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漆黒の戦機  作者: 夏木裕佑
第三章「それぞれの宇宙」
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一三二年 十月二十三日~ ②

・アリオス歴一三二年 一〇月二三日 惑星パールバティー


「え?なに?イーライってリガルのこと好きなの?」


思わず吹き出しかけたコーヒーを食道の中に何とか抑え込み、代わりに激しく咳き込みながら、イーライ・ジョンソンは怒りを込めてに左隣のセシルを見た。その様子を涼しげな顔で眺めている彼女に向かって何か怨嗟の声を上げる前に、右隣から身を乗り出したキャロッサが餌に飢えた魚の様に話に食らいつく。


「え、それって、つまりゲイってことですか」


我慢しきれず、イーライはテーブルを掌で叩いた。観光客で賑わうカフェテリアの客たちは微塵も気にする様子も無く、馬鹿みたいな喧噪の中で友人らと語らっている。店の店主だけが迷惑そうな視線を投げてきたが、イーライは気にせずに怒鳴った。


「違う!なんでそういう結論になるんだ、お前はら。脈絡も根拠も無いし、ただの迷惑だぞ!人の尊厳というものを踏みにじっている!」


「だって、さっきから楽しそうにリガルの話ばっかりするから」


しれっと答えるセシルの言葉にに、思わずイーライは絶句し、力なく首を振るしかなかった。

昼時のカフェテリアは繁盛している。高さ五十メートル、二百メートル四方を誇る巨大な立方形のショッピングモールは、所々が洒落た装飾を施された複合施設で、軌道エレベーターから地上車でおよそ十分の位置にある、パールバティーの中でも一、二を争う規模を誇っていた。この季節は過ごしやすく、惑星観光局の誇る雄大な自然が最も緑を陽光に映えさせている。それ故に観光客の数はいつもの二割増しで多かった。地上車を収容する地下特快にまでまたがる広大な地下駐車場は地上車で溢れ返り、正面入り口にあるロータリーではひっきりなしに客を満載したバスとレンタルタクシーで、不健康な人間の血液の様に淀んだ流れを、ゆっくりと循環させている。たまたまいい仕事の入った羽振りのいい放浪者ノーマッドから、銀河全土からやってくる大富豪たちまで、多くの人間が軌道エレベーターに辿り着いてはリニア・モーター形式のそれに乗って降りてくる景色は途切れる事が無い。そして、降りてくる客の八割くらいの人数が昇っていくのだが、行きと帰りの人数が釣り合わないのは一目瞭然で、吹き溜まりのように人の数が増えていくのだ。

氷で薄くなったアイスコーヒーをちびちびと飲み込みながら、イーライはセシルの横顔を睨み付けた。女性人二人が、慣れない大型ショッピングモールで買い物をするというものだから心配で付いてきた彼だったが、午前中、女性ものの洋服売り場などを連れまわされただけでお手上げ状態だった。ジュリーとフィリップは今頃、どこかの酒場で泥酔状態であろうし、リガルはアキと二人でホテルだ。その言葉だけ聞けば何かいかがわしい想像も立つものだが、アクトウェイ屈指の技量を誇る砲雷長としての勘が、海賊船の回避機動を読むよりも確かにそんな事態には発展しない事を彼の意識に語り掛けている。あのリガルという青年は、その外見通り、かなりの硬派なのだ。イーライの目から見ても、宇宙で上位三万位くらいには食い込む繊細な顔立ちをしているというのに。

大抵、男で硬派なんていうのは、リガルの様にまだ二十代半ばほどの若者相手なら、イーライなどのある程度の人生を経験してきた人間にとって特に鼻につく存在だろう。何故なら、ほとんどが女性人気獲得のために表面上、そう装っているだけだからだ。実際に、彼の友人では化けの皮を剥がされて大恥をかいた者も少なくなく、その点、イーライは砲雷長の名に恥じぬよう、メリハリを付けて女性に接して適度にハートを射とめてきた。多少なりとも撃沈記録スコアに危うい部分が含まれているのは、彼自身が複数人を愛するという事に、少し嫌悪感を抱いているからに他ならない。その点で言えば、リガルは完璧だ。男の目から見ても、どうやったらあそこまで自分を切り離せているのか、理解しがたい部分がある。


