表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
漆黒の戦機  作者: 夏木裕佑
第二章 黄金の花束
35/103

一三二年 八月六日~ ①

ゴールデンブーケ、三話目です。

コントをお楽しみください。

・アリオス暦一三二年 八月六日 大型巡洋船アクトウェイ


人類社会でも最高峰の富を有するアルトロレス連邦で、あらゆる政府高官や経済関係者、独立商人から畏怖と畏敬の念を一身に集めているニコラス・フォン・バルンテージの居城は、地上に構えられた巨大な豪邸でもなく、衛星軌道上に設置された人工建造物でもなく、ひとつの小惑星をくりぬいて建設された、どの惑星の公転軌道上からも離れた人工天体だった。その規模は軍用の補給基地とも並ぶ巨大なもので、その膨大な財産の三割を投入して建設されたこの根城を拠点として、バルンテージは星間交易を統率していた。その名を「筋の花束ゴールデン・ブーケ」という。アルトロレス連邦のハブ宙域であるレントス星域での交易活動を監督し、通行税の徴税権を政府から委託されることによって、その失った財力に負けず劣らずの安定した財源を確保した。この難解な経済のパズルを組み上げるその手腕とセンスは、間違いなく銀河有数であり、今後百年の教科書に載る存在であることに違いなかった。


その小惑星へと、宇宙の深遠に溶け込むかのような黒いカラーリングの巨船が、空間に投影された管制AIの誘導灯に従いつつ、かなりの低速でゴールデン・ブーケへの入港を果たした。


「毎回思うんだが、なんだって入港する時はこんなにゆっくり動けるのに、いつもはあんなに荒っぽいんだ」


文句を言ったのはイーライである。確かに、彼の言うとおり、ジュリーの航海は酔っぱらいのように荒っぽく、通常航海でも、なるべく燃料を消費しないのではなく、より燃焼効率のいい航海を好む為、時折、急な航路変更等でアクトウェイが揺れることもしばしばだった。ちなみに、先日の揺れは一際大きく、イーライのコンソールの上に置かれていたコーヒーが彼のズボンを茶色く染め上げてしまったのだった。


「文句を言うなら降りてもいいんだよ、砲雷長」


大して気にした様子もなくジュリーは言い、ポケットから魔法のようにウィスキーの小瓶を取り出した。蓋を開けて一口煽ると、眠そうな目で推進装置のシステムをオフラインにした。規定により、港内では全ての船の移動に関する、機関以外のシステムを切らなければならないのである。これは密閉空間として、極めて高い気密性を維持し続けなければならないステーションにおいて、当然の措置であった。


「それにしても、今日はいつにもまして機嫌が悪いな。どうかしたのか?」


「どうもなにもないよ。ここにはアタシの気に入らない奴がいるのさ」


普通なら、ここで何か語を濁らせて自分のことを語らないのだろうが、ジュリーは自分が、そこまで器用ではないことをよく知っていた。


珍しく自分に関することを話したジュリーに、イーライは驚いた顔をして見せた。


「例えバレンティアの首相相手にも喧嘩を吹っかけるようなお前さんにも、嫌な相手なんているのか」


「失礼な奴だね。こんなか弱い女をいじめて楽しいかい?」


フィリップが危ないところで笑いを堪え、航海長から怒られる前になんとか発作を押さえ込んだ。


「楽しくはないね。だが興味はある。どんな奴なんだ?」


「そうさね。なんとも冴えない、頭のぶっ飛んだ男さ」


矛盾している表現に気づかないまま、ジュリーは手早く準備を済ませて席を立った。次いでフィリップ、セシルと続き、それぞれが自室へと引き上げて荷物を取りに行き、十分後には、宇宙港の気圧と同じに設定されたエアロックを潜って、アクトウェイと加圧ブロックへと繋がる橋のような通路を歩く。橋の外を見渡せるように工夫された透過壁の向こう側では、複数のロボットを引き連れた港湾作業員が巨大なアクトウェイに纏わりつき、エンジンや推進装置の点検を開始した。さらには、ここに至るまでについでだからといって積んできた荷物の降ろし作業も平行して進められ、大きなコンテナがアクトウェイの艦底、やや後部よりにある格納庫から、大きな搬出ロボットがコンテナを抱え上げているところだった。


