一三二年 十一月八日~ ②
先日、アップしようとしたら三千字ぶんが吹き飛んでいました…
なので、日曜日の午前中にアップする事にします。もしかしたら定期化するかもしれません。
携帯端末がホップアップした画像ファイルを開くと、ジュリー・バックの顔に笑みが広がった。あの堅物で知られているリガルが女性陣と水球に興じている場面など、一生に一度、見られるかどうかというプレミアものだ。抑えようのない笑みを浮かべながら端末の画像をスライドさせていく彼女の左右からロドリゲスとリディが覗き込み、フィリップ・カロンゾからの報告に目を輝かせた。勿論、男のロドリゲスは女性陣、女のリディはリガルを見て、である。
ジュリーの正面に置いてある安楽椅子に腰かけている紫色の美男子、ハンスリッヒ・フォン・シュトックハウゼンは穏やかな微笑みと共に妹を眩しそうに眺めた。
「どうしたんだい、ジュリー。何かいいことでも?」
「兄さん、これ見てよ。あのリガルが、セシルとキャロッサ、アキと一緒に遊んでいるのよ。しかも水着を着て。どう思う?」
ハンスリッヒは目を丸くし、妹の差し出した端末を受け取った。表示されている画像ファイルを見やるが否や、弾ける様に破顔した。
「いやいや、これは。リガルのことだ、この三人のうちの誰かに無理矢理ひきずりだされたんだろう。彼自身が積極的に参加を表明したとは思えないな」
「まったく同感です。そこがいいと思ってたのに」
リディがそばかすの散った顔を綻ばせながら言う。ジュリー・バックが去ったコンプレクターで副船長を務めている彼女と、白兵戦団の長を務めているロドリゲスが、代表としてここまでやってきたのだ。コテージで長く思い出を語らって空白の時間を埋め合わせた四人は、次いで今のアクトウェイについて話し込んでいるところだった。フィリップ・カロンゾの気遣いは絶妙のタイミングだったといえる。
ロドリゲスが目を白黒させながらいった。
「それにしても、お嬢。アクトウェイには美人しかいませんね。電子新聞の表紙を一年連続で飾れるくらいだ」
「あら、ロドリゲス。それは私も含まれてるの?」
彼は恐縮しきって、共に宇宙に上がった時からの付き合いである彼女に向かって手を振った。
「当たり前でさぁ、なんてったってお嬢がイチバン。好かれる男が羨ましくて仕方がありませんぜ」
「フフ、ありがとう。お世辞として受け取っておくわ」
「ロドリゲス、私にも同じことが言える?」ふくれっ面でいうリディの肩を、がっしりとした体つきのロドリゲスは愉快な笑みを浮かべて叩いた。
「勿論だぜ、リディ。お嬢がいないコンプレクターではお前さんが一番だよ」
「世辞として受け取っておくわ」
笑みが広がる一同の中で、ハンスリッヒが重たい口を開いた。彼にとって、妹と話さなければならないことはまだあったのだ。
「ジュリー。リガルはこれからどうするつもりなんだ」
場が水を打ったように静まり返る。端末を閉じて、ジュリーは着ているドレスのポケットに仕舞い込んだ。爽やかな黄緑色のワンピースから露わになった美しく長い脚を組んで、真剣なまなざしで兄を見つめる。
「わからないわ」彼女の言葉に、ハンスは落胆の色を隠せなかった。「本当よ、兄さん。最近、リガルの考えていることがわからない。アクトウェイに乗り込んでからまだ半年と少しだけど、彼のやろうとしていることは大体、察しがついた。あれほどまっすぐでわかりやすい性格の人もいないと思うし、そこはみんなも納得するでしょう?けれど、今回はまるで違う。リガルにとっても理解できない出来事が降って来て、それはジェイスという男として現れた。正直、イーライもフィリップも困惑してる。みんな困ってる。今まで、アクトウェイはリガルという船長に頼ってやってきたのだと実感せざるを得ないわ。私も他のクルーも、自分の腕には自信があるけど、彼がいなければアクトウェイは動かない」
「イーライ・ジョンソンはどうだ?彼だって、一度はアクトウェイの指揮を執ったんだろう?上手くやったみたいじゃないか」
「ゴーストタウン宙域ではね。けれど、あれはイーライも言っていたことだけど、いずれリガルが帰ってくるという確信があったからこその団結なの。ある意味での忠誠心を、私達はリガルに持っている。それこそがアクトウェイの力の源。アキだって変わらない筈だわ。いや、とりわけ彼女はリガルと深い部分で結びついているから、私達以上に深刻かもしれない」