「私、ゲイでもいいと思うけどな。自分の愛に正直になれる人間って素晴らしいですよ、砲雷長さん」


何故か目を輝かせてイーライを見つめるキャロッサ。アクトウェイ随一の引っ込み思案で、大人しい彼女がここまで同性愛について興味津々なのを見るのは忍びなかったのか、セシルが軽く苦笑いしながら手を振った。同性愛者に対する差別などは今の時代となっては時代遅れの古びた思想にすぎず、人は人ぞれぞれの愛し方をするものである、という達観したようなしていないようなイーライにしてみれば、自らの偏愛意識に巨大な波紋を投げかけるこんな話題は望むものではない。

それに、こんな事は真昼間のカフェテリアで話すようなことではないのは確かだった。


「そういうキャロッサは、誰か良い相手いないの?医者になりたいんでしょ。星間輸送船の医務員やってたんだし、何かそういう”つて”とかさ」


キャロッサはショートカットを少し揺らし、人差し指を唇に当てて考え込んでいたが、やがて思い出したように身を乗り出し、イーライの顔に髪の毛がこすれるくらいセシルに近づいた。思わず後ろにひっくり返りそうになったイーライを見て、セシルがほくそ笑む。


「なんでだと思います?実は私、人生で一回しか告白されたことないんですよ」


セシルが口を押え、口をついて出た驚きの声を上げた。その点に関しては、イーライも全く同感だった。


「そうなの?私なんかよりずっとそういう経験多いと思ってたけど。意外に少なくてびっくりしちゃったわ。で、その一人はどうしたのよ」


「私、何年か前に星間宇宙船医務員の資格を取るために専門学校に入ってたんです。そこで男の子の看護師さんに、告白されました。あんまり好みじゃないのでお断りしたんですが、それっきりです」


「へ、へぇ。なんて言って断ったのか、よければ聞かせてもらえる?」


キャロッサが答える前に、イーライは彼女の額を押して元の位置に戻らせ、自分のスペースを何とか取り戻した。話に夢中なキャロッサはそれに気が付き、少し頬を染めた後、もじもじと身をよじる。


「その、興味ない、とかなんとか」


ああ、という同意の声を漏らした二人に、彼女は手を振って何事かを言ったが、慌てすぎて聞き取れない。キャロッサが異性からの告白を受けない理由は、彼女自身の毒舌にあるようで、殊、それは恋愛関係においてのみ発揮されるらしい。今まで淑女として過ごしてきたキャロッサのギャップに思わず微笑んだイーライを見て、彼女はまた一段と顔を赤くした。セシルにいたっては、自分の方が男性経験が多い事に半ば安心した様子であるが、どうにも小悪魔的な要素が強いセシルに惹かれる男性は後を絶たないのだろうな、と、他人事のようにイーライは思う。


「じゃあ、どんな人が興味あるのかしらね、イーライ?」


悪戯っぽい笑みを浮かべたまま問うてくるセシルに、イーライはわざとらしく腕を組んで考え込む仕草をした。


「そうだな。どうだろう、うちの船長とか。キャロッサ・リーン女史のお眼鏡に適うかどうかは存じませぬが、なかなかの優良物件である事は疑いようもありますまい」


「うむ。しかし、彼の想い人を拒絶して奉った彼女ならば、これ特に首を縦に振らないこともあろうことかと思いますが」


「ひ、冷やかさないでください!」思わず手が出たのか、彼女は持っている汗をかいたグラスを振り、イーライの顔に盛大に水を跳ねさせた。「反省はしてますし、申し訳なく思ってますが、その人、結局は別の人とくっついたし、それと、リガル船長なら全然興味ありです!首を縦に振るかもしれないじゃないですかぁ!」


イーライは紙ナプキンで顔を拭きながら、セシルの表情が変わった事を見て取った。キャロッサは自分が、宇宙に施設された核融合機雷に触れてしまったことに気が付いていないらしい。彼は視線でセシルを宥めるが、彼女は意外にも乗り気で、柔らかい表情をつくる。が、その眼のぎらぎらとした輝きは隠せていない。ひと波乱起きるよ簡易、イーライは今すぐこの場から逃げ出したくなった。


