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漆黒の戦機  作者: 夏木裕佑
第二章 黄金の花束
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一三二年 十月二十日~

・アリオス歴一三二年 一〇月二〇日 シヴァ共和国 大型巡洋船アクトウェイ


いつになく瞬きを強めている星々を見つめながら、アキは目の前にある、白と黒の丸い駒が置かれたボードを睨んでいた。


場所はアクトウェイの食堂である。彼女の座っているテーブルは、二百人からを収容できる大部屋の中央付近に位置しているいつもの位置だ。この船に自分のAIを移してからというもの、彼女はここで朝昼晩の食事をクルーと共にするのが日課となっている。


元々、商船用に開発された半独立AIである彼女は、通常のAIよりも遥かにに長い、五十年以上の経験を経て、他のAIなどとは違い、自らの人格を形成するに至っている。アクトウェイの一角に保管されていた生体端末に自分の自意識を転送した彼女は、元々船体最深部のコアに本体を持っていたが、いつしか生体端末に自分の本体を置くようにしていた。その方が、クルーたちとコミュニケーションを取るのが容易だし、何よりも、この身体でしか経験できないことがあると彼女が認識し始めた結果だった。


「どうした、アキ。お前の番だぜ」


ふと彼女が顔を上げると、スマートな顔つきの砲雷長が、口元に不敵な笑みを浮かべているのが目に入った。


イーライ・ジョンソンはまだ二十代後半の若い男で、引き締まった中肉中背の体つきに真っ直ぐな金髪と、青い瞳を持つやり手の男だ。もともと、このシヴァ共和国の軍で巡洋艦の砲雷長という任務についており、今ではアクトウェイでその経験を存分に発揮している、稀有な実力を持つクルーの一人だ。


「AIでも考えるんだな。もっと、こう、さっと裏返しちまうものなのかと思ってたよ」


身振り手振りを交えて説明する彼に、アキは冷淡な目で見つめ返した。


「話しかけて気を逸らそうとしても無駄ですよ、砲雷長。計算はすぐにできますが、それでは面白味がありませんから、頭で考えているんです」


「負荷をかけてるのか。俺とのオセロを楽しむために」


アキはボードの隅の一角を黒で染め上げ、イーライの駒を半減させた。


「はい。先に言っておきますと、失礼なのは承知の上です。ですが、物事には我慢できない好奇心というものがありまして」


「心のダムとかいうやつだな」


絶望的な局面となってしまったボードを見つめながら、イーライは食いしばった歯の間から声を漏らした。彼はアクトウェイの船長に負けず劣らず頭の回転が早いほうだが、今回は完全に分が悪い。何故なら、彼らの持っている携帯端末とは比較にならないほどの演算性能を持っているAIが相手で、しかも彼女は自意識さえ芽生えさせているのだから。こと何かを考える、分析する、といった、数学的に思考する点において、アキは無敵だろう。


それでも、日常や非常時における人間的な判断という点では、やはり不足しがちなものがある。彼女は自意識を持っているとはいっても、人間には程遠いものだ。しかも、それを自覚したのは最近のことで、自分の感情に困惑することも少なくない。故に、イーライの新鮮味に溢れた感想を、彼女は遠い目でしっかりと吟味した。


「心のダム、ですか。感情をせき止める、ということですね」


彼女は呟き、なんとか一手を繰り出したイーライに引導を渡した。どうにもこうにも逆転のしようのないボードを見つめて、彼は溜息をついた。これで彼の十連敗だ。今のところ、彼女に勝ったクルーはいない。彼らの船長だけが、まだ彼女の対戦したことは無いが、結果がどうなるかは目に見ている。だからこそ対局しないのだろう、とイーライはあたりを付けて、白黒の駒が乗った緑のボードを片付け始めた。


