一三二年 九月一二日~
第二章、これで終わりかと思ったらまだでした。次の更新で第二章が終わると思います。
・アリオス歴一三二年 九月一二日 未確認宙域
人類宙域には、未だに公的記録に載っていない未確認宙域がいくつかある。それは危険な暗礁宙域、ブラックホール、超新星などに阻まれた一種の未踏査区域として存在し、しばしばそこに違法な集団がたむろしていたりするのだが、その中でも類まれな奇跡の名のもとに、どの組織にも感知されていないポイント、そのひとつの宙域に巨大なステーションがあった。
ひっそりと、だが活発に活動しているそこでは、一〇〇隻に届こうかという数の軍艦が整備されていた。旧い祖国を追われた彼らは、ここで自らの牙を癒しつつ、再起の時を待っているのである。その姿は、百戦錬磨の巨大なサメを思わせる威風を漂わせている。
今、他の巨艦よりもさらに一線を画す大きさの船が、ステーションの最も巨大なドックにドッキングし、接続された連絡通路内に、ひとりの男が降り立つ。純白の航宙服に同じ色の髪の毛を持つ彼は、着艦ベイで待機している将兵と腹心の部下二人に出迎えられ、彼らの盛大な敬礼に見合わぬ軽い答礼で答えた。不貞腐れていると見えなくもない。
「おかえりなさい、閣下」
一歩歩み出た黒いショートカットの彼女は、名をリンドベルクという。濃い緑色をした古い軍服は、まるでオーダーメイドのような彼女の体に合っていて、洗練されていた。階級は少将で、主に参謀としての任務のほか、度々戦地へと赴いて戦う戦乙女であった。男は頷いて、彼女の言葉を受け止めた。
「ただいま、リンドベルク。早速で悪いが、報告会議を開くから、幹部を会議室に集めろ」
「はい、直ちに」女は、恭しく一礼した。頭を上げて、彼を見る。「その前に、私がお先に伺ってもよろしいですか?」
通路を歩き始めながら、彼女は携帯端末を使って、会議室に集合する旨を幹部に伝える。その様子を見つめながら、男は変わらない歩調で歩き続けた。
「そうしておくとしよう。結果から言うと、失敗と成功が半分ずつといったところだ」
「僭越ながら、どういった点で、でしょうか」
「まず、ニコラス・フォン・バルンテージの懐柔には失敗した。これは、まあ、想定の範囲内にあったことだが、彼の娘について、少し推測が足りなかったようだ。どうしても彼は自分の意志を変えないようだったから、そのまま救出部隊に”くれてやった”」
「娘を人質に取ればよかったではないですか。相手の泣き所を突くのは、定石でしょう」
男は顔を顰める。その言葉を、彼は嫌悪した。同時に反論する。あの時点で、たとえアクトウェイからアスティミナ・フォン・バルンテージを人質に取ることに成功したとしても、ニコラスは渋々でしか参画しなかっただろう。そうすれば、内部に不安分子をわざわざ招き入れることになる。そんな前時代的な手法はとるべきではない。そもそも、我々がこうして流浪の集団を保っていられるのも、その志を優先してきた結果ではないのか。
「これだから人間という生き物は……おっと、失敬」
リンドベルクは頭を振って短い黒髪をなびかせると、続けてくださいといった。別段気にした色も見せない彼女を見つめつつ、彼は言われた通り、話を続けることにする。
「アクトウェイは、思っていたよりも戦闘力が高い。今までのデータから見る限り、今後は放物線的に実力を増していくだろう。また、彼が船長としての指揮を執っていなくとも、あの部隊で一隻を撃沈し、自らは損害軽微で免れるほどの腕を持った人材がいるようだ。これは予想外でもあるし、面白い。計算通りにいかないのは、好きだ」
この言葉には、彼女も驚いたようだ。男は心底楽しそうに一頻り彼女の表情を観察すると、やや長めに切ってある前髪を鬱陶しそうに掻き上げ、視線を正面に戻し、通路の補修作業をしている兵士たちの敬礼に答礼する。
「あの船は、特注品でしたよね?」
リンドベルクは、兵士たちが見えなくなってから話を再開した。
「ああ。私が見る限り、妥当な性能だと思っていたんだが。一部のノーマッドにとっては、問題ではない様だ。逆に、ああいったものは吸収されやすい。残骸を回収したアルトロレス連邦なんかが、軍事機密として他国に売却でもするのではないか?そう思うよ」
