一三二年 九月三日~
・アリオス暦一三二年 九月三日 大型巡洋船アクトウェイ
リガルは整然と並んだアルトロレス連邦軍の警備艇と、レイズ星間連合の戦隊が並んで宇宙を疾走する様を食い入るように見つめていた。
今、アクトウェイの航行している宙域はアルトロレス連邦軍の拠点である、ステーションA一二から既に一光分ほど離れた位置にあるただの無重力地帯だった。普通にエンジンを点火し、ジュリーが酔うか酔わないかの境界線ギリギリの状態で舵を取っているのはいつもと変わらない光景だが、唯一違っているのは、隣に軍艦が二〇隻浮かんでいることだろう。
この作戦を実行する為に、カルーザは自分の戦隊である戦艦三隻、重巡洋艦五隻、軽巡洋艦六隻、駆逐艦二五隻のうち、旗艦スペランツァも含む戦艦一隻、重巡洋艦三隻、軽巡洋艦三隻、駆逐艦十五隻をニコラス・フォン・バルンテージ氏救出作戦に随伴させていた。そのほかに、アルトロレス側が派遣した重巡洋艦二隻、軽巡洋艦四隻、駆逐艦一二隻が遊弋しており、隊形の中心にはスペランツァとアルトロレス連邦軍戦艦クーニツァバートが位置取り、そのふたつを頭上に仰ぐ形でアクトウェイは隊形を維持していた。他にも、救出作戦のためドゥエストスを始めとする衛兵五人と、完全武装のアルトロレス連邦軍宙兵隊三百人の乗った輸送艦一隻が加わり、なかなかの規模の戦隊が作戦に従事することとなっていた。
尚、ロウズ准将はステーション警備のため、A一二に残ることになった。代わりにアルトロレス宇宙軍の指揮を執るのは、戦艦クーニツァバート艦長であるクルス大佐だ。
彼は、ロウズと同じくらいの年齢の眼鏡をかけた中年の男性大佐だ。軍歴もロウズと同じくらいだが、その決定的な違いとしてはロウズが司令官として大きな組織を動かすのに長けているのに比べて、クルスはもっと小さなもの……つまり、船を動かすのに同じくらいの才能を持っていたということだ。その事実を、リガルは目視で巨大なクーニツァバートの動きを見て確かめた。
「綺麗だな」
アクトウェイの艦橋は巨大な半球形状のドーム型になっていて、中央やや後方にリガルの座る船長席があり、そこを中心にして、放射状に一段低くなった各部署の管理座席がある。その右側、丁度フィリップの座っている機関長の座席の方向、やや上方に角ばったクーニツァバートの姿が小さく見える。
宇宙船は、広大な宇宙空間を航行するために秒速数万キロという速度で航行する。戦闘時には、集団であると足を止めての砲撃戦になるが、以前、レイズ=バルハザール戦争でリガルが行ったように、機動力を生かした単艦での機動戦闘をする場合もある。場合にもよるが、戦闘艦にもなると秒速十万キロは優に超える速度となる。その場合、一キロほどの距離を保って僚艦と航行したとしても、ほんのコンマ数度艦首を傾けただけであっという間に接触してしまう為、艦隊として行動する際にはかなり高い技量が必要になる。
そうしたことを踏まえると、クーニツァバートは非常に練度の高い動きをしているといえた。ジュリーは、その豪放磊落な性格とは裏腹に精密で、計算された航路を一糸乱れずに移動する。が、軍用艦ともなるとその規模から様々な部署が息を合わせて船を動かすことになる。それを纏めるAIの蓄積された経験と船長の的確な指示、航海長の現場修正力などが合わさって、クーニツァバートは静止しているように見えた。つまり、アクトウェイとスペランツァに完全に動きを同調させているのである。
「ジュリー、どう思う?アルトロレス連邦軍は頼りになりそう?」
セシルが冗談半分でレーダーを見つめながら聞くと、我らが航海長はポケットウィスキーを一口飲んで、長い髪の毛を揺らした。はだけた航宙服がずり落ちそうになり、イーライはやれやれと首を振っている。
「そうさね。航海士はいいのを連れてるみたいだけどね。他のところはどうか解らないよ」
「へえ。ジュリー、お前が人を褒めるなんてな」
イーライが茶々を入れると、ジュリーはじろりと目玉を回した。
「砲雷長、暇だからってそういうのはよくないね」
「はいはい、気をつけますよ」
二人の仲睦まじい姿を微笑みと共に見やると、リガルは手元のコンソールを操作して、航行中であるアクトウェイの詳細データを呼び出した。全ての部署……兵装、管制、機関、航行の部門ごとにクルー達が整理したデータを眺めて、表面上の問題が何もないことを確認すると、後ろを振り向いて、右斜め後ろの座席に座っているアキを見た。ちなみに、先日まで後ろで控えていたドゥエストスたち衛兵は、ニコラス氏を直接救出する為に強襲揚陸艦へと席を移しており、後ろの座席ではキャロッサがアスティミナを隣の席に座らせているところだった。
