一三二年 五月十三日~
・アリオス暦一三二年 五月十三日 ムーア・ステーション 警備隊長オフィス前
警備隊長オフィスから、ステーション特有の漂白された通路へ出ると、付き添いで来ていたイーライ・ジョンソンが隔壁に背を預けて待っていた。予想外の出来事にリガルは驚いたが、それを表に出さずにイーライに向かって頷く。彼も軽く会釈を返すと、もたれかかっていた壁から離れて一緒に通路を歩き始めた。
「どうでした、船長?」
どうやら、彼は今回の一件でアクトウェイがどんな処分を降されるか、確かめに来たようだ。既にクルーの全員がアクトウェイに腰を落ち着ける意思を表明しているが、彼らの決意を早々に失意に変える結果とならずに済んで、リガルは胸をなで下ろす。
「大した事はなかった。処分どころか報酬までいただいたよ。今回と次回入港時の補給品の支払い免除と、警備隊長本人のアドレスをくれた」
その言葉と同時に、彼はイーライにアナログな書類を渡した。白い、しかし古びて所々が灰色となった長い通路を歩きながら、イーライはさっと目を通した。粗方を読み終わると丁寧に元に戻して、リガルに手渡す。
「よかったですね、罰金を取られなくて。いきなりやらかしてしまったとは思っていたんですよ」
声を上げて、リガルは笑った。イーライは、自らの砲雷長と言う立ち位置から、実際に海賊船団へ手を下したことについて責任を感じていたのかもしれない。そういう彼の律儀な一面が垣間見れた様な気がして、嬉しくなった。
「そうだな。そこまで宇宙軍も腐ってはいないということだろう。今の時代、どこの軍隊も腐敗し始めている。広大な宙域をカバーする為に大量の船を作り、武力をかさましした事が原因だ。縮小傾向にはあるが、それもいつになれば進むことやら」
イーライは苦笑した。二人は、そのまま到着したリニア・モーターカーに乗り込むと、ステーションの重力制御の掛かっている域内から外れた、八七番ドッグへと向かった。時速六〇〇キロ程で飛ぶように走るモーターカーの透過壁からは、宙域の星星を覘くことができた。発着場は加圧されたブロックにあるが、モーターカーは基本的にステーションの表面上を走る。いちいちステーションの中に線路を作るのは、内部の構造を複雑にするのと同時に、より高度でハードな管理AIを用いる必要があるのだ。
透過壁から、新たに出港していく大型民間輸送船二隻を見つめながら、リガルは言った。
「しかし驚いたな。君はもう少し静かな性格だと思っていたよ」
イーライはまたも苦笑いすると、その理由を語った。
「よく言われます。船の上であんまり話さないのは、軍隊時代の癖なんです。砲雷長なんていうのは、艦橋では艦長の指示を聞く以外、何も喋りません。いくら味方が奮闘しても、砲雷長が砲撃を命中させられなかったら、それでおしまいですから」
「集中が必要なんだな」
「ええ。自然とそうなっていたんだと思います。だけど、今のクルーは、船長も含めて気のいい連中ばかりです。といっても、ジュリーは、少し問題がありますが」
少しだけ、イーライは表情を曇らせる。それもその筈、イーライは食事前の恒例となったポーカーで、ジュリーに一〇連敗した。
リガルは小気味よく笑った。途中からモーターカーに乗り込んで来たステーション警備隊の事務官が、驚いた顔で彼を見やる。当人はまるで気にせず、イーライに話の続きを促した。
「だから、もう少ししたら、普通に戻れると思います。ここはもう軍隊ではないですし、船長も嫌な奴じゃない。最高ですよ」
「他のクルーも同じように感じていてくれているのだろうか」
今まで感じてきた懸念を彼にぶつけると、少し腕を組んで考えてから、金髪の若い砲雷長は答えた。
「多分。少なくとも、皆不満は言いません。普通の船長として、リガル船長を信頼していると思います」
「そうか……よかった。実際のところ、そこが気になっていたんだ。ありがとう、砲雷長」
「どういたしまして、サー」
軍人のような堅苦しい口調でイーライが答えると、リガルは少し微笑んだ。まだ日は浅いが、クルーから見放されるという最悪の事態は回避できたようである。
モーターカーは停車し、八七番ドッグへの扉が開いた。二人で座席から立ち上がってモーターカーを降り、そのまま歩いていく。やや広い駅は、四方が灰色の壁で囲まれ、ステンレス製の柵で隔たれたホームの向こう側には磁気パネルで作られたレールがある。天井には埋め込み式の蛍光灯があり、そこからの光を浴びながら、二人は通路へと進んでいった。
「そういえば、船長。アキについてなんですが」