「ふうん。それじゃ聞くけどさ、あいつのどこがいいと思うの?不愛想で鈍感で、挙句の果てに生体端末にぞっこんなあいつのどこが?」


リガルのことを”あいつ”と呼ぶのは、彼女が一歩リードしている事を悟らせるためだろうか。彼はそんなことを考えながら、この話題が一分でも早く収束に向かうことを祈って、窓の外に広がる青空、その中で米粒のように見える輸送用VTOL機の行方を追った。その間にも、キャロッサとセシルの会話は熱を帯びてくる。


「え?だって、リガル船長ってカッコいいじゃないですか。いつも落ち着いてて、優しくて、頼りになって。正に理想の男性像というか、なんというか」


「そうね、それは同意するわ」アクトウェイが誇る美麗な管制長は、自らの美しいブロンドの髪の毛を撫で、抹茶ラテを上品に口に運んだ。キャロッサは目を瞬かせている。「あんなのが夫になったら、どんなにいいだろうかって思うわよね」


「どうしてですか?」戸惑いつつ聞き返すキャロッサ。どうやら、彼女にリガルと結婚するという想像はできていなかったようだ。


「どうしてもなにも、あんなに静かな男、いないわよ。例えば家庭を持った時に、あいつが奥方に対して怒ったり、何かをまくし立てている所、想像できる?」


「確かに…………できません」


「耐え忍ぶは岩の美也。私、キャロッサの相手はもっと優しい人がいいと思う。四六時中微笑んでいる様な、能天気な男が。ね、イーライ」


イーライは戸惑いながらも頷いてみせた。その意見に関しては、彼も全くの同意を示す。


「どうして俺に振るのかはわからないが、セシルの意見には賛成だな。君の優しさを認めてくれる人が一番だと思うよ」


「そう言われると照れます。あんまり、こういうの慣れてないから……」


セシルは、今度は優しく微笑んだ。


「存分に照れなさいな。ところで話は変わるんだけど。キャロッサ、イーライとくっついたりしないの?」


今度はキャロッサとイーライが同時にむせた。


「な、な、な、なにを…………」


どぎまぎして、ぎこちなくハンカチを口に当てている彼女の前で、イーライは鬼のような形相でセシルを睨み付ける。してやったり、とセシルは楽しそうに頬杖を突き、笑みを浮かべた。


「言った通り。知ってるわよぉ、キャロッサ。あなた、航海中、暇さえあればこいつの事見て―――きゃ!?」


憤激したキャロッサが投げた紙ナプキンの束がセシルの顔面に直撃する。

いい気味だ。自分の動揺を押し隠すように心の中で呟きながら、イーライはほとんど水になったアイスコーヒーを一気に飲み干した。







夜。

深けていく夜の空気に身震いしながら、ジュリー・バックはフィリップ・カロンゾと二人で街を歩いていた。

つい先ほどまで同僚のフィリップ・カロンゾと酒を飲み交わしていたが、流石に午前中から飲み続けたアルコールは彼女を貪欲に蝕み、常にアルコールを消化し続けている丈夫な胃にも多大な負担を与えていた。見事な金髪はくすんでしまい、疲れた顔で水を飲み下す彼女を気遣って、フィリップはホテルに戻る事を勧めたのだ。酔いとして自覚する程のアルコールを体に感じていたジュリーは、気分の悪さを尾に引きながら、渋々頷き店から出たのだった。

どうにもむしゃくしゃする胸の内を持て余しながら、少しきつい航宙服の胸を開く。それでも苦しさは無くならず、先日のコンプレクターの一件もあって、彼女の心中は大荒れ、最悪の気分だった。折角この輝く惑星、深遠たる宇宙の宝石のようなオアシス、パールバティーまで休暇に訪れたというのに、銀河で有数のリゾートで悪酔いしているのも自分くらいのものだろうと、ジュリーは思う。はだけた彼女の服装に道を行き交う人々は、大柄なフィリップと豪放磊落な出で立ちの彼女に大方が振り向くが、目を合わせると事だと思っているらしく、すぐに視線を逸らして歩み去っていく。時折、人混みの中に紛れ込んでいる制服姿の警官が驚いた眼で二人を見つめているが、特に気にする風でもなく、黒い航宙服の二人組は袖をこすり合わせる様にしてホテルに向かって歩いていく。

