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漆黒の戦機  作者: 夏木裕佑
第三章「それぞれの宇宙」
56/103

一三二年 十月二十三日~ ①

・アリオス歴一三二年 一〇月二三日 バレンティア第五機動艦隊


「そら、お次はこれだ」


ライオットがデータチップを投げてよこす。ハルトは危ういところでそれを受け取り、自分のデスクの上にコーヒーをぶちまけないように気を付けながら、マグカップを慎重に机上に置いた。


「これは?」


「来月行われる、大規模合同演習の資料」


目を白黒させて、ハルトは必死に眩暈を堪える。つい先週、休暇を終えて仕事に戻ったばかりなのだ。ようやく取れてきた慢性的な頭痛にまた悩まされる日々が来るのかと思うと、彼は憂鬱になるが、とにもかくにこれで給料をもらっている訳だから、目を通さない訳にはいかない。


「当ててやろう、ライオット。これはジョン・テイラー大将からの命令だな?」


「ご名答」ライオットはくつろいだ様子で、勝手にハルトのオフィスにあるコーヒーメイカーから自分の分のコーヒーを淹れ始めた。「司令部から来たものらしいが、出所はあの爺さんの所で間違いないよ。俺自身、少し探りを入れてみたが、その線で間違いは無さそうだった」


「フム。しかし、この時期に合同演習か。何か狙いがあるんだろうな」


休暇で頭が上手く働かない。ハルトはコーヒーを一気に飲み干しながら、この命令の由来について考えてみた。


今、バレンティア航宙軍は密かに稼働率を上げている。上層部はテロ攻撃に対する警戒を強め、今や現実の脅威となり始めた、旧帝国軍の残党の掃討作戦が始まるのではないかと考えてみる。そのための合同演習で、これは局地戦とならざるを得ない、各星系での戦闘を想定したものだとしたらどうだろう。


「ハルト」


ライオットの問いかけに考えを中断して、ハルトは彼を見た。


「なんだ?」


「考えるより、見てみろよ。その方が早い。遠回りするなんて、お前らしくないぞ」


「だな。すまん、休暇で少し鈍ったみたいだ。しっかりしないと」


ハルトはデスクと一体化しているコンソール、そのデータチップ挿入口にチップを押し込み、起動する。ホログラフの画面が表示され、コンソールをぱたぱたとタイプしていき、やがて動きを止めた。


「おい、ライオット。凄いぞ。見てみろ」


ホログラフのデータを、簡易会議用に設置された室内投影型ホログラフに送りこみ、二人の間くらいの壁に様々なデータが映し出された。ハルトはその中で「参加部隊」の部分をクリックし、フォルダ内に入っていた名簿を展開して見せる。その表示を見て、ライオットは短い口笛を吹いた。


「こいつは凄いな。第三、第六機動艦隊が参加するのか。他、シヴァ共和国の第一管区艦隊、レイズ星間連合の第一艦隊か。凄いな。全部で二千隻に近い数の船が揃うわけだ。それも戦闘用艦艇のみで。形式は戦隊ごとに別れたゲリラ戦を想定し、シヴァ領宙のシナノ宙域をまるまるひとつ使って遭遇戦を演出する。成程、本格的に帝国の残党狩りをする下準備という訳か」


「へえ。それで、なんでそのファイルが俺達の所に送られてくるんでしょうね、少将閣下?」


「茶化すなよ、ハルト。君にはもう解ってるだろう。これはつまり、ジョン・テイラー大将からのメッセージだ。何を意味するかは解らんが、上官が部下に、これこれこういった事をするぞ、という風に見せかけて、何かを伝えようとしてるのさ」


「そうだな。だが、問題は何故、こうして回りくどいやり方をするのか、だ。何か、他の者に見られてはいけないものでも入っているのかとも思うが―――」


そこでハルトは言葉を切り、ライオットの水色の瞳と目を見合わせた。何気ない思考の流れの中、真実がぽっかりと浮かび上がってくる事もよくあるのだ。


ライオットは急に姿勢を正し、ハルトの隣までやってきた。ホログラフをデスクの上に戻して参加艦隊のリストを二人で穴が開く程見つめるが、どこも不審な点は無い。ライオットが言った通りの情報しか読み取れなかった。演習に参加する艦隊と、戦隊の詳細なリスト、規模、追従する補給船団の規模、誰が指揮官で誰が部下なのか。演習をするにあたり、至極当然な文字の羅列が広がっているばかりで、そこには特別、注意を引くような点は何もない。