「アキ、今の状態評価は?」
白いショートカットの美女が、しなやかな動作で黄色がかった瞳をこちらに向けて、話し始めた。
「万全です、船長。武装は全て百パーセント稼動できますし、レーダー、パワーコアも安定しています」
「では、質問を変えよう。今の状態で何か懸念事項はあるか?」
「あります」
予想外の返事に、リガルは右眉を吊り上げて続きを促した。
「隣を航行している船についてです。あの船が突っ込んできたらアクトウェイが爆発する、それが最大の懸念事項です」
全員が顔を見合わせた。そして最後に、目を丸くして動じずに全ての視線を受け止めるアキへと目を移す。
フィリップが咳払いした。
「なあ、アキ。今のはジョークってやつか?」
くるりと首を回して、アキはフィリップに微笑んで見せた。
「ええ、今のはジョークってやつです、機関長」
「だよな。へへ、アキがジョークを言うとは。こりゃ幸先がいいぜ」
イーライも、笑みを漏らしながら頷いた。セシルとジュリーは目を合わせたまま、小首を傾げている。キャロッサは一度微笑んだが、それが事実でなかったことに安心して小さな溜息をついていた。
「そうだな。アキ、ついでに言っておくと、今のはかなり”面白い”ジョークだった」
「ありがとうございます」
言外に、ジュリーと違ってというフレーズが聞こえたような気がしたが、リガルは何とか無視してアキから視線を外し、目の前のゴーストタウンと呼ばれる宙域へと続くワープポイントを見つめた。
実際、ポイントには目に見えるものは何も無い。人の視覚が捉える光は特定の波長の電磁波であるという事実は大昔から知られている事実で、これを発見したのは旧地球のヤングだ。かの有名なヤングの干渉実験によって、光に波の性質があると考えられ、そこから紆余曲折を経て光は電磁波であるという結論に至った。よって、人間の目は電磁波を捉えることはできても、光以外の波長を捉えることはない。
が、アクトウェイの高感度センサーは様々なスペクトルの電磁波どころか、重力による空間座標の歪まで観測することが出来る。この時代の航宙船が超光速航法として利用しているのはワセリー・ジャンプという技術だ。
ワセリー・ジャンプとは、ひとつ前の元号である地球暦二六七一年に量子物理学の権威であったチャック・ワセリー教授の提唱した画期的なワープ方法で、その方法がシンプル且つ安全性に富むものであったため、広まることになった。それまでのワープ方法は、宇宙船の生み出した莫大なエネルギーをそのまま進行方向に放出し、全ての座標から独立した場所である超空間へと続く扉を開き、その中に宇宙船を入れて、別の座標へと出るというものだったが、そのエネルギーの大きさと事故率の高さ、さらに狙った座標へと辿り着くには誤差がありすぎる(半径一光年といわれている)ために、ワープそのものが現実的でないという判断が下されそうになっていた矢先、彼の理論が脚光を浴びるものになった。
ワセリー・ジャンプは、宇宙船を超空間へ放り込むことはもうひとつの超光速航法である既存跳躍法と同じであるが、既存跳躍法が超空間への扉を一からこじ開けるのに対して、ワセリー・ジャンプは恒星間に働く巨大な重力井戸……つまり空間座標の歪みが大きいポイントに適切なエネルギーを送り込むことで、目的地である他の星系へとジャンプすることが可能になるのである。目的地の設定は、微弱ではあるが相手方の恒星の重力が等高線的に表される座標軸上に沿って計算式が立てられるために、ポイントの指定も比較的容易で、さらにエネルギーが少なくて済むということはよりエネルギーを制御しやすくなるということなので、自己の確率もほぼゼロとなった。
そして、このジャンプ方法が考案されて三六二年後、最初に殖民されたコロニー・アリオスが最初の星間国家であるプリンプトの成立を宣言、以降、偉大な最初のコロニーの名前をとって、アリオス暦が始まったのだ。
リガルは声を上げた。
「よし。ワープ準備完了の通信をスペランツァに送れ」
「了解」
そうして、三一隻の戦闘艦と一隻の民間船を含んだ戦隊は、超空間へと一斉にジャンプした。