繁華街の夜はまだ始まったばかりで、空の西方には、夜の闇と青い空が混じり合ったような紺碧色が、茜色と戦いながらどんどん沈む太陽を追いかけていた。軒を連ねるバーやレストランのホログラフが奇抜な色で客の目を惹こうと目いっぱい輝き、それに目を止めた観光客が店の中に吸い込まれていく。街は賑やかで、騒いでいる人間の前で商売をしている人間たちの多くが、旧地球の日本という島国からやってきた農耕民族らしい顔つきっをしている。少なくともアジア系と呼ばれる血を濃く受け継ぐ者たちらしい。几帳面な彼ららしく、客引きを禁止しているこのリゾート地では面倒な店の使者もおらず、何事も言わずに隣を歩く偉丈夫を、ジュリーは軽く肩で小突いた。


「何すんだよ」


不機嫌でもなく、やけに静かな声で答えるフィリップを、彼女はアルコールの靄がかかった頭でぼんやりと見上げた。彼は目の前に見える、繁華街のビルとビルの間に聳え立つ巨大なホテル群を遠目に見やりながら、自分を見つめてくる視線に気づいて、ジュリーを振り返った。その眼の光は弱弱しく、ふっと吹けば吹き飛んでしまいそうなくらいだった。


「なんだい、随分と元気が無いじゃないか」


どちらの思いにもよらない言葉が口を突いて出て、二人は顔を見合わせた後、肩を竦めて視線を逸らした。妙にタイミングが合うのも、いつものことだ。


「そうか?俺はいつも通りだぜ。おかしいのはお前だよ、ジュリー。いつもなら、まだ飲んでるってのによ」


「はん、まだ飲めるさ。だけど、今日はそんな気分じゃないんだよ」


しばしの沈黙。すれ違う観光客は大概がカップルで、気が付けば洒落たレストラン街に入り込んでいたようだ。多くの高級レストランが良い匂いを漂わせていたかと思うと、今度は様々な雑貨店が立ち並ぶ区画に入っていく。強化ガラスのショーウィンドウが並ぶ店の前で、子供たちが色とりどりの服を着、土産品の奇妙な造形物に目を奪われている。一秒ごとに形と変える現代版オブジェで、子供心には、見ているだけで飽きないのだろう。年を取ると、あれが思考の芸術品に見えるか、それとも何の中身も無いただの玩具だと思えるか、どちらかだ。自分は後者だ、とジュリーはつまらなさそうに口の中で呟き、やがて両親に手を引かれて、名残惜しそうにショーウィンドウを見つめている子供たちを見送った。

「ジュリー。ちょっと聞きたいことがあるんだけどよ」

意を決したようにフィリップが口を開き、彼女は黙ったまま頷く。今度は、道に入り込んできた輸送用の大型地上車が脇を通っていくのを見ていた時だった。電動モーター音を甲高く奏でながら通り過ぎていく車輛のヘッドライトが、フィリップの彫の深い顔にいくつもの濃い影を作った。


「お前のことだ。今、お前はアクトウェイのクルー、つまり俺達を、どう思ってるんだ」


ジュリーは再びフィリップの顔を見たが、今度は彼は前を見据えたまま、彼女と目を合わせようとはしなかった。

そういえば、今日は珍しく彼の方から飲みに誘ってきた。その理由が、今、解った気がする。フィリップ・カロンゾは、不器用な彼なりにジュリー・バックを気遣い、こうして彼女自身が整理しかねている自分の心境について考え直す機会を与えたかったのだ。思えば、酒盛りをしている最中でも、彼は話の合間に妙に押し黙る瞬間があって、まるで何かを待っているようだともジュリーは感じていたのだ。彼の問いは決して自らの好奇心からではなく、純粋に彼女を思いやるものだと悟り、柄にも無くジュリーは頬を染め、それを思い切りよくアルコールのせいにした。他人からの優しさを、子供の様に何の感情も無く受け止めることは、彼女にはもうできない事だった。