「どちらにしても、敵はやはりノーマッドですか」
憎々しげに呟く彼女の言葉に、男は一瞬の間をおいてから頷いた。
「そうだな。国家軍隊は数こそ多いが、ノーマッドのように人類社会に浸透している組織液の役割の足元にも及ばない。ランカーは何人かいるが、彼らが団結することになったら、計画は頓挫するかもしれないな。今の銀河連合が、彼らを抑え込めている状況が、一種の奇跡だろう。特に、彼のような人間がいるとなっては」
しばしの沈黙の後、リンドベルクは硬い表情のまま俯いた。そして、いつぞやの誰かと同じ言葉を発した。
「それは、英雄と呼ばれる人物でしょうか?」
即座に、男は笑い声をあげた。彼女の返答が予想できていただけに、何の驚きもなかったが、こんな答えを返す人材がいること自体が面白かった。
「リンドベルク、まるで自分たちが悪者だと思っている様じゃないか」
ようやく笑い終えた彼の言葉に、リンドベルクは眉を潜める。
「意地がお悪いです、閣下。そうではありません。主観と客観はいつでも入れ替わるものですし、それは殺し合う敵同士であっても変わりがある筈が無いのですから」
「その通りだ。言ってしまうと、彼は間違いなく英雄だろう。そういう素質を持っているんだ。他でもない、この私が保証するよ。さて、そろそろ到着だ。会議を始めよう」
リンドベルクが我に返ると、何の標識も表示もないステーションに張り巡らされている通路の一角、その奥に厳重な保安機構を備えた会議室の重々しい扉が現れた。面喰らいつつも警備している当番兵に答礼しつつ、彼女は男と共に部屋へと入った。
組織の規模の割には、少ない人数が顔を揃えていた。何故なら、この組織はテロリズムなどを行ってはいるものの、その志はどの軍隊よりも高い。軍人は国のために存在するという一事を本気で信じ込み、列強に従うことを良しとしない兵士たちを従えた彼らの名を、百年前の人々は銀河帝国軍と呼んでいた。
・アリオス歴一三二年 九月一二日 大型巡洋船アクトウェイ
アルトロレス連邦軍管轄の警備ステーションA一二を後にしたアクトウェイは、あと一日で黄金の花束へと帰還する所まで来ていた。
アルトロレス連邦軍のロウズ大佐は、「勇敢なる放浪者の諸君に、最大限の敬意を表する」とし、軽巡洋艦二隻、重巡洋艦一隻、駆逐艦六隻の戦隊を護衛として付け、リガルをはじめとするクルーたちの活躍と、レイズ星間連合宇宙軍の献身に深い謝意を表明した。メディアにはすぐに情報が漏れ、多くの電子新聞やニュースは、大々的にリガルの指揮するアクトウェイの資料映像などをそこかしこから取り寄せ、特番を組んだり、レポーターや番組への出演を依頼しに来た記者の集団などがステーション近郊で、黒い船が出てくるのを今か今かと待っている始末だった。
「正直言えば、奴らは俺を殺そうとしているのさ。言いなりにテレビなんかに出てみろ、干からびて死んでしまう」
食堂でキャロッサのハンバーガーを貪りながらリガルが茶化すと、カルーザが軍服に染みを付けないように気を付けながら特大サイズのハンバーガーを皿に戻し、汚れた指をナプキンで拭いた。彼の目の前には、ホログラフのニューステロップが大げさな言葉を並べている。
「ジェームス・ストラコビッチの再来!黒い船の指揮官は英雄?リガル船長、テロリストを蹴散らして大富豪を救出!新たな英雄の誕生に歓声を!」
カルーザは親友を思いやり、苦笑いを浮かべた。彼が最も嫌悪しているのは、最後の一文であるのは言うまでもないだろう。
「成程、それが奴らの策略か。そうやって君を排除しようという」
仕事がひと段落したカルーザは、しばらくぶりに会ったリガルとの親交を温めようと、アクトウェイでの食事を頼んできたのだった。その瞬間に、誰もが軍隊食に辟易した彼を哀れに思ったが、それに最大限の努力をもって応えたのは、他でもないキャロッサだろう。彼女は一時間をかけて、カルーザ専用の特注バーガーをこしらえた。その時のカルーザの表情は、それだけで見物料を取れるくらいのものだったと、リガルは保証する。
