一三二年 十一月一日~ ②
「総員、戦闘配置。砲門開け。いつでも火蓋を切って落とせるように備えろ」
臨時に副長を務めていたイーライが目を見開く。艦内通信は外に漏れる心配はないが、あの気に食わないリガルと瓜二つの外見をしたジェイスという男を公然と攻撃しようとしている彼の言葉に、イーライも他のクルーたちも、戸惑いの中で互いの顔を見合わせるしかなかった。
彼らの知っているリガルという男は、こんな焦燥に満ちた声色をした青年だっただろうか。それほどまでの脅威をあの男に感じたという解釈が自然と思われるが、今回ばかりはアキも驚いて眉を吊り上げているから、彼女の想定し得るかのような事態ではないのだろう。だとすれば、本当にリガルがあの男の登場に面喰い、動揺しているということなのだろうか。少なくともイーライには想像できないことだが、宇宙は理不尽と不条理で構成されているようなものなのだということは、もはや放浪者の間では鉄則とも言える心構えだ。それを楽しむ輩も多いが、生憎な事にアクトウェイに乗り組む人間と機械の中で、そのような頭のネジの外れた者はひとりとしていない。
「セシル、あの船との相対位置は」
即座にコンソールを叩き、彼女は表示されたデータを読み上げた。
「五万キロ、まだ遠くなる。でも、追いつけない距離ではないわ。恐ろしく早いけど、まだ経済巡航速度だと思う」
「船長、まで追いつけます。追跡しますか?」
「すまないが、頼む。一刻も早くそこへ戻るから、それまでは君が指揮を執って奴を追ってくれ。四万キロ以内には接近しない様に、PSA装甲は常に最大だ。攻撃を受けても無暗に反撃するな。直撃は絶対に避けろ。いいな?」
「アイアイ。これより追跡行動に移ります」
「頼んだ」
それから通信が途切れると、イーライは指示を下す。緊急発進、速度を目標艦と同調。砲門閉じたまま、しかしエネルギー充填は怠らず。レーダーは常に監視、目標距離を逐次概算しつつ、距離補正の指示を航海長へ報せよ。警戒を厳に、PSA装甲、及びダメージコントロールは最高レベルに設定。
アクトウェイのプラズマ反動エンジンが唸りをあげる。イーライは船長席の上で滝のように流れていくデータ表示を斜め読みしながら、一瞬だけ振り返り、艦橋の半球形をした全天ディスプレイの隅に写る大きな緑の星を見やった。
さらば、わが故郷。その言葉を口の中で呟いた時、自らが放浪者なのだと、イーライは初めて意識した。星の上で育った自分にとって、家とはまさに自分の家だ。あの草のにおいのする風の中で育まれた自分の少年時代は、きっとこの宇宙に出るための必要な一歩だったに違いない。そう確信を抱きながら、イーライは目の前の白い船の追跡に集中する。
軍艦の機動力は大きさに反比例するのが常識だ。例えば駆逐艦と戦艦だったら、速度性能は戦艦が勝るが、機動性では駆逐艦も負けてはいない。巡洋艦はその折衷案ともいうべき艦種で、戦艦並みの攻撃力と防御力、速度性能と、駆逐艦並みの機動力に加え、ありとあらゆる状況に対応できるように様々な能力も付与された万能艦として設計されることが多い。ここ数百年間で、宇宙船の戦闘は様々な様相を呈してきたが、今では高精度のセンサー、兵装もエネルギー兵器とミサイルに限定され、PSA装甲の台頭により、レイズ=バルハザール戦争でアクトウェイが見せたものに代表される従来の機動戦より、集団で確実に動きながら、正面から撃ちあって敵の装甲を削り、有効打を与えるという戦法が主流となった。
そうした中で、軍艦の性能は軽視されがちである。個々の性能が低くとも、ある程度の水準さえ確保してしまえば集団先頭における優劣は指揮官の判断によっていくらでも挽回が聞くからだ。
もちろん、性能がいいに越したことは無いのだが、用いる兵器の技術水準がほぼ横ばいになっている現代では、意味合いとしては小さい。今後の行き詰りつつある兵器開発において、進むべき方向性は二種類であると推察されている。