「解らんな。あの爺さん、俺に何をさせるつもりだ?」


とうとうハルトが呟くと、ライオットの目に思考の閃光が走った。勢いよくリストをスクロールさせ、銀河連合に所属する参加艦隊名に目を落とす。


「ハルト、解ったぞ。つまり、これこそがメッセージだ。このリストを見てみろ」


ハルトはまだぼんやりとした頭でその艦隊名簿を見つめるが、特にぴんと来ない。


「これがどうかしたのか」


「どうしたもこうしたも無い。俺達はこのリストの中に含まれてないだろ?演習には参加しない。つまり、演習自体には目を向けなくていいってことだ。重要なのはこのリストで、こいつらから目を離すな、ということなのかもしれん」


「フム?ああ、成程。つまり、リストの中ではなく、リストそのものがメッセージという訳か。俺達がこれを必要になると思って、寄越したんだな」


「その通りだ。ハルト、このリストを見て何に気付く?俺には解るぞ。この第三、第六機動艦隊は、つい先月まで大規模メンテナンスの為に、アラトリアム星系で一斉入渠していた艦隊だ。その艦隊を、何故いきなり演習に出す?普通は、俺達みたいな、つい先ほどまで稼働していた艦隊を派遣するほうが定石の筈だ。機動艦隊はバレンティアの象徴で、休暇明けの兵士達にこんな一大イベントを任せるより、そっちの方がよほどミスをしないだろうからな。だが、今回は参加する艦隊の二つともが無稼働状態だった艦隊になっている。これはつまりどういうことだ?」


ハルトは、ようやく頭に血が巡り始めたのを感じ、一心不乱に思考の山に埋もれた。


ライオットの指摘はもっともだ。このリストは不審だ。バレンティア航宙軍で、こういった艦隊の指名を行うのは総参謀長で、今はアシュレット中将がその任に付いており、彼がジョン・テイラー機動艦隊司令長官にこのリストを見せ、承認を得なければ、バレンティア議会にも提出することは不可能な筈だ。そして、その総参謀長が作成したリストを、何故かライオット経由で、ほぼ個人的ともいえるルートで、大将は手渡してきた。きっと、大将が気を揉んでいる相手に、気取られない様に。大将が気を揉んでいる相手は、今は帝国の残党の筈だ。それなのに、バレンティア軍の目にも付かないようなルートでこうして送ってくるとは―――”待てよ”。


こいつはとんでもなく厄介なことかもしれない。ハルトは寒気を覚えた。

これが事実だとしたら、銀河連合など木端微塵に吹き飛んでしまうだろう。それこそ、ガラスの瓶の様に、粉々になってしまうに違いない。しかし、そんな事が、有り得るのだろうか?


「ライオット。早急に調べて欲しい事がある。シヴァ共和国軍の第一管区艦隊を調べてくれ。編成なんかはどうでもいい。ここ二年ほどの艦隊行動記録を調べ上げろ。他に、このリストにある艦隊司令官の行動記録も作ってもらいたい。優先順位は前者の方が上だ」


ライオットは頷きながらも、説明を求める目でハルトを見やる。ハルトは険しい目つきで、口元だけに笑みを浮かべて見せた。


「成程、だから大将は俺達第五艦隊にバルハザールへ行かせた訳だ。俺なら信用できると踏んでいたわけだな」


「おい、どういう訳だよ、ハルト。教えてくれ。何が起こっている?」


ハルトは席を立ち、リストを映していたデータチップをコンソールから抜き取って電源を落とすと、軍服の皺を伸ばして立ち上がった。歩き出しながら、背中越しにライオットに言う。


「戦争さ、ライオット。それも、とびきりでかい奴だ」





・アリオス歴一三二年 一〇月二八日 惑星パールバティー


目がくらむような太陽。地上に広がる果てしない緑。眼下の視界を半ば支配する青い海。海岸線を彩るビーチ…………そういった、人間が天国を思い浮かべる時の要素が全て並んだかのようなリゾート惑星、パールバティーの景色を見て、女性陣が歓声を上げる。リガルはへとへとに疲れた体を引きずって、軌道エレベーターの透過壁越しに見える景色をしょぼくれた目に映す。


