、その精神を持ち合わせておられる。我々がそれに背くことは出来ない、そうだろう」


「あの方から嫌悪される事になっても、ですか」


「失望されるよりは、嫌われる方がマシだ」


 ラディスは、はっと何かに気付いた様に息を飲み、目の前に迫るコテージを見る。既にその門扉の前には一人の男性が佇み、親しげに手を振っている。

 今、宇宙がこれほどまでに変化の時を迎えているというのに、まったく変わらないものもあるものだ。不思議な気分で、バルトロメオはブレーキをかけて停車した地上車のドアを押し開けた。




「来るとは思っていたよ、バルトロメオ大佐」


 昔の階級でアステナ・デュオ退役准将はバルトロメオに言った。少将に昇進しました、と訂正する元参謀長へ向けて、変わらんな、と彼は笑みを漏らした。


「ラディス中佐……いや、階級章を見ると大佐か。君も昇進したのだな」


「はい、お陰様で。閣下から頂いたご恩、忘れた日は一日たりともございません」


 曖昧な笑みを浮かべながら、アステナは暖炉の据え付けられた整理整頓の行き届いたリヴィングの真中にあるテーブルへと手を振り、自分はキッチンへ茶を淹れるために消えた。

 ここで農業をしているだけあり、彼の恰好はジーパンに白いシャツ、麦わら帽子というやや古い服装だった。これがいいのだ、一番落ち着くものが気に入っている。彼はそう言うと、まだ軍人時代から脊髄まで染みついている直立不動の姿勢で一度は玄関へ立ったものの、バルトロメオとラディスの顔を見て考えを改め、彼らを中へ招き入れたのだった。

 地上車の運転手もいる。少し年のいった男だ。薄らと禿げかかった金髪をなでつけ、几帳面な眼鏡を鼻に引っ掛けたこの曹長は、簡単な護衛任務も兼ねている。元々は宙兵隊の出身らしい。腰にはブラスターがホルスターと共にぶら下がっていた。


「ジェイス、とかいう男が、またとんでもない事をやらかしたそうじゃないか。シナノ演習宙域で武装蜂起だって?」


 手際よくコーヒーを四人分淹れながら、アステナは言う。バルトロメオは咳払いを一つして、ラディスへと目配せした。


「シヴァだけではないのです」と、ラディス。「銀河連合における加盟国情報機関からの連絡やレイズ星間連合情報省からの通達によると、既にバレンティア、アルトロレス連邦の国境宙域は帝国軍残党に主導権を握られ、シヴァ共和国内には未だに蜂起を起こした二〇〇隻の帝国軍残党と第六機動艦隊が残存、ロリアでは銀河帝国再建のために首都星系が大規模な部隊によって占領されております。また、バルハザールへ進駐していたベルンスト・アーグナー中将率いる第三機動艦隊が政治機能を掌握したと報告もありました」


「なんともまあ。隣国でも蜂起が起こったと? 天下のバレンティア航宙軍がこの有り様では、これから十年は安心して眠れないだろうな」


「非常事態である事は確かです。今やオリオン腕全域が戦闘宙域だ。銀河連合最高評議会は第二次オリオン腕大戦などと呼んでおりますが、正直なところ、僕もまったく同意見です。これは武装集団テロリストの破壊活動を拡大させただけのものとは訳が違いますよ。最早、国家規模の大規模反抗活動だ」


「それもそうだろう。と、茶が入った」


 トレーの上に四つのカップとソーサラーを載せてテーブルへとやってくる。手際よく並べていく彼へ恐縮しながら席についている三人の前に座り、さて、とアステナは居直った。


「それで、我がレイズ星間連合はどのような苦境に立たされているんだ? 君達が来た理由は察しがついているが、まずはそちらを聞いておきたい」


「我がレイズを取り巻く状況は、今しがたラディス大佐が説明したとおりです、閣下」


 バルトロメオはいった。


「幸い、情報省が躍起になってはいますがレイズ国内で不穏分子は発見されませんでした。長らく、レイズ星間連合は銀河連合加盟国の中でも独立不羈の精神が強く、外部政府の干渉を可能な限り排除してきたためです。海賊行為も先の戦争における、カルーザ・メンフィス元中佐の活躍により海賊の数は激減し、便乗しようとする勢力も無いようです」