ひとつは、従来の兵器の戦略的、戦術的役割を変化させるほどの存在感を示す新型兵装の開発。例えばミサイル自体に跳躍機能を付ける、などというものだ。しかし、これはミサイルの内部容積的に、実装するならば最低でも駆逐艦サイズになるだろうという報告が既にバレンティアをはじめとする各国宇宙軍でなされており、一発のミサイルのために駆逐艦一隻分の資源と資金を消費し、精々撃沈できるのは一隻という結果は費用対効果に置いて最悪を極めている。
もうひとつは、既存の兵器のさらなる改良だ。それぞれの持つ性能を底上げすれば、いち戦闘単位における敵側への優劣に無視できぬ影響を与える。だが必須要素ではない。
「何よこれ」
セシルが不快感も露わに呟く。ちょうどその時、艦内を全力疾走してきたリガルが艦橋ハッチの開き切る前に体を滑り込ませてきた。息を整えながら前の開いたままの航宙服を直す素振りすら見せないまま、立ち上がって一礼したイーライと入れ替わりに船長席についた。彼はそのまま砲雷長席へと歩み寄り、フィリップとセシルの間に腰を下ろした。
「報告してくれ。現状はどうなっている」
「敵は――」
「私が説明しましょう」
珍しく割り込んできたアキに、誰もが等しく一瞥を投げ、そして頷いて自分の画面に視線を戻した。この中で最も状況を俯瞰的に見れているのは彼女だからだ。セシルには敵の位置や動き、フィリップには機関の調子しかわからない。専門的な知識から鑑みた事細かな状況説明はできるが、今は時間を無駄にするべきではない。簡潔でまとまった情報を、今すぐ彼に提供することが最善なのだ。
クルーたちの顔に浮かぶ緊張や動揺の色を微塵も見せることなく、アキは説明し始めた。その様子を見つめていると、リガルの心も落ち着いていくようだった。
「敵船は実に巧妙な航路を選択しています。パールヴァティー星系は周辺に小規模ですが小惑星帯があり、恒星を中心としてほぼ円形の軌道を描いています。
ジェイスはこの小惑星帯に、内側から突入傾斜角三二度を以て進入するようです。このままの位置取りでは慣性航行に移行した場合、量子センサーモジュールは役に立ちません。光学追跡も不可能な上、敵はこちらが追跡している事を知っていますから、機雷の可能性も考慮するとこの後の追跡は困難となります。
さらに、突入前に攻撃を開始したとしても敵の回避機動は独特です。あの船は信じられないほどの数の姿勢制御スラスターを備えています。あの船体の大きさからみて、相当な出力の管制補正装置も積まれているでしょう。結論から言って、ここで正面切って戦闘を開始しても確固たる勝機はありません」
「指をくわえてみているしかないとでも?ここで奴を仕留めなければ、何千万人が死ぬんだ。ここで彼を殺す。これは俺の務めだ」
「ジェイスが私を知っていたからですか」
一瞬の沈黙。その間に、音が聞こえるほど張りつめた空気を感じ取ったクルーたちは、集中を僅かに乱した。それほど、リガルの怒気は背中越しに伝わってきていた。
「今は、そんなことを議論している暇はない。あの男を逃がせば大勢が死ぬ。理由なんて、それで十分だ。アキ、君はそれを止めたいのか、止めたくないのか、どっちだ?」
再びの沈黙。その間、彼女が何を思ったのかは知らない。だが、リガルが後悔を感じた時には、彼女は無機質に過ぎるほどぶっきらぼうで、丁寧な口調のまま答えた。
「もちろん、止めたいと思います、リガル船長」
「――なら、いい。席に戻れ。これからは激しい機動を行う事になるだろう」
一礼し、アキはオブザーバー席へと戻った。その隣に座っているキャロッサが、不安げな瞳で彼女を見つめる。既に画面に見入り、リガルに周りの声など聞こえない事を承知しながら、彼女はキャロッサへと微笑みかけた。
「大丈夫ですよ、キャロッサ。少し気が立っているだけでしょう。これが終われば、元に戻ります」
半ば口を開きかけ、思い直したように頷いた。彼女は思ったのだ。それは、自分に言い聞かせているだけではないのでは、と。
