一三二年 九月一三日~
第二章完結です。
それと、9万PV突破いたしました。みなさん、本当にありがとうございます。
・アリオス歴一三二年 九月一三日 黄金の花束
入港したアクトウェイを出迎えたのは、通路一杯に歓声を上げる黄金の花束の住民達と、その列を何とか押しとどめようとする衛兵の大群だった。副衛兵長のカルロスが指揮を執って、衛兵長ドゥエストスと他四名の衛兵が隊列の中において主君を囲む。領主たるニコラス・フォン・バルンテージが帰還し、群衆に向かって手を振って見せると、着艦ベイを歓声が満たした。人々は手を叩き、叫び、口笛を吹いて、目一杯領主を迎え入れている。金属の壁を揺るがすほどの大音量で響き渡る歓迎の声は、ジュリーの舌打ちを誘った。
「まったく、大騒ぎすりゃいいってもんでもないさね」
酒が不味くなる、と、相変わらずポケットウィスキー片手に群集の間を進んでいく彼女は、海賊の様に大胆だった。胸元がはだけた航宙服に、輝く長い金髪と美貌は、彼女自身は気づかなかったが、相当な注目を集めている。彼女こそがニコラス氏をさらった海賊なのではないか、と冗談めかして言い始める人間までいるほどだ。
殺気だったジュリーに一株の不安を覚えたのか、傍に居たフィリップが軽く耳打ちする。
「短気を起こすなよ、ジュリー。大人しくしとけ」
ジュリーはその忠告を鼻で笑って、くだらない、とばかりに群衆に瓶を振りかざした。
「分かってるよ。どうせ、少しの辛抱だしね。ホラ、あそこのハッチまでだよ。どうってことない、そうだろ?」
フィリップは安心して、厳つい肩を竦めた。
「その通りだ。だからあんまり飲み過ぎるなよ。印象が悪くなる。いくら広いといってもステーションだからな。。居心地が悪くなったら、困るぜ」
「はっ、心配ご無用。これでも世渡りは上手な方さ。あそこの不器用な砲雷長と違ってね」
彼らの後ろから通路へと踏み出しながら、イーライはセシルとキャロッサに挟まれていた。ニコラスが手を振ってクルーたちを示すと、群衆からまた歓声が上がり、衛兵たちは誇らしげに胸を張る。まるで英雄の凱旋だった。とうとうバルーンやクラッカーが鳴り始め、よく見ると、彼らの後ろ側には宇宙放送のカメラがいくつも立ち並び、眩いばかりのストロボフラッシュが炸裂している。戦争より騒がしい、とイーライはため息をついた。
「見ろよ。きっと、次の電子新聞の見出しは俺達だ」
彼がため息交じりに言うと、セシルがたじろいでいるキャロッサを群集の視線から庇いながら頷いた。ブロンド色の髪の毛は、ストレスで逆立っている。
「また、そうなるわね。あんまり目立ちすぎるのも考え物だけど」
「ええ。私、こういうの苦手です、はい」
イーライたちが通り過ぎると、最後に、リガルとアキが無言で歩み出てきた。もう少しで手が触れ合う様な、微妙な距離だった。
帰還した一行はステーションの奥に続く、リニアモーターカーへと歩いていく。停車駅には既に一両の車両の前で従卒の青年が今か今かと待ち受けており、彼らが近づくと、勢い余って敬礼した。苦笑したニコラスが軽く彼の肩を叩くと、先頭に立って、中へ乗り込んだ。青年はそのまま駅のホームで立ち尽くし、衛兵たちの腕の隙間を通り抜けてきた報道陣をひとりで押しとどめるべく、勇敢にも着艦ベイへ向けて歩いていった。
このステーションは巨大だ。流れていく内壁を改めて眺めながら、リガルはそう思った。これほど巨大なものを、一体どれくらいの金をかければ建造できるのか、見当もつかない。初めて来たときはその偉大さが実感できなかったが、実際にこのステーションを牛耳っている領主を目の前にしていると、この人物こそこの場所の神なのだ、と思い知らされ、畏怖の念すら覚えてい
た。
「船長。黄金の花束を貴方にご案内できて、大変嬉しく思います」
ニコラスが物思いにふけっているリガルの隣にある座席に座り、いった。彼はいつもの通り、上等なスーツに身を包んでいてはいるものの、誰しもが受ける第一印象は”ただのくたびれたサラリーマン”だ。せいぜい、どこか宙運会社の重役程度にしか見えない。それでも、それなりの地位ではあるのだが、彼の本当の地位はそこからは見えない遥か高みにあるので、どうしても低く見てしまう。