「となると、目下の問題は外部からレイズへ侵攻しようとする外部勢力という事になるな。新聞で読んだが、星間連合議会は既にシヴァで指揮官を失った第一艦隊司令官を、昇進したそのカルーザ・メンフィス准将を据えたそうじゃないか」


「そうです。直近で言えば、我々が対抗しなければならないのは第三機動艦隊です。そのためにマットスタッド大将は再編中の第三艦隊と第二艦隊の統合を宣言、新たに特務艦隊が編成されます。あなたはその司令官へと推薦されました、アステナ・デュオ退役准将」


 彼は涼しい顔でコーヒーを啜る。香ばしい豆の匂いに反して、ラディスもバルトロメオも、ましてや曹長もカップに手を付ける様子は無かった。

 そこで、アステナはむっつりと腕を組み、考え込んでしまう。

 彼としては、ここで彼らの頼みを断るつもりだった。第一艦隊が敗北し、自分にも声がかかるかもしれないと予想してはいた。だが、まさか新たに編成される特務艦隊の司令官など、大層なものに据えられる事は予想の少し上をいっている。

 自分はどうするべきだろうか。ここ数ヶ月、戦乱や宇宙とは無縁に過ごしてきた自身の生活を振り返れば、アステナ・デュオは自嘲するしかない。何故なら、あれほどまでに退役を望んでいた自分が、いざ平凡な生活を送ってみれば物足りなさを感じている。始めのころはまだ生活に不慣れで、長い間、宇宙で働いていた後遺症の様なものだろう、そのうち治る、と期待していた。だが、今の所、彼の胸に去来するこの感情は一体何か。

 いや、しかし、自分はもう誰かの命に責任を持ちたくはない。それだけは確かだ。もう数十万将兵の人生を肩の上に乗せるのは、疲れた。自分は軍人には向かない。宇宙に恋い焦がれてはいるものの、軍務を懐かしいと思った事は無い。今回の一件も断るつもりだ。


「大佐……いや、バルトロメオ少将。私はもう軍役に戻るつもりは無い。私の才能は必要ないよ。リオもバデッサもいる。彼らならやり遂げるだろう」


 確固たる否定の意志を籠めて言う。だが、バルトロメオは根気強く説得を続けた。


「閣下、お考え直しください。バデッサもリオも、閣下の御帰還を心待ちにしています。我々だけでは、勝てません。二人はまだ艦隊を指揮できる能力を持ってはいないのです」


「分艦隊司令官なのに、か?」


「だからこそです、閣下。彼らの能力評価は私とラディス大佐で行いました。その結果には確信を持っている。二人は戦術眼、能力、共に秀でてはいますが、艦隊を束ねるためには人望と、経験が足りないのです」


 司令官という役職は簡単には出来ない。それは、戦術指揮官と比べてその仕事内容に多大な相違点があるためである。自分の部隊を指揮する点では同じだかが、規模が異なるし、戦闘目的も変わる。目の前の敵を相手にすればいいのではない。その戦闘がどのような意味を持つか、今の戦力で戦う事は可能か、勝利、あるいは敗北が与える影響は何か、命令に背かずに部下を多く生き残らせるにはどうすればいいか。

 責任とは、そういうものだ。肩にかかる重みは尋常ではない。下手をすれば、潰れる。

 思えば、バルトロメオが自分の思いを理解している筈が無いのだと、アステナは気づく。彼が軍役を終える決意を最初に打ち明けたのは、彼だった。今回のアステナを連れ戻す命令を出したのは国防宇宙軍司令官のマットスタッド大将。バルトロメオは出来る限り、アステナを軍役に戻さない様に粘ったに違いない。彼の表情に浮かんだ苦悩の色から見て取れる。

 国際情勢が、それを許さなかったのだ。最早、遊ばせておく人材などどの国にも無い。銀河は予想以上の大戦乱に飲み込まれつつある、いや、既に飲み込まれている。かくなる上は、持ちうる限りの力を用いてこれに対抗する事。


