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漆黒の戦機  作者: 夏木裕佑
第二章 黄金の花束
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一三二年 九月五日~ ③

・アリオス歴一三二年 九月五日 強襲揚陸艦タイフーン


「アクトウェイが!」


シャトルに乗って収容されたリガルが聞いた最初の報せは、自分の船が決死の迎撃行動をとっているというものだった。

バルンテージ氏は、形振り構わずに怒鳴る。


「アスティミナも乗っているんだろう?どうにかならないのか!」


連絡にきたタイフーンの副長は、額に浮かんだ汗を拭いながら目を泳がせ、どうにか弁明する言葉を探していた。無理もない、彼がこの情報を知らせて怒らせたのは、銀河随一の大富豪なのだ。上官から叱責を受けるのとは訳が違う。ひいては、彼の人生に関わるだろう。神の怒りとはよくいったものだ、と、リガルは冷ややかに眺める。


「そう仰られましても、如何ともし難い状況でして…」


「そう言うな!やめてくれ、私が助け出されて、娘が死ぬなんてことがあったら―――」


彼は、自分の口から出た言葉を嫌悪するかのように手で顔を覆ってしまい、ドゥエストスは汗で額に髪の毛が張り付いた顔でリガルを振り向いた。その瞳は、真っ直ぐにリガルを捉えている。何かを信じ切った眼。どう考えても、彼はどうにかして欲しいと頼んでいる、リガルがどうにかしてくれると信じているが、彼としては解決策がひとつしか思い当たらず、それを実行するのは自分しかいないことに辟易していた。何しろ、今、極度の疲労状態にあるから。


本当なら、キャロッサに一杯の栄養ドリンクを貰って、すぐにでも自室で眠りたかったのだが、どうもそうはいかないらしい。とにかく、彼としてもアスティミナを干からびた死体にするつもりは毛頭ないので、疲れた体に鞭を打ち、ニコラスの前に歩み出た。不思議とストレスは感じない。放浪者にとって、我儘な宇宙に付き合うのは、飯を食べるくらいよくあることだ。


「バルンテージさん、ひとつ、彼女を救う方法がありますが、よろしいですか?」


まるで神が目の前に降臨したかのように、ニコラスは目を輝かせてリガルに縋りつこうとしたが、彼の装甲服も血で染まっていることに気が付くと、ライフルを握っていたせいであまり汚れていないリガルの右手を引き寄せてがっしりと掴んだ。


「船長―――本当に、よろしいのですか?」


「構いません。ただ、これは少し……うん、複雑なので。半分は私欲のためです」


くるりと、リガルは振り返り、ニコラスの隣に立つ副長へと、ある依頼をした。




・アリオス歴一三二年 九月五日 シャトル一九五号


リガルはシャトルの機長席に、出発前にタイフーンで数分間シャワーを浴び、その後に着替えた航宙服に身を包んで座っていた。連絡用のヘッドセットを頭に乗せて、目の前のホログラフの表示を見つめる。


出発準備は整っていた。アルトロレス連邦のシャトルは警備用に柔軟な運用が出来るように設計されていて、不思議とリガルの手には操縦桿が馴染んで感じられた。その、おそらくは何十人のパイロットが愛用してきた操縦桿と姿勢制御用のパネルなどを見、シャトルの状態を確認する。オールグリーン。別段、目につくところは何もない、いたって正常な状態だ。それを確認すると、最後に、リガルはディスプレイが映し出すタイフーンの格納庫遮断壁へと目を向けた。


一面灰色の壁が目の前に立ちはだかり、全長五十メートルほどのシャトルに乗っていてもちっぽけに感じる。


「ああ」


声が漏れた。ここにきて、リガルは初めて実感した。


自分が馴染んだ最初のアクトウェイ、そのあとに乗った、今のアクトウェイ。二つの船に乗り込み、指揮したが、どうしてか不思議な安堵感があった。座礁寸前の船の中で海賊船の接近を見つめていた時も、戦場の真っ只中でテロリストと砲火を交えている時も、無人艦隊の陣形の中を突っ切っていく時も、彼には心の片隅で、絶対に揺るがない安心感があった。


それは何故か。このシャトルの中で独りになり、馬鹿げたことをしでかそうとしているその理由も、本当はアスティミナのことなんかじゃない。俺は体裁を保っただけだ。本当の理由は、もっと近いところにある。この、今鼓動している、、心臓の奥に。