「ふざけるなよカルーザ。俺の命に関わるんだぞ。まったく、出演料は払いますなんて言ったって、結局はそれと引き換えに自分を売る様なものじゃないか。鬼畜だよ、彼らは。人のことを素材としか思ってないんだ」
文句を言いつつバクバクと肉にかぶりつく彼に、テーブルの反対側に座っているイーライがポテトを口に放り込みながら頷いた。
「素晴らしい。みんな、聞いたか。つい先日、敵の戦艦の前にシャトル一隻で飛び出した人の言葉とは思えないぞ」
カルーザが破顔し、セシルは憮然と、フィリップとジュリーはトランプと睨めっこをしながら頷いた。口元には抑えきれない笑みが浮かんでいる。アキは、黙々とフォークとナイフでハンバーガーを切り分け、口に運び、リガルはむせ返った。
「それを言われると、なんとも言えない気分になるよ」
リガルは食べる手をピタリと止めて胸を叩き、コーヒーを飲みながらいった。イーライは、にやりと笑って、その隙に彼のポテトを強奪する。
「だと思って言ったんです」もぐもぐと咀嚼し、飲み下す。「効果覿面のようですね」
「ああ。降参だよ、降参」
両手を挙げる。セシルが身を乗り出した。彼女の皿はもう空になっている。確か、カルーザのそれに負けないくらいの大きさのハンバーガーが乗っていたはずだ。
「本当に心配したのよ。反対の立場だと自分だって怒るくせに」
「そりゃ怒るさ。君たちを守るのが俺の義務、責任、仕事だ。それ以上に、個人的な感情ではあるが。その逆はあり得ないよ」
やれやれ、と、砲雷長は首を振る。
「ご立派なことで。ですが、自分が死んだ後のことを、あなたはもう少し心配するべきです、船長」
「そんな暇あるか。このハンバーガーだけで頭が一杯になりそうなのに」
「なんです?お腹は一杯になりましたか?」
キャロッサがおかわりをトレーに乗せながら持ってくると、イーライが鼻で笑った。
「キャロッサ、また腕を上げたな。美味さで俺達が死ぬのも時間の問題だ」
「ありがとう、イーライ。おかわりは?」
「ありがたく頂くよ」
二つ目のハンバーガーの包みを受け取りながら、イーライは視線をセシルに移した。彼女は真っ直ぐにリガルを見つめ、リガルも彼女を見つめ返していたが、その視線にはなんで睨まれているのか分からない、彼女を怒らせてしまっただろうか……そんな彼の心境がありありと見て取れるくらい、自信なさげだった。怯える子犬に見えなくもない。
が、キャロッサとイーライはぴんと来た。カルーザに至っては、ほう、と声を漏らし、笑いをこらえるのに必死で頬をひきつらせながら、目の前の事態が展開されるのを見守った。軍隊では、こういったことは滅多にないのだ。
「船長、あんな危ないことはもうしないって約束してください」
セシルは、ようやくそれだけ絞り出した。
「無理だ。いや、約束することはできるが、破ることが前提になってしまう。そんなものは約束とは呼ばないだろ」
「なら誓約してください」
「不可能。誓う神なんていないよ」
「私に誓ってください」
「君に?」
「そうです、私にです」
リガルは眉を潜め、カルーザは笑いを誤魔化す為に咳払いした。
「よく分からないな。第一、君は仲間だ。仲間を守れなくなるような約束を仲間とするなんて、矛盾してるだろう。仲間っていうのはお互いに助け合うことと同義なんだから」
「そうですが、そうではないんです」
「理解できない。俺は何か間違ったことを言っているか?」
「ああ、もう!アキ、この頑固者はどうにかならないの?」
AIはさらりと答えた。
「セシル、ブラスターで脳味噌を撃っても、その人は意思を変えませんよ。頑固すぎて、ビームも跳ね返ってくるのですから」
今度はイーライがハンバーガーを喉に詰まらせてむせ返り、カルーザに至っては抱腹絶倒である。フィリップとジュリーは、アキの突然の不意打ちに思わず吹き出し、キャロッサは背中を向けてコーヒーを淹れているものの、その背中は小刻みに震えていた。
リガルは、その中で赤面して俯いているセシルの顔を覗き込みながら首を傾げた。