「どのくらいの足しになるんでしょうか、船長」


セシルが呟くように言った。


「そうだな。まあ、船の整備費くらいにはなるだろう。アルトロレス連邦では宙運企業がレイズやシヴァとは、比べ物にならないくらいたくさんあるから、俺達ノーマッドに回される依頼なんていうのは本当に微々たるものだ。量は多くても、質は低い。結果として、儲からない」


リガルは、わざとらしく首をすくめた。


「いうなれば、放浪者ノーマッドの小遣い稼ぎさ」


「でも船長、そんな国に来たって事は、何か目的があったんでしょう?」


リガルの話に、皆を代表して疑問を投げかけるのがイーライの役目だ。彼の役割は軍部で言う参謀長に近いものがある。彼の質問に、黒い航宙服姿の若い船長は、通路が終わり、宇宙港ロビーへと続く走路へと乗った一行は、そのままちかくのリニア・モーターカーの停車駅へと、いつものように足を向けた。


「勿論だ。こういった国では、運送業が盛んになると同時に、普通の業者では相手にできないような危険な依頼もあるものだ。そして、それを受ける者がいないために、当然、報酬は高騰している傾向にある」


「なるほど。実に俺達らしい仕事がたくさんあるってわけだ」


フィリップが言い、歯を見せて笑った。それは彼らしくもあり、彼ららしくもあった。


モーターカーの、低い磁性の唸りを耳に感じながら、どこかの企業広告を流している、天上部分に連なった高解像度ディスプレイと小型ホログラフの映像を眺める。窓の外は小惑星の中を縫うように掘られている、モーターカーの線路が通っている洞窟の岸壁が、時速三百キロ以上の速度で流れていくのが見えるだけだ。証明設備等なく、ただ、モーターカーがこの洞窟を利用するのに支障のない程度のセンサー類が張り巡らされているだけである。


まだ手に持っているポケットウィスキーの空の瓶を航宙服の胸ポケットに戻すと、ジュリーは少しも酔いの回っていない目である空間をにらみつけた。


「船長、ひとつ言っておくよ」


突然の彼女の言葉にクルーは驚いた。リガルは、心持顔を引き締めて彼女を見た。


「聞こうか、航海長」


「そうでなきゃ困るよ。船長、この国に居る間に、必ず一回はある商人に会うだろう。そいつとは、何があっても取引しないことさ。例え銀河連合の最高評議会議長にしてやる、といわれてもね」


「もしかして、さっき言っていた奴のことか?」


「そうさ。とにかく、それだけ留意してくれればいい。船長は頭がいいから、こんな忠告も不必要だろうけど、歳を取ったらこんなことも言いたくなるもんなのさ」


笑ったら彼女に殴られそうなので、周りを囲んでいる面々は取りあえず顔を見合わせ、次いで肩をすくめあうしかなかった。ジュリーが自分の年齢について喋るのは、かなり珍しいケースである。


そして、それを平然と言ってしまった者が居た。


「航海長、貴女が自分の年齢について話すとは思いませんでした」


無論、この言葉はアキである。彼女も人間らしさを持った、半独立人格を有するAIとして、クルー達には知られているが、まだまだ機会なのだということを思い知らされると同時に、通り過ぎたはずの嵐が戻ってきたかのような緊張感を一同に与えた。それはさながら、先々月の海賊退治に始まる、レイズ=バルハザール戦争における戦闘の前にも例えられるほどのものである。この時ばかりは、豪胆なフィリップですら、額に薄らと汗を浮かべていた。実際にからかって痛い目にあったことのあるフィリップは、ただ面倒ごとが目の前を通り過ぎるのを待つかのように瞳を閉じている。


