一三二年 十一月二十三日~
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・アリオス歴一三二年 一一月二三日 シヴァ共和国領宙 シナノ演習宙域 第五機動艦隊
主に機動艦隊司令官としてするべきことは、演習に参加する二個艦隊の用いる膨大な量の補給物資、その輸送を担っている空前絶後の輸送船団を護衛することだった。
総勢二百隻。大型の輸送船が整然と陣形を組んで列を作り、常闇の中に浮かぶ灯篭めいた灯りを浮かべている。一隻が千メートル以上の大型輸送船なだけに経済巡航速度は目を見張るほどに遅い。搭載している物資の量は数十万トンを悠に超える。これほどまでの物資が恐ろしいほどの低速で輸送される訳だから、テロリスト、特に反バレンティアを掲げているであろう旧銀河帝国残党から見れば格好の標的になる。それだけでなくとも、海賊船団がやってくれば通常の警備艦艇では太刀打ちできないだろう。敵側から見ても、それ相応のリスクを負うだけの獲物であるということだ。
ジョン・テイラー大将は、第五機動艦隊が本国に残る事を善しとしなかった。ここシヴァ共和国で行われる大規模演習では帝国軍残党による何らかの攻撃があることは確実視されており、それが第三、第六機動艦隊どちらかの謀反であるという恐ろしいことこの上ない推測も既に想定以内となっている。そのためには第五機動艦隊を遠く会慣れたバレンティア領宙に留めておくことはできなかった。他のレイズ星間連合第一艦隊や開催国であるシヴァ共和国軍第一管区艦隊も参加する。どちらもバレンティアに次ぐ国力を誇る国家からの派遣艦隊なだけあって面子を保つために最精鋭を寄越してきたわけだ。
そう考えると、クライス・ハルトは旗艦アーレの艦橋で顔を顰めざるを得ない。保温容器に入れられたコーヒーを口に運ぶと、隣りで女性士官(WAVE)と談笑していたシュトゥーマ・ライオット少将が首だけをぐるりと彼に向けた。士官学校からの付き合いである彼とクライス・ハルトは現在のバレンティア機動艦隊の中でもかなり若い指揮官で、その実績は他の司令官らと比べてもなんら変わらないものの、その年齢の若さから揶揄されることも多かった。そんな中で、参謀長として友人であり戦友、さらには上司であるハルトを、この金髪の参謀長は陰ながら常に支えてきたのである。
「閣下、いかがいたしましたか」
部下の前ではライオットもけじめをつける。敬語のまま語り掛けてくる彼にはハルトも部下として接した。その姿勢が、第五機動艦隊の将兵には染みついている。公私混同はご法度だ。何故なら、彼らの指揮官が身をもって示しているのだから。
「コーヒーが思ったより熱くてな、舌を火傷しただけだ。艦長、異常はないか」
ベルファストが黒髪を揺らしながら振り返った。ショートボブが人工重力の下で長く見える。少し、彼女も伸びただろうか。
「特にありません。アーレ以下、戦術データリンクも正常に働いていますし、各艦の量子レーダーにも反応はありません。光学も同様です。複数方式による索敵を行っていますが、今の所、脅威の兆候はないと思われます」
「了解した。引き続き警戒してくれ。羊を盗まれたらかなわん」
「司令官閣下、何か起こるとお考えですか」
ライオットが先ほどの女性士官と話を切り上げてハルトの隣までやってきた。不穏な予感を感じたのだろう。ハルトは頼りになる相棒に静かに耳打ちした。
「奴らがこのまま何もしないとは思えん。外部からの攻撃には万全の態勢だが、俺なら別の方向から攻める」
表情ひとつ変えずに頷いて見せる参謀長の胆力に感嘆させられながら、ハルトは席を立った。
「艦長、少し席を離れる。何かあれば、すぐに私へ連絡してくれ」
