一三二年 十月三十一日~ ①
・アリオス歴一三二年 一〇月三一日 惑星パールバティー
リガルは自分が不出来なことを自覚している。
パールバティーの名産はその酒だとイーライが豪語していた通り、それほど量を飲むわけではない彼にもわかるほど、この緑の惑星が育んだ自然の最も大きな恩恵はこれに違いない、と、芳醇な香りを漂わせているワインに見とれながら、彼は隣に立っているアキをちらりと見やった。彼女は少し癖のかかった白いショートカットを手で撫でつけながら、ガラスのショーウィンドウ越しに見える観光客の群れを目で追っている。何がそんなに気になるのか、リガルにはわからなかった。
「どうでしょう。お財布が温かければ、ぜひこちらをおすすめいたしますが」
小太りの酒屋店主が言う。この店には大きく分けて、焼酎、ウィスキー、ワインと三種類の酒が置いてある。彼が聞きもしないのに喋るところによると、この酒屋は創立百年の老舗で、パールバティーの軌道エレベーター周辺に所狭しと並んでいるホテルの数々に酒を納入している、そこそこ有名な店らしい。パールバティーは、その自然の豊かさから自然加工食品を大きな魅力として前面に出している。酒類はその中に含まれる一大生産物で、惑星各地で職人たちによってつくられる膨大な量の銘酒をこの店は集め、客に出しているのだという。こんな見え透いた口上は普段ならば一笑に付すリガルだが、今回ばかりはクルーであるイーライのお墨付きもあり、何より今手に持っている酒の味が信じられない程良いものだったので、思わず立ったまま話に聞き入ってしまうのだった。
今日は生憎の雨である。もしかしたら、アキは色とりどりの傘で競い合うように歩いている人々を面白く思っているのだろうか。彼女自身も真っ黒な傘を二本持っている。リガルと自分の分だ。その背中がどことなく寂しいものに感じられて、リガルは早口で酒の説明をする店主を黙らせるためにワインボトルを購入し、箱でアクトウェイへと運んでもらうように頼むと、店主が手続きを行うスレート端末を取りに店の奥へ引っ込んだ隙を突き、彼女の顔を横から覗き込んだ。
「アキ、どこか調子でも悪いのか。さっきから元気がないけど」
彼女は首だけをリガルに向け、俯き、再び外の景色に目をやった。薄く引かれた唇が微かに動く。
「なんでもありません。リガルが早く酒を買うのを待っているところです。既に来店から二十分が経過しています。そろそろ次の店に移ってもよいかと」
「なんだよ、たかが二十分じゃないか。まあいいや、俺もそろそろ飽きてきたころだし。手続きをしたらすぐに店を出るから、準備しておけよ」
リガルは再び顔を出した店主とワインの搬入について短いやり取りを終えた後、電子マネーでガラットを支払い、そのまま彼女を連れて店を出た。ありがとうございました、と店主の威勢のいい声を背中に受けながら、東洋人の顔つきが多い商店街の人の流れに乗る。傘を指し、雨の中を歩き出したアキは一言も喋ることなく、リガルは心配そうに彼女の目を見つめながら、ゆっくりと大型ショッピングモールへ向かって歩き出した。
舗装された路面に、いくつも水溜りが出来ている。排水溝へと流れ込む雨水の音は耳に心地よく、雨にも負けずに活気にあふれている商店街は、季節外れの冷たい空気を漂わせ、親子連れやならず者と見紛う放浪者、果ては身なりの良い服装の富豪さえも平等に露に濡らしながら、鉛色の空はゆっくりと東に向かって動いている。そののっぺりとした空を背景に巨大な起動エレベーターが前方にそびえ、さらにその前には巨大なショッピングモールがその威容を露わにしている。
今日はアキの服を買いに来た。数日前にこのモールへと買い物に行ったキャロッサとセシルが、航宙服で平然と歩き回る彼女を憂慮してのことだった。人間と同じ感情を持つに至っても、やはり根がAIであるアキには、まだ羞恥心は無い。勿論、人前で服を脱ぎださないとか、そういった一般常識はデータとして身についているから、酔っぱらったジュリーの様に騒ぐことも無い。いつも物静かな彼女だから、クルーでさえも彼女の機嫌は推し量る事しかできないのだが、リガルには直感で分かった。
