表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
漆黒の戦機  作者: 夏木裕佑
第二章 黄金の花束
36/103

一三二年 八月六日~ ②

いつも通りの更新。

どうぞ、お楽しみください。


・アリオス暦一三二年 八月六日 ゴールデン・ブーケ内



三十分ほどの時間をかけて、入り組んだ小惑星内部の蟻の巣のような通路とリニア・モーターカーの路線を乗り継いで辿り着いた場所は、宇宙空間の生命を全て抹消しようとする暗闇に浮かんでいる岩塊の中とは思えない、花の咲き乱れる気持ちのいい丘の上だった。


その正体は、五フロアを突き破って確保された巨大な空洞に、半球形状の擬似恒星光スクリーンに投影された、二四時間周期で太陽と月が昇る空、大規模な空調設備による風の再現、それら全てにより育てられているチューリップや薔薇といった、ポピュラーだが目に映える植物の数々………それらは閉塞感に息苦しさを感じていたアクトウェイの面々を驚かせ、あまつさえ蝶まで飛んでいる状況に、イーライなどはとうとう自分にもジュリーの”いかれ具合”が感染してしまったらしい、と本気で思っていた。


呆気にとられるクルーの後ろでは、開いていたこの空間へと繋がるハッチが閉じ、瞬く間に壁に投影されているほかの山脈の景色と見分けがつかなくなった。アクトウェイの超高解像度ディスプレイにも負けず劣らずのそれだけでも、彼らからしたら白目をむいてしまうほどの金がかかっているであろうことは容易に想像できるし、そんなものを他の小惑星を改造した資金と共に賄える、バルンテージの資金力は、ある意味では怪物的であるといえよう。


「これだけの財産を、たった一代で築いたって言うのか」


イーライが驚きの感情を声で表現する。一行は、その広い空間の中ほどにぽつんと存在している、木造の小さなコテージへと続く、草花の踏みしだかれた土が剥き出しとなっている小道へと歩き出した。空には鳥が何羽か放され、空間の許す限りのスペースを飛びまわっている。そのどれもが小鳥で、中型か大型の鳥はこの部屋の中では暮らしていけないのだろう。


山脈が投影されているディスプレイから、雰囲気としては小さな小川が流れていても不思議では無さそうなのだが、さすがにそこまでは再現されておらず、ただ、草花の草原が広がっている。その空気は自然的であっても、確かに人工のものであると思わせる何かが残されており、異質ともいえる印象を彼らに抱かせた。


「それにしても、全員でお越しくださいとはな」


リガルが言うと、フィリップが頷いた。


いつもは、こういった交渉ごとはリガルとアキが引き受けるから、彼らとしては今回の依頼についてはいつもと違う空気を感じ取っているのであった。

イーライが、心持ち強張っている表情をさらに引き締めて、胸ポケットの辺りを探る動作をした。それが胸に仕込んだブラスターを確認する為だと気づいて、リガルは苦笑する。


「イーライ、そんなに警戒する必要は無いぞ」


「何を言っているんです、船長。ここはゴールデン・ブーケ、政府の法の手も届かぬ独立した自治区ですよ。それは即ち、自治領主の一声でどんな悪逆な行為も容認されるという、治外法権的な意味も含まれているんです。もし、ニコラス・フォン・バルンテージがアクトウェイがここに入港したことに不満を感じていたら、その場で射殺されても文句は言えませんよ」


「向こう側から来るように言ってきたのにか?」


茶化すようにリガルは言ったが、イーライを含め、セシルやフィリップ、ジュリーは、真剣な表情で辺りを見回し始めた。


「問題はそこです。政府からの依頼を受けたバルンテージ氏が、金を貰ってアルトロレス連邦の中立状態を崩すような要因である貴方を殺さないとも限らない。ましてや、先程の通路等ならまだしも、こういった奇襲に適したところでは」