「了解しました、閣下」
コーヒーを片手に艦橋の脇で控えている給仕当番の兵士まで近寄り、礼を言ってから容器を返却する。まだうら若い彼女はそばかすを赤く染めながら恐縮しきりで、ハルトは気にしないように命令を出さねばならなかった。
士官たちが足しげく通う通路へと出ると、誰もが敬礼をして道をあけた。ハルトは答礼のしっぱなしで、右腕がしびれる前には腕をおろし、階下へ続くエレベーターへと乗り込むことが出来た。
「エレベーターも防諜されているよな?」
「ああ、大丈夫だ」
ライオットに確認してから、ハルトは本題に入る。
「どこからやられると思う、ライオット」
「どうだろう。俺ならまず、アーレのどこかを狙うな。事を起こすには第五機動艦隊がどう考えても邪魔だ。クライス・ハルトには自分たちの息がかかっていない。第三艦隊が何も知らないだけの部隊ならば第六艦隊だけでも奇襲で壊滅はできるだろうが、後衛にいる第五艦隊はそうもいかないだろう。その前に、何とかして第五機動艦隊の中枢を叩くことが出来れば万々歳だろうな」
エレベーターの扉が開く。乗り込もうとした何人かの士官が慌てて道を空けて敬礼し、二人は手を挙げて軽く答礼しながら通路へ出た。そのまま会議室を目指す。そこならばコーヒーも飲めるし、誰かに話しを聞かれる心配も無い。
むっつりと黙り込んだまま、二人は時折クルーに答礼しつつ会議室に辿り着いた。
ライオットがすぐにコーヒーサーバーへ取りつき、自分の分のエスプレッソを淹れる。本来は戦隊指揮官までも収容できる会議室はだだっ広く、二人の声は木霊しそうなほどに空虚な響きを持っていた。
「話の続きだが、その流れだといちばん確率が高いのは、俺ということになるな」
「そうだな。敵からしてみれば、いま運んでいる補給物資に手を出す理由はどこにもない。放っておけば自分たちの物になるからな。まだ第六艦隊は蜂起していないわけだし、この物資もいつも通りに彼らの下へ届くはずだ。問題は俺達の武力であって、食い物ではない」
「ぞっとしないな。それで、俺を殺しに来るのはいいが、どんな手で来ると思う?それと、このアーレの中に本当にそんな人間がいると思うか?」
「ハルト、君はこの巨大な船の乗組員を全員把握しているとでもいうのか?」
ライオットからの指摘に、ハルトは黙らざるを得ない。
旗艦アーレはデュラ級戦闘母艦。その全長は悠に三千メートルを超える。個艦防空のための大量の武装と情報集約、解析のための演算器、それらとシステムを介して直結された超光速の多接続通信設備など、ハルトがその気になれば一隻ごとに細かな指示を出して艦隊行動を行う事もできる。戦闘母艦という艦種は二百隻がせいぜいの他国艦隊にくらべて五百隻という規格外の規模を擁するバレンティア特有の船型で、他に艦隊防空を担う、いくつかの船体をまとめた艦隊防空機能の中枢を担う艦種としてイージス艦がある。効率化のなされた巨大な艦隊を外部からの武力で破壊しようとすれば、途方もない労力と戦力が必要となる。
戦闘母艦だけでも二千人以上。それだけのクルーを把握しきるほど、ハルトの頭はよくなかった。覚えようと常に努力は続けているし、大抵の船員ならば顔も判るが、その隅々までを把握できているのかと問われれば否だ。
まさか、この船の中に敵がいるのだろうか。想像だにしなかった推測に、ハルトは戦慄した。自分の首を狙っている誰かがこの船に居れば、いったいどこから攻めてくるのかは考えたくも無い。殊、宇宙戦においては優秀な判断力と作戦立案能力を有する彼でも、こうした策謀の範疇に属することは不得手だった。そうした政治的手腕が皆無であるからこそ、彼は部下から絶大な信頼を寄せられているのであるが、今回ばかりは痛い目を見るかもしれない。