そんな事もつゆ知らず、リガルは胸の中に渦巻く胸糞の悪さを吐き出すように、一度だけ大きなため息をついた。そうすることで、自分の苦悩の全てが自らより抜け出ていくとでもいうように。それから、手元にあるホログラフの位置を調整してアキの伝えたデータを再確認すると、指を鳴らしながら、彼方に見える純白の船を睨み付けた。
確かに、化け物じみた出力のスラスターが慌ただしく吹かされているのが小さくワイプされた拡大映像でも確認できる。この距離ならばほぼタイムラグは無いとみていい。砲撃も光学機器を主に照準をつけ、発砲すればいいだろう。ミサイルも同様で、相対速度はほぼ零なままだから、理論上はミサイルのカタログスペックを最大限に発揮して攻撃できる。PSA装甲の面から見ても、こちらは正面を向けて正対しているのに対し、ジェイスは船に尻を見せ続けている。純粋な装甲防御の観点から見ても、この位置取りはアクトウェイに有利なように思えてならない。
さて。
「アキ、シヴァ共和国軍に連絡しろ。緊急回線で警備部隊を通じて、ニコラス・フォン・バルンテージ氏誘拐のテロリストグループ、その頭目を追跡していると言うんだ。セシルはその間、イーライに照準用のデータを生で届けることを忘れるな。フィリップ、PSA装甲は最後部のエネルギーをそのまま他の部分へ回せ。イーライ、砲門開け。いつでも発砲できるように備えろ。キャロッサ、俺たちがどんな怪我をしてもいいように準備を。ジュリーはこの相対位置を常に保て。回避機動はこちらから指示するが、間に合わない場合は独断で回避しても構わん」
リガルは両手を打ち鳴らした。
「ここで仕留めるぞ。無力な市民を殺させる訳にはいかない。いいな?」
「了解」
揃った返事が返ってきて、彼は満足げに頷く。
この時点ではまだ、彼の頭の中に負ける未来は見えていなかった。
しかし、ここまで来て引き返す訳にもいかない。
「砲撃開始。初撃から当てていけ。反撃に留意」
「了解。撃ち方始め」
イーライがコンソールのボタンを叩くと、微かな反動と共にアクトウェイのエネルギービームが虚空を貫いた。僅かなタイムラグと共に純白の船を捉え、正に完璧な初弾命中。セシルの正確なデータとイーライのそれに命中させる腕がかみ合わさった妙技だが、あざ笑うかのように船はひょいと身を避け、十二本の光の槍は彼方へ消えていった。
正に発砲は完璧なタイミングであったはずだが、第六感的な何かが働いているのだろうか。末恐ろしい想像だが、そういった直感という非科学的なものに長けた放浪者は多い。リガルがそうであるように。
ふと思う。ジェイスは自らと全く変わりない相貌を有していた。白と黒を反転させたかのごとく。
再び、リガルは全天ディスプレイに表示されている敵船の動きを見つめる。
やはり、そうだ。敵はこちらの性能を把握している。砲口部に充填されたエネルギー量が跳ね上がる、つまり発砲の直前になると、それまで描いていた軌道から直角に折れる様な三次元軌道をとっている。これでは発砲した瞬間に、まるで先読みされた様に感じるのも納得だ。重巡洋艦クラスの主砲ならばそのエネルギー量は通常の武装商船などに搭載されるそれと比べて、非常に高いエネルギー量を示す。適当なセンサーを用いればそれを観測する事は可能だろうが、空間に散在するエネルギー量を精密に計測するセンサーなど、それこそバレンティアの国防技術開発局でようやく提唱され始めたような概念だ。テロリストにそのような技術がある筈が無い。しかし現実にはあれほど高性能の船を用いているし、バルハザールに無人艦隊を二〇〇隻も譲渡しているとなると、何かしらの技術的裏付けのある大規模な造船工廠を有している可能性は高い。
これはますます重要性の高い戦いだ。