「おいおい、やめておけ。そんなんじゃ、俺達の仕事を増やすだけだ」


声が響き、クルー達は一斉にリガルを取り囲んで、ブラスターを抜き放った。聞きなれぬ声はそれきり黙りこみ、リガルを守るべく体勢を整えたクルー達と見えない男の間に、等しく緊張の空気が流れた。


やがて、どこから響いてくるとも解らぬ声が空気を揺らした。


「落ち着け。我々はバルンテージの遣いの者だ。敵意は無い」


「くそ、歪曲装置か」


戦場では、今の時代では、古い時代よりもセンサー類が発達し、敵の発見が簡単になっている。それはつまり、機械が人間の感覚――視覚や嗅覚、触覚や聴覚など――を模倣することが出来るようになった為であり、それに加えてエレクトロニクス的な分野での対象の捜索が同時に出来るようになったことが大きい。そのため、今リガルを守るように行動をおこしているアキの、生態端末としてのデータの流れの中に埋もれるように接近してきたこの相手は、少なくとも、今リガルたちが持っている最大の索敵装置でも発見できないということになる。つまり、今の状態で敵がナイフでも取り出せば、こちらにはどんな手段を用いても対抗する術が無いということになるのだ。


そして、歪曲装置とは、自分の発生させている音………足音や声を、様々な処理を施したフィールドを用いることによって、敵に自分の位置を悟られるのを極力控えるように配慮したものなのである。


声は、少しだけ笑い声を漏らした。優越感にでも浸っているのだろう。


「そう身構えることは無い。改めて言っておくが、わざわざ依頼を受けに来てくれた放浪者ノーマッドに危害を与えることは論外だ」


「言うね、姿も見せない若造が。見えない相手に、今、正に殺されるかもしれないってのに、そう簡単に安心できる人間が宇宙に居ると思うかい?」


ジュリーが、油断ない視線で周囲へと視線を投げる。相手の男を捜そうとしているのだろうが、周りは先程と同じ草原のままで、特に変わった点は無い。むしろ、全員が黙り込んでいるのでさっきよりも静かで、自然な状態に近いくらいだ。


「それは仕方の無いことだ。もし私が今の格好で君達の前に現れたら、即座に射殺されかねないからな」


「そうかい。じゃあこのままでいいや。せめて何者かは教えてもらえるんだろうね?」


「無論だ。私はゴールデン・ブーケの衛兵長を務めている、ドゥエストスだ。ちなみに説明しておくと、衛兵とは、ここゴールデン・ブーケが来るものは拒まずを守り抜いているのをいいことに、密かに逃げ込んできた海賊や犯罪者なんかを逮捕・処理する、いわば監視員の役割を果たす集団のことだ」


「なるほど。それじゃ、私達を殺す動機が、あんたには無いともいえないわけだ」


そうだろう?と言い放つジュリー。ドゥエストスと名乗った見えない男は、短いが戦慄するほど鋭い声で笑った。


「面白い女だ。確かに、君達はレイズでいろいろとやらかしている連中だそうだな」


「そうだ」


リガルが言うと、クルー一同は目玉をぐるりと回した。


「質問ばかりですまないが、答えてもらおう。君の言いたい事はなんだ?」


一瞬だけ、この余裕綽々な態度を崩さなかったドゥエストスの声が、初めて返答に窮した。


「というと?」


「つまり、こうだ。ここでバルンテージ氏が君をけしかける理由が無いってだけの話だ。見たところ――まあ、見えないが――君は任務に実直な人間なんだろう。衛兵長なんて、そんな簡単には務まらないからな。部下の信頼を集めていなければならないし、それあけ能力がなければ勤まるものではない。性格的な部分も絡んで繰るだろう。公私両方で、君が実直な人間であることを証明しなければ、そのポストには辿り着けなかっただろうから。