コンプレクターの一件から一週間。表面上はすっかりいつも通りの様子を取り戻したクルーたちを連れて、休暇の目的地であるパールバティーへとやってきたのだが、彼を悩ませる要因が一つだけあった。


パールバティーはリゾート惑星である。宇宙を旅する放浪者ノーマッドを始め、軍の高級官僚、角界のセレブ、大富豪と、様々な人種が入り乱れ、過酷な宇宙から骨休めをしにやってくる星だ。オリオン椀有数の一大リゾート地であるこの星に、例の漏れず羽を休めようとやってきたリガル達だったが、頭を悩ませる問題がふたつあった。


ひとつは、この惑星には地上に宇宙港が無い事だ。多くの人が出入りすると言っても、入港する時点で法外な費用を請求させられる。運宙業者や警備関係、この惑星に住む人々が周する船は通常の料金で入港できるが、他星系からやってきた船全てには通常の十倍ほどの料金がかかる。それは惑星に広く分布する固有の植物群や生態系を保護するために、現地政府が入港規制を敷いているためである。これらの生態系が一度崩されると、再建するのが非常に困難である上、それらが消滅したとなってはGDPの半分以上を占める観光関係の市場に大きな影響が出るからである。


ふたつめが、コンプレクターの存在だった。リガルの勘では恐らく三日ほどの間に襲来してくると思われ、半ば滑り込む形でパールバティーへの入港を果たしたのだ。その際、警備艦艇五隻に厳重に監視された状態で軌道上のハブステーションにドッキングさせられ、惑星上ではブラスターだけしか持ち込めず、生体端末であるアキすらも入港させまいとする圧力があった。勿論、クルーは反発したが、警備関係の人間のひとりが電子新聞を振りながら走って来て、武装した警備員に手渡すと、今までの煩わしさが嘘の様に無くなり、気付けば最高の待遇を約束する念書を与えられていた。どういう訳かとリガルがアキに聞いたところ、彼女が一目みた限りでは、レイズ=バルハザール戦争とアルトロレス連邦でのニコラス・フォン・バルンテージ誘拐事件の事が書かれていたらしい。


このパールバティーの周囲では、海賊・テロ対策に宙域を丸々ひとつ、数十隻の警備艦艇でカバーしており、さらにパールバティーの衛星軌道上にも無数に監視衛星が置かれ、各警備部隊から、一年おきに交代制で人員を総入れ替えして内部情報の漏えいを防ぐなど、ありとあらゆる手段でリゾート地を訪れる重要人物たちを警護している。安全性も、この惑星にとっては生命線ともいえる重要な因子なのだ。ここにいれば、少なくとも大っぴらに襲い掛かってくることは無いだろう。


「リガル、見て見て!凄い、早く泳ぎたい!」


子供の様にはしゃぎながら、ふらりと現れた船長を連れ去ろうとするセシル。彼女に手を引かれながら、彼は首を横に振った。他のクルーたちも浮足だっていて、イーライはキャロッサに地元料理についての質問攻めを受けており、フィリップとジュリーは今日飲む酒の相談をしている。アキですらも、興味津々な眼差しで地上を見つめたまま動かない。広いコンコールの足元に広がる景色は、それだけ魅力的なのだ。


周囲を見れば、身なりを整えた貴婦人や、その腕を取って歩くタキシード姿の男など、ひどく小洒落た格好の人間が目立つ。多くが付添人やアンドロイドを連れており、周囲をステーションの警備員が固めていた。不思議と、リガル達の周囲には人垣が無い。ノーマッドなら自分で危険に対処できるとでも思っているのだろうか。その通りだが。


「落ち着け。とにかく地上に降りるが、その前にゲートで殺菌処理を受けなきゃならない。その後に地上のホテルに移ってから、まずは飯にしよう。各人の自由行動はそれから。いいか?」


「イエス・サー!」


全員が元気よく答える。苦笑いしながら、リガルは一向を率いて起動エレベーターへと向かった。衛星軌道上に建設された高さ八万フィートの軌道上からリニア・モーター形式のエレベーターが絶え間なく人員を輸送しているのだ。


その巨大なゲート一歩手前で行われている除菌作業は、先に述べた惑星生態系の保護のために義務付けられているものである。このゲートより先では完全な無菌状態が実現される訳である。


リガル達はまず、一人ずつIDの提示を求められ、その後に防塵室にて強烈な送風により体中の埃を吹き飛ばし、揮発性の高い消毒液を善人に噴霧され、履いているブーツの裏にある異物を全て取り除いた後で、ようやくエレベーターの前までやってくることが出来た。