が、ジュリーはさして気に触った様子も無く、アキをちらりと見て答えた。


「女相手なら構わないさ。ただ、こっちの男連中が、そんな女性に対するマナーも守らないような奴なら、ね」


リガルは心配が無いが、イーライとフィリップは、背中に冷や汗を流していたに違いない。それを遠巻きに眺めながら、キャロッサは困った顔をした。


「ジュリーさん、男性で色々と苦労なさったんですか?」


「いいや、それほどでもないさ。ただ、さっき言った奴は駄目だね。キャロッサ、あんたも気をつけな。男なんて碌なもんじゃない。イーライを見てれば解るだろ?」


「どうして俺なんだ!」


「他に誰がいるのさ」


今回の災難は全てイーライに降りかかったらしく、フィリップは安心して、停車駅に辿り着いたモーターカーから降りることができた。


クルー全員で、駅に隣接されているゴールデン・ブーケの入港管理局オフィスへと踏み出すと、ごった返した人間の汗と呼吸で作り出されたサウナのような状態になっていた。空調設備は全力で稼動しており、冷房が溜まりに溜まった湿気と高すぎる温度をどうにか調節しようと奮闘している。だだっ広い、三階分の天上をぶち抜いたオフィスの壁一面に並ぶ入港管理員の壁はめ込み型デスクと、その反対側の壁に同じように設置された出港オフィスがある。並んで順番を待つ多くの人々、今正にリニア・モーターカーに乗って自分の船へと急ごうとしている船乗り達と、ありとあらゆる人間がここに集まっていた。


「流石、交易の要衝ともいえるゴールデン・ブーケだ。普通のステーションじゃ、まずこんなに賑わうことは無いだろうよ」


フィリップが感心した声を出すと、キャロッサが辺りをきょろきょろと見回しながら頷いた。


「本当ですね。ここまで人が多いとは思いませんでした」


「ああ。アルファ・ステーションとは大違いだ。アルトロレス連邦の中でも要衝と呼ばれる部分にあるこのステーションは、正に銀河の頚動脈、経済と言う名の血液の最も重要な部分なんだろうな」


「そういうことだ。俺は手続きを済ませてくるから、どこか適当なベンチに座って待っててくれ。アキ、一緒に頼む」


「了解しました、船長」


リガルとアキは歩き出し、他のクルーは指示された通りに、何処か空いているベンチを探して歩き始めた。


あまりにも人が多く、その中心に管理局オフィスのデスクがあるために、リガルとアキは泳ぐようにして列の最後尾まで行かねばならなかった。反対に、イーライやジュリーは、長蛇の列を避けるようにオフィスを迂回して、ステーション内部の様々な娯楽施設へと通じるエレベーターへと歩き出した。その辺りは人通りが激しいために、一種の人の真空地帯になっており、その辺りなら何かあるだろう、と思ってのことだった。


リガルとアキは連れ立ってオフィサーの前に立つと、疲れの色も見せずに、灰色の制服に身を包んだ入港管理局員の男は笑顔を作った。


「黄金の花束ゴールデン・ブーケへようこそ。御用はなんでしょうか?」


「入港手続きをしたい。一三八番のアクトウェイだ」


「承知しました」


局員は最早習慣と化している手つきでコンソールを叩くと、目の前にホログラフでアクトウェイの現時点でのデータを表示した。アキはそれを軽く覗き込みながら、自分の膨大なメモリの中に流れる自分の情報と照らし合わせて、その情報が改竄されたものではないことを確認した。こうした個人経営の色が強いステーションでは、補給品などを過剰に積み込んで、不整に料金を取ったりすることがあるのだ。これは長い間、リガルの父親の代から、商船であるアクトウェイのAIとしてアキが経験から獲得した知恵だった。


「確認させていただきます。船体番号二〇一一三四七、アクトウェイの船長リガル様でよろしいですね」


その時、前回の入港管理員の冷たい応対劇を思い出して、リガルは一瞬門前払いされるかと思ったが、局員は再び営業スマイルをこちらに向けて応じた。


「うん」


「ありがとうございます。手続きに移らせて頂きますが、何かご入用のものはありますか?」


「補給品だ。燃料の補給を頼む。食料と、生活必需品も。前回俺達が別の宇宙港で補給してもらったデータがあるはずだから、それを参考に頼む」


「了解しました」


あまりにも愛想のいい管理局員の態度に不信感を抱くと、その男は気づいて問いかけるような視線を投げてきたので、リガルは思い切って聞いてみた。


「なあ、どうしてそんなに対応がいいんだ?この国では、俺達は、その………」


「レイズ=バルハザール戦争で活躍した英雄で、国家的な体裁を気にするアルトロレス連邦にとっては目の上のたんこぶでしかない上に、商業的な面で人材を登用したりする連邦内のノーマッドの中では戦闘面での活躍が著しい、例外的な存在であるのに………ということですか?」


余りにもすらすらと悪口を言われた気がして、逆に清清しさも感じるほどだった。


呆気にとられたままリガルが佇んでいると、局員は悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「そういうことでしたら、答えは単純です。ここはアルトロレス連邦ではなく黄金の花束、国ではなくステーションだからですよ」