「俺達には無理だ。誰か、協力者を作ろう。今回の件について絶対の信頼を置くことのできる誰かを」
ハルトの提案に、ライオットは二つ返事で頷いた。彼も全く同じことを考えていたようで、携帯端末を胸ポケットから取り出すと、テーブルの上を滑らせてクルーたちのリストを表示した。
「一応、ここに名簿はある。選ぶのはお前の判断だ」
「わかってるさ。だが、そうだな。これを用意してくれたのには感謝するが、既に候補が一人いるんだ。前から少しは考えていたことだがな」
「ほう?ぜひ教えてもらいたいね、その相手が誰なのかを」
「とにかく、ここへ呼ぼう。彼女も既に無関係とは言えなくなりつつある」
「なるほど、それで私が」
ベルファスト大佐は不快げに眉を潜め、何の感情も読み取れない視線で膨大な量の名簿をスクロールした。次々と現れては消えていく乗組員の顔写真から判断することを諦めると、彼女は怒りに満ちた視線をハルトへ叩きつける。まるで戦艦の主砲に睨まれているような居心地の悪さを感じながら、何とか真正面から見つめ返した。
「クルーたちの中に、その帝国軍残党の息のかかった人間がいると、閣下はそうお考えなのですね」
「そうだ。今の所、私の命を奪うにはそれが最も有効な手段だと、ライオット少将も言っている。私も同意見だ。そのために、君に協力を要請したい」
「テイラー機動艦隊司令長官の許可は取ってあるのですか?」
「大丈夫だ、既にこの件に関してはある程度の自由裁量を認められている。そもそも非公式な活動だ、軍法会議にもかけられしまい。どうだ、大佐。私達に手を貸してくれないか」
「結論から言えば了解しましたが、何故、私をお選びになったのかをお教え願えませんか」
ハルトとライオットは顔を見合わせる。指名した本人であるハルトが説明することになった。
「これは私の個人的な意見なんだが、それでもいいか?」
「お願いします」
「わかった。まず、今まで仕事をしてきて君の性格は、私なども比較にならないほど整然と整っていて、高潔なものだと確信している。君は仲間を裏切らない。自分の身を犠牲にしても隣の仲間を守ろうとするだろう。それが部下であれ上司であれ、君にとっては階級は意味を為さない」
その為人において、ハルトは全幅の信頼を彼女に置いていた。それは旗艦アーレに彼が着任した当時、出迎えに現れた彼女の顔を見た時からそう信じたいと思い、思われたからだ。
当時はまだ若く、失敗も何度か犯したハルトだったが、機動艦隊司令官の重責を和らげてくれたのは親友であるシュトゥーマ・ライオット、そしてグレンシア・ベルファストだ。バルハザールに駐留している間も、二人は協力して艦隊の内と外に散在する重要な情報をまとめ、報告し、何か問題点があれば積極的に司令官であるハルトへ相談ないしは指摘した。何度か、艦橋の指揮官席でハルトが眠りこけた所を起こされたこともある。彼女の体のラインに合った灰色のバレンティア航宙軍軍服と、その上にある彼女の顔を見るたびに、不思議な安堵感を彼は覚えるのだった。
「お褒めいただき光栄ですが……私は、閣下にそのような評価をされているのですか」
ベルファストは居心地悪そうに身を捩った。何か誤解をされたことは間違いないことはハルトにもわかったが、何とも否定しきれない自分の感情にも驚きつつ、曖昧な頷きを返す。
彼女はひとつ頷くと、携帯端末をスクロールしてある人物の写真を強調表示させた。会議室のホログラフ投影装置を使って、ライオットとハルトの目の前に大きな顔写真が出てくる。
「先ほども申し上げましたが、承諾いたします、閣下。ただ、これに関しては私の裁量も認めていただきたいと思います。この、アーレ通信情報部のケンストラム大尉と保安局長のレスト少佐を交えて、改めて事態の対処を話し合いたいと思うのですが」