「リガル船長、出発準備が整いました。ご武運を」


管制官が通信を入れる。リガルは一言だけ言った。


「ありがとう」


格納庫の扉が開く。重々しい振動がシャトルを支える固定アーム越しに伝わってくる。巨大な裂け目の向こう側には、無数に輝く星空が見えた。パネルを操作して固定アームを解放し、自由になったシャトルを暗闇へと滑らせる。


「気付かなかった。俺は馬鹿だ。あんな身近に感じていたのに、遠くに来るまで解らないなんて」


心からの後悔を言葉に乗せて、リガルは行動を開始した。




・アリオス歴一三二年 九月五日 大型巡洋船アクトウェイ


「何をしてるんだあの人は!」


イーライは激昂して、船長席の肘掛を叩いた。目の前には、敵の増援部隊と救出部隊の別れた船がアイコンで表示されている。脇にある巨大な建造物はゴースト・タウンだ。巨大な廃棄ステーションに寄り添うように、アルトロレス連邦警備部隊に守られる強襲揚陸艦、タイフーンのアイコンがあり、それのやや手前には、小さな、本当に小さなアイコンがある。目を凝らさなければ見失ってしまいそうなほどだ。空調のそよ風で吹き飛んでしまいそうなそのアイコンは、リガルの乗ったシャトルだった。彼は、シャトルを発進させた後で、ある通信を送ってきたのである。


「私は、認識番号二○一一三四七、大型巡洋船アクトウェイの船長、リガルです。レイズ星間連合宇宙軍の指揮官に、保護をお願いしたい。さしあたって、近くを活動中の私の船、アクトウェイまでの護衛を頼みたいのです。よろしくお願いします」


イーライは、心配で張り裂けそうになる心をどうにか押さえつけて、再生されたこの音声をじっくり吟味した。


先ほどから、三十秒おきに流されるこのメッセージは、勿論公開されている緊急通信回線だ。戦闘の通信が入り乱れ、ECMも働いている場合でも、この回線ならば必ず届く。戦争法で、この回線を妨害することはいかなる場合であれ、禁止されているのだ。リガル船長は、これを見越したうえでメッセージを放ったに違いない。だとすれば、彼の伝えたいことは必ずこの言葉の羅列の中にあるはずだ。


いや、まずはこのメッセージが誰に向けられたものかを考えるべきだろう。そう思考を進めることにしよう。イーライは素早く頭を巡らせ、考えた。文面を見ると、これは明らかにメンフィス大佐へ宛てたものだ。レイズ星間連合宇宙軍の、この宙域における指揮官は彼なのだから。この文面に裏の意図が隠れているとしても、今のイーライには皆目見当がつかない。だとすれば、これは裏表のどちらにしろ、本当にメンフィス大佐に宛てたものか?自明と思われても、込められた意味によって、対象も変わるのではないだろうか。


「イーライ、敵部隊が進路を変えたわ」


そう考えた時、セシルの声が彼の意識の中に入り込んできた。驚きのあまり体を震わせてホログラフを見つめると、敵の増援部隊から伸びる糸のような予想進路が徐々にずれて、ゴースト・タウンを掠めるような位置で固定された。


クルーたちは愕然とした。明らかに、敵はリガルを殺そうとしている。その事実は、時を同じくしてスペランツァの艦橋にいるカルーザの知るところともなった。


「どういうことだ、これは」


カルーザは、アクトウェイのクルーと同じくらい、或いはそれ以上、リガルという男を理解していたが、今回の行動の意図は彼ですら掴めていなかった。


が、ここに来て彼の脳裏にひとつの点が見え始める。


もし、リガルがわざとこの通信を緊急回線で流したとしたら?