「アキ、何を迷ってる」
しばらく歩いた後、道を曲がる事も無く歩を進めながら、リガルは隣を歩くアキに言った。彼女は驚くでもなく、やはり無表情なままリガルを振り返り、やがて正面に視線を戻した。
図星だった。驚きを禁じ得ない彼女の胸中は乱れ、先ほどから抱いている感情が意思に関係なく漏れ出してしまう。
「リガル。私はまだ愛がなんなのかわかりません。果たして、このままでよいのでしょうか」
あまりにも率直な言葉に、今度はリガルが驚いた。気恥ずかしさで耳まで赤くなりつつも、曖昧に頷く。
「このままでいいのかって、どういうことだ?まさか俺に気を使ってるんじゃないだろ?」
「いえ、恐らく……気を使っているというより、気になっています。私はあなたの告白に、まだ正式には答えていません。保留状態です。そんな宙に浮いた状態は、あなた方にとっては都合が悪いのではないですか?私はAIですから、あなた方がどれほど多くの想いを胸の内に抱え込んでいるのか、推し量る事すらできません」
「ははは……まあ、そうだな。正直に言えば、こういう状態は気にしない訳ではないよ。だけど、君が納得のいく答えを出せないんだから、催促したって仕方がない。もとよりそんな簡単に結果が出るとは思ってないよ」
二人は歩みを止めずに、互いの顔を見た。どちらともなく微笑み、アキは少し迷った後、リガルの左腕にしなだれかかった。彼は突然のことに驚き、心臓が飛び出すかと思うほど驚いたが、やがて気づき、彼女に歩調を合わせて歩く速度を落とした。
これが彼女の答えなのだろうか。だとしたら、これ以上に嬉しいことは無いだろう。宇宙で一番の幸せを、温かく肌で感じながら、リガルはだらしなく緩みそうな頬をなんとかひきつらせる。
通りには似たようなカップルがいくつも見られる。彼らは結婚しているのだろうか。生涯を共にするという契り。それを彼女と交わす事が出来るのだろうか。柄にも無くバラ色の想像を膨らませながら、リガルは余った右手で頬を掻く。それを目ざとく認めたアキは、申し訳なさそうに、静かに体を離した。
「どうした」
「あなたが頬を掻く時は、気まずいと感じている時です。自分でお気づきにならなかったのですか」
リガルは哲学者ではなかったから、彼女が感じている自らが機械であり、人間との付き合い方に関する命題的な苦悩に関して、何も言えることは無かった。彼自身の話ならばともかく、納得していないのはアキ自身であり、極めて論理的な思考を持つ彼女が頷かなければ、この問題は解決することも無い。それまで、アキが胸を張ってリガルからの告白に答えることも不可能だろう。誰からも助言は得られないだろうし、そもそも生体端末に対して愛を告白するなど前代未聞だ。旧き良き時代、まだ科学というものが未熟な時期よりサイエンス・フィクションは人々の間で親しまれてきたが、科学の進歩と共に、想像は徐々に現実へと還元されてきた。その代価として、人類は宇宙へと進出し、星間国家をいくつも樹立する程の科学と工業力を手に入れたわけであるが、これだけの還元を行ってもなお、宇宙にはサイエンス・フィクションが溢れている。それは人類以外の知的生命体とのファーストコンタクトや遠い未来の退廃した人類社会を描き出したものから、アンドロイドと人間の叶わぬ恋を綴ったものまで、生きた化石じみた作品がいくつもしぶとく生き残っていたりする。
そして、今の二人の状況も、想像と現実に引き下げる一種の還元行為だ。アキとの恋愛はその類の、他人から見れば、何をAIにプログラムに本気になっているのかと呆れられたり、そもそもそんな風に機械を見ること自体が破綻していると蔑まれたりするようなものである。フィクションは空想という無限大に広がる創造空間でのみ許される世界の構築であり、そこには不完全なものも完全なものも、同時に混在出来得る限りの広さがあるが、ではそこから現実に興すという段階になると、人々は顔を顰め、不快感を露わにするか、満面の笑みで歓迎する。その閾値は明確で、単に自分の主義に反するかどうか、世界に新しい現実が受け入れられるかどうかという判断基準、すなわち常識によって決められる。核兵器は嫌われるが、原子力発電が喜ばれたのも同じだ。常識的に考えて、大量破壊兵器と発電技術、そのルーツを同じにするが性質を正反対にしたような出来事を見れば、人々の常識が自らの身の安全などに重きを置いている事がよくわかる。結局、いくつかの事故を経て、地球というひとつの惑星上で原子力を運用することは危険であると判断されたわけなのだが。