「閣下が戻ってくだされば、すぐにでも第三機動艦隊を相手取る事が出来ます。これは大きなアドバンテージです。まだ第三機動艦隊の動向は察知しておりませんが、準備をするに越した事はありません」


「そうは言うがな、バルトロメオ。俺は既に退役している。復帰した所で准将のままだ。艦隊の指揮なんてとてもじゃないが執れないだろう。あなたよりも階級が下なんだ」


「何とかする、とマットスタッド大将は仰せです。あなたなら、レイズ=バルハザール戦争の英雄として二階級は特進されるでしょう。そうなれば中将だ、階級としては申し分ありません」


「他の将官にはどう伝えるつもりだ? 俺以上の階級を持つ艦隊指揮官は他にもいるだろう」


「それが、いないのです。モントゴメリー中将も戦死なされた。参謀に指揮が執れる筈もない。もうあなたしかいないのです、閣下」


「まったくなあ。恨むならこんな時代に生まれた事を恨めというやつかな。バルトロメオ、俺は出来る限り戦いたくない。本当に、俺が戻らなくてはならない事態なのか?」


「国防宇宙軍は――」


「軍隊なんぞどうでもいい」ぴしゃりと、アステナは言った。「君の見解を教えてくれ」


 バルトロメオは目を逸らし、数瞬の間、迷った様にさまよわせた後、まっすぐにアステナを見た。いい目だ、とアステナは思った。


「私は閣下が必要だと考えております」


「成程な。それでじゅうぶんだ」


 アステナは立ち上がり、コテージの二階へと消えていった。残された三人は顔を見合わせて待つしかない。程なくして、寝室と思しき部屋を引っ掻き回す音が天井から聞こえた後、ひとつのボストンバッグを片手に降りてくるアステナの姿が現れた。頭にはレイズ星間連合国防宇宙軍の制帽を被り、再びテーブルへと戻ってくる。


「閣下――」


「今すぐにでも俺を連れ帰ってくれないか、バルトロメオ」


 アステナは肩をすくめて言った。


「英雄の御帰還だ、と言ってさ」





・アリオス歴一三二年 一二月一九日 メイル星系 レイズ星間連合国防宇宙軍司令部


 バルトロメオ少将とラディス大佐に付き添われて、一路レイズ星間連合の首都星系であるメイル星系、惑星ウィルドへと戻って来たアステナ・デュオは、その場でマットスタッド大将をはじめとする軍高官から熱烈な歓迎を受け、その日のうちに軍役復帰、中将への二階級特進と第二、第三艦隊を統合した特務艦隊司令官としての辞令もその場で降りた。


「君がいればもう安泰だ、アステナ中将」


 マットスタッドは出っ張った腹をさすりながらそう言った。彼のオフィスに、ラディスとバルトロメオに連れられてやってきたアステナは既に体に馴染んだ灰色の星間連合宇宙軍制服に身を包んでおり、制帽を脇に抱えて自分の黒髪を掻き上げた。

 手元には再編途中の特務艦隊編成表がある。なんとなく目を通していると、大将はそんな彼の様子とはお構いなしに両手を振った。


「その艦隊の名前はまだ決まっていない。君の好きな名前を付けるがいい」


「私が、ですか?」


「そうだ」と、マットスタッド。「各宙域の警備部隊は最低限を残している。こうなってしまえば、海賊への対処よりも目の前の脅威へ向けた取り組みが必要だ。既に対外的な軍事力行使の要である第一艦隊は、敗北した。カルーザ・メンフィス准将にはいちど本国へ帰還するよう指示を出してはいるが、その前に第三機動艦隊は攻め入ってくるやもしれん」


 確かにその可能性は高いだろう、とアステナは思う。バルハザール周辺国の中で最も強大な軍事力を擁しているのはレイズ星間連合だ。それに、第三機動艦隊の司令官であるベルンスト・アーグナー中将はバルハザール国内での協力を取りつけるのに苦労はしないだろう、そこが重要だ、と考える。