一番恐れていたかもしれない言葉を投げかけられると、リガルの心臓は跳ね上がった。だが、信頼してくれているクルーの期待を裏切ってはいけない。元軍隊経験者にありがちなことだが、星の海を渡る者は、こういうことに執着しているのだ。何の生命も受け付けない星の海の中で、頼れるのは船の船長や仲間だけなのだから。
「イーライ、彼女は以前のアクトウェイの頃から世話になっているAIだ」
「しかし、それにしては……言動が人間らし過ぎます」
「そりゃ、もう何十年AIをやっているかわからないからな。旧世代だが、データをそのままにコアブロックだけを新しい物に取り替えてきた彼女は、最早半独立人格を持っている」
その言葉に、イーライは心底驚いたようだ。
「本当ですか?」
リガルもイーライの反応に戸惑いながら、頷いた。
「ああ」
「信じられないなm民間用のAIがそこまで長く持つなんて。宇宙軍の正式採用しているAIは、戦闘の為に様々なシステムを犠牲にしているんです。だから、民間用のものより何十年も耐用年数が長い。だけど、民間船でそんな人格を持つほど歳を取ったAIなんて聞いた事がありませんよ」
その、あまりにもアキのことを人間視した表現に、思わずリガルは吹き出しそうになったが、俯いてなんとか笑いをこらえる。
「船長?」
「いや、すまない」軽く顔の前で手を振って、「それを彼女の前で言うなよ? 『君は年寄りだ』、なんて言ったら、エネルギービームが飛んでくるぞ」
理解したイーライも、耐え切れずに笑い出した。だが、その予想の果てに待ち受ける自体を想像した時点で、急に真顔に戻る。無理も無い。アクトウェイの管制システムは、アキがその気になれば艦橋にいるイーライの脳天だけを警備システムの小型ブラスターが貫くことなど容易いからだ。いわば、彼女こそがアクトウェイの神であり、クルーたちは憐れな子羊といったところか。
「船長、今のは黙っていてもらえませんか」
「良いだろう。酒の一杯でどうだ」
「妥当です」
どうやら、この船を手に入れた経歴については、まだ話さなくて良さそうだ。こんな船、たとえ操っているのがアキでも、薄気味悪い。
事の経緯に疑い深い点が無ければ、文句なしの最高の船なのだが。
長い通路が終わり、いよいよ八七番ドッグへと通ずるハッチが現れた。そこに入ると、小さな部屋のような区画に入る。その中で、重力制御システムがオフラインになると、加圧されたドッグへの扉が開いた。
ハッチは、アクトウェイの艦腹部分、やや上方に設置されている。開いた扉の先にはすぐに巨大な黒い船体が見え、多くの港湾作業員や補助ロボット、ドッグの隅に設置されている四本の大型ドッキングアームで固定された連結部分を徘徊する点検ボットが、餌に張り付く蟻のようにアクトウェイに纏わりついている。船体の左右の艦尾と先端の方の二つにつなげられている昇降機が、端のほうから船体へと伸びている。リガルとイーライは、無重力の通路をふわりと浮かんで移動していく。全長が一二〇〇メートルほどある船体の中腹くらいまで移動しなければならない為、また十分ほど無言のまま移動し続けた。
やがて通路の左側に抜ける、直角な通路へと突き当たると、二人は向きを変えてアクトウェイの黒いハッチが見える方向へと流れていく。途中、通路の両脇にいくつか設置されている窓から、流れていく作業員の姿と、多くの作業ロボットの姿が見えた。たまにされる挨拶などを窓越しに返しながら、二人はようやく船の中へ辿り着いた。
と、その時、ハッチの中に入った瞬間に、アキの立体映像が現れた。反射的に、イーライの顔がこわばる。
「おかえりなさい、船長、砲雷長」
「ただいま、アキ」
「た、ただいま」
思わず吹き出しそうになったが、なんとか無表情を保ってアキを見つめる。
「どうした?」
「いえ、特に報告などはありません。補給物資の積み込み作業はもうすぐ終わりますし、点検も終わります。出迎えに出られるのは、私だけでしたので」
「そうか、わざわざありがとう。他の皆は?」
「食堂で、いつも通りのポーカーをやっています。もうすぐ夕食ですし、ご一緒にどうです?」
イーライとリガルは互いに顔を見合わせて、金髪のほうがアキに向き直っていった。
「そうすることにするよ。今から、二人でそっちに向かう」
「わかりました。お待ちしています」
最後に、AIは極上の笑みを浮かべて、そして霧のように掻き消えた。
「イーライ、最後に聞きたい。今のクルーをどう思う?」
イーライは即答した。
「最高です、船長。間違いなく」
「アキ、なにしてるのさ?」
ジュリーが苛々した口調で言うと、彼女は半開きになっていた目をしっかりと開いて、きょろりと声の主を見た。