超空間へとジャンプして三日後、アクトウェイの周囲にはただの灰色の空間が広がっているだけで、リガルは暇を持て余して食堂へと顔を出した。ドゥエストスたち衛兵が強襲揚陸艦へと移動してしまっているので、つい先日までのクルーと彼らを交えた、明るく騒々しい雰囲気が嘘のように静まり返り、戦闘を前にした緊張感からか、全員がただ黙々と食事をしているだけだった。片隅ではフィリップとジュリーがいつも通りのポーカーをやっているが、手札がよくないのか、それとも場の空気を読んでいるのか、ただ黙々と札を捲っている。傍らにはすぐに食べられるようにと、ハンバーガーが皿の上においてあった。
「どうした、皆」
「ああ、船長。お疲れ様です」
セシルが、疲れているのかリラックスしているのか、どちらとも付かない顔で顔を上げる。アスティミナは退屈しきった顔で、キャロッサの膝の上から目だけを向けてくる。どうやら、ホログラフでアニメーションを見ている最中だったようだ。
「ごきげんよう、リガル。あと何日でドゥエストス達に会えるの?」
無邪気な様子で、早速質問をしてきたアスティミナはこの面子の中で一番若い。それ故、疲れ切っている大人よりも幾分かは元気が残っている様だが、少なくとも緊張の色は見えない。子どもだから、という理由では彼女に失礼だろうが、この状況をリガルたち程よく理解できていないのは明白だった。
「二日くらいかな。明日、超空間を出るよ。その後は少し危ないことになる」
少し程度ならいいが、とリガルは胸中で呟いた。どうかそうであってほしい。
アルトロレス連邦情報部の大尉と一緒にアキの戦闘データベースを照合した結果、テロリスト側の戦力は少なくとも戦艦三隻、重巡洋艦六隻、軽巡洋艦八隻、駆逐艦三〇隻と想定されている。実際にゴーストタウン宙域へと飛ばされた哨戒艦が搭載する、暗号化通信装置と長距離通信能力を備えた無人偵察機が、定期巡回航路として近辺の宙域を航行しているとき、不信な電波を探知したのだ。それ以降の調査で、テロリストのものと思われる不審船数十隻が活動していることが確認され、断片的に傍受した通信内容からニコラス・フォン・バルンテージ氏の幽閉されている施設である可能性が高まった。
最終的な確認作業は、アルトロレス連邦軍情報部が行ったらしい。確定情報として、最も近い位置にある大型ステーション、A一二へと情報が送られてきたのだった。
ロウズとカルーザが立てた救出計画は、単純で、しかも難しいものである。最初に、戦闘部隊が奇襲を仕掛けて強襲揚陸艦が節減できる状態にする。強襲揚陸艦の中には完全武装の宙兵と衛兵五人がいて、あらゆる侵入方法を用いて廃棄されたステーションへと侵入する。ゴーストタウンは、廃棄されたステーションらしく最低限の補給物資が備え付けられただけで、限定的な人体生存区域が残されているだけで、三百人の宙兵でも十分に捜索が可能だ。
また、五人の衛兵は高度なステルス戦闘服を着用している為、五人一組で分隊を組み、ステーションの中を戦闘に紛れて動き回ることになっている。彼らは彼ら自身で動き、バルンテージ氏を探す。宙兵隊が部屋を片っ端から調べていくのと並行して、衛兵達は遠い部分から探していく。これで効率よく、できるだけ早く救出を行う事が出来る。
「アスティミナ、退屈だろうけど、もう少し辛抱してくれるか?」
幼い少女は、顔いっぱいの笑みを浮かべた。
「喜んで!私、あなたのことが好きだもの。同じ船に乗ってるんだから、退屈なんてしないわ」
その時、フィリップとイーライが口笛を吹いた。ちらりとリガルが目をやると、口元だけを動かして「未来の大富豪に!」と呟いているのがわかる。正直に言って、リガルにはいたいけな少女を傍らに置いて楽しむような趣味はないので、アスティミナの花嫁姿はさぞ可愛げがあるだろうなとは思いつつも、首を振って少女の頭を撫でるだけにとどめた。
・アリオス歴一三二年 九月五日 ゴーストタウン宙域
ワープアウトの直後、アクトウェイのセンサーが接近する複数の熱源を探知して警報を響かせた。神経を逆なでする不快感に襲われるよりも早く、反射的にジュリーが舵を切って、外殻に展開している対空レールガンが猛烈な対空砲火を展開する。
「ミサイル接近、数、八八」
セシルが告げると同時に、アキがリガルの目の前にホログラフを表示する。その表示によれば、アクトウェイを含む戦隊の各艦が同じように対空砲火を展開し、前方半球形上に展開している敵部隊に対して応戦を開始していた。周囲の状況は混乱しているものの、カルーザの指揮する部隊は統率を保ち、リガルが面喰って動けない間に通信をよこしてきた。