しかし、リガルの抱いた印象は正反対だった。まず目つき。鋭い眼光は、どこかのサラリーマンのような生ぬるいものではない。軍人にも匹敵する鋭さだ。身のこなしはしなやかで、健康そうな肉体と相まって、活力に富んだイメージを抱く。カリスマ、とはこのことをいうのだろう。
リガルは恐縮して、居住まいを正した。
「こちらこそ。此処に来るのは二度目ですが、相変わらず大きいステーションです。それに、住人は首領閣下のことをとても愛しているようですね」
珍しく、ニコラスは照れ臭げに笑い、癖の強い金髪を掻き上げた。車輛の後ろの方では、フィリップとドゥエストスが交代でアスティミナを肩車したりして、あやしている。少女は叫び声をあげて、もっと、もっと!とリニアモーターカーの天井に迫らん勢いではしゃいでいた。セシルらも加わって、アクトウェイのクルーと衛兵達は家族の様に遊んでいる。その周りを万が一のことが無いように、と、残りの衛兵たちが囲んでいた。
「とてもありがたいですよ。私は、ただ彼らの生活の場を提供しただけです。船長、ここでしか話さないことですが、彼らの多くは元帝国人なんですよ」
「はあ―――と、なんですって?」
素っ頓狂な声を上げるリガルを、ニコラスは愉快そうに見つめた。
「面喰らったようですな」
「そりゃあ、まあ」
対応に困ってそれしか言えないでいるリガルに、ニコラスは誠実な顔で相対した。
「ドゥエストスもそうです。皆、決して口には出しませんが、多くの人間が元帝国人を親に持っていたり、自分がそうだったりします。そういった身の上なんです。私はね、船長。物心ついた時には祖国は消滅していて、残っているのは銀河連合諸国の帝国に対する反感だけだった。父はそれなりの上流貴族の出でしたし、様々な政治手腕に富んでいましたから、ある惑星の一角に家を建て、そこで暮らす権利を全財産と引き換えに獲得しました」
「そこで生まれたのですか、あなたは」
「そうです。何もないような村でしたが、自分の境遇は幼心に解ってました。両親は二人とも帝国人、村には連合の人々。最初は迫害されましたが、時間をかけてしっかり誠意を見せれば、彼らは同じものを返してくれました。
そこでの暮らしが快適になりつつあったとき、父が病で死に、私は働く必要に迫られました。その時に興味を持っていたのが、経済です。私は志を同じにするものを訪ね歩き、船を一隻買って、宇宙へ乗り出しました」
「そしてようやく、ここまでやってきたというわけですか」
「恥ずかしながら」
「母上は御健在で?」
「いえ、数年前に亡くなりました。最後の親孝行として、旅行をしたんです。その時に、ありがとう、お前には苦労を掛けた。世話になった。と、言ってくれました」
ぎゅっと目をつぶり、今までの苦労を清算するかのような身震いをする。
宇宙を気ままに放浪するリガルには、彼の苦しみは解らない。別に、可もなく不可もない家庭で生まれ育ち、ありがちなノーマッドの生活に溶け込んでいた彼には、縛られる血筋も、どうしようもない苦境もなかった。あったのは、ただ宇宙に出て、どこまでも船を操って飛んでいきたい、という思いだけだった。
ドゥエストスの言葉が頭をよぎる。
”今代の英雄は、間違いなく貴方ですよ”
それは、誰にとっての英雄だ?リガルは胸の中で呟く。英雄になるのなら、それは誰かを擁護するということじゃないのか。その場合、俺が擁護するものは決まっている。それを最優先にした場合、彼らはまだ、俺のことを英雄と称えるだろうか。
と、アスティミナがひょっこりと顔を出し、父親の膝を叩く。
「お父様、そろそろ到着します」
「ああ、ありがとう、アスティミナ。船長、昔話をして煩わせました」
「いえ、お気になさらず。行きましょうか」
リガルは減速するモーターカーの中で立ち上がった。