ハンスリッヒは納得したように頷いた。
「だろうな。詰る所、私は彼に負けるべくして負けたということだ。あの時はいい線いっていると思っていたが、これがなかなかどうして、時が経つほどに自分の増徴具合に辟易するよ。彼は才能だけじゃない、何か研鑽された経験でしか説明しようのない勘と、落ち着きを持っている。それこそがリガルという人間の強みであると思っていたが、どうやら違うようだ。彼の力は求心力。君達、アクトウェイのクルーをひとつに束ね、それを駆使する事こそが彼の才能だったんだ」
リガルという個人を例えるならば、それは英雄以外に無い。そうイーライ・ジョンソンが漏らしていたのを、ジュリー・バックは知っている。他のクルーも同様だろう。あのカルーザ・メンフィスでさえ、同様のことを本人に吹き込んだという。ハンスリッヒも、同じ感想を抱いたのだろうか。
隣りで話を聞き込んでいたリディが口を開く。
「でも、ハンス船長。私らはあなたが一番だと思う。誰が何と言おうと、コンプレクターの船長はあなたか、ジュリエット嬢しかいません。自信を失くすことはありませんよ」
「ハハハ。ありがとう、リディ」
「それにしてもハンス船長、お嬢と和解したからには、そろそろ身を固めるべきじゃありませんかね。いや、何も船長に限ったことでもないか。うちの船の連中は色恋沙汰が少なすぎると、常々思っていたんですよ」
ロドリゲスの言に方々からの批判が殺到する。お前はどうなのだという意見に、彼は肩を竦めながらもごもごとある女性の名を呟いた。コンプレクターの白兵戦団、そのうちの一人である女性クルーの名前に驚きの声が上がる。そうなればハンスリッヒもリディもぐうの音も出ず、ジュリーはさりげなく携帯端末を懐に仕舞った。それを目ざとく目の端で捉えていたハンスリッヒが悪戯っぽい笑みと共にいう。
「ジュリー、君の想い人とやらを聞かせてもらいたいな」
ジュリーは厳しい一瞥を兄にくれた。彼女が何か言いかけたその時、部屋の扉がノックされる。コテージのボーイかと思い誰しもが振り返ると、意外な人物が戸口から顔を出した。
「フィリップか。どうかしたのかい、そんな大荷物で」
ハンスが目を丸くして尋ねる。フィリップは大柄な体にも過剰に思えるクーラーボックスを両手で持ち、重そうに引きずりながら部屋に入ってきた。ロドリゲスが手伝いに走り、男二人でプラスティック製の箱を部屋の中央まで持ってくると、彼は中を開いた。そこには保冷剤で冷やされた瓶ビールを取り出す。イーライが勧めた銘柄で、パールバティーでも有数の美味さだと噂の酒がクーラーボックスの中に顔を並べていた。歓声を上げる一同に、フィリップは半ば日に焼けた顔をほころばせる。
「そろそろ喉が渇くころだと思ってな。思い出話には酒が一番だ、ここにはイーライの野郎がかき集めた至高の一品どころか、三品も四品もある。ああ、そうだ。ハンス、お前さんは強いのがいいんだって?ロドリゲスにこのあいだ聞いたんだ。この中に俺のセレクトしたワインとバーボンが入ってる。すぐわかる筈だ」
「これはなんです?」リディがビニール袋を摘み上げると、フィリップは彼女から袋を受け取って中身を披露した。
「こいつはここら近辺で取れた魚介類の干物だ。シヴァ共和国には旧地球のニッポンという島国に住んでいた民族をルーツとする人種がたくさんいるらしい。これかれらの伝統食だ。そこにキッチンがあるだろ、あそこにあるバーベキューセットでも使って炙るんだ。味が出て美味いぞ、酒の肴には最高だ」
仕上げに酒の種類に合わせたグラスセットと氷をガラスの器に盛って並べていく。気の利きすぎる彼に向かって、ジュリーは不敵な笑みでいった。
「フィリップ、相変わらずさね。あんたも一緒に飲むかい?」
「いや、俺は戻る。イーライが寂しがるんでな。あいつはいま、一人で悶々とキャロッサの水着姿を見てるよ。リガルは相変わらずいじめられてる。少なくともどっちかに助太刀せにゃ」
「ハハハ、あいつらも苦労が絶えないねぇ。そんじゃ、私もあとで行くよ」
「ああ、そうしとけ。それじゃな」