単純な到着順で並んでいる人々の列に並び、じりじりと十分ほどの時間を待つ。やがて六つあるリニア・モーター・エレベーターのうちのひとつが目の前に滑り込んでくる。それ自体が動力を持ち、人工重力を発生させることのできる車両は、どんなセレブでもスカートを裏返さずに地上まで降りられるように設計された特別性だ。地表に対して垂直に吊るされた巨大なワイヤーロープの脇を、電磁力によって上下動するこの機械は細長く、大きさにして二十階建てのビルに相当する。ほぼ同じくらいに内部も仕切られており、それを利用しておよそ二十分になる行程すらも、ひとつの旅に押し上げている。リガルの知る限り、銀河で最も乗り心地の良いエレベーターであることは疑いない。


エレベーターの中に乗り込むと、リガル達は指定された第四フロアに通された。文字通り下から四番目のフロアで、他にもパールバティーを訪れたノーマッドがいないせいか、大金持ちの客が優先的に上の階に配置されるシステムによって、彼らのヒエラルキーを満足させる構造になっているらしい。政財界にも影響力を持つ彼らを虚仮にするよりも、どこの馬の骨から産まれたとも知らない放浪者ノーマッドを卑下する方が簡単ということだ。無論、アクトウェイのクルーは胸の中に冷たい風が入り込むのを感じたが、キャロッサが持参したサンドイッチひとつで場の空気は和んだ。それを食べ終えると、リガルは猛烈な睡魔に襲われ、彼が居眠りをしている間にクルーたちは透過壁の窓から見える惑星の景色に見とれた。


静かに寝息を立てているリガルの右側はアキが座っている。彼女はおしゃべりをするイーライやセシルたちから少し離れて窓の外の景色を眺めていたが、やがて隣の青年が夢の世界へ旅立ったことに気が付くと、静かに席を立ってエレベーターの中に常駐しているスタッフに声をかけると、手渡されたタオルケットをそっとリガルに掛けた。


それからは、窓の外の景色ではなく、まるで意識を失った様に眠りこける彼の顔を見ながら、アキは思った。


人間のなんと愛おしいことか。隣で浮かれ騒ぐイーライたちの輪の中では、すっかり打ち解けたジュリーがポケットウィスキーの瓶でフィリップを小突いて、笑いあっている。セシルとキャロッサは現地での買い物話に花を咲かせ、イーライは彼らに必要な観光地の情報を、地元民として熱心に提供していた。


この輪の中に、自分は必要なのだろうか。ちゃんと溶け込めているのだろうか。そう考えた時、自分の中で何か、じんわりと温かいものが溢れ出ている事に気が付く。


今なら、彼の気持ちが理解できる。自分の命を犠牲にしてでも何かを守ろうとした彼の気持ちが、多少なりとも、アキには温かく感じられる。その感情を持て余しつつ、白いショートカットをひとつ揺らして、黄色が勝ったブラウンの瞳でリガルからエレベーターの窓に視線を移す。


自分の頬を撫でる。気づかないうちに笑みをこぼしていた自分を不思議に思い、彼女はまた小首を傾げるのだった。






慌ただしい食事が終わった後、フィリップとジュリーは肩を叩きあいながら繁華街へと姿をけし、セシルとキャロッサは市街地の巨大なショッピングモールへ向かった。イーライは、「あの酒飲みの馬鹿共は大丈夫だろうから女二人についていく」と言い残して、それぞれがそれぞれの目的地へと去って行った。拠点は起動エレベーターの根本から二キロほど離れた居心地のいいホテルで、市街地と緑の自然が混在している奇妙な街並みの中でもひときわ目を引く建物だ。


わざと懐古主義めいた古臭いベージュ色の建物は四十階まであり、惑星パールバティーの主な玄関口となっているクラリア大陸の楕円形に滲んだ東側の海に接しているロストリアというホテルは、今年で開業百年を超える老舗のホテルだ。計算ではオリオン腕大戦の頃からこの惑星に建てられていることになる。落ち着いた調度とクオリティの高いサービスが売りで、中には簡単な土産物店のモールやレストラン、バー、スパなどのリラクゼーション施設が一通り揃えられている。