だが、現実問題として、君は俺達に接触してきた」


見えない衛兵長は黙り込んでいる。心なしかリガルの肌がピリピリしているのは、それが図星だからなのだろうか、それとも彼が怒り始めたからなのか。きっと両方だろう、と彼は勝手に思った。


「と、いうことは、だ。君はバルンテージ氏の命令でここに来たわけじゃない。君は自分の意思でここに来た。そして、その状況から推測できるのは、今、あの草原の真ん中にあるコテージの中には、バルンテージ氏はいないということで、俺達への依頼は恐らく、その今ここにいないバルンテージ氏に関することなのだろう。違うか?」


草原を風が吹き渡っていく。完璧なまでに再現されつつも、それが作られたものだと悟らせる微妙な割合の空気を含んだそれが通過していき、リガルの黒髪を揺らした。ジュリーやセシル等は、やや長い髪の毛を片手で押さえ、その間も片時もブラスターを手放すことは無く、フィリップらと共にリガルを囲んでいる。


しばらくの沈黙の後、突然、リガルの目の前の空間が揺らぎ始めた。電子的な機械音を響かせるその空間へと、クルー達は一斉にブラスターを向けるが、リガルは手でそれを止める様にジェスチャーをすると、自ら歩み出て、その空間へと手を伸ばした。


驚くべきことに、目の前で揺らいだ空間は、一瞬で人型に落ち着くと、深い紺色の装甲服を身に纏った男性と思われる装甲服を着込んだ衛兵の姿に変わった。衛兵は腰にブラスターと暴動鎮圧用の警防、背中のバックパックにはバレンティア製のビームライフルを装着している。男は、そのすっきりとしたフォルムの装甲服のヘルメットに手を掛け、ぷしゅっという空気の入る音と共に、顔を包み込んでいたヘルメットを外して、小脇に抱えた。


クルーカットの、旧地球で言うところのアメリカ海兵隊員のような顔立ちの男は、その目に何かの感情を浮かべたまま、歩み出てきたリガルの差し出された右腕をしっかりと握った。


「ドゥエストスか?」


リガルが問うと、男は重々しく頷いた。透き通った青い瞳が光る。


「そうです、リガル船長。貴方を試すような真似をして申し訳ありませんでした」


潔くドゥエストスが頭を下げる。そこで、リガルはこの男の長身に初めて気がついた。このクルー達の中で一番背の高いフィリップと比べても、目線が明らかに違い、リガルは首を傾けて、巨人のように見下ろしてくる男の威圧感を全身で受け止めねばならなかった。


「構わないよ。それで、依頼の話なんだが」


「ええ、わかっております。失礼のお詫びと言ってはなんですが、あのコテージの中でお話しましょう」


先頭に立って歩き出すドゥエストス。背の高い彼の背中は、クルー達が彼に発砲する可能性をまったく度外視しているようで、まるで恐れというものを感じさせなかった。リガルは目で合図して、全員に渋々ブラスターを納めさせると、張り詰めて緊張した空気をほぐした。


一同は草原の細道を一列になって進み、ほどなくして、コテージへと辿り着いた。


木造で建築されたコテージは、実は高級なことこの上ない、高尚な建物である。ステーションや宇宙空間の人工建造物では、木材と言うものが最高級の材質として使われるのだ。木材は地上でしか採集できず、しかも、その恒星系の惑星が生物の存在できる環境でなかったら、木材は恒星系外、他の恒星系にある惑星から持ってくるしかない。旧地球上では船や飛行機を使えば容易に輸送できたが、今は宇宙の広範囲に人類社会が拡散している為、木材を搬入するだけで莫大なコストがかかる。最終的に顧客の元に木材が届く時には、それは植物ではなく、金でできた材質となっているのだ。


「こちらです。どうぞお入りください」


ドゥエストスがコテージのドアを開き、アクトウェイのクルー一行が黙ったままそれを潜っていく。一転して最後尾になった彼は、大きな背中を少し屈めてドアを通ると、しっかりと扉を閉ざした。