フィリップは大柄な体をひとゆすりして、顎髭を撫でながら部屋を出ていった。呆気にとられているコンプレクターの面々を前に、ジュリー・バックだけが慣れた手つきでビールの栓を開けて一口煽る。爽やかな炭酸と麦の香りが口腔に広がり、海風と相まってたまらない旨味を引き出した。悦に浸っている彼女へ向けて、ハンスリッヒが感心したようにつぶやく。
「フィリップはいつもああやって気を使うのか?まるで看護師かと思うくらいだったが」
「ん?ああ、あれがいつもの彼よ」
「君だけにか?」
ジュリー・バックはそこで手を止め、兄に向かって会心の笑みを浮かべた。そこで微笑みではなく、してやったりとした感情を出す事実が、彼女をジュリー・バックたらしめているのだと実感せざるを得ない程に。
「どうだかね。あいつはいつもあんなんさ。たとえリガルにも、セシルにも同じ態度だったって、私は構わないさ。
そう、極端な話。宇宙がひっくり返ったって構いやしないよ。あいつがそこに在るんならね」
そう語を結び、彼女は豪放磊落に瓶を乾かした。
・アリオス歴一三二年 一一月二〇日 レイズ星間連合宇宙軍 第一艦隊
ふと旗艦スペランツァの広々とした通路を振り返ると、どうにも難儀な顔をした上司の顔を見とめて、リズ・ブレストン少佐は小首を傾げた。いつもは快活に振る舞い冗談さえ口にするほど余裕を持った人格者である彼が、艶の無い髪の毛を右手でぐしゃりと掻き上げながら左手に持って携帯端末を見やり、ぶつぶつと何かを呟いている。これは重症だ、と彼女はゆっくりと彼に近づき、これ見よがしに敬礼した。
「メンフィス大佐、いかがいたしましたか?」
「え?ああ、ブレストン少佐。いや、なんでもない。少し……いや、多大に厄介な問題を抱えてしまってな。困ったものだよ」
言いつつ、彼は答礼もおざなりに傍を通り抜けようとする。素早く通路の両端に目をやって誰もいないことを確認すると、リズ・ブレストンは思いっきりカルーザ・メンフィスの前に飛び出て、立ちはだかった。突然の彼女の行動にカルーザは驚くばかりで、手に持っていた携帯端末を危うく落としかける。
「お願いですからシャワーを浴びてください。そして身なりを整えて。あなたはこの戦隊の指揮官。しっかりして頂かなければ困ります」
彼はそこではたと自分の身なりに気付いたのか、突然顔を赤らめて俯いた。集中すれば周りが見えなくなる癖はいつもと変わらないのだが、それ以上に深刻な問題を抱え込んでいるのであろう彼の右手に手を伸ばし、やがてひっこめた。代わりに近くの壁面に埋め込んであるコンソールまで歩いて最寄りの洗面所を検索すると、カルーザの手から端末を取り上げてホログラフの前に翳した。位置情報が瞬時に無線通信で端末へと移り、リズ・ブレストンが一度確認をしてから彼に手渡す。
ここ数日の彼の挙動はおかしくなっていくばかりだった。シヴァ共和国領内でバレンティア航宙軍やシヴァ共和国軍など、銀河連合軍各国が保有する宇宙軍を対象にした大規模合同軍事演習を前にした彼は、レイズ星間連合軍第一艦隊の派遣を心より喜んでおり、自分の腕の見せ所だと勇んでいたものだが。
まだ出会って一年も経ていない割には、自分はこの上官のことを理解している方だ。リズ・ブレストン少佐には苦い思いと共にその確信と自信があった。カルーザ・メンフィスという男は、転属の辞令を受け取った時点で彼女自身が行った情報収集によると「公私両面で二枚目」という評価に違わぬ人物であったが、その根底にあるものが宇宙に数億人はいるであろう同じ類の美形・秀才とは一線を画すものである事に彼女は気づいていた。それには時折、彼が語るリガルというかのレイズ=バルハザール戦争で勇名を馳せた放浪者を引き合いに出すところからも察しはつく。よく電子新聞はリガルを英雄の再来と呼ぶが、カルーザ・メンフィスもそう呼ばれるに足る才能の持ち主であり、その実力の源は彼の放浪者に対する憧憬からくるものなのだ。宇宙をあまねく訪問したい、その探求心と自らが舵を切って虚空を突き進んでいく誇り。その二つに魅了され、それこそが自分の良きる意味なのだと錯覚した馬鹿な男の一人がリガルであり、カルーザなのだ。
リズ・ブレストンには彼の気持ちがわからないでもなかった。星の海を渡りながら有意義な仕事をするために軍に入った彼女は多くの宇宙の住人と関わってきたし、彼女自身にもこの漆黒の虚無に対する憧れを抱いている節があったからだ。あくまでそれはわからないでもない程度の話であったのだが、この金髪の青年の下に配属された時、どうしようもなく一途にその夢を追い続けている人間が目の前にいる事を悟り、以来、彼女でもどうかと思うほどこの男が心配でたまらないのだった。