「ちぇ。今日は勝てると思ったんだがな」


「それは予感、というものですか、砲雷長」


「予感じゃない、勘だ。そんな気がしたというだけだろ、イーライ」


振り向くと、リガルがいた。いつの間にか自室から起きだし、欠伸を右手で覆い隠しながら、いつの間にかイーライの背後、アキの正面から近寄ってくる。


この黒い髪、黒い瞳、黒い航宙服に身を包んだ青年が、アクトウェイを操る天才ともいえる才能の持ち主、リガルだった。


「おはようございます、船長。今日はやけに遅かったじゃないですか」


「おはよう。少し眠すぎてな。アキに連絡して、何かあったら起こすようにお願いしていたんだ」


「へえ。俺は平気ですけど、そういえばフィリップとジュリーも見ないな。セシルはそこで本を読んでますけど」


イーライが指さしたふたつ隣のテーブルでは、セシルがぼんやりとした様子で本のページを繰っている。アキはイーライから手渡されたオセロのボードをテーブルの脇に追いやると、手近なコーヒーの保温ポットから、紙コップに黒い液体を注ぎ淹れた。キャロッサの淹れたコーヒーは絶品で、時々銘柄を変えるのか、飽きのこない旨みをずっと楽しむ事が出来る。合成食料ではなく、生の食糧にこだわるくらいだから、彼女もまた、一級の船員といえるだろう。ある意味では、クルーたちの支えとして、最も重要な部分を担っているのが彼女だった。


「あの二人からも、同じように眠すぎるとの連絡が来ています。船長に連絡しようかと思ったのですが、船長自身も眠っているのでは報告のしようもありませんので。コーヒーをどうぞ、目が覚めますよ」


「それを言われると、返す言葉がないなあ。ありがたくいただこう」


リガルはアキからコーヒーを受け取りつつ、彼女の隣の座席に腰を下ろした。青年は少し長めの前髪を鬱陶しそうに掻き上げると、熱い液体を一口、口の中に流し込んだ。深い苦みが口腔内に広がり、胃の中の熱さは体を落ち着かせてくれる。


「キャロッサは?」


「厨房で調理中です。彼女は元気な様子でしたが、現状を見る限り、レイズとアルトロレス連邦での疲労がかなり蓄積しているといえるでしょう。今回のシヴァ共和国への休暇は、妥当な判断となってきましたね」


「なんだよ、アキ。随分楽しそうじゃないか。そんなに休暇が楽しみか?」


リガルの言葉に、彼女は天女と見紛うほどの穏やかな微笑みで答えた。彼は彼女から目を逸らして、コーヒーの黒い液面を見つめる。


思えば、この船に乗って、今のクルーたちと面識を持ってから、まだ半年も経過していないのだ。だというのに、彼らはひとつの星間戦争と、それに匹敵するテロリストとの激闘を演じてきた。並みのノーマッドなら、バルハザール宇宙軍との戦闘でとっくに撃沈されていたであろう局面を、リガルの機転とアキの冷静な管理能力、さらにクルーそれぞれの高い個人技能が、この船の性能を何倍にも増大させ、数々の苦難を乗り越えてきた。


だから、ここで少しは贅沢をしても罰は当たらないだろう。そう考え、リガルは数ある星間国家の中でも治安の安定し、そこそこのリゾート地が点在しているシヴァ共和国へと休暇に訪れることを決定したのだ。ちょうど、先日の依頼で、銀河一の大富豪と謳われるニコラス・フォン・バルンテージから受け取った報酬もある。今でさえ一生遊んで暮らせるほどの額が手の中にあるが、リガルにとって宇宙を股にかけることこそが船に乗る意味である以上、それを、クルーたちの体力回復につぎ込むのは当然で、妥当なことといえた。


その中で意外であったことは、アキがこの休暇に対して多大な興味を寄せているということだった。今まで機械として、自分の感情を持て余していた彼女が心に余裕を持ち始めたことに、リガルは深い驚きと、新鮮な気分を覚えた。機械が命を持つということは素晴らしく思えるし、何より、彼は彼女を愛していた。それ故に、アキがどんどん人間らしくなっていくことが、誇らしくてたまらなかった。


リガルは落ち着かなさそうに体をよじり、アキは微笑んだまま、自分の紙コップにコーヒーを注いでいる。イーライは不思議な目で二人を見やり、まあお似合いだ、と心の中で呟きながら、ひとり頷いた。セシルは苦戦を強いられることだろう。


「それにしても、シヴァといえば」


唐突にリガルが話し始めて、アキとイーライは視線を彼に移した。


「イーライ、君の故郷だろう。何か、ここだけは見ておくべき、なんて穴場はないのかい?」


「そうですね。俺がシヴァで暮らしていたのはもう何年も前のことですから、少し記憶と違うところがあるかもしれませんが、パールバティーなんてどうでしょうか。あそこは海が綺麗で、列島に点在するどれかの宿泊地に滞在すれば、広大な山と海の両方を楽しむ事が出来ますよ」