ニコラス・フォン・バルンテージから頂戴した報奨金の多くを、リガルはここで消費するつもりだった。懐に転がってきた金額の残りはアクトウェイの改装費につぎ込むことがクルーたちとの話し合いで決定しており、レイズにいたころの様にどこを優先的に改装するかの順番を決める必要も無いくらいだから、安心して軌道上の造船所に任せるつもりだった。既に送られたデータを見る限り、今回の改装を終えれば、アクトウェイの戦闘力はバレンティア航宙軍の戦艦に匹敵する火力と、軽巡洋艦並みの機動性、重巡洋艦以上戦艦未満の防御力を手に入れることになる。さらに、中央コンピュータには自意識に目覚めた自律AIのアキがいるので、バレンティアの所有するイージス艦ほどの戦闘情報処理能力さえも有しているのだ。加えて、クルーたちはリガルも舌を巻く腕っこき揃い。極めて頼もしい船となるのは確実だ。


改装する部分についての詳細は、舳設置型の埋め込み型の十二門ある主砲の稼働率上昇、エネルギー伝達ケーブルの強化、船体に二十四カ所あるPSA装甲発生装置の出力調整、三十二基の垂直発射式ミサイルランチャーの目標指示に用いる超光速火器管制レーダーの出力強化、機関部でかねてよりフィリップが指摘していた外殻破損時の出力維持機能の脆弱性改善だ。簡単に言えば全体改装である。何処からともなく表れた黒い船はこれでもかというくらいにクルーたちの手が加えられ、最早、リガルにとっても見慣れない船とは言えなくなっていた。


ロストリア・ホテルの三十二階にある三二○一七号室のベッドに倒れ込んだリガルは、航宙服もそのままに欠伸をした。ブーツを脱ぎ捨て、今更ながら黒い航宙服の上着を脱ぎ捨てると、もぞもぞとベッドの中に潜り込み始めた。どういう訳か、最近は疲れが取れにくい。長い間宇宙にいたせいだろうか。謎の疲労感の正体を考える余裕も無く瞳を閉じたが、ベッドにかかる自分以外の体重を感じて彼は瞳を開く。


アキが、うつ伏せにベッドに横たわるリガルの左側に腰掛け、ホロテレビを付けた。パールバティーの民間放送が始まり、観光者向けの騒々しいリゾート地紹介番組を、どこが面白いのかと聞きたくなるくらいに真剣な眼差しで見始める彼女の細い背中を見上げながら、彼は思わず息を呑んだ。


彼女は綺麗だ。生体端末とはいえ、その容姿は人間と瓜二つ。洗練された美貌は、AIであるアキの機械的な落ち着きも相まって、何とも言えない、静謐さすら感じられるほどの空気を纏っている。短い白髪は彼女によって、少し手が加えられたらしい。少し伸びただろうか、肩ぶちくらいまでになっている。掴んだら折れてしまいそうなほど細い首筋はほとんど見えなくなって、華奢な体つきの中で標準以上に膨らんだ胸が、体に吸い付くような航宙服のせいで余計に際立っている。


顔を反対側に向けながら、なんとか落ち着いて眠ろうとするものの、今度は目が冴え始めて眠気がなくなりつつあった。


腐っても男か俺は、と胸の中で毒づきながら、そういえば彼女はどうして俺のベッドに腰掛けているのだろうと思い当たり、もしかして彼女にも何か思う所があるのだろうかと邪推したところで赤面した。我ながらどうしようもない自惚れだと思ったのだ。これでは思春期の子供と相違ない。


しばらく、そこそこ広い部屋の中でテレビの音だけが響く。窓の外では巡回している警察機関のVTOL機が何機か飛び交い、窓ガラスを轟音が叩く。地上では電気モーター動力の地上車が何台も行きかっていて、掌はとめどなく熱い。


彼女は生体端末。リガルは、彼女を愛している。痛いほどの実感が彼の胸を焦がし、先ほどまで動悸を感じていた胸が嘘みたいに落ち着いていく。完全に一定のリズムを心臓が刻むようになると、再び眠気が体の奥底からゆっくりと押し寄せてきて、彼は重い瞼を半ば閉じた。