数分後、リガルはコテージの中でニコラスから見たこともないものを受け取った。それは、彼が今までに聞いたこともないような額の電子小切手で、今回の報酬ということだったが、誰が、どこから、どう見てももらい過ぎであった。
「こんなものでは、お礼などできませんが」
彼は茫然と立ちすくむリガルの手にそれを握らせた。
「アスティミナは私の宝です。足りないことは分かっていますが、どうかお受け取りください」
「いや、その、バルンテージ氏……」開いたまま塞がらない口を動かし、リガルは何とか声を絞り出した。「物事には限度と言うものがあります」
「ニコラスでいいのです。船長、貴方はまだ理解できていらっしゃらない様だ。いいですか、下世話な話になることは承知していますが、このステーションは金さえかければ取り戻せても、娘はどうしようもないのです。無論、そんな理由で彼女を愛しているわけではありません。娘を金に換算して考えるなど、身震いするほど、不快です。ですが、それも無視することのできない、確かな事実なんですよ」
リガルは、自分の掌の中にある金額を思った。それで船を二隻は買って乗組員まで雇うことができる。そうすれば資産も増えるだろうし、リガルの中にある商売人根性が燃え始めた。
が、そんなことよりも、リガルはひとつだけやりたいことを見つけたので、とにかく、その小切手は懐に仕舞うことにした。
「ありがとうございます……ニコラス。では、これは受け取ることにいたします」
大富豪は、満足そうに頷いた。
「それでいいのです。貰えるものは藁でも貰っておくのが、人生で金に困らない秘訣ですよ。時に船長、出発はいつごろにするおつもりですか?」
「あと二日はこのステーションにお世話になりたいと思っているのですが」
「それは素晴らしい。自由に見て回られますか?それとも、ドゥエストスをお付けしますか?」
「ニコラス氏は、一緒に来られないのですか?」
紳士は首を振った。
「残念ながら。私には、山積みの仕事があります。関係各所への連絡と調整がありますし、ほったらかしにしていた商談もいくつかあります。休んでいる暇などありませんよ」
「それは……ご苦労様です。それでは、お言葉に甘えて、ドゥエストスをお借りしましょうかね」
「ぜひ、そうなさってください。施設はどれも無料で利用できますので、どうぞ楽しんで。最高の持て成しをさせていただきますよ」
送り出されたメンバーは、アクトウェイのクルー一行と、ドゥエストス、アスティミナだった。衛兵たちはいつもの仕事に戻り、巨大な衛兵長は青を基調とした衛兵服の腰にブラスターを指してリガルらと共に歩いた。まるで玩具のように小さく見える、リガルには大きすぎるブラスターをしげしげと眺めながら、彼は手を握ってくる少女へと声をかける。
「アスティミナ、どこか行きたいところはあるかい?」
少女はしばしの間考え込んだ後、答えた。
「リガル、少しいい?」
「いいよ。まだ時間は沢山あるからね。どこに行くんだい?」
「お母さんのところ」
彼女の細い呟きに、ドゥエストスは、はっと表情を曇らせ、意味が解らないでいるリガルに耳打ちした。
「船長、行ってください。クルーの皆さんは私がご案内しますので」
訳が分からないまま、リガルは頷いた。ドゥエストスは、ジュリーとフィリップに良い酒場があると言い、意気揚々と歩みを進めていく彼らについてクルーを案内した。アキが視線を投げてくるが、リガルは首を振って、そのまま手を振って見送った。
やがて、リガルとアスティミナが通路に残された。青年は、跪いて鉄のように固まった少女の顔を覗き込む。
「それで、どこに行くって?」
「あっち」
やけに口数の少なくなった少女に連れられて、リガルは自分でも把握できていない、見知らぬ通路を歩き続ける。そのまま十分は歩いた後、見たこともない、小さなリニア・モーターカーの停車駅へと辿り着いた。二人で乗り込み、四人しか乗れない小さなそれが動き出すのを体で感じながら、リガルは隣に座る少女の顔を盗み見る。
無表情だった。今までの笑顔は彼女には見られない。まるで今まで咲いていた野花が萎れてしまったかのように、感情と言うものを隠した顔だった。彼はそれが心配で、何が彼女をこうさせたのだろうか、原因は自分にあるのだろうか、と必死に考えを巡らせる。