糞食らえ、とリガルは思う。街を歩く人々の中に紛れ込んで、いつの間にかすぐ目の前まで迫っているショッピングモールのエントランスを眺めながら、隣を足早に通り過ぎていく見知らぬ他人と肩を擦らせながら、常識なんてものは糞食らえと、もう一度、今度は口の中で呟く。
気まずいと感じるのは当然だ。正直な話、アキがリガルをどう思っているのかは、彼には関係が無いのだ。そんなこと、と一蹴できるほど、リガルはどうしようもなくアキに惹かれてしまっているから。たとえ、彼女が拒否したところで、彼にはこの、儚く美しい生体端末を愛する以外の選択肢は持つことが出来なかっただろう、と、我ながら恥ずかしい思いでリガルは確信する。
空を見上げると、薄らと見える暗闇の向こう側に星の海が垣間見えた。
隣を歩く彼女に目をやると、同じくらいに輝く女性が小首をかしげている。
「リガル?」
「あのさ、アキ。君が俺の告白に困っているのはわかるし、そのことについて真摯に考えていてくれる事は、素直に嬉しい。だからさ、時間つぶしに、俺と一緒に宇宙をめぐるのはどうかな。星の海を見ていれば答えも浮かんでくるぜ、きっと」
しばしの沈黙の後、アキは微笑み、リガルの左手をそっと握った。
エントランスの先には、手を振るクルーたちの姿が見える。彼らとならばどこまででも行けるし、なんでもできる。そう思うと心強く、リガルは胸を張り、白く細い指を握り返した。焦る必要は何処にもないのだ。
・アリオス歴一三二年 一一月一日 惑星パールバティー
その報せが入ったのはホテルをチェックアウトしようかと迷い始めた頃だった。
ジュリー、フィリップがホテルのバーから持ってきた酒瓶を抱えて飛び起き、他の面々が二日酔いのまま寝坊していた二人をそのままに荷造りをしていた時、唐突に爆発音が響いた。いちばん窓際でスーツケースの閉じない蓋を押し込んでいたイーライが、航宙服のベルトに挿したブラスターに手をかけ、窓を一気に開け放つ。
宇宙空間で戦闘が起こっている。時間は夜なので、純粋なエネルギービームの槍が幾重にも交差している。ホテルの高層階から眼下を見下ろせば、通りを行き交う人々が不思議そうに空を仰ぎ、指を指し合っては声を上げている。惑星政府が用意した催しものだと思っているらしい。凄いな、とか、綺麗だ、とか言いながら、その中で放浪者だけが顔を青ざめ、佇んでいる。彼らは知っているのだ。それが祭りの余興などではなく、宇宙の藻屑となるか否か、生命が彷徨うギリギリの死線であることを。
船と船が争う絶望の舞踊。
「船の状況を確認しろ!」
しばし声も無く空を見つめていたアクトウェイのクルーの中で、リガルは呆けたままの彼らを叱咤した。クルーたちは生きかえったゾンビの如く活動を再開し、それぞれに報告を開始する。セシルが携帯端末を最初に起動し、アクトウェイの中枢コンピューターより送られてくる管制データを照合した。この場合、アキが代表になって通信を行い、状況をリガルに報告することも可能だが、それよりも専門的知識と経験則に裏打ちされた直感を持つ彼女らクルーに任せた方がいい結果につながると、リガルは知っていたし、アキも自分がでしゃばる時ではないと悟ったから、中枢コンピューターを用いてアクトウェイ周辺状況を軌道エレベーターの管理AIへと接続し、外部カメラなどによる情報をそのままセシルをはじめとする各クルーの携帯端末へと送信する。
もちろん、リガルの端末にもその映像は見えていた。そこには見紛うことなき悪趣味な紫色を放つ、コンプレクターの姿が見えた。船は発砲しながら、徐々に軌道エレベーターから遠ざかっていく。