「食事は、美味でしょうか」


抑え切れなかったのか、アキが問う。イーライは笑いをかみ殺しながら頷いた。


シヴァ共和国の特徴は、各惑星にほとんど手つかずの自然が残されている点にある。他の国に比べて、シヴァには土着の植物や生物を有する惑星が比較的多く、彼の提案したパールバティーもそうした惑星群を代表する星だ。地球によく似た温暖な気候で、塩分濃度が少し低い海と、数個の大陸、それに繁茂する茶色と黄色、赤の植物が織りなす大自然は、訪れる人々を魅了してやまない。一年中紅葉が続いているようなもので、仄かにハッカの匂いがする森林は、特に人気だという。


そうした惑星に共通なのが、食事が美味い、ということだ。リゾート地なだけあり、それは必須条件ともいえるが、そもそも食料用に品種改良された食べ物は味気ない。そんな中で、自然の中で育てられた魚、肉、野菜は、圧倒的ともいえる風味と旨みを提供してくれる。さらに、それら優秀な素材を調理するのは、宇宙でも選りすぐりのシェフたちで、ただでさえ優秀な素材の味をさらに引き出した独特な料理を作り出すことに、日々の大半の時間を費やしている。


「おすすめは肉だな。女性の君には、脂はあまり良くないかもしれないが、どうもパールバティーの植物は美味な肉を作り出す餌として最適な役目を果たしているみたいで、俺もそうだが、パールバティー市民はみんな舌が肥えているんだ。味は文句なしに保証するよ」


「それは楽しみです」


うきうきした調子でアキは頷き、入れ替わりにリガルが身を乗り出してきた。


「君、パールバティーの出身なのか」


「ええ、そうですよ。両親は自前の旅行会社を経営しています。今もそうでしょう。ま、俺はあの惑星から飛び出したくて、軍に入りましたが」


「気持ちは分かるよ。俺だって、山や海を見るより、黒い宇宙を眺めていたい。たまには陸地も悪くないが、こればかりは魅入られてしまった以上、仕方のないことだよな」


まったくです、と頷き返すイーライ。アキは、その二人を交互に見やりながら、呆れたようにため息をついた。





キャロッサのスタミナ料理を振る舞われたクルーたちは、気を取り直して艦橋にいた。全員が持ち場を離れることは食事時だけに限られている。それも、シヴァ共和国の治安が良いことから生じる余裕だった。


シヴァ共和国軍は、バレンティアを除けば、星間連合加盟国の中で最大の軍備を有している。二百隻の規模で構成される常備艦隊が三つあり、それぞれが第一、第二、第三管区と名付けられた、シヴァ領宙を均等に三等分した宙域をカバーしている。首都星系を中心とした狭い宙域は、中央即応部隊、およそ五〇隻が別の指揮系統の元で宙域警備に当たる。


銀河系の最大勢力がバレンティアである以上、そのほかをまとめるサブリーダー的な立ち位置を演じているのが、このシヴァ共和国だった。クリシザル共和国、モロルド、アルトロレス連邦とバレンティアと関わりの深い数か国を除く多くの国々に影響力を強めており、それはバレンティアのように武力と経済力を背景にしたものではない。


シヴァは、旧銀河帝国領であった一三か国と盛んに交易を行っている。旧地球でいう日本の民族が建設したこの国は、その民族性故の精巧な技術力を、経済的に劣勢なこの国々へと供与・輸出することで、百年前のオリオン腕大戦以来、星間連合の中ではひとつの勢力を形成する要因ともなっていた。


共和国軍のモットーは、専守防衛である。それもそうで、シヴァがここまでの軍事力を持つきっかけとなったのは、シヴァを中心とする経済協力体制の確立から、それまで援助を受けていた国々がシヴァの軍事力強化を切実に叫んだことである。彼らとしてみれば、バレンティアは遠すぎたし、大戦のことから国民感情は決して良くはなかった。その点、シヴァは戦争からの復興を積極的に手伝った友好国という印象が強く、宙域の治安維持などで軍隊が派遣されるのなら、バレンティアよりもシヴァ共和国の方が不満も少ない、と各国が判断したためであり、一節によれば、その判断には単なる国家間のものよりも、国民感情としてそういった選択をするのが必然であったとする意見もある。