「構わない。二人とも知っているし、話したこともある。誠実な兵士だ」
「ありがとうございます。それでは、二人を呼んでまいりますのでお待ちください」
そういって席を立つ彼女を、ハルトは慌てて引き留めた。
「待て。君自身が行く必要があるのか?ここは戦闘母艦だぞ。いくら勤務場所がわかっているからといって、散歩がてらに探しに行くわけでもないんだ。艦内放送を使えばいいじゃないか」
「それですと、多くの兵士に怪しまれますし、この会議を行っている場所を報せる事にもなりかねません。できる限りアナログの方法で二人を呼びますので、お二人はここでお待ちください」
まだ納得できていない顔のハルトを見やり、ベルファストは母性を感じさせるほどの微笑みを浮かべた。ハルトは、彼女がとばっちりを受けて襲われるのではないかと危惧したのだ。
「お優しいのですね。大丈夫、私にはこれがあります」腰に差しているブラスターを叩く。「閣下よりは腕が立ちますから、心配無用です。それに、直接呼び出しに行った方が自然ですし、彼らの居場所ならだいたい見当が付きます」
「本当か?君の記憶力はすごいな。もしかしてクルー全員を把握しているのか?」
「ここは私の船であり、王国ですから。ああ、もちろん国王様は閣下で。私は内務大臣とでもお考えください」
それでは、とベルファストは颯爽と会議室を後にした。
翌日。
シヴァ共和国シナノ宙域の外延部に到達した第五機動艦隊と輸送船団の指揮を執りながら、ハルトは欠伸をかみ殺しつつ最後の休憩シフトに入る事にした。ライオットを食堂に誘ってみるがあえなく断られ、仕方なく一人のままベルファストに指揮を任せて艦橋を後にする。
ぶらりと通路を歩きながら、たまには食堂で兵士達と団欒するのもいいものかと思いつき、足先をエレベーターへ向ける。
「ありゃ」
広大な面積と多層構造を持つ戦闘母艦の移動手段、エレベーターが使用禁止になっている。傍で右往左往している補修ドロイドの一台を捕まえて整備員の所まで案内させると、上下に青いつなぎを着た伍長が、どうやらエレベーターシャフトに異物が混入してモーターのかみ合わせ部分に入り込んだらしいとの説明を受け、仕方なく階段を使うことにした。
こうした航宙艦の階段は非常時以外の用途を考慮されておらず、整備は中枢コンピュータで集中管理している四足タイヤ走行の多目的ドロイドが行う事になっており、基本的には無人だ。元々余分なものの少ない艦内の人気のない場所には埃すら舞うことはなく、整備や清掃の作業が集中しているのは主に人が頻繁に行き交う通路や食堂に限定される。また、張り巡らされた数億を超える整備用センサーの点検などは超小型の蛇を模した点検ドロイドが行う事になっており、徹底した効率化の図られた構造となっている。機関部が管理するこのドロイドメンテナンスシステムは非常に優れており、従来よりこうした整備など稼働率に直結する部分の機材を充実させるバレンティア航宙軍の伝統は確かにアーレにも受け継がれている。
ハルトは必要最低限の鋼材で渡された階段を降りる。食堂のある兵舎は第十甲板だ。船の中でも隔離された部分に埋め込まれている艦橋からは階段ならばかなり下りなければならない。苦しいと思うほどでもないが、少し運動不足気味の体には堪える距離だった。
そんな中、病的なまでに白く染色された階段の第八甲板と第七甲板の間にある踊場へ差し掛かった時、階下から響く足音があった。軍靴の硬い音は踊場に響き、かなり近い位置に誰かがいることを知る。
誰だろうか。ふと、踊場の真上から顔だけを出して様子をうかがうと、にわかには信じがたい光景が広がっていた。