そこで、リガルはさっきの少女の言葉を思い出し、愕然とした。いったい、彼女は何をしようとしているのだろう?数分後、その答えが明らかになる。
「ここは―――」
言葉が出てこず、リガルは車窓に広がる景色を見つめる。既に、車両は薄暗いトンネルの中を走ってはいなかった。走るのは、ステーションの中とは思えない幻想空間。まるで妖精が舞い降りたかのようなドーム状のだだっ広い室内には、一面に水色の花が咲き乱れている。やや球面を描いている丘の上には、透過壁を用いた満天の星空が広がり、銀河系中枢部に密集する星の群れを処理しながら、映し出している。まるで死後の世界の様だ、とリガルは胸の内で呟いた。
「お母様の家よ」
目を向けると、アスティミナはリガルの右手を握りしめていた。それに気が付かないほど、彼はこの風景に酔いしれていたのだ。
「ここが、君の母上の?」
「うん」
こくり、と少女はくるみ割り人形のように頷く。
その時、リガルは全てを理解した。ここは、彼女の母親、ニコラス氏の妻が、安らかに眠っている場所なのだ。
車輛が停止する。駅らしくもない、花畑の端に停車したそれから降りると、アスティミナはリガルの前に立って、ゆっくりと歩き始めた。足取りはまるで機械のようで、少女は決然とした態度で歩いていく。その様子は儚く、弱弱しかった。リガルは何も言わなかった。自分の感情を必死に抑え込んでいる少女に対して、何か言うべきだったのかもしれないし、黙りこくっているのが正解だったのかもしれない。その判断は誰にもできなかったろう。
やがて、丘の頂上にある一枚の石碑の前まで来た。高さ六十センチ、幅一メートル弱の石碑には、こう彫り込まれている。
「厳しき妻であり、善き母」
墓碑銘からは、これを考えたニコラス氏の愛情が感じられた。冗談めかしてはいるが、彼と生涯を共にすると誓い、最高の宝物を共有していたはずの生活を、ニコラスが忘れまいとして彫り込んだことが、痛々しいほどに感じられる。
さらに、大きく彫られている名前に視線を映す。イリス・フォン・バルンテージ。優雅な流れるペン捌きで、そう刻印されている。
それがアスティミナの母親の名前だった。
ごく普通のノーマッドに生まれついたリガルには、アスティミナの孤独を推し量ることは不可能だった。実際に体験していない彼にとって、余計な気遣いは侮辱以外の何物にもならない。事情を知らないものがいくら同情したところで、それは結局、心配する側の自己満足にしかならないのだ。受け手側が求めているのは素直な慰めであって、そんな偽善に塗れたものではない。百パーセントの良心でできた言葉など、宇宙には存在しないのだ。
だから、リガルはそっと少女を抱きしめた。彼女は、決して涙を漏らすまいと必死になって耐えていたが、彼の腕を伝って、小刻みな体の震えが感じられる。
「私ね」
少女は語る。憂いに満ちた、その瞳で。
「私、お母様が死んでから、何度もここに来たの。けれど、なんだか泣けなくって。ドゥエストスかお父様が付いてきてくれたけど、私は泣けなかったの」
「君は強い子だね、アスティミナ」
少女はかぶりを振った。
「そうじゃないの。私、みんなに泣き顔を見られるのが嫌なだけで、ずっと心の中で泣いてたのよ。お母様のために泣きたかったけれど、それでお父様を悲しませたりするのは嫌だったの。ドゥエストスも同じ。けれど、貴方が来てくれたわ」
アスティミナは、そっと腕でリガルの胸を押しやって、彼の目を見つめた。その頬には、静かな涙が筋を作り、彼女の小さな服を濡らしていた。
泣いている。リガルは胸を痛めた。父親や、父親代わりの男の前でも泣かなかった少女が、自分の目の前で泣いている。その事実がどれほど特別な事か、リガルは理屈ではなく、肌で感じ取った。
「ありがとう、リガル」
青年は、微笑みと共に頷いた。