「他に船はいないようです。パールバティー入港管理局はドック内に係留されているすべての船、及び惑星を中心とする半径二十光分の範囲に警備隊による封鎖を開始。シヴァ共和国軍にも出動要請が入っています。現在パトロール中のフリゲート艦五隻が急行中」
「砲撃の航跡を見てみろ。同一方向からとんでもない火力が集中されている。こいつは最低でも重巡洋艦クラスが二隻はいるでしょう。だが、砲撃の軌跡から見て、よほど近接した隊形をとっていなければ一隻から放たれていると考えるのが妥当です」
「それにしたって、この機関出力はなんだ。戦艦一隻だって、ここまで間断の無い砲撃を繰り返すには相当なデカさのパワーコアが必要だぜ。そんなものを積めるのはバレンティアの戦闘母艦くらいだ」
ジュリーは黙り込んでいる。必死に回避行動をとっているコンプレクターから目を離そうとしない。自らを奪いに来たとはいえ、そこには実の兄が乗っているのだ。しかも、クルーたちの報告を聞く限り、化け物じみた性能を持つ敵の船を発った一隻で迎え撃っている。キャロッサが気遣わしげに、ジュリーの手を握ってやった。彼女は微笑みでキャロッサに答えると、毅然とした目でリガルを見る。「アタシは大丈夫さね、船長」と、その眼が語るのを、確かに彼は見届けていた。
コンプレクターはその由来から、決して戦闘に向いた性能を持っている船ではない。アクトウェイの様に強固なPSA装甲と優れた命中率と威力を誇る主砲を搭載する代わりに、機動力と短距離跳躍機能へと掛金をかけたのだ。正面切っての戦闘では分が悪いなどという話ではない。しかも、この限定的な視界映像からクルーたちがそれぞれの専門知識を持ち出して判断する限りでは、相手の船は化け物じみた戦闘力を持っているようだ。
アクトウェイでも負けるかもしれない。リガルは直感的にそう思い、背筋に冷たいものを感じた。レイズ=バルハザール戦争で二百隻の無人艦隊と相対した時も、ニコラス・フォン・バルンテージ救出作戦時の陽動でも、なんとか恐怖心を乗り越えてきたリガルは、初めてといっていいほどの恐怖を感じている。掌は汗でじっとりと濡れ、これからパールバティーの衛星軌道上で繰り広げられる惨事を想像する。
敵はなんなのだろうか。コンプレクターか。その相手をしている船か。もう少しカメラを横に向けてくれればその正体を掴めるのだが、そもそも管理AIにハッキングでもかけないかぎり、軌道エレベーターに備え付けられた器具を操作することなどできよう筈もない。歯がゆい思いのまま、とにかくリガルは深呼吸をして冷静になるよう努めた。
「俺達にできることはなにもない。なに、アクトウェイは簡単に沈まないさ。アキも中枢を生体端末に移しているし、最悪、失っても新しい船を買えばいい」
努めて明るい声で言い、クルーたちが神妙な面持ちで頷くのを見届けるリガルだが、勿論、胸の内ではそんなことは微塵も思ってはいない。どんな無法者で、どんな心無い行いをする人間でも、宇宙に出て生活している者は、例外なく乗り込んでいる船に愛着を持つ。
クラーヴィタの船、というお伽話がある。オリオン腕大戦の後期くらいから人類社会に広まった、一冊の電子絵本が原型であるこの話は、放浪者として宇宙を旅している一人の少女、クラーヴィタが、ある日、母親の死を知って故郷へとんぼ返りする場面から始まる。親切な船員たちに船を任せ、単身、故郷へたどり着いたクラーヴィタは、病院で腐敗防止処置を施されている母親の遺体と対面し、葬式を挙げる。別れが終わり、式典に参列した親戚や友人一同から慰めの言葉をかけられる彼女は、疲れ切って自宅へと戻ってドアを閉めた時、ふと、母の死を知ってから一度も泣かないでいる自分に気が付く。なんて自分は親不孝者なのだろうか、そう自分を責めはするものの、彼女の瞳から涙が零れ落ちることは無い。