広々とした部屋の中に、カードの擦れる音が小さく響く。艦に残った、ジュリー、フィリップ、セシル、キャロッサ、そしてアキが、食堂でポーカーをしているところだった。どうして人間というのは、こう賭け事が好きなのだろう、とアキは思う。リガルも、暇つぶしに彼女のシステム内に構築されたポーカーゲームなどをよくしていたものだった。半独立人格の彼女を相手にする場合、いつも彼は負けていたが、それでもめげずにやり続ける魅力はどこにあるのだろう。
「船長と砲雷長が戻りました。その出迎えをしていたところです」
「へえ。それで、どうだったんだろうな? 結局、俺たちはこの船の最初の航海で星間連合警察の御用になるのかな」
フィリップが大きな指でカードを引きながらぼやく。言っていることとは裏腹に、彼の行動には恐怖や緊張といった物が感じられない。斜向かいに座っているセシルが、微笑みながら相槌を打つ。
「今、ここでポーカーをやりながらする話じゃないわね、機関長」
偉丈夫はちらりとセシルを見やって、ぺろりと舌を出しつつ、カードを表向きでテーブルに投げた。ストレートの手札が広がると、メンバーの面持ちが暗くなる。反対に、彼は大きな笑みを浮かべた。
「まあ、そういうなよ、管制長。長い間軍隊にいたからな。裁判なんてものは軍法会議に比べたら優しいぜ」
「あなた、軍法会議にかけられたことがあるの?」
「知り合いがな。俺は傍から見てたけどよぉ、すげぇぜ、ありゃあ。骨身にしみるっていうのかね」
厳ついが、人のよい性格の彼がここまで骨太な神経を持っているのかと驚いたところに、ジュリーが舌打ちをしながら各々のカードを回収する。船の中でだけ使える専用チップを、とても恨めしそうな目つきで丁寧に数え、全てフィリップに渡した。このチップは、あまりにも金額の変動が著しい艦内ポーカーで、対策としてリガルが提案した物だ。チップを支払えば、艦内の食堂でよりよいメニューを食べることが出来る。キャロッサ・リーンの手料理は言うまでもなく大人気。この提案には誰もが賛成した。
ジュリーがカードを配りながら反論する。
「そりゃあそうだろうけどね、フィリップ。裁判ってのは後が怖いんだよ。民間のステーション、ましてやこのムーアみたいなデカブツ相手にはね」
ジュリーが手で回りを示す。キャロッサがおずおずとした口調で会話に割り込んだ。
「ええと、それよりも、アキさん」
アキが手札から顔を上げる。小首をかしげてキャロッサを見ると、彼女は手札をテーブルに投げた。ジャックのフォーカードがテーブルに広がり、全員が唸り声を上げる。そろそろエンジンがかかり始めたところだった。
「なんでしょう?」
「出迎えって、どうやってやったんですか。今も、ずっとここに座ってらしたようですし」
その質問に、アキは淡々と答えた。フィリップが苦虫を噛み潰したような表情で、カードを集め、シャッフルして配りなおす。
「ホログラフを使いました。この艦の通路以外の場所では、私のホログラフを投影することが可能です」
みなが驚きで顔を上げた。最初に声をあげたのはフィリップである。
「本当か? 俺が軍で働いてた頃は、最新鋭の軍艦でもそんな機能はなかった。使う必要もなかったし、金もかかるんだ」
「私も。ねえ、アキ」次はジュリーだ。
「なんでしょう」やはり、彼女は淡々と相手に答えるのみだ。
「前から気になってたんだけどさ。その生体端末、この艦にあったやつなんだろう?」
その質問に、アキは手札を二枚交換してからうなずいた。彼女が視線をジュリーに戻す間も、ゲームはよどみなく進み続ける。呼吸をするように、全てが平行して進められていた。
「ええ」
「最初から、そんな姿だったの? ああ、いや、そんなっていうのもアレだけどさ」
その言葉を聴いて、アキは少し驚いた後、にっこりと笑った。
「優しいんですね、航海長は」
これにはフィリップとセシルが吹き出した。キャロッサは顔を下に向けて必死に笑いを堪えている。見るからに豪放磊落、どう考えてもそんな言葉とは無縁に見えるジュリーに対して、人工知能の放った言葉はレーザーライフルのように、聴いているものの心を射抜いた。無論、ジュリーは雷を落とすように激怒……はしなかった。
「あ、あ、アンタ、な、なにを……」
どう見ても取り乱している彼女を見て、他の三人は死にそうなくらいに笑い転げている。引きつった笑いは既に掠れて、それを聞いたジュリーの顔はますます赤くなる。
原因とも言えるアキは、不思議そうな顔でジュリーを見つめていた。
「何を怒っているのですか?」
「怒ってなんかいないよ。わ、わたしは」
「これは一体なんの騒ぎだ?」
入り口のほうを向くと、リガルとイーライが驚きの表情で一同を見つめている。アキだけが振り向いて、「船長」と言った。他の面々は取り乱して、ただただ騒ぐばかりである。
「船長、訂正です。クルーはみんな”いかれてる”」
イーライの言葉に、リガルは深刻な顔で天井パネルを仰ぎ見た。