兵士が倒れている。首に一撃を受けたのか、壁と階段には流れる血が赤い滝を作っている。その流れの下流に、ブラスターをぴたりとハルトの眉間に合わせている男の姿が見えた。顔はよく見えない。何か特殊な装置を使っているようで、わかるのはそのほっそりとした体躯だけ。
銃声が響く。乾いた音と共に銃口から荷電粒子の銃弾が飛び出て、細い穴をハルトの背後にある壁に穿った。発砲を感知して自動防衛機構が天井から小型パルスガンを吊るすが、その場にいる人間のどちらも正規のIDタグを所有していたために照準を定められず、虚しく天井の向こう側へ戻った。
ハルトは慌てて腰からブラスターを抜く。顔をひっこめる間にも男は何度も発砲して、先手を取ったあとは顔も出させまいと連射しながら距離を詰めてくる。
咄嗟に周囲に物影が無いかを探すが、ここは階段。駆け上る以外に逃げ道はなく、今の銃声を聞きつけて近くの甲板からクルーがやってくることも無い。アーレの各所に設置されているハッチは気密性が高く、艦のどこかが真空になってもハッチ自体がエアロックとして機能するように据え付けられている。
叫んで助けを呼ぼうかと思ったが、やめた。ここでみっともない真似をしたら、あの男に笑われるだけだろう。顔も見えないから笑っているか顔を顰めているのかの判断もつかないが。
手元にあるブラスターの弾倉をチェックする。エネルギーゲージは最大を示しており、意を決して安全装置を外した。
「かかってこい!機動艦隊司令官の意地を見せてやる!」
挑発に呼応したのか、男の階段を上るペースが速まった。ここまでくれば、取り逃がすことはないだろう。そう確信した時、銃口を踊場へ向けながら再び叫んだ。
「少佐、今!」
銃声が響く。パルスライフルの麻痺モードに設定された閃光が踊場へ現れた顔の見えない男めがけて飛んでいき、胴体に見事に命中した。男は踊り場の壁に背中から激突すると同時に、吹き飛ぶ前に惹いた引き金の光線がハルトの左上腕部を貫いた。衝撃が体を駆け巡り、身に着けている航宙服が血に染まっていく。
ステルス装甲服に身を包んだレスト少佐が、他の部下三名と共に隠密装置の電源をオフにする。同時にヘルメットを脱ぎ捨て、階段に力なく座り込んでいるハルトに駆け寄った。同時に大声で部下に気絶している男の身柄を拘束するように命じると、跪いて装甲服のポーチから簡易医療キットを取り出す。
「閣下、聞こえますか、閣下!」
ハルトは頬を伝う汗を無事な右腕で拭いながら頷いた。
「少佐、そんなに怒鳴らなくても聞こえているよ。それと、感謝する。ありがとう」
「何を仰います、閣下に怪我をさせては、このレスト、名誉も何もございません」
浅黒い肌をした小柄なレストは、ハルトの左腕から軍服をはぎ取ると、綺麗にレーザーが貫通した小さな穴に医療ジェルを塗りたくり、ガーゼを当てて包帯でグルグル巻きにした。激痛にハルトは顔を顰めっぱなしで、応急的な手当てが済む頃には保安装置の警報を聞きつけたベルファストとライオット、さらには複数の憲兵が階段へと雪崩れ込んできた。最初にハルトに飛びついたのはベルファストで、彼女はレストが施した応急処置の跡をさっと一瞥すると命じた。
「レスト少佐、部下たちに仕事をさせなさい。アーレ全艦に第一級戦闘態勢を発令、閣下が負傷なされた、しかし命に別条はないことも通達。不審な行動を起こす乗組員がいれば即刻拘束せよ、ただし殺してはならない、と」
「了解しました」
レストは適当な憲兵を見つけて指示を与え始め、同時に駆けつけてくる兵士たちにハルトの周囲を固める様に命じた。そんな喧騒の中、ハルトは傍らに立つベルファストにいう。
「すぐ下に、誰かの死体がある。きっと、無関係の兵士だ。彼の遺体を……」