そうなれば、カルーザには明解だった。リガルは、これを狙ってあの通信を送ってきたに違いない。狙いはただひとつ。


「アクトウェイを守るためか―――リガル、あの馬鹿野郎め!」


カルーザは即座に、アルトロレス連邦警備部隊のクルス大佐へと通信を送り、敵部隊がリガルに攻撃を仕掛ける前に迎撃するように要請した。クルスは間髪入れずに了解し、警備部隊の各船は急加速して、リガルのシャトルと敵増援部隊の間に割り込む。それから、カルーザはアクトウェイに通信を入れた。すぐにイーライ・ジョンソン船長代理の顔がホログラフで表示され、彼は金髪を揺らしながら軽く会釈する。


「船長のことでしょうか、大佐」


カルーザは、細かい説明を省くことにした。話しが早いのは、いい。


「そうだ。ジョンソン、君が気付いているかは知らないが、リガルの阿呆は自分を犠牲にして、君たちを助けるつもりだ。今、クルス大佐に連絡を入れて、リガル船長と敵部隊の間に割って入ってもらった。そちらでも確認できると思うが、一応、連絡までに」


「了解です、大佐。こちらでも敵の動きは補足しています。うちの馬鹿者の動きも。我々でもできる限りのことをして敵を攪乱いたしますので」


「わかった。幸運を―――」


淡々と説明したが、イーライ・ジョンソンはカルーザが思っているよりも冴えている人物のようだった。リガルが行動を起こした理由を、彼も理解したのだろう。


通信を切ろうと手を伸ばした時、ふと、彼はあることに気付いた。


「待て、ジョンソン。君は何をするつもりだ?」


彼の問いは確実に聞こえている筈だが、反応があるまでに一瞬の差があった。それを認めたカルーザは、この馬鹿なお人好しの連中をどうにかして救わなければならないと確信した。思わずヒステリックな笑いが漏れる。


「なあ、ジョンソン。我慢してくれ。俺は君たちを、無事にリガルに会わせなければならないんだ。そうしないと、あいつに顔向けなんてできない」


「メンフィス大佐、何か勘違いをしていらっしゃるようですが、我々は死ぬ気など毛頭ありませんよ。あの大馬鹿野郎に一泡吹かせるまではね」


そこで、カルーザは表情を硬直させた。イーライは、彼を怒らせたのかと思い、少し恐縮しながら顔を覗き見た。


「大佐?」


「一泡吹かせる――?」


彼の思考が走る。そう、イーライ・ジョンソンは一泡吹かせるといった。リガルは彼に任せる、と伝えてきた。


ホログラフへと目を落とす。そこには、彼にとってまたとない好機が映し出されていた。


「まったく、あのクソッタレめ」


獰猛な笑みを浮かべると、カルーザはあることを説明し始めた。




・アリオス歴一三二年 九月五日 シャトル一九七号


シャトルにスペランツァから、リアルタイムの戦術情報が送られてくるのを見て、リガルは満足そうに頷いた。


カルーザは、彼の意図を正しく理解してくれた様だ。複雑に入り乱れる軌道を示す線が、自分のシャトルから数万キロの地点で交差している。敵の増援部隊は、彼の狙い通り攻撃目標を彼自身が乗っているシャトルへと変更した。人類最大の攻撃力を持つ軍艦が、ほぼ非武装のシャトルを木端微塵に還元すべく、秒速数千キロの速度で近付いている。


カルーザは部隊を分散させた。戦艦と重巡洋艦で構成される重打撃部隊と、軽巡洋艦と駆逐艦で構成される機動部隊だ。機動部隊は慎重に進路を調整しながら、アルトロレス連邦警備部隊が敵増援部隊と会敵するポイントに向かっている。敵がこのまま進路を変えなければ、五分後にアルトロレス連邦警備部隊と機動部隊が一撃を与え、二撃を打撃部隊が与える。それで敵の進路を逸らすか、それとも全滅させるかをすれば、彼は助かる。


しかし、それを彼は望んではいなかった。彼のが望むのは一人の女性の安全であり、命だ。今まで助けてもらった分、彼は返さなければならない。


しばらくホログラフから目を逸らして宇宙空間を見つめていると、コンソールから短い電子音が鳴って、状況に変化があったことを報せた。顔を向けると、遂にアルトロレス連邦警備部隊と機動部隊が激突するところだった。