「どうかね。解からないよ」


正直なところを口にし、いや、この答えではだめだと自分で思い直して、頭の中の思考を言葉に変換し続けた。


「私は私さね。それは変わらないさ。今でもそう思う。けれど、それは私が思っているほど大した問題じゃないのかもしれない。ハンスが言うには、本当の私はあいつが知ってる、昔の、明るくて快活なお嬢様らしい」


「だけど、お前はそう思ってはいないんだろう」


「そりゃあね。なんでかっていうと、こっちの方が楽しいからさ。充実してる。以前のハンスとのコンプレクターでの日々が下火だったというつもりは無いよ。あの頃だって仲間はいたし、満ち足りてた。楽しかったのさ。それは間違いないね。どっちもどっち、ってやつ。けどね、美しい記憶を”そんな物”と表現できちまうくらい、アクトウェイでの人生ってのは―――」


綺麗で、幸せだ。不意に言葉に詰まり、ジュリーは俯いた。

こんな事を胸に想うのはいつ振りなのだろうか。いつからか、命を賭してまで自分達兄妹を、見ず知らずの土地で守ってくれたはずの両親を惑星に置き去りにし、死なせ、のうのうと生き延びた自分に対して忌避感を抱いていたのではないか。兄との軋轢はそこで生まれた。何も感じないように振る舞う兄と、何か大事なものを失ったことを隠そうとする自分。何故かよそよそしい仲間の目。

そんな自分が、次の寄港で船を降りようと決意してから、流れ着いたのがレイズだった。そこで、船員徴募オフィスに名前を登録していたところ、こうして黒い船とのお導きがあった。酒場に集まったのは顔も知らない奴らばっかりで、目の前に現れたのは、黒い航宙服と髪の毛、瞳を持った青二才。そしてやけに白い髪と肌に、黄色が勝ったブラウンの目をしている人形のような生体端末だった。

”たとえ君が男になろうと何になろうと、俺達は君を見捨てはしないよ。俺達にとってのジュリー・バックは、宇宙でただ一人。君だけだからな”

まったく、きざな野郎の言葉が、こうまで胸に響くなんて。悪態交じりに心の中で呟きながら、ジュリーは柄にもなく目に涙が込み上げてくるのを感じていた。

自分の人生はこれでいいのだろうか。これまでの選択は間違っていなかったのか。これからもこの道を歩んでいけるのだろうか。そんな不安と後悔が、知らない間に自分自身を蝕んでいたことにようやく気が付き、ジュリーは首を振った。

今まで、苦しんできたのは、きっとこの広い宇宙で、誰かに受け入れられずに孤立してしまうのではないかと思っていたからだ。アクトウェイで、身元を明らかにしなかったのも、そのため。自分の意志でコンプレクターという居場所を放り出した彼女には、後が無かった。正直に言えば、リガルの気ひとつで路頭に迷うこともあったのだ。今も、レイズで戦争の復興のためにボランティアなどをしていたかもしれない。

しかし、彼はジュリーを決して見捨てはしなかった。クルーも。さらに、フィリップは今まで通り接するだけでなく、こうして、今の不安定な彼女の状態を、彼女以上に気遣ってくれているのだ。


「俺はな、ジュリー」


ぶっきらぼうな口調で、フィリップが言う。ジュリーは彼の顔を見る事が出来ず、代わりに目の前に聳える、ホテル・ロストリアの姿を睨み付けた。


「この足をぶっ壊したのは、実は仲間のせいなんだ。俺は機関室で機関長をしてた。レイズでな。巡洋艦の機関ってのは、とんだじゃじゃ馬でよ。船のAIの力を借りたって、一瞬たりとも安定なんてしやしねぇ。ありゃ、とんでもなく複雑で、筆舌に尽くしがたい高度なテクノロジーでできている代物だから、本当にいじれる奴なんて、それこそ一握りしかいねぇのさ。だから、何か故障が起きても、俺達にはパワーコア自体を補強するしかなかった。