「さて、皆さん。まずはお座りください」


コテージの中は質素なつくりで、部屋の広さだけは十分に確保されているが、家具という家具は装飾等皆無で、決して豪奢ではない雰囲気が、宇宙位置の大富豪の印象を柔らかくするようだった。壁には古めかしい柱時計が置かれ、外見から見た限りでは解らなかったが、なんと暖炉まで着いている。冬の気候にステーション内部が設定された時、ここで暖を取るのだろう。傍には低めの木製テーブルが置かれ、その脇には大きな肘掛け椅子が四つ添えられていた。他にはリビングに続いているカウンターキッチンと調理器具類などの一般庶民の生活品が並べられ、とても落ち着いた空気が満たされていた。


ドゥエストスの勧めてきた、恐らく客人用と思われる長テーブルにクルー達が腰を落ち着けると、装甲服を着たまま、ドゥエストスは話を始めた。


「まずは、先ほどの無礼をお許しください。貴方がたを試させていただいたのです」


「解っているよ。それで、依頼の話だ」


リガルが指し敵に止めた風も無く話を促すので、イーライは驚いてリガルの肩を揺すった。


「何を言っているんです、船長。あんなことをされたのに」


うんうん、と頷く一同。リガルだけは平然とした顔で彼らを見つめ返した。


「何をされた?彼も言っただろう、試したんだ。それはそれでいいじゃないか」


それでも納得できない、と表情を強張らせるクルーを、ドゥエストスは無感動な瞳で眺めていた。いかにもプロらしく、冷静な男で、まるでナイフのような空気を纏っている男だった。


少しだけ続いた沈黙を打ち破ったのは、アキの溜息だった。


「こうなった船長は頑固ですよ。バレンティアの戦艦並に」


イーライとフィリップは顔を見合わせ、事の成り行きを見守っていたキャロッサとセシルは、只無言で頷いた。ジュリーだけは、面白くも無さそうな目で部屋の中を眺めている。


とうとうイーライが溜息をついた。


「解りました。船長に任せます」


「ありがとう。ではドゥエストス、頼む」


ようやく回ってきた自分の出番に、装甲服を身に纏った大男は満足げに一度だけ頷いた。


「解りました。それでは説明を始めさせていただきます。リガル船長は大方の察しがついているようですが、今回の貴方達への依頼は、私の主人であり、このゴールデン・ブーケの主でもあるニコラス・フォン・バルンテージ氏の救出についてです」


驚きの漣が一同の間を通り抜けていき、それぞれの顔に向けて舌を出しているような長い時間を置いた後、静かな口調でキャロッサが口を開いた。


「救出と言いますと、拉致されたんですか?或いは………」


「大方当たっています。バルンテージ氏は、先日、貨客船キッド・ライク号に乗船してアルトロレス連邦領宙を航行していた際、海賊船の集団に襲われ、拉致されました。海賊集団自体は、キッド・ライク号の乗員達が奮闘したお陰で撃退できたのですが、港に戻った顧客リストをチェックした時にバルンテージ氏の姿が見えないことにクルーが気づき、今回の経緯となるのです」


唇を硬く引き結んだドゥエストスが、「もし自分が近くで護衛をしていたら」という後悔の念をあらわしている。


「ご存知のとおり、アルトロレス連邦はその地理上の理由からくる経済的重要度のせいで、海賊被害が多発しています。軍の警備部隊なども増強している最中ですが、我々が出した捜索依頼は中々受領されません。僭越ながら、バルンテージ氏は経済界の重鎮であるため、軍はすぐに救出作戦を展開してくれましたが、海賊船団の消え去った方向には何も無く、捜索は難航しています」