とにもかくにも、レイズでの海賊、バルハザール軍、アルトロレス連邦で遭遇したテロリスト集団などに準ずる脅威は無い。アクトウェイは久々に平穏な航海を送っていた。


リガルは、すっかり自分の尻に合った形の船長席に身をもたせながら、キャロッサが配った体力回復用のエナジードリンクを口に含んだ。彼の目の前に半円形状に並んでいる座席のそれぞれには、船の航路設定と舵を取る航海長のジュリー、それに周辺の情報を長距離レーダーでスキャンして送る管制長のセシル、航海中は安全なエネルギーの供給と船の部品交換などを行う機関長のフィリップ。有事には各セクションからの情報を統合し、敵性目標へ重い一撃をお見舞いする砲雷長のイーライの席がある。彼ら全員の健康と衛生を管理、サポートするキャロッサと、船の動作全てをチェックし、各セクションの長同士の連絡の円滑化するAIのアキは、リガルの座る席のそれぞれ右、左の後方に設置されている。


七人でこの船を動かすのは、通常ならば不可能である。何せ、アクトウェイは重巡洋艦クラス、全長一、二キロを誇る巨艦なのだ。武装搭載量、機動力、索敵能力とどれらをとっても水準以上を誇る船の性能と、それらを十二分に生かす経験を積んだクルー、そして、その細部までに至る神経を通じて船を動かすアキがあって、初めてそこにリガルが存在する意味が生まれる。

クルーたちはそれぞれの専門技能においては並ぶ者のいないトップクラスの実力を持ってはいるが、それらを最大限に発揮するには確固たるリーダーの存在があってこそなのである。手足の力が強くても、それを制御する頭脳が無ければ、宝の持ち腐れということだ。


「それにしても、こんなに静かなのは久しぶりだ」


イーライが誰ともなしに呟いた。手元のエナジードリンクを飲み干す。微炭酸で爽快感のある喉越しと、確かな効果のある体力増強エキスが、栄養ドリンク特有の味と共に食堂を流れ落ちていくのを感じながら、イーライはアクトウェイの超高解像度ディスプレイが映す宇宙空間を見つめる。


まるで、漆黒の空間に艦橋だけが浮かんでいるような錯覚を抱かされるほど、アクトウェイの設備はよくできていた。実は、この船を操る張本人のリガルすら知らないことが、この船にはまだ宇宙の星の数ほどあるのだ。アキに一度見せてもらった図面をクルーと共に暇つぶしに眺めていたことがあったが、その広さは軽く五百人以上の乗組員を賄って余りあるほどの広さで、それをたった七人で使用しているものだから、まだ足を踏み入れたことのない区画もあるのは当然だろう。床面積だけで、想像を絶するほどの広さがあるのだ。


フィリップが欠伸をかみ殺しながら答える。彼もまた、豪胆な性格の鳴りを潜め、エナジードリンクをちびちびと飲み込んでいた。


「いいことじゃねぇか。ここ数ヶ月はずっと戦ってたんだ。それはそれで本望だが、休息も必要だしな」


「そうさね。ま、たまには酒を飲みながら舵を取るのもいいもんさ」


彼らの記憶にある限り、航海長席に座っているジュリーはいつも酒瓶を抱えていたのだが、そのことには触れず、代わりに苦笑いしただけだった。


それにしても静かな航海だ、と、リガルは再び間の抜けた思いで呟いた。何も争いを好んでいる訳ではない彼なのだが、今までの慌ただしい生活から、こうも安穏とした空気の中に放り込まれると、どこか落ち着かなくなってしまう。今は、何もない宙域を、次のジャンプポイントまで経済速度のまま航行しているところだ。


既に、今頃はカルーザたち、アルトロレス連邦で世話になったレイズ星間連合軍の戦隊も故郷に迫っている頃だろう。そう思い、リガルは再び襲ってきた眠気を振り払うように頭を振った。


「退屈だな。こんな時に彗星のひとつやふたつ、見えれば最高なんだが―――」


と。彼の語尾に重なるように、けたたましい警報音が響き渡った。


誰よりも早く異変を察知したアキが即座に注意を促したのだ。それを合図にして、唐突い訪れた非常事態に対処すべく、セシルは手元のレーダーコンソールに目を落とし、そこに先ほどまでは存在していなかったひとつの光点を認めた。


「五時方向より、接近する船、一。国籍不明。こちらからの誰何に応じません」


「敵か。セシル、その船を光学認識。映像をメインディスプレイに出せ」


とにかく敵かどうかを判断しなければならない。海賊だったら撃退するまでだが、故障を起こした民間船ということも有り得る。セシルが頷き返し、ホログラフ上のアイコンを操作してアクトウェイの随所に配置されている高解像度カメラをズームアップさせ、映像として未確認船を捉え、半球形状の大型メインディスプレイに表示した。


「出ました。これは……」


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