「君はたまに、俺を殺そうとしているかと思うくらい怒るよな。どうしてだ?」
彼女はそっぽを向いて、唇をすぼめた。
「別に、心配しているだけ。当然のことでしょ」
セシルはそれ以上何も言おうとしなかったので、リガルも口を噤んだ。カルーザは、相変わず笑い転げながら、イーライに向かって手を振る。
「ジョンソン、君らはいつもこうなのか?」
イーライも笑みを浮かべながら頷いた。
「ええ、まあ。そりゃそうでしょう、メンフィス大佐。なんてったって、この面子で面白い事が起こらない方が、おかしい」
「まったくだ」カルーザは涙を拭いて、大げさにハンバーガーを持ち上げて、にやりと笑う。
「ハンバーガーに乾杯!」
食事が終わると、キャロッサも交えて話の花が咲いた。フィリップはジュリーに大敗を喫したらしく、袖を濡らした機関長の肩を砲雷長が叩き、親指を曲げてフライトシミュレーターに誘ったが、流石に気力を削がれたフィリップは首を振って、柄にもなくドキュメンタリー映画を見始めた。内容は進みゆく銀河の治安悪化についてで、その内容は一同をうんざりさせたが、フィリップはジュリーへの腹いせのために、見ることを意地でも中断しようとしなかった。
暗いムードのフィリップとは反対に、ジュリーは大笑いしながらキャロッサとセシルを捕まえ、まず、ゴースト・タウンでシャトルから降りてきたリガルにつかみかかったセシルを称賛した。セシルは呆れ、キャロッサは困ったような笑顔で応えたが、そのうち最新のファッションや政治などの話に移り、最終的にはリガルの悪口になった。
「困ったなあ」
どうすればいいかわからない、とリガルはぼやき、カルーザがその肩を叩いた。二人はクルーたちの団欒が一望できる食堂のテーブルに座り、キャロッサが持ってきてくれた特性ブレンドのコーヒーが入った保温カップを手に持ち、語らっていた。芳香が鼻をくすぐる。
「いいことじゃないか。船長の前で悪口が言える船は、もう沈みかけてるか、それとも銀河の果てまで飛んでいけるか、どっちかだろ」
リガルは皮肉気に口元を歪めた。
「いいさ、なら一緒に飛んでいこう、カルーザ。俺の精神が悪口に持ちこたえられたら、だが」
「なんだよ、悪い気はしないんだろ?ならいいじゃないか」
「まあな。でもな、口ではああいったけれど、俺は申し訳なく思ってるんだ」
ポットを傾けるリガルを、カルーザは、一瞬驚いた表情で見つめ、視線を自分のポットに転じた。
「殊勝になったもんだな、リガル」
彼は手をカルーザの顔の前で勢いよく振った。
「まあ聞けよ。確かに、俺は今回の選択は間違ってなかったと今でも思ってる。だけど、それは最後の戦闘についてだ」
「というと?」
「それ以前のことだ。そもそも、ドゥエストスからの依頼は受けるべきではなかったのかもしれない。そもそも、いちノーマッドとして戦争に参加し、活躍したからといって、知らぬ間に図に乗っていた部分があったんだろう。船員を不必要な危険に晒した。船長失格だよ、俺は」
リガルはゆっくりとテーブルの上でポットを滑らせ、立ち上る湯気の芳香を胸いっぱいに吸い込むが、陰鬱な気分は晴れなかった。カルーザは、そんな面持ちの親友の顔をまじまじと見つめると、ほくそ笑む。
「なんだ。君でも落ち込むことがあるんだな」
リガルは傷ついた顔をして見せた。
「俺、結構ナイーブなんだぜ」
「いや、そうじゃないよ。リガル、君はレイズで戦争に参加してくれた。実質的に戦争を終わらせたのはバレンティアだが、それでも、君の存在が無ければレイズはこの銀河から消滅していただろう」
「いや、カルーザ―――」
「まあ、聞けって。この話は前にもしたよな。ちょうど、戦争が終わった時だったか。あれから、レイズは目覚めたよ。多くの人々が今の銀河に漂う不穏な空気に気が付いて、目覚ましいほどの改革がなされてる。それは誰が火を点けた?そうさせるための衝撃力を、あの戦争で添えたのは誰だ?寸でのところで、レイズ軍を助けたのは誰だ?言ってみろ」
リガルは無言の抵抗をしていたが、やがてカルーザの粘り強さに根負けして、認めた。
「俺だ」