「そこで、我々の出番と言うことですか」


リガルがテーブルの表面をコツコツと叩きながら応じると、ドゥエストスは苦悩に歪んだ顔を上下に振った。


「アクトウェイのことはニュースで知っていました。まさかいちノーマッドであれだけの活躍をなさるとは、正直に言えば度肝を抜かれましたよ。国家軍隊と対立するなんて、普通じゃ出来ません」


「あの時は、他に選択肢が無かっただけさ」


「それだけではないでしょう?何か、信念のようなものがあったのではありませんか?」


リガルは指を止めて、目の前の大男を見上げた。


「ニュースで見ただけではないだろう。アクトウェイのことを調べ上げたんじゃないか?」


質問に質問で答える形になったが、ドゥエストスはまったく動じずに答えた。


「調べました。特に、先程申し上げたレイズ=バルハザール戦争のアクトウェイの戦績を。

リガル船長。貴方以外にこの依頼を成し遂げられる人はいらっしゃらない。違いますか?」


「違うね」


あっさりと答えるリガルに、初めて装甲服姿の大男は驚きの色を見せた。もっとも、そうはいっても方眉を動かしただけであったが。


「違いますか?」


「ああ、違うね。あの時、あの場に他のノーマッドがいたとしても、同じ行動をとったはずさ。全員とは言わなくても、他にも俺と同じ、いやそれ以上に上手く立ち回っただろう」


その言葉に、イーライが僅かに顔を曇らせた。その微妙な変化はすぐに消え去り、気づいたのはアキとセシルだけだった。


ドゥエストスはそこでリガルの頑固さを思い知ったのか、一度だけ頷き、話題を依頼のことへ戻した。


「話を戻しましょう。依頼の件ですが、何か質問はありますか?」


「わかった。バルンテージ氏の連れ去られた方向とか、大まかな位置は解っているのか?」


「お恥ずかしい話ですが、何分、海賊の行動は通常では考えられないレベルに習熟しており、彼らの逃走経路を判別するのは至難の業でして………」


「何も情報はないのか?」


「はい、何も」


潔いとさえいえるその態度に、リガルは肩をすくめるしかなかった。


そして、それからまた色々と話し合った末に依頼の受諾を申し出ようかと思ったところ、コテージの二階部分が騒がしくなってきた。


忘れていたが、このコテージは二階建てで、見た限りでは一回と同じ敷地の広さが在り、おそらくは一階よりも細かく分けられた部屋になっているのだろう。


騒がしさは次第に大きくなり、男の大きな声などが聞こえてきた。騒ぎから騒音へと変わりつつある音に、クルー達は腰を浮かせかけたが、ドゥエストスの大地を揺るがすような重い溜息によって動きを止めた。


「まったく、あれほど大人しくしているように言ったのに………」


わけもわからず、リガルやセシルが顔を見合わせたところに、その騒ぎが最大限に大きくなって、先程から視界の隅に捉えられていたドアを弾き飛ばすように開いて、平和的な沈黙を謳歌していた部屋の中の空気を、一気に戦争状態へと引き上げた。


「ドゥエストス!お父様はどこ?」


突入してきたのは、十四、五才と思われる、年端も行かない少女だった。長い髪の毛は驚くほど目に映える赤毛で、瞳はアキの瞳からブラウンの色が抜けた、純粋な黄色の瞳だった。綺麗なラインを描く輪郭は、多分な幼さを含んでいるにも関わらず、どこか目を離せなくなるような大人びた美しさを持っていた。