「起きていますか、リガル」


いつかは話しかけられるだろうと思っていたから、リガルは驚く風でもなく、ゆっくりと首を左に向け、まだテレビを凝視しているアキの横顔をベッドの上から見上げた。


思えば、彼女とこうして、誰にも邪魔されずに二人きりになるのは本当に久しぶりだ。アルトロレス連邦で、ニコラス・フォン・バルンテージの救出作戦の際に、アクトウェイから離れて別行動を取っていたリガルは、クルーたちに差し迫った危険を察知して、あの謎の白い船の前にシャトル一隻で躍り出た。今でも後悔はしていない。が、その後、寿命が縮むほどアクトウェイの面々にこってりとしぼられたのも事実だ。アキも同様で、怒るということも正確に理解できているかも分からないであろう、しかし明らかに不機嫌な事は間違いない彼女に理由を問いただされ、リガルは彼女を愛しているからだと答えた。


「起きてるよ。どうかしたか?」


「いえ、呼んでみようと思っただけです。お気に障ったのなら、謝ります」


リガルが身を起こすと、ベッドの空気圧力調整機能が唸りをあげ、彼の体重が過度にかかっている部分の圧力を下げるために空気を集める。アキは尚もテレビから視線を逸らすことなく、リガルは彼女の右隣に腰掛けた。適当に傍にあったグラスを引っ張り出してきて、これまたベッドの隣に鎮座している豪奢なサイドボードから、サービスで置かれている飲料クーラーから適当な柑橘系ジュースを二本取り出し、古めかしいデザインの瓶を栓抜きを使って開ける。二人分のグラスにオレンジ色のネクターを注ぎ淹れると、彼女の手に握らせた。その時になって初めて、アキはリガルを見つめ、次いで手に持っているグラスの液面へと視線を落とす。


「本当に、呼んでみただけか?」


微かな期待と、大きな確信を持って問うと、アキはグラスを持ち上げて、ジュースの匂いをかいだ。白い髪の毛がふわりと、いつの間にか開いていた窓から入った風に毛先を舞い上がらせ、リガルの肩を撫でた。


「実を言うと、自分でもよく解かりません」


煮え切らない返答に、今度はリガルがジュースの匂いをかぎ、アキが静かに口を付けた。


「解からないって、どういうことだい。話す事をど忘れしたとか?君に限って、そんな大失態はあり得ないよな」


いくら古いAIとはいえ、アキがそんな初歩的なミスをする時は、恐らく大半の論理集積回路が焼き切れ、メモリダンプの中から情報を選び出す事が出来なくなったか、或いはメモリダンプ自体がピンポイントで破壊されたかのどちらかだ。高度な人工知能である彼女に、そういった人間のような失敗は許されない。そこが、生端末に入っている彼女を、機械たらしめている要因のひとつでもある。


人間は不完全でなければならない、とリガルは思う。自慢ではないが、彼はクルーと共になら、宇宙のどこまでも船を操っていける自信があった。クルーそれぞれが持っている技能を最大限に生かし、チームとして、船をどこにかじを切っていけばいいかを考え、指示するのが彼の仕事であり、責任で、誇りだ。それはクルーたちにしてみても同じで、自分たちが最善を尽くす事が出来るのはリガルという、それを許容する程の技量と経験を持つ、若いながらも才覚に溢れた船長が、どんなに危険な場合でも身じろぎひとつせずに陣頭指揮を執っているからに他ならない。才能がいくつも集まり、その才能をまとめる才能を持つ人間が揃った時、人間は奇跡を起こす。だが、それは能力の高さ、つまり利点による恩恵ではなく、人がそれぞれどこかに持つ欠点を内包しているからだ。何か優劣を付ける時、そこには必ず、正義にとっての悪、高いに対しての低い、熱いに対しての冷たいが存在する。対概念と呼ばれるこれらがあってこそ初めて、才能はその必要性の高さを如何なく発揮できる、いわば土壌となっているとも言えるのだ。


だから、リガルは万が一アキが使い物にならなくなった場合でも、それはそれで良しと考えていた。AIではなく、ただの人間になってしまったとしても、彼は彼女をそのまま愛する覚悟を持っていた。


「端的に説明すれば、私はリガルに何かを話す必要性を感じているのですが、その内容を私の内に見つける事が出来ないのです」


彼女は感情を持っている。それは前々から判明していた事実だが、時折、こうして自分の心を持て余してしまっている彼女を支えるのも、いつからかリガルやクルーたちの役割になっていた。


リガルはジュースを口に含み、怪訝な表情をした後で、グラスをサイドボードの上に戻しながら言った。


「分かった。いいかアキ、それはつまり、君自身が思っている以上に、他に何か重要な君の思考が存在している証だ。戸惑うことは無いよ。みんなそうだ。俺にだって、そういう意味の分からない時はあるよ」