最初の一撃はアルトロレス連邦警備部隊の軽巡洋艦ラブーンから放たれたミサイルだった。レイズ星間連合宇宙軍機動部隊は軽巡洋艦六隻、駆逐艦一二隻、アルトロレス連邦警備部隊は戦艦一隻、重巡洋艦二隻、軽巡洋艦四隻、駆逐艦一二隻が、八隻の敵増援部隊に襲い掛かる。ひとつの惑星が荒廃するレベルの火力が、ありとあらゆる形で襲い掛かっていく。その瞬間、テロリスト達は見惚れるほど流麗な軌道でデコイを展開し、過半のミサイルが軌道を逸れるが、生き残った数発のミサイルが対空レールガンの雨を掻い潜って二隻の船に命中するが、敵船からの無慈悲とも思える正確無比な攻撃で、数隻の駆逐艦と巡洋艦がはじけ飛んだ。敵船団はそのまま進もうとしたが、やや遅く接敵したレイズ軍艦の一撃で、さらに一隻が吹き飛び、残った五隻はエネルギービームと対空レールガンをPSA装甲にぶち当てて明るく輝きながら、雲を抜けるように真っ直ぐにリガルのシャトルへと向かっていく。

その姿を見ながら、リガルはあるメッセージを発信した。


「アクトウェイに乗っているクルーに伝える。こちらリガルだ。俺に何かあったら、船長代理がそのまま船の指揮を執れ」


一度スイッチを離すと、彼は、今度は船のAIであるアキだけに識別できるようにメッセージを設定して、話した。


「アキ、このメッセージは君だけに宛てたものだ。こんなことを今になって言うのは馬鹿だと思うけど、心の底から、君を愛してるよ。それと、ありがとう。これからの君の人生に、幸多からんことを」


言い終わって、彼は自嘲的な笑みを浮かべた。AI相手に告白をする人間なんて、彼自身聞いたことが無かった。そもそも、彼女が愛という感情を知っているかどうかも疑問だ。


だとしても、彼はそれを伝えなければならなかった。彼が彼である限り。


そうしている間にも、一度通り過ぎたアルトロレス連邦軍とレイズ星間連合軍の部隊は隊形を再編しながら旋回をし始め、カルーザの指揮する重打撃部隊は、どっしりと構えて、敵を隊形ごと吹き飛ばす態勢を取った。敵船団は尚も直進し、彼に止めを指す為に進み続けている。アクトウェイは、重打撃部隊が攻撃した後に敵の進路と交錯するように進んでいる。


その数分後に、重打撃部隊と敵船団がすれ違った。コンマ数秒の攻撃で、スペランツァが大きく揺れ、他二隻の戦艦のPSA装甲は所々がダウンし、重巡洋艦は一隻が爆発した。しかし、スペランツァが船首に一撃を受けながらも放ったミサイルが二隻の敵船を葬り、様々な攻撃が白い船団に襲い掛かった結果、進んでいる敵の船は三隻になった。


そこで、中央に位置していた一隻が離脱し、進路を変えて宙域から離脱するコースを取った。残りの中型の二隻がリガルのシャトルへと向かっていく中、リガルは自分の死をイメージしたが、それはすぐにかき消された。


アクトウェイが、黒い宇宙に紛れるような速さで、即座に情報から二隻へと襲い掛かると、船首を回転させながら、敵の迎撃弾に船体が揺さぶられるのも構わずに主砲を撃ちまくった。ミサイルが交錯し、敵の残った二隻の船は、残骸となって宇宙を漂っていった。


リガルは大きく息を吐いて背もたれに身を沈めた。どうやら、彼は生き残ったらしい。こっぱずかしいメッセージを残してしまったことが彼の頭に浮かび、次いで白髪の女性の声が響くのが聞こえた。


「船長、訳の分からないメッセージを残すよりも大事な仕事が残ってますよ」


その、最も安心する言葉が、最も愛する女性の口から発せられたのだと認識すると、彼は安心した瞬間に襲い掛かってくる睡魔に耐えきれず、目を閉じた。



・アリオス歴一三二年 九月六日 大型巡洋船アクトウェイ


「気が付きましたか」


リガルが目を覚ますと、そこはアクトウェイの医務室だった。最初に目に飛び込んできたのは船内の眩いばかりに照らされた天井で、目を細めながら顔を右に向けると、リガルの寝そべっているベッドの隣できちんと椅子に座って見つめているアキの姿があった。


「アキ」


「はい、私です」


ぼんやりと、リガルは彼女の黄色がかったブラウンの瞳を見つめていた。どうにも夢を見ているようで、先ほど、自分が決死の覚悟でシャトルに乗り込み、アクトウェイを救うために敵の餌になろうとしたことや、廃棄されたステーションの中を装甲服を着込んで走り回り、ライフルを発砲してテロリストを薙ぎ倒したことなど、様々な記憶がフラッシュバックし、反射的に彼は身を起こした。