「すまないな。君にはいつも世話をかけてばっかりだ。仕事も私用も、少しは自立した大人になれるように努力するよ」
面目無さそうにカルーザは言い、端末に表示された地図を見ないままそれを軍服のポケットへと滑り込ませるとせかせかと歩き出す。自分の醜態を一刻も早く修繕したいのだろう。その意気はわからぬでもないが、ブレストンはそのまま彼を行かせる気は無かった。彼の隣に無理矢理、歩調を合わせてつかつかと歩み寄ると、広大な旗艦内部を地図も見ずに歩いていく上官にいった。
「大佐、何か気になる事でもおありですか。数日前からずっとこの調子です。二日後にはシヴァに到着、その五日後には演習ですよ。集中して頂かなくては困ります」
「わかっている。だが”そんなことには構っていられない”……いや、失言だったな。とにかく、君には関わりの無い事だ。詮索する必要もないし、あまつさえ手を貸そうとは思わないでくれよ。君が心配せずとも軍務は怠らないし、やることはやってる。文句は無い筈だ」
「ならばせめて、如何様な問題かをお話しいただけませんか。兵士たちの口に戸は立てられません。指揮官たるあなたが不安定な様子――つまり、今みたいな様子のことです――では、兵士達も心ここにあらずという状態になりましょう。そうなれば演習で事故の可能性も増えます。もしそれで危害を被る仲間がいるのなら、どうするおつもりですか」
カルーザは黙り込み、やがて曖昧に頷いた。苦虫をかみつぶした表情で歩調を和らげ、男性用洗面所の前で立ち止まったまま彼女を振り返る。
「わかった。で、何が聞きたい」
こうなっては彼女も引き下がるわけにはいかなくなった。腰に手を当てて梃子でも動くまいと不退転の決意を固める。なんとしてもこのぼんくら上司を厚生させなくては。これは第三七七戦隊の危機だ。救えるのは自分しかいない。
「どれほど重要な問題ですか。つまり、あなたにとって」
「命よりも重要な問題だ」カルーザのまじめ腐った即答に、ブレストンは怯んだが、負けじとその瞳を見つめ返した。
「この戦隊よりも重要な問題ですか?」
「大事だと思う。だが、君達も同じくらい重要だ。だが、だからといって君個人に打ち明けたところでどうにかなるような問題でもない」
「というと、プライベートな問題ですか。呆れました、そんな人が上司だなんて」
「何を言ってるんだ、君は。公私混同など俺がする筈が無い。俺個人の問題ではないよ。言うなれば、そう、みんなの問題だ。この船、この艦隊、この銀河の問題。どういう意味かおわかりいただけたかな、少佐」
「そんなふざけた――」
言いかける彼女の語尾に被せる様に、カルーザはぴしゃりと言った。
「忠告に感謝する、ブレストン少佐。進言通りに私の生活態度の改善には善処する事とする。以上だ。下がってよろしい」
ブレストンは一頻り彼の顔を睨み付けると、勢いよく敬礼をして踵を返した。長い黒髪を弾かせながら通路の奥に彼女が消えたことを確認すると、カルーザは多大な罪悪感を引きずりながら洗面所へ入り、置いてあった髭剃りと温風機の後ろにある大きな鏡を見つめた。確かに、リズ・ブレストンの言う通りこの姿を部下が見たのならば動揺するだろう。シャワーでも浴びた方が早い事に思い当たって、自室へ向かって暗記した通路の地図を遡っていく。
まったく、リガルもとんでもない問題を寄越してくれたものだ。携帯端末のメッセージ欄、その一番上部にある最高レベルの保安プロトコルをかけられた内容を読み返しながら、カルーザ・メンフィスは頭痛を抑えるべく目頭を揉んだ。内容は、史上最大の宇宙的武装蜂起の内容を示唆するものだった。今回ばかりはリガルの正気を疑った彼だったが、リガルは旧銀河帝国軍残党をまとめ上げているジェイスという首領格の男との対談を証拠として綴っている。添付された動画ファイルにはその男の顔写真と、会話内容までもが詳細に記録されていた。
こうして、カルーザ・メンフィスは後の歴史において重要な役割の一端を担う人物として知られることになるのだが、彼自身はそんなことは意識の外の外、別の因果系にある出来事としてしか認知できていなかった。
つまり、知る由も無かったのである。