母親の身辺整理をクラーヴィタが終える事には、故郷の星に帰ってきてから一ヶ月が経っていた。彼女はそのまま惑星に別れを告げ、自分の船へと舞い戻る。クルーたちは船長を気遣った。この船こそ私の家だ、とクラーヴィタは回想する。が、このお伽話の本題はここからだ。
ある日、クラーヴィタの乗る船、アバランチス号が海賊の襲撃を受けてしまう。乗組員たちは傷付きながらも海賊を追い帰し、警備隊の船に拾われるが、アバランチス号は痛手を負い、放棄せざるを得なくなる。
そして、パワーコアをオーバーロードさせて火球と化す船を見つめていると、クラーヴィタは涙を流すのだ。母親の死にも涙を流さず、自らを最大の親不孝者と嗤っていた彼女は、船の死には泣くのかと、自己嫌悪に陥るという話だ。
このどうしようもないお伽話はしかし、当時、宇宙で生活し、ジェームス・ストラコビッチと共に戦わんとしていた放浪者たちに絶大な支持を得た。宇宙で暮らす人間はこうでなくてはならないという風潮が強まった。船とは、古き良き時代から人間の友であり、恋人であり、母親であったのだ。リガルも例外なくこの話の虜にされた少年のひとりで、その影響の結果として、彼は宇宙を放浪している。
だから、アクトウェイを失うことは、それ即ち放浪者にとっては恋人を喪うに等しい。
ましてや、アクトウェイはアキでもあるのだ。
「待てよ……アキ、ここからアクトウェイを遠隔操作することはできるか?」
彼女は力なく首を横に振った。
「出来ますが、現実的ではありません。ここは人の目につきすぎます。プロトコルを解析されれば、アクトウェイが他人に操作されてしまうでしょう。そのリスクは、極めて大きいのです。もしかしたら、その情報が欲しいがために戦闘を行っているのかもしれません」
「何がだ。アキ、お前にはコンプレクターが戦っている相手が見えているのか?」
イーライが問うと、彼女は頷いた。直後に、各人の携帯端末に別の映像が転送されてくる。それは、パールバティーのフリーで使える、観光客向けの外部遠隔式宇宙望遠鏡を用い、軌道上で戦闘を続ける敵船を映し出していたのだ。今まで黙っていたのは、広大なネットの海から個人経営の観光業者のサイトを見つけ、さらにカメラを操作して船を捕捉するのに時間をかけていたからだろう。その機転に感嘆しながら、クルーたちは画面の中で艦腹を見せている純白の船体を見つめる。
彼らは言葉を失った。
この船は、ゴースト・タウンと呼ばれる、ニコラス・フォン・バルンテージを救出したあの廃棄ステーションにテロリストの船団を率いてやってきた、あの純白の船。
”久しぶりだな、リガル。また一緒に遊ばないか”
脳裏にその言葉が響く。覚えのない、あの大富豪の口から聞かされた、テロリストの首領から送られた伝言。再開の挨拶とも取れる、初対面の相手からの言葉。
まさか、俺が目的なのだろうか。
そこで、リガルはあの救出作戦を思い出す。アクトウェイではなく、リガルが乗っていたシャトルごときにすべての戦力を叩きつけてきた、あの男。
あいつは、まさか自分のために、ジュリーの実兄が乗っているあの船を攻撃しているのだろうか。
だとすれば、今の自分にはこの事態を収拾する責任があるのではないか―――
「アキ、通信を送る事は出来るか」
「アクトウェイに送れば―――」
「違う、敵の船にだ。コンプレクターでもいい。どうだ」
アキは意図を読み取れないようだったが、どちらも可能です、と答えた。しかし、ここで通信を送れば、あなたがここにいる事がばれます、とも。
短い鬩ぎ合い。アキは反対している。恐らく、リガルと同じ結論に達したのだろう。
彼女は言った。
「リガル。私達では、あなたを守り切れません」
彼は言った。
「死ぬつもりはない。君に答えを聞くまでは」
逡巡する想い。その短い時間に互いの意志を交換した二人の内、目を逸らしたのは、少なくとも女性の方だった。
「わかりました。携帯端末を音声入力インターフェースとして暫時登録します。どうぞ」
ありがとう、とリガルが言う前に、アキはスイッチを入れた。その言葉を聞きたくなかったからだろうか。確かに、この試みでリガルの元に運動エネルギー弾頭が落ちてきてもおかしくはない。それなのにありがとうとは、随分と矛盾している。そう思いながら、リガルは無線機の様に端末を口元へ近づけた。