端正な顔立ちの中心よりやや上に位置している、二つの対空レールガンのような瞳が、机の目の前に悠々自適に座っている一人の男を捉えた。


「貴方、誰?」


高飛車な口調で言う彼女とばっちり目が合ってしまったリガルは、視線を小さな女の子から目の前の厳つい大男へと移した。

再び巨大な溜息をついたドゥエストスは、じろりと見るものを威圧する瞳で少女をねめつけた。


「お嬢様、あれほど二階で大人しくしていてくださいと申し上げた筈ですが………」


「お嬢様?」


イーライが呟くと、少女は肩に掛かっている長い金髪を手で弾いて、ドゥエストスに向かって唇を突き出して見せた。


「ええ、確かに貴方はそんなことを言っていたかもしれないわね、衛兵長。でも、それに対して私が”解りました”なんて、一度でも言ったかしら?」


「そんな駄々をこねないでください。今回は大事な客人がいらっしゃっているんですから」


その言葉で、彼女の注意は再びリガルへと注意を戻した。つかつかと小さなヒールの音を立ててテーブルに座っているリガルの前まで来ると、それでも彼より低い位置にある目線から、何の動揺も示していない青年へと容赦なく視線を射込んだ。


「貴方が、ドゥエストスの話していた、お父様を助け出す切り札とかいう男ね?」


「切り札か。ぴったりだな」


そう思ったのはフィリップだったが、彼は賢明にもそれを心の中で呟き、ジュリーとセシルはそれを見抜いて、僅かに笑みを浮かべた。おろおろとうろたえているキャロッサ以外は、全員がリガルがどうやってこの突然現れたお嬢様に対処するのかを興味深げに観察していた。


「貴方、名前は?」


男は平静な様子で答えた。


「リガル」


「そう、リガルというの。私の名前は、アスティミナ。アスティミナ・フォン・バルンテージ。覚えておきなさい」


「バルンテージ?というと、君は………」


「ええ、そうよ。私はニコラス・フォン・バルンテージを父に持つ、お父様の一人娘よ」


その時、彼女の後ろから引っ掻き傷をいくつか作った、屈強な男達が、顔を顰めてリビングに入ってきた。


リガルたちの視線がドゥエストスの顔に集まると、彼はうんざりした顔で、またもや溜息をついた。


「お嬢様、無礼のないようにお願いします。リガル船長は………」


アスティミナは、子どもとは思えない鋭い一瞥をドゥエストスに投げつけるや否や、小さなヒールの踵を床にたたきつけた。


「ドゥエストス、貴方は勘違いしているんじゃなくって?軍でも、お父様の行方はわからず終いなのに、いちノーマッドにその依頼が勤まると思う?それに、どう見てもこんな”でくの坊”にお父様が探し出せるとは思えないわ!」


思わず、セシルが吹き出した。イーライはやれやれと首を振り、フィリップとジュリーは必死に笑いの発作を押さえ込んでいる。キャロッサはおろおろと仲間の顔をうかがい、アキは興味深げに目の前のおてんば娘を眺めやっていた。


そんな中、”でくの坊”は無表情で椅子に座っている。怒っているように見えるが、それは笑い転げているクルーに対してだろう。


ドゥエストスは「何故お嬢様を部屋に留めておかなかったのか」と、部下であろう男達へと厳しい視線を投げた。彼らは肩をすくめるばかりである。まあ、半袖のシャツにいくつも作られた傷を見るに、彼らも善戦したと見るべきだろう。


「それで、リガル。貴方、ドゥエストスから事の次第は聞いたの?」


突然の話題の転換に、リガルは眩暈を覚えそうになったが、無言で頷いた。


すると、彼女は少し考え込んだ挙句、突拍子もない事を言い出した。


「そう。なら、貴方の船に私を乗せなさい」


「お嬢様!」


一瞬の間をおいて、彼女の言っている意味を理解したドゥエストスが声を荒げると、小さなレディは臆することなく、自分の二倍近い身長を持つ大男を見上げた。


「ドゥエストス。私が思うに、この男は信用できるかできないかじゃなく、そもそも監視役が必要なのよ。それならお父様の身元確認には親族が必要なはずだし、私が船に乗っていたほうが手続きが何倍も早くなるわ」