「どういたしまして。俺が言うことではないのかもしれないけれど、君のお母さんは、とても喜んでいると思うよ。だから、もう涙は拭いて。これからは、ドゥエストスやお父さんと一緒に、君も頑張らなくちゃいけないからね。アスティミナ、放浪者の流儀を知っているかい?」
知らない、と少女は答えた。リガルは教えてやる。
ノーマッドとは、何に縋るでもなく、ただ宇宙を歩くことを至福の喜びにする人種のこと。それには様々な危険が付きまとう。リガルを含む、彼ら大勢の間で不文律となっている掟が、「自分のことは自分で何とかしろ」、ということだった。宇宙で頼りになるのは自分だけ。仲間もいるが、結局、自分の尻拭いは自分でしなければならない。
「だから、君もいつまでも守られてばかりではだめだ。いずれ、そんなことを言っている場合ではなくなることがあるだろう。そうなった時、君ひとりで立ち上がるんだ。いいね?」
「うん、解ったわ。けれど、私が呼んだら、リガルは助けに来てくれる?」
「君が呼ぶなら」
幼い少女との約束を交わし、リガルは宇宙を見上げた。
星は、まだ遠い。
数日後、リガルはアクトウェイの艦橋に座っていた。アルトロレス連邦に入った時から数えて、およそ一か月半ぶりに、アクトウェイは見知らぬ宇宙へと、クルーとリガルだけで飛び立とうとしている。遠くから地鳴りのように響くエンジン音は、飛び立つ時を今か今かと待ちわびている期待で高まっていく。
いつも通り、彼らは出港手続きを行っていた。ジュリーとフィリップは二日酔いで鐘の鳴り響く頭を振り絞り、データの羅列をチェックしていく。見かねたアキが二重バックアップでそれぞれのチェックを確認していく。これは意識を持っている彼女特有のものといえた。通常、AIが半独立人格を持っているといっても、船そのものに点検を行わせることは、考えられない。多くの場合、機械は人間と違って、間違いを発見して伝えることはできても、それの対策を行ったりする場合、必ずエラーが発生する可能性がある。その場合、ディスプレイ上はグリーンでも、実際に覗いたらレッド、という場合がままあるのだ。
しかし、アキはそんなものとは無縁だった。自分で自分を見つめる、意識を持つ生き物らしい事ができる様になった彼女は、自分の莫大な容量を持つメモリの一角に予め作っておいたメンテナンスプログラムを起動すると、とにかく問題と思われる個所をリストアップし、そのプログラムの行動自体を、自らの目で監視した。最終的なリストを、機関長のフィリップ、航海長のジュリーが見つめるそれぞれの管轄であるホログラフへと送り、二人の助言を請い、アクトウェイの各所の粗末な問題が解決されていって、コーションライトが緑色に変わっていく。
その様子を見つめるリガルは、自分の愛するものが改めて人間ではないのだと思い知らされたが、その気持ちに揺らぐものがないことを自分で感じ取り、安堵した。人間の心ほど信用できないものはない。たとえ自分ものであっても。
そうして、二日酔いの二人組から出港準備完了の声が届いた後、自分でコンソールを操作して、黄金の花束――ゴールデン・ブーケの管制AIに準備ができたことを伝えると、無機質な女性の声が答えた。
「リガル船長、ニコラス・フォン・バルンテージ様から通信が入っております。お繋ぎ致しますか?」
「頼む」
一瞬の後、ニコラス、アスティミナ、ドゥエストス、ほかリガルと共にゴースト・タウンで戦った四人の衛兵が後ろに並んで映っていた。場所は、アクトウェイを見ることのできる右舷側のターミナルだ。ちらりと右に首を向けると、全天ディスプレイの一角で、手を振る一行の小さな姿が見えた。
「リガル船長、アクトウェイの皆さん」
ニコラスがいつにもましてかしこまった口調で言った。クルーたちは作業の手を止めて、自分たちの目の前に表示されている彼らの顔を見つめている。
「今回の依頼、本当に感謝しております。これから宇宙を旅する上で何か御座いましたら、連絡をください。我々はあなた方を、いつでも歓迎いたします。出来る限りの支援も惜しまないつもりです。アクトウェイの航路に、幸多からんことを」
少し古い送り出しの言葉を言った後、ドゥエストスが一歩、歩み出た。