そんな中、ロボットアームを使って補強用の鉄骨を持ち上げてた若造が、間違えて通りがかった俺の足の上に落としやがったのさ」


初めて聞く彼の告白に、ジュリーは何も言えず、ただ、彼と共にゆっくりと歩を進めた。フィリップは一呼吸置くと、尚も話し続ける。


「医者の話じゃあ、足は元通りにはならないらしかった。義足にすれば普段通りに動けると言われたが、俺は自分じゃない物に体が変わるのは大っ嫌いでな。常々、仲間内で酒を飲みながら義手や義足は死んでも御免だってくだ巻いてた。ところがどうだ、それは本当に現実になって、俺の足に落ちてきたわけだ。皮肉なことこの上ないね」


「怒らなかったのかい、その若造に?」


「そりゃ怒ったさ。最初はな。だが、そいつは決して悪い奴じゃなかった。俺に比べれば善人も善人な奴だった。目の前で困ってる奴がいたら、何が何でも助けてやらねぇと死んじまう様なお人好しでよ。みんな、一度はあいつに助けられてた。そして、そいつの機関室での働きは素晴らしかった。俺は思ったよ、奴はこのままでは何かしらの処分を受けちまう、そうなったら船の中にはいられねぇだろう、と。そう思ったら、途端に頭が冷えてな。そいつを助けたいと思った。それこそが、俺のためじゃない、船のためになるとも思ったからさ」


「おかしな男さね。助けられるのは自分じゃないのかい、その状況じゃ」


フィリップは掠れた笑い声を漏らし、自分の少し癖のついた茶色い髪の毛を撫で上げた。


「そうだろうな。だがよ、俺はどうにも、そいつを守らなきゃなんねぇと思った。それは何故か。人間、間違いってのは必ず起こす。それは回避しようがねぇ。どこかで犯さなきゃならねぇ失敗ってのは必ずあるもんだ。どんなに注意して生きて、どんなに誰かの為になりてぇって思っても、それが実を結ばないこともあるし、反対に害になる事だってある世の中だ。気付けば他人の足を踏んでいて、踏まれている。生きるっていうことは、他人のそういう所を自分で引き受けていくもんだ。自分だって失敗をするし、もしかしたら、相手よりも余程の失敗を重ねてきたかもしれねぇ。

だがよ、それは恥じる事じゃねぇんだ。大事なのは、失敗から学んで、より良い自分を作る肥やしにする事。失敗を無駄にすることが、本当の失敗だ。これができない人間は何をやってもダメだ。その点、お前はお前なりにそうしようと努力し、その結果、人知れず苦しんできた。俺達が酒飲んで寝てる間も、お前は目の届かないところで泣いてたのかもしれねぇ。それに、俺達は気付いてやれなかった。お前がひたむきに隠してた傷を、お前が隠してるからって、都合よく気付かないふりをしてきただけなんだ。

だからよ、ジュリー。お前はお前のままでいい。お前がなりたいと思う自分になればいい。膝と膝をきっちり合わせておしとやかに紅茶を啜る、上品で鼻につく元帝国貴族のお前でも、馬鹿みたいに酔っ払いながら舵を切って、イーライが小便をちびるように船を操る海賊じみたお前でも、俺は構わねぇ。俺が、俺達が、エンジンの調子をいくらでも合わせてやる。だから、安心して突っ走っていいんだ。こける事なんて心配するな。疲れたら、疲れたって言えばいいのさ」


今までに、誰かに言って欲しくて、だけど言ってくれなくて。そんな砂漠を彷徨う旅人のような地獄の心に、ようやく光が差した気がした。その光は心から溢れ、ジュリーの目尻からあふれ出し、頬を伝って落ちていく。低い嗚咽が彼女の喉から絞り出される中、フィリップは彼女を抱きとめる代わりに、大きな手で彼女の頭をくしゃくしゃに撫でる。


「私は―――私は、ここにいてもいいのかい?」


「ああ。気の済むまでいればいい。宇宙は広いさ」


溢れだす感情を抑え切れず、ジュリーは泣きじゃくりながらホテルへ向かって歩き続ける。

自分の苦しみを共有する相手がいる。その一事だけで、彼女は嬉しくて、温かくて、酔いが全て醒めるくらいの愛しさを感じながら、空に瞬くぼやけた星の海を見上げた。

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