再び驚いて、リガルは僅かに身を乗り出した。


「ちょっと待ってくれ。ということは、ここは個人所有のステーションではなく自治領扱いになっているということか!?」


「そういうことです。ですから、ある意味治外法権なんです。勿論、犯罪は取り締まり、不正は許しませんけど。ゴールデン・ブーケでは、ある意味犯罪にはバレンティアより厳しいですが、真っ当に生きている人々にはそれなりの待遇をさせていただいております。無論、何処かの戦争で名を馳せた英雄であっても、ここではただのノーマッドです。よろしいですか?」


「ああ、よろしいよ。ありがとう」


ゴールデン・ブーケの懐の広さは、門前払い寸前の扱いを受けた前回の記憶が丁度良い合成調味料となって胸の奥に染み渡ってきた。


が、それこそが商魂たくましいアルトロレス人の気質なのだと気づき、リガルは局員にウィンクを返して見せた。


「あんたに惚れないうちに、さっさと行くことにするよ」


軽いジョークに局員は微笑み、手を振って次の客に前に進むように促した。


再び二人で歩き出しながら、アキが不思議そうにリガルに問うた。


「船長は、本当にあの職員に恋をしそうになったのですか?」


思わずリガルは吹き出しかけ、胸の奥から込み上げてくる笑いの間欠泉をどうにか精神力で押さえ込むと、引きつった笑みのまま隣を歩く白髪の美女を振り返った。アキは何食わぬ顔で、突然笑い出した自分の船長を無感動に見やっている。ステーションの中を吹き渡る人工の微風が、彼女の白髪を揺らした。


「アキ、あれは冗談というやつだよ。親父とかを見てて解らなかったのか?」


少しだけ沈黙したアキは、その記憶回路の隅々までを走査してから首を振った。


「確かに、何度か言っていました。けれど、私にはそこまで感知できる感覚がありません」


「そうか。判断がつかないのならしょうがないが………と、それなら、うちのクルーの会話も判断がつかないんじゃないのか?」


すると、今まで無表情だったアキは突然困った顔になり、黙り込んでしまった。リガルは心配して、ようやく見つけたクルー達が手を振っているのに形だけの返事を示しながら彼女を見た。


黙り込んだアキは、その足取りさえも停止して、まるで迷子になった子どものような頼りなさでリガルを見ている。人混みの中でそんな彼女を見ていると、より一層その空気が増幅されて、黒い航宙服を着た男は柄にも無く父親めいた感情を憶えた。


彼は足を止めて声をかける。


「どうした?」


「解ってました」


ぼそりと呟く彼女の言葉に、リガルは目を丸くした。


「それは、クルーの冗談が、ということか?」


自分でも驚いた様子で頷くアキ。見つめあう二人の僅かな隙間を足早に何人かの人間が通り過ぎていった。


「そうです。クルーの話していることが冗談だという事は解りました。けど、船長の言うことが冗談だとは思えなかったんです」


アキの話すことが不可思議で、今度はリガルが困った顔をする番だった。確かに他のイーライやジュリーに比べれば、リガルが冗談をいう事は圧倒的に少なく、稀有なことであるし、それは船長と言う仕事柄からも仕方のないことなのだが、だからといって他のクルーの冗談とはまったく違った言語を話していたりするということにはならない。


とにかくも、二人でこの人混みの中悩み続けるわけにもいかないので、リガルは肩をすくめてクルーたち合流するようにアキに促した。それを察した彼女も、只頷いただけで、二人で連れ立って歓談しているクルー達に合流した。


「どうしたんです、船長。何かアキと話していたみたいですが」


余ほど気になっていたのか、イーライはリガルが隣に来るや否や、すぐに話しかけてきた。


リガルはありのままを話すと、アキと顔を見合わせた。フィリップが少しだけ伸ばした髭が芝生のように見える顎をさすった。


「アキ、ひとつ聞きたいんだが」


「なんでしょうか、機関長?」


「お前さんの中で、何か感情らしきものは観測できるか?これかな、と少しでも感じるものがあれば言ってくれ」


その質問には、アキはすぐに答えた。


「キャロッサの料理は、本当に美味しいと思います」


一同が黒髪の衛生長に視線を集めると、彼女は僅かに頬を赤らめながら、ありがとうございますといった。