「皆さん、ありがとうございました。首領閣下と同じです。貴方方を助ける準備は、いつでも整っています。困り果てたら、ここに戻ってきてください」
直後、堪え切れずに、アスティミナが話し始めた。画面の下側にかろうじて移っている彼女の顔がぴょんぴょんと跳ねる。
「リガル、本当にありがとう!私、今はあなたに何も返せないけれど、大きくなったら、きっとあなたに何かしてあげるわ。それと、クルーの皆さんも!アクトウェイは本当にいい船だった!」
「ありがとう、アスティミナ」
リガルは全くの本心からそういった。少女ははにかむと、大きな声で言う。
「みんな、元気でね!また会いましょう!」
彼女の声と共に、映像は消えた。最終チェックが終わり、ホログラフがリガルの周囲を包む。いつも通りの出港風景を見ながら、一種の安心感が押し寄せてくるのを直に感じ、彼は命令を下した。
「出港」
アクトウェイの、巨大なプラズマ反動エンジンが唸りを上げる。そろそろと港を出た漆黒の船は、一定の距離を置いたところで爆発的に加速し、あっという間に輝く星々と見分けがつかなくなる。それを、ニコラスは清らかな思いで見つめていた。
しばらくの沈黙の後、彼は笑い出す。
「素晴らしい連中だった。リガル船長。貴方ならどんな宇宙にも打ち勝てると、信じていますよ」
仕事に戻ろう、と、彼らは解散した。日常が、彼らを待っている。ニコラスは商談相手との調整に入り、ドゥエストスは今までの警備状況を洗いなおして、再発防止策を検討する会議に。アスティミナは、一枚の、ホログラフではない実物の写真を握りしめている。アクトウェイで撮影した集合写真だ。リガルやアキ、ドゥエストスやニコラスが、記念として全員で撮影した一枚。
それを、彼女は実物で持つことを望んだ。
「リガル。いつか、貴方と」
お金では買えない物もある。彼女が父親から教わった、一番の教えだった。
「船長、次の目的地は?」
出港してから二日後、そろそろ、あの態度の悪い受付係がいるハブ星系へと近づいてきた所で、アキが問う。艦橋で、彼は欠伸をした。
「そうだな。シヴァ共和国にでも行こうかと思っている」
「なるほど、シヴァですか」
イーライが感慨深げにつぶやいた。彼はシヴァ共和国の元軍人なのである。その頃から攻撃管制官として名をはせた経歴を持っていた。その腕は、言うまでも無く今までの戦闘で証明されている。今や、誰もが彼の砲雷長としての腕前に、疑いの一辺すら抱いてはいなかった。
彼は思い出したように機関長へ顔を向ける。
「そういえばフィリップ、お前はレイズ星間連合宇宙軍にいたんじゃないのか?」
彼の言葉に、フィリップは深い溜息を吐いた。
「イーライ、シヴァとは違って、当時のレイズは酷いもんだったんだ。上官にも下士官にも馬鹿をやらかす奴が大勢いてな。メンフィス大佐なんかを見る限り、相当改善されたようだが、俺はあそこを古巣だとは思っちゃいないさ」
神妙な告白に、イーライは頷く。
「そうか。変な事を聞いたな。レイズでのあの一件で、あんまりお前の話が出ないことから察するべきだった」
「構わないってのに。ま、言うなればこの船が俺の古巣、というか故郷だ。どこまでもついていくよ」
リガルははにかんだ。今のフィリップは二日酔いで元気が無く、いつもよりもしんみりとした口調で話すので、思わず笑ってしまったのだった。同じく、ジュリーは手を挙げて賛成の意を表し、セシルとキャロッサもうなずく。
目的地は決まった。後は、飛ぶだけだ。
「でも船長、行く前に、理由を聞いてもいいですか」
キャロッサが不思議そうに言うと、リガルは振り返る。
「ああ。ニコラス氏から多額の報酬を頂いたから、それを元に、少し休暇でも取ろうかと思ってる。アクトウェイの改造もしたいしな」
おおー、と歓声を漏らすクルーたち。アキも薄らと笑みを浮かべる。きっと、人生初のバカンスを楽しみにしているのだろう。彼女の水着姿を想像しながら、リガルはだらしなく頬を緩めた。
船は進んでいく。花束を贈られた名残は、さながら花弁の如く虚空に描かれる青い航跡だけだった。