「惑星パールバティー軌道上で戦闘中の二隻に告げる。こちらアクトウェイ船長、リガル。即刻戦闘を中止されたい。繰り返す、戦闘を中止されたい」
その後、何度か呼びかけを行う。
効果はすぐに現れた。二隻とも、示し合わせたように砲撃をやめたのだ。その直後に、コンプレクターが姿を消す。恐らく、短距離跳躍で戦闘宙域から逃れたのだろう。見た限りではそれなりの痛手を負っている筈だ。それほどまでに、あの白い船の戦闘力は高い。外殻に傷一つ付けず、あの船はコンプレクターを退けた。
あの船の主は何者だろうか。
その答えはすぐに画面に表示された。
全員が驚きで身を固くする。いかなる所業か、是認の携帯端末の画面に先ほどまでの映像は映ってはいなかった。
その代り、目に入ったのは、白い髪に、青い瞳。例えるなら、雪の下に覗いた氷河。顔つきはリガルに瓜二つで、寒気がするほど美しい。口元に閃いた冷笑は絶対零度。白い艦橋を背にしている男は、たっぷりと時間を空けてから口を開いた。
「やあ、リガル。連絡もくれないなんて、仕方のない奴だな」
呼びかけられた彼は、初めて人を怖いと思った。しかし、そんなことはおくびにも出さず、無表情のまま画面に語り掛ける。表示を見れば、こちらからは音声しか伝わっていない筈だが、それでも油断できない何かを、この男は秘めていた。
「知らない男からガールフレンドみたいな事を言われたくないな。心底、気色が悪い。それに、自分の名前が知られているのに相手の名前を知らないのは落ち着かないものでな」
この切り返しで、リガルは男の反応を見るつもりだった。ところが、彼は予想以上に反応を見せ、戸惑う。なんと、男は涙を流したのだ。
「なんだよ、リガル。記憶がないのか。俺とお前の仲じゃないか。どれくらい、長く二人っきりで遊んだっけな?ほら、覚えていないか。お前はお伽話が好きだっただろう。クラーヴィタの船だよ。本当に覚えてないのか?」
はらはらと涙を流しながら、男は話す。得体の知れない気色悪さが背中に張り付いたまま、リガルは首を振った。
「悪いが、覚えていないというより、知らないな。そもそも君のことを知らない」
「それはあり得ない!」
大きな声に、クルーたちはびくりと体を震わせた。アキだけが、ただ、じっとこの男を見つめている。携帯端末を持っていない彼女は、自分の人工網膜にこの映像を投影しているのだ。
「ああ、どうしてなんだリガル。俺は悲しい。ゴースト・タウンでは、君が俺を覚えていてくれたから、あんな賭けに出たんだと思っていた。シャトル一隻で飛び出すという賭けに。俺はそれに乗ってやったというのに、どうして覚えていないんだ。ああ、そうか。最初からそんな段取りだったっけ。いや、そんなことはどうでもいい」男は、身を乗り出す様に画面を占領し、「アクトウェイに乗って、ここまで来るんだ、リガル。話をしよう。俺達に地上波に合わない。宇宙で話そうじゃないか」
「いいだろう。どうせホテルをチェックアウトしようと思っていたところだ」
「それは都合がいい。待っているよ。できる限り早く来てくれ。それでは」
通信が切れる。男の映像が端末から消え、クルーたちが周りに集まってきた。リガルは首を振り、手で彼らの言葉を遮る。
「言っておくが、俺はあいつを知らない。本当だ。初対面もいいところだが……向こうは俺を知っている。行くしかないだろう」
「でも、船長。あなたが危険では?」と、イーライ。
「気にすることは無い」リガルは落ち着いた声で答えた。「ちょっと、あいつと茶を飲むだけさ。さあ、準備をしよう。俺達がここから離れなければ、パールバティーに済む人々が危ない」
言いつつ、彼は率先して荷造りを再開する。クルーたちもそれに倣い、できる限りホテルを出るための準備を始めた。
そんな中、帰り支度などする必要のない女性がひとり、リガルの肩に手を置き、少し力を籠めると、離れていった。
ああ、アキ。リガルは心の中で呟く。
俺を守ってくれ。