「リガル、聞こえるか。スペランツァに動きを同調してくれ」
完全に戦闘態勢に入っている彼の表情からは、およそ人間として期待していいはずの人間的な感情が欠けていた。リガルはただうなずいて通信を切り、今の指示をそっくりそのままジュリーへと伝える。ほろ酔いの航海長は軽くうなずいて見せると、そのまま自分の作業へと没頭した。
「イーライ、砲門開け。一隻ずつ慎重に仕留めろ。セシル、敵の数は?」
セシルは無言のまま、自分の目の前に浮かんでいるホログラフのひとつをひっつかみ、リガルの座る船長席へと放り投げた。アクトウェイのセンサーがその動きを感じ取り、リガルの目の前に広がるデータの羅列に新しい項目を追加した。
それによれば、テロリスト船団はそう呼ぶにはあまり相応しくない規模の戦闘艦を保有していた。型式の古い大型艦が一隻と中型艦が五隻、小型艦が一六隻。それぞれが戦艦、重巡洋艦、駆逐艦クラスの完全に分類された船で、海賊船ではない。
つまり、軍艦だ。
「包囲されているな」
アクトウェイとスペランツァ、クーニツァバートを中心として展開する救出部隊は、廃棄されたいびつな形のステーションを軸として半円形に並んだ敵艦から砲撃を浴びせられていた。どう考えても不利な体勢で、敵の船はステーションの残骸をうまく利用し盾としている。接近してきたミサイルの発射地点をセンサーが捉えていたので、隠れている敵艦の位置は正確に把握できた。対空レールガンの雨のような実弾攻撃にやられて弾道を逸れていくミサイルの群れが爆発し、部隊の船を揺らした。
「損害は?」
「まだ出ていません。各船のPSA装甲の出力が弱まっていますが、損害という意味では――」
その時、隊列の前方に布陣していたアルトロレス連邦の駆逐艦が胴体に三本のエネルギービームと二発のミサイルの直撃を受けて木端微塵に爆発した。前方に広く展開している敵部隊による攻撃は、旧型艦からのものといえど纏めて食らったら、アクトウェイですら撃沈は免れないだろう。
「カルーザはまだ命令を出さないのか?」
リガルは意識して落ち着いた声を出した。その直後、スペランツァが動き出して、アクトウェイも一糸乱れず、主砲で牽制射撃を加えながら、スペランツァを中心にクーニツァバートと矢型の隊形をとり、その周辺を護衛船団と残りの救出部隊の船が固めた。
今も敵船団からの攻撃は続いている。多少の距離があるとはいえ、相手側はそれを考慮した隊形と地形を利用した戦術で補っていた。アクトウェイをはじめとする救出部隊の船は密集隊形をとった。
その時、カルーザから命令が届く。
「戦隊の全艦へ。ただちに六時方向へ後退せよ。射撃ポイントは各船のAIに送信する」
同時に、リガルの目の前に新たなホログラフが表示された。
「ジュリー、動きはスペランツァに同調させたままでいい。イーライ、敵の隠れているステーションの残骸を攻撃しろ。セシル、敵の位置から目を離すな」
指示を下し、リガルはカルーザの意図を理解しようとした。
このまま戦闘を続けていたら、戦隊は効果的な反撃策を練る間も無く打ち滅ぼされていただろう。かといって、カルーザがただ後退させるという愚行を行うとは思えない。戦闘中に敵の真正面から後退する、この戦術行動は簡単な響きを持って迎え入れられるが、実際は何よりも難しい。後ろに下がるというのは、特別な理由が無い限り、兵士たちの心に多大な不安をもたらし、士気が下がる。彼のことだ、この後退はそれを承知しつつのものなのかもしれない。だとすれば、この後に待ち受けているのは一転した、攻撃的な命令だ。
だが……と、リガルは思う。今回の相手はどうにもきな臭い。底が知れないとでもいうのか。目の前にいる船団も然り、以前から解っていたことだが、いちテロリスト集団が持ちうる武力ではない。
その時、彼は自分の言葉を思い出した。
国家軍隊。その言葉に、彼は戦慄を覚えずにはいられなかった。今の銀河連合に加盟している二十数か国のうちの二か国に対して、躊躇なく攻撃を仕掛けているのだ。これは戦闘が終わった後に、連合の長であるバレンティアが実力行使で排除しようとする程には危険な行為である。
しかし、そんなことは彼らには関係ないらしい。至近距離に放たれた敵のビームがアクトウェイのPSあ装甲に命中し、膨大なエネルギーを光として発しながら、艦橋にいるクルーの網膜を焼いた。