再び手法が火を噴く。一定の間隔から、時折ずらされた本命の一撃が加えられるが、その悉くを、あの白い巨船は身軽に躱していく。イーライは額に汗を浮かべ、まだ五分ほどにしかならない一方的な、しかしどちらが有利なのかは測りがたい攻防に終始していた。今の所、敵からの反撃は無いのだが、こちらの砲撃は全てが回避されている以上、状況は芳しくない。むしろ、こちらの方が劣勢だ。ジェイスは小惑星帯から身をくらませばそれでいいが、リガル達は彼を撃沈しなければならない。
「船長、ミサイルの発射許可を」
イーライが食いしばった歯の隙間から絞り出すように言う。これまでの彼の砲雷長として申し分のない働きをしてきたという誇りは、この数分でずたずたに引き裂かれていた。気遣う余裕も無く、リガルは頷く。現状では打開策が無いのも事実だ。
「許可する。初撃で様子を見ろ。第二射で斉射をかける。奴の動きをよく見ておくんだ」
頷き、イーライは用意していた追尾プロトコルをミサイルに入力、即座にホログラフの発射パネルに触れた。艦橋のセンサーシステムがそれを感知し、アクトウェイの各所に設置されている垂直式ミサイル発射装置(VLS)が天盤を跳ね上げ、六発の弾頭が射出された後、ブースターに点火して猛烈な加速を始めた。弾頭付近と尾翼付近にある小型の姿勢制御装置と推力偏向ノズルを細かく制御しながら、それらはジェイスの船に向かって左上方と右下方に三発ずつ分かれると、あとは軌道をずらしながら直進していく。単純な攻撃だが、敵の迎撃手段を量るには的確なパターンだ。満足げに頷きながら、リガルはディスプレイに映る映像に目を凝らす。
ミサイルは順調に加速し、五万キロ彼方の位置を高速で航行している船へと邁進していく。
その時、船を見つめていた誰もが信じられない光景を目の当たりにした。
こちらに艦尾を向けていた筈の敵船から、幾多の荷電粒子が筋の様に伸びている。それらは純白の船を中心として放射状に放たれているのだが、船の外殻から一定の距離を開いた時点で突如として屈折し、瞬く間に六発のミサイルを撃ち落とした。
誰もが驚愕で硬直しているその時、白いシルエットが横に伸びる。それが、巨大な船体が信じられないほどの身軽さで回頭したのだと気付くころには、アキが鳴らした鋭い警報が耳をつんざいていた。
ジュリーが咄嗟に船体を捻る。高速のままいきなり艦首を持ち上げると、慣性補正装置が殺しきれなかった加速度(G)によってクルーたちは座席に押し付けられる。それが済んだ時、戦艦数隻分と思われるエネルギービームの束が、アクトウェイのそれが対空レールガンに思えるほどの密度で貫いていた。
「ちくしょう、化け物め!あんなのを食らったら一瞬で蒸発だ!」
怒鳴り散らすフィリップを、ジュリーが静かにたしなめた。
「慌てるんじゃないよ、フィリップ。今の所、どちらも攻撃は当たっていないんだ。まだ五分五分さ、そうだろう、船長?」
「ああ、その通りだ。奴はとんでもない性能を誇っている。今の迎撃を見た限り、正面から撃ち合うのは完全な自殺行為だ。となれば、横から、或いは後ろから攻めるしかない。ジュリー、敵船と平行した位置を暫定空間とし、その座標系にしたがって三次元機動を展開しろ。イーライ、ミサイルを交えつつ対空レールガンで攻撃を試みろ。少し気になることがある」
「了解」
アクトウェイが、逸れた軌道を元の方向に戻した。敵船と一万キロの距離を隔てて平行軸線上に加速を停止すると同時に、敵船からはあの湾曲エネルギー兵器がしたたかに撃ち込まれてくる。それを、彼女は直感で避け、上に下にと船体を揺さぶりながら攻撃を躱していく。その間に、イーライはミサイルを斉射し、敵船がその迎撃に移ると、近距離から対空レールガンをばら撒いた。それに対しては船は何も回避手段を講じようとはせず、船の周りにあるPSA装甲が衝撃を熱と光に転化し、眩しく輝いた。
「セシル、今の映像を確認してくれ。敵のPSA装甲の形状は?」
「画像として送信します。ご覧ください」
すぐに彼女が投げてきたデータがリガルのホログラフの左端に加わり、それを展開する。読みの通りであったことに頷くと、リガルは作戦を決めた。