「私だけの話では、ないのでしょうか?」


「うん。まあ、AIに限って言うと、それは君とほんの少しの年月を経た人工知能に限られると思うけどな。アキ、君が今感じているのは、きっと寂しさってやつだぜ。居ても立っても居られない。だから、このベッドに腰掛けたんだろ?自分の中で、どうやって俺と会話をするのかを、無意識のうちに考えていたわけだ」


アキは少し首を傾げ。納得したように頷いた。自分のメモリの中にある一項目と、今の自分の状態を照合していたらしいことが、リガルには手に取るようにわかった。


「どうやらその様です。どうしてお解りになられたのですか?私が考えている事は、あなたとは共有されていない筈です」


「おいおい、それを言うなら、君だって俺の考えを読むと気があるだろ。それは意識してやってるのかもしれないけど、心ってのを持っていると、それが理屈ではなく、直感や第六感の類で感じ取れる時がある。今のはそれだ」


「なるほど。では、私も心を持っていると言うことになるのでしょうか」


「そうだろうな。まだ未熟かもしれないが、果実はいずれ熟れる。熟れすぎると、少し困りものだが」


リガルはオレンジ色のジュースを指さした。アキは小さく笑い、再びジュースに口を付ける。困っている彼女に、リガルは話題を提供した。


「煩わしいと思うか?」


「いえ。ただ、戸惑います。私達人工知能は、感情表現は内蔵されていても、それを自発的に行う事はしませんから。他の船のAIにしてみても、自分から船長に話しかける事はありませんでしょう?」


「でも、それは君達が、人間のために少しでも良い環境に船を保とうとしているからじゃないのか。人工知能だって脳味噌と同じようなものだろ。俺は機械に疎いけれど、君にだって魂が宿っても、俺は不思議じゃないと思うな」


「心はあるのに魂は無いのかもしれない、と?」


形の良い眉に、不安そうに根を寄せた彼女を見て、リガルは首を振った。


「いや、そうじゃない。所詮、人間の脳味噌だって電子を媒体にして動くコンピュータにすぎないってことだ。今だに魂なんて概念が科学的に説明されないのは、このところに確信があるように思う。自分の脳と機械が同じであるのなら、人間としての尊厳はどこに帰結するのか。自らが人間であると言う自意識自体が欺瞞で、実はどんな機械にも同じようなものを創りだせるものなのではないか」


「つまり、それを認めた途端、人は正気を保っていられないのでしょうか?自分が、例えば私のようなAIと同じなのだという認識は、つまり自らの人格を否定することにもつながるでしょうし、単純に納得できる話ではない筈ですから」


「それもそうだ。つまり何が言いたいのかっていうとだな」


リガルはアキの冷たい右手に触れ、すぐに手を離した。知らず、もう少しだけ触れていてもいいのに、と、彼女は思ってしまう。それが心の内から漏れ出た想いである事に、アキは気が付いたが、顔には出さずにリガルの次の言葉を待った。


「君はまだ生まれたばかりだ。知識は沢山あるが、まだ感情を知り尽くさない赤ん坊と同じだ。だから、そんなに焦る必要はない。じっくり悩めばいい。一人で悩みたくない時は、一緒に悩んでやるよ」


彼女が言葉を返せずにいると、彼は若干頬を赤らめ、逃げる様にベッドの中へもぐりこんでいった。やがて静かな寝息が窓から入り込む薫り高い風の吹きすさぶ音と混じり合った時、アキは一人、とても幸せそうに微笑んで、窓へと歩み寄った。


外には壮大な景色が広がっている。緑と灰色が入り混じった街区は四角く整理され、所々に走る幅広の道路は、観光客が乗り降りする大型地上車や、この惑星に済んでいる住民が用いる小型の地上車が競い合うように道路を走り、空は青く、彼女のデータスロットにある記録によれば、パールバティーは旧地球オールド・アースの日本という島国の気候によく似ている。街の端の方に見える森林地帯を彩る木々は、葉の大きい広葉樹だろうか。


真正面に控えて見える、厳かな軌道エレベーターのどこまでも続く巨大なワイヤーロープを見上げながら、彼女はまた微笑み、自らの内に芽生えた新しい感情、「恋」という概念を、赤ん坊を撫で続ける母親のように愛で続けた。


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