「かしこまりました、閣下。ですがその前に、あなたは医務室へ行ってください。荷電粒子はその熱と衝撃で想像以上のダメージを与えます。誰か、軍医を!」
そこからは目まぐるしい展開となった。レストが指揮を執ってアーレの全乗組員に臨戦態勢が敷かれ、憲兵が船のあちこちを駆けずり回った結果、その後の一時間で三人の不審な乗組員を拘束、彼らは営倉へ送られた。その間にハルトは大勢の憲兵に護衛されながら医務室へと隔離され、軍医が本格的な治療を施し始めていた。
「失血量が多いですが、命に別条はありません。応急処置が功を奏したのでしょう。大丈夫、元通りになりますよ」
「ありがとう。ま、骨の髄まで火が通らなかっただけでも感謝するべきかな」
鎮静剤の投与でそんな軽口を叩く余裕まで生まれ、左腕の治療をすっかり若い軍医に任せたままベッドに横になっているハルトの横では、険しい顔をしたベルファストと、戦々恐々とした体のライオットが控えていた。まだハルトの周囲には憲兵が散らばっており、完全武装のまま周囲に目を光らせている。物々しい雰囲気の中、鎮静剤のせいかぼんやりとし始めた頭が勝手に言葉を紡ぎだしていた。
「よう、調子はどうだ、ライオット少将」
「すこぶるいいですよ、司令官閣下」
「ベルファスト大佐は?艦長、何かあったか?」
「閣下、現在までで三名の不審な人物を拘束しております。乗組員たちはあなたが襲撃されたことを知るや否や、血眼になって船内を捜索し始めました。彼らはあっという間にその三人を引きずってきました。まだ聴取はしておりませんが、IDが偽造されており、そのため保安システムも働かなかった模様です」
「なるほどな。だが、もう大丈夫だろう。脅威は去った」
ベルファストは憂鬱な表情で、ライオットは呆れたと言わんばかりに目玉を回して、そのまま軍医の治療を見守っていた。三日は絶対安静との診断を伝えると、彼はそのまま奥に引っ込んでいき、憲兵たちも見るからに緊張を解いていた。まだ警戒態勢は続いているものの、アーレの全システムと兵員を駆使した不審人物捜索は大詰めを迎えており、既に驚異の兆候は完全に消え失せている。念のために爆発物などの設置も確認されたが、そうした時限的な仕掛けも施されていなかった。人を送り込むことはできてもそうした危険物資までは持ち込むことが出来なかったようである。
しばらくすると、ベルファストはライオットをちらりと見やった。彼はその意を汲んで医務室から去り、中でうろうろしていた憲兵たちをまとめて通路へ追い出すと、静かにハッチを閉じた。
「閣下、申し訳ありません。その怪我は私の責任です」
医務室にライオットとハルト、彼女だけになるや否やそう謝罪した。彼女は沈痛な面持ちで、ハルトの左腕を見つめている。
「責任を感じているのか、大佐?」
「はい。今回の件は、私が気付いて然るべきだったのです。あの三人、いえ、四人が乗船した時点で気付かなければなりませんでした」
「無理も無い。アーレには二千人以上のクルーがいる。これが普通の戦艦や駆逐艦だったならば、すぐに誰かが気が付いただろう。これだけ人数が多ければ顔を合わせないクルーも多い。そこを利用して、敵は工作員を送り込んだ。君を欺いたのは彼らで、君に落ち度はない」
「ですが――」
「何も言うな、大佐。察してくれ。私は――俺は、君を責めたくはない」
ベルファストは息を呑み、小さく敬礼すると、そのまま医務室を出ていった。
ハッチが閉まると同時に、ライオットが茶化す様に口笛を吹く。
「ハルト、いつからそんなに彼女を口説くようになったんだ?」
「さあな。だが、自分でも知らない間に惹かれている事もある。引力ってのは、大抵、引かれる側のことを考えないもんだ」
そのまま、ハルトは眠りに落ちた。
彼は疲れていた。
 