最後に、彼女へ向けたメッセージを放ったところと、自分が助かって彼女からのメッセージを受け取ったところで力尽きたのを思い出し、ゆっくりと首を振った。


「あれから、どれくらい経った?」


「およそ十時間です。疲労を回復するには、十分な睡眠時間でしょう」


少し棘を含んだ彼女の声は、しかしリガルの杞憂だった。余りにも冷静な彼女の声に彼の劣等感が上乗せされて、そう勘違いさせたのだった。


しばらく、遠くで響く聞きなれたアクトウェイのエンジン音を聞きながら、リガルは時を過ごした。そろそろ眠くなってきて、熱いコーヒーが欲しくなってきた。そろそろ起き上がってもいいだろうか、と思った時、アキが呟いた。


「船長、あのメッセージについてなのですが」


どきりと、リガルは自分の脈拍が爆発したかと思ったが、務めて冷静に、自

分にかけてあるタオルケットの一端を見つめた。


「最後のものについてです。私のことを愛している、と仰いましたね」


「ああ、言った」


「何故です?」


正直、恥ずかしくてリガルはどこかへ逃げ出してしまいたかったが、なんとか拳を握りしめて踏みとどまった。


「あの時は、もう死を覚悟していたから。それに、あの時になって気が付いた、というのもある」


正直に答えるが、彼女は満足していない様だ。リガルの頬を両手で挟んで、至近距離で彼女の顔と突き合わせる。今までにない実力行使に、リガルは面喰ったが、彼女の綺麗な顔が視界を満たして、そんなことは至極どうでもよくなった。


「違います。私が聞いているのは、どうして私を愛しているのか、ということです」


「何故、か」


困ったことに、彼はその質問に答える事が出来ない。そもそも、彼にとってみれば数時間前に生まれた感情ですらあるのだ。吟味する時間などなかったし、その必要も、彼には感じられなかった。


が、アキにとってみれば、それこそが重要だった。彼女はAIであり、感情というものは知識でしか知り得ない。知識としてしか感じられないということは、つまり理由が必要ということだ。


それに関わらず、アキはリガルのこの言葉を否定したがっていた。それは彼女自身で自覚できていない感情だった。


しかし、リガルの一言で、彼女は自分の考えを改めさせられることになる。


「なあ、アキ。君は俺を愛しているか?」


質問に質問で答えられて、アキは怪訝な顔になったが、リガルは彼女ですら面喰うほど真正面から瞳を見つめた。


「解りません」


しばしの沈黙の後、彼女はそう答える。リガルは大きく頷いた。


「だと思った。なあ、アキ。俺だって、こんな心理現象が説明のつくものであって欲しいと思ってるさ。そうすれば、人は戦争なんてしなくなる。人を愛してしまえばいいんだから。だけど、そうならないってことは、その理由は少なくとも俺達には解ってないってことだ。違うか?」


「確かに、そう言えるでしょう。でも、人間は私のようなAIより、より長い時間を生きているではありませんか」


「それは錯覚だ。いいか、アキ。どんな時代でも、同じ人類なんていなかった。生物学的な意味ではなく、精神的な意味でだ。少なくとも、この宇宙には二人と同じ人間は存在しない。それはとても重要なことだと思う。俺は哲学者じゃないから、深いことは言えないけれど、君にだって、俺の伝えたいことは解るだろう?」


アキは手を放して、少し距離を取ってリガルを見た。彼は、既に彼女が知っているリガルではなかった。どこか、遠い星からやってきた男のようで、それ故に彼女は胸を締め付ける苦しさを感じていた。不思議と、それを苦と感じることもなく、それを説明する言葉が彼女の中には存在しなかったので、彼女はあらゆる困惑を言葉にすることにした。


「解りません、リガル。私は、アンドロイドを愛するというあなたの感覚も、愛という感情がもたらす変化も、私があなたを愛しているのかどうかも。その感情は……設計された時には無かったものですから」


リガルは再び頷いて、彼女の膝の上に置かれた手を握ろうとしたが、途中で思い留まって手をひっこめた。代わりに、とても寂しそうな顔で、彼女の目を見つめる。


「そんなものさ。そのうち答えも出るだろう。さあ、この話はここまでだ。また何か進展があったら話すとしよう。


さあ、仕事だ」


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