子どもとは思えない理屈に、周りの大人たちは顔を見合わせるばかりであったが、リガルは悪戯っぽい笑みを浮かべて反論した。


「そうだな。だが言わせて貰えば、君の言っていることは通信でなんとかできるし、船にはドゥエストスに乗ってもらえば十分だ。その方が、VIPである君を危険に晒すこともなく、我々は集中して依頼に取り組むことが出来るし、効率を損なうこともなく安全性だけ高めることが出来る」


思わぬ反撃を喰らい、少女は目に見えてひるんだ。ドゥエストスは、


「そうです。まったくもってリガル船長の言うとおり。だから頭痛の種を増やさないでください」


と、目を瞑ったまま頷いている。


アスティミナは今にも泣き出しそうな顔になりながら、リガルへ向けて一歩踏み出した。


「な、何よ。私は乗っては駄目だというの?」


リガルはテーブルの肩肘を着いて目の前の少女を見た。その様子は王宮で王と面会する従者のそれに酷似していたが、今回は立場が逆なのである。それなのに、周りの人間にはこれこそが在るべき姿であるかのように見えた。


「できれば、ね。俺にはバルンテージ氏を見つけるために最大限の努力はするし、君が船に乗ったとして、守りきる自信もある。ドゥエストスにしても同じことだ。だが、放浪者ってのは色々なしがらみを忌避するものでね」


「そ、そんな事は屁理屈だわ!」


わなわなと身を震わせて叫ぶ少女と自分達の船長を見比べて、これは完全に勝負があったな、とクルー達は視線を交わした。


ただ、その中でキャロッサが、おずおずとリガルに言った。


「船長、子ども嫌いなんですか?」


リガルは首だけをキャロッサに向けて答えた。


「別に」


その時のリガルの表情で何人が笑い出しそうになったのかはわからないが、少なくとも表面上はフィリップが咳払いをしただけだった。


あらためて”でくの坊”が少女に視線を戻す。


「アスティミナ、俺は別に乗るなと言っているわけじゃない。俺はドゥエストスの上司に当たる君に、従わざるを得ないからな」


金色の瞳がぱっと明るくなり、心底安心したような色を見せた。赤毛は震えが収まり、駆け足でリガルへと近づいていく。


「本当に?私も行っていいの?」


「ああ。だが、何があっても自己責任だぞ。ドゥエストス、それでいいかな?」


少女が顔を向けると、やれやれ、とドゥエストスは頷いた。


「解りました。お嬢様のご自由に」


「やった!ありがとう、リガル!」


よほど嬉しかったのか、アスティミナは思いっきりリガルに飛びついた。

ギョッとしたのはキャロッサとセシルだった。二人は立ち上がって、アスティミナの華奢な腕に首を羽交い絞めにされているリガルの元へと駆け寄り、ドゥエストスは驚いた様子で現場を見つめている。


「ちょっと、離れなさい!」


「離れてください!」


フィリップとジュリーは我慢できずに破顔している。イーライはあきれ返って天井を見上げ、当の本人であるリガルは、アスティミナが抱きついてきた衝撃で椅子ごとひっくり返り、少女が怪我をしないように受身を取ったせいで痛む腕をさすっていた。


そこに衛兵達も加わり、何とかアスティミナをリガルから引き剥がすと、彼女はステップしながら自分のやって来た階段へと戻り、クルーに助け起こされているリガルへと振り返った。


「荷物を取ってくるわ!そうしたらすぐにお父様を探しましょう、リガル!」


彼女が消えると、再び静けさを取り戻した部屋の中で、リガルは言った。


「さて、レディの頼みごとを聞かないわけにはいかない。みんな、準備をしよう」


そういって外に出たリガルの後に続くセシルは、アキに耳打ちした。


「ねえ、アキ。リガルって本当に子どもが嫌いなの?」


アキは平然と答えた。


「船長自身が子どものようなものですからね。同族嫌悪と言うべきでしょうか」


「なるほど。完璧に納得したわ」


苦笑交じりに、セシルは呟いた。


勝手にランキング、 ワンクリックお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