「見てみろ、敵船は荷電粒子砲塔から発射した粒子を、PSA装甲にわざと弾かせて方向を変えているんだ。つまり、ここを狙えば敵の船体を直撃できる」
「いかがなさるおつもりですか、船長」アキの問いに、リガルは笑みで応えた。
「本船はちょうど、敵の右舷側に位置している。敵の荷電粒子砲塔は死角をなくすためか、船体の各所に放射状に配置されているのが見て取れる。このままミサイルを斉射し、敵が迎撃にかかりきりになった所で主砲による精密射撃を行う。イーライ、ジュリー、できるか?」
「もちろんさね、船長。アタシは失敗しないけど、イーライはどうだか」
「出来るに決まってるだろ!」
「それはよかった。では始めよう。イーライ!」
砲雷長は憮然とした表情でコンソールを叩き、ジュリーはそれに合わせて船体をロールさせた。全天ディスプレイの星の位置が目まぐるしく変わり、その間に垂直式ミサイル発射装置から続々とミサイルが放たれる。その数三十二。船体を回転させたため、アクトウェイから四方八方に弾頭が射出されていく。それらは定められたタイミングにしたがって機首を傾けると、文字通り全方向から敵船へと殺到していった。ジェイスもさすがに焦ったのか、慌てふためいて純白の船から湾曲エネルギー兵器が火を噴いている。
「いくよ!」
「任せとけ!」
いつもいがみ合ってはいるものの、ここぞというときに発揮した二人の連携は完璧だった。
ジュリーは船体を左舷側に九十度傾ける。その一瞬の間にイーライは主砲の砲口修正を行い、発射パネルに触れた。
エネルギービームが放たれる。それらは真っ直ぐに飛んでいき、瞬きする間もなく純白の船のPSA装甲を素通りした後――
「――馬鹿な!」
真っ直ぐに、アクトウェイへと返ってきていた。
「重巡洋艦の主砲を弾き返すなんて、こんな――!」
「セシル、デコイだ!まき散らせ!」
切迫したリガルの声に、セシルは反射的に砲雷長席から委嘱されたデコイの発射スイッチを押す。ほぼ同時に、百に迫る数のミサイルが敵船から放たれ、少し遅れてその半数にも満たないデコイがアクトウェイから広がっていく。同時に、機転を利かせたイーライが主砲も交えて対空レールガンによる弾幕を展開し、一時的な対空措置をとった。
衝撃。今までに感じたことの無い規模の揺れが艦橋を襲い、リガルはしたたかに左手を座席へ打ち付けた。苦痛に顔を歪めて間もなく、ジュリーがなんとかアクトウェイを敵船から離れる方向へ持っていき、そのまま小惑星帯へと白い影が突入していく。
「被害報告!」
リガルの怒号に、機関長であるフィリップが切れたこめかみから流れ出る血を押さえながら答えた。
「敵ミサイル、七発命中。右舷、正面、上面PSA装甲完全崩壊。右舷から上面にかけた外殻に一部剥離、同時に周辺にある姿勢制御スラスター三基が停止。機関出力八二パーセントまで低下。航行に支障はないが、戦闘はもう無理だ」
「何とかならないか。機関出力さえあるなら、PSA装甲は回復できるだろう。所要時間は?」
「この被害なら、一時間ほどだな。だがよ、船長。小惑星帯の中はレーダーにも映らないデブリが霧の様に立ち込めてるんだぜ。PSA装甲抜きじゃあ、破損した船殻がさらにずたずたに――」
「そんな事にかまっている暇はないんだ!」
沈黙。真空が艦橋にまで入り込んできたようだ。
青年は唇を噛み、小さくため息をつくと、唐突に席を立って艦橋から姿を消した。
「どうしちまったんだ、船長は。あんなに動揺しているのは初めて見る。あのジェイスって奴が原因なのかな」
イーライが苦悩の溜息をもらすと、フィリップがコンソールを叩きながらいった。
「どうもこうもねぇ。銀河連合を掌で操り、今やオリオン椀で最も強大な武装組織だ。その規模はシヴァやレイズに勝るかもしれん。何と言ったって、二〇〇隻もの新品同様な軍艦を、自分達の目的のためとはいえバルハザールに手渡したんだ。それだけでもレイズ星間連合とタメ張るには十分。さらに経済の要衝たるアルトロレス連邦内部で、派手にゴーストタウンにて正規軍と一戦交えてすらいるんだ。その相手が自分と因縁深いであろう事を知ったからには、平静じゃあいられんだろうよ」