「そう、君だ。他の誰でもない、君なんだよ。君はその能力に合った仕事をする義務がある。君本人の意思とは関係なく、だ。気に食わないだろ?俺も気に食わない。大切な親友をそんな境遇に追いやっているのは、元をただせば俺自身だからな。しかも、君はそのことで苦しんでいる」
「俺は気にしてないよ」
「そう言ってもらえると、助かる。本当にな。だが、これを伝えなければ、或いは、君自身が自覚しなければ、きっと後悔するときがくる。これはそのための保険だ。リガル、油断するなよ。宇宙は常に君を見ている」
まるで預言者のような重々しさで、カルーザ・メンフィスはそう宣告した。
その後、彼はスペランツァへと帰って行った。シャトルベイまで見送りに出たリガルは、ふと、格納庫にいるのが自分だけなのに気づき、耳が痛いほどの静寂を体で感じながら、そのまま床へ倒れ込んだ。どうしても考え込みたかったからだ。カルーザの言っていたことは、彼にも、それこそ痛いほど理解できる。いつの時代だって、人類社会の改革に乗り出したのは団体ではなく、個人だった。集団はその付属品に過ぎない。
役目は、誰にでも回ってくるわけではない。それを背負い込む能力に見合ったものが、自然と割り当てられるのだ。社会は、それを無作為に行う。突然の英雄の出現なんかは、そのいい例だ。世界の運命を、自らで変化させなければならない責任。
もし。もし、本当に。その役目が俺に回ってきているのだとしたら―――
「馬鹿らしい。何を考えているんだ、リガル」
独りで呟く。まるで自分に言い聞かせるかのようで、また、確かにその通りだったのだが、彼は自分というものがつかめない、他人のような存在になってしまったようで、深いため息をつくほかなかった。
そうして数分間、だだっ広い空間の中で寝転がっていると、視界の中にひとつの顔が現れた。
「何しているんです、船長?」
丁度、リガルの見えている範囲の上から逆さまに首を突き出したアキが、何の感情も読み取れない口調で声をかける。何も考えたくない心境の彼は、その綺麗な顔から目を逸らして、大きな格納庫のハッチを見た。
「考え事を、少しな」
「わかってませんね」
逸らした世界の中に、再びアキが入り込んできた。しゃがみ込み、黒い航宙服をしっかりと着込んだ女性らしい肢体に、思わず動悸が起こる。
「何を」
「私のことも、あなたのこともですよ、リガル」
アキは立ち上がると、リガルの手を引いて、彼の上半身を起こした。自分はその隣に座り込み、じっと彼を見つめる。
しばしの沈黙。リガルは、できるだけアキの体を見ないように自分の足を見つめながら、胡坐をかいて、アキの言葉を待った。彼が話す時ではなかった。そうするには幼いといえるほど、考えは頭の中ではまとまっていなかったし、彼女に言うことは何もないと思ったからだ。少なくとも、今の段階では。
そろそろ静けさで耳が痛くなってきた時、アキはそっとリガルの右腕に触れて、すぐに手を離した。まるで、それで彼の考えが解るとでもいうように。
「先ほどの、メンフィス大佐の話を気にしているんですね」
視線がぶつかる。
「まあ、そうなのかも。断言はできないが、カルーザの言っている事は解らない。解りたくない。俺が英雄だ?ふざけるな。俺はそんなもの望んじゃいない。俺が望むのは―――」
そこで、はた、と困ってしまった。
放浪者として、宇宙の果てまで旅をしたい。どこか静かなところで、彼女と手を取って暮らしていきたい。
俺にとって、どっちが大事なのだろう?
「その煩悶は無意味ですね、リガル」
アキは、そんな彼の苦悩を一瞬にして断ち切った。
「答えなんて、今はまだわかりませんよ。何のために旅をするんですか?」
いつだって、彼女が道を示してくれる。リガルはそう悟った。
「……そうだな。なら、ゆっくりと考えるとしようか」
よいしょ、とリガルは立ち上がり、アキに手を差し出した。
「一緒に、考えてくれるか?」
AIは、生体端末を使って、彼の手を握り返した。彼女自身でもわからない衝動が、巨大なコンピューターの中を駆け巡る。
自然と、彼女は微笑んでいた。
「はい、リガル。私も、その答えが欲しいですから」