 バルハザールとレイズの確執は根深い。先のレイズ=バルハザール戦争もあるが、歴史的にこの二国は、そもそも完璧な友好関係を結ぶには程遠い両国でもあったのだ。それは互いのイデオロギー、人種などの問題ではなく、片や内戦、国内の混乱という事情を抱えるバルハザールと、その隣で銀河連合の援助を受けてすくすくと成長していくレイズ。どちらがどちらへ、どんな感情を向けるのかは容易に想像がつく。バルハザールの国民感情を煽って政府への協力を取りつけるにはさほど苦労はしない筈だ。そうなれば、自分は四〇〇隻弱の艦隊を率いて、遠征の疲れを知らない気鋭の軍隊を相手にせねばならない訳だ。

 バレンティア機動艦隊。この名前が持つ重みは計り知れない。銀河の守護者、という異名を聞いた事がある。人類社会を統治する実質的な最高意思決定機関である銀河連合最高評議の懐刀であり、あらゆる対外的・対内的勢力に対抗し得る最高の武力。たったいち艦隊で国家を相手取る事も可能であり、第一次オリオン腕大戦以降、抑止力として機能してきた五〇〇隻の艦隊が、レイズを狙っている。仮に、こちらへ侵攻してくるつもりが無いとしても、周辺諸国のために反乱を起こした第三機動艦隊は討ち取らねばならないし、それが出来るのは周辺宙域でレイズだけだ。


「まずは艦隊の再編、人事を進めたいと思います。時間が惜しい、今すぐにでも始めたいのですが」


 大将は微かに表情を曇らせた。あくまで実務的で、歓待を受ける立場でありながらぶっきらぼうなアステナの言葉に気分を害した。知った事か、とアステナは思う。俺には生き残らせなければならない部下が大勢いる。あんたは勘定に入っていないんだ、と言ってやらない気がしないでもなかったが、ただ黙って彼の次の言葉を待つ。


「よかろう。事態は一刻を争う。アステナ中将、退出していい」


「失礼します」


 素早く敬礼をしてから、バルトロメオ、ラディスと共に大将のオフィスを出る。その背中に今更ながらあしらわれたのだと気付いた彼の視線が突き刺さるのを感じつつも、アステナは振り返ることなくスライドドアを潜る。

 そこで、懐かしい面々に会った。


「おかえりなさい、閣下」


 リオがいる。バデッサも。二人とも、退役した時と幾分も変わっていなかった。通路の両脇を固める参謀や元部下たち、第三艦隊としてアステナと共に視線を潜り抜けて来た仲間が、その瞳に抑えきれない感情を浮かべて敬礼していた。

 背後を振り返ると、バルトロメオとラディスが知らん顔をして真正面を向いていた。アステナは思わず笑ってしまいそうになるのを堪える。この二人は高官たちによる激励の言葉やメディアが騒ぎ立てる「英雄帰還」の記事、大勢の大衆などではなく、ただ部下の顔を見せるのが一番の持て成しになるとわかっていたのだ。

 アステナはドアの前に立ち、答礼する。心の底から敬意を籠めて一連の動作を終えると、彼らも一糸乱れず腕を下ろす。

 居並ぶ顔触れはほとんど変わらない。それも当然だ、戦争終結から一年も経っていない。そんな短期間で再び命を賭して戦場へ戻ろうとしている彼ら、彼女らが、何故こうも自信を胸に立っていられるのか。相手は天下のバレンティア機動艦隊。他にも倒さねばならない敵は増えるだろう。苦境の中でも胸を張っていられる根拠とは何か。

 俺だ、と彼は気が付く。彼らは自分と共になら、地獄へでも付いてくるだろう。ここに来て、アステナは初めて、レイズ=バルハザール戦争で自分が築き上げてきた部下からの信頼を感じた。これほどまでに何かを誇らしいと思った事は無かった。胸の奥から込み上げてくる何かを堪える。

 何度か深呼吸をしてから、言った。


「行くぞ」


 いるべき場所に帰って来た、とアステナは思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