「――そんなものかな」
イーライは思う。フィリップの言うことも尤もだ。自分でも対抗心を剥き出しにする相手であることは疑いようがない。それだけ、直に言葉を交えずとも感じ取れるほどの異様さが、あの男にはあった。
そんな彼にリガルがあそこまで取り乱しているのは、ジェイスがアキを知っていたからではないのか。
足音が響く。ふと背後を振り返ると、白髪の美女がたおやかな仕草で礼をし、艦橋を後にする背中だった。
落ち込んでいるのか、アキ。イーライはついに問いかける事はせず、ホログラフに浮かんでいる「副長代行」のホップアップを無言のまま見つめていた。
アクトウェイの展望デッキからの眺めはいつでも壮観だ。展望といっても、直に宇宙空間と透過壁でつながっている訳ではなく、超高精細のディスプレイに船の直上に据え付けられた光学センサーから得られた映像情報を加工、投影しているのだ。以前にアクトウェイの立ち寄ったアルファ・ステーションなどでは透過壁を通して実害のない範囲での展望フロアなども建設されていたが、宇宙船の中でそんな馬鹿げたことをする人間は、今の所いない。
いつの間にかクルーの誰かが設置していたのであろう、立ったまま前かがみに寄りかかれるくらいの高さに誂えられた軽量アルミ合金製の鉄柵に身を任せながら、ただ瞬きのみを返してくる星々を見つめ続ける。
どうかしたの。そんな声が聞こえてきそうなほど、無邪気で純真なままの星の輝きが、彼のささくれ立った心を少しずつ、滑らかに濾していく様だ。先ほどまでの自らの行いに自己嫌悪の苦い味を舌の上で転がしながら、彼がため息をついた時、背後に気配がした。
「リガル」
「アキか」
振り向くまでも無く、それがどうして彼女であったと気付いたのかは、リガルにもわからなかった。
「先ほどのことですが、私は気にしておりません。もしそのことでご自分を責めるのでしたら、おやめください。当事者である私が言っているのですから、言い返すのも野暮ですよ」
「ハハハ。君がそんな言い回しを使うなんて、一年前までは予想だにしなかったな。この船で生体端末に引っ越しして、君は随分と人間らしくなったよ、アキ。俺の方がまだ未熟なくらいさ」
アキは肩が触れ合うほど近く、彼の右側までやってくると、同じように星を眺めた。肩を抱き寄せようかと思ったが、リガルは手を出さずに、そのまま彼女の顔から星の海へ視線を戻す。
「そんな事はありません。私は人工知能(AI)ですから、表面上は冷静に見えるだけです」
「だけど、心がある。君は君の意志で動いているだろう」
「そうですね。しかし、高度な知能を持った人工知能は私だけではありませんし、自分の意志で生きているのはあなたも同じことではありませんか。重要なのは、自らの意思に責任を持ち、その先に待ち受ける責任を当然のごとく受け入れる事です。宇宙の真理は究極の自業自得。行いは誰でもない、自分だけのもの。そこに他人がとやかく言う事はできない。それこそが放浪者である私達の矜持であり、誇りではありませんか」
リガルは頷き、思わず苦笑した。彼女の言わんとすることがわかったからだ。
”反省はしても後悔はしない。今のあなたは、あなたらしくありませんよ”。
「そうだな。君にこうして助けられたのは何度目だろう。礼を言うよ。今度、まとめて返せたらいいんだが」
「パールバティーで、じゅうぶん返してもらいましたよ。それと、セシルから連絡です。シヴァ共和国軍艦が急行しているようです。そろそろ戻りましょう」
ゆっくりと踵を返して展望デッキから出て行こうとする彼女に、リガルは呼びかけた。
「アキ。ジェイスのこと、君は何か知っているのか?」
「いいえ、知りません。あなたが知っていること、それが私の知っている全てです、リガル。彼に対しては」
すると、彼女は何を思ったのか、優しい微笑みを残して展望デッキを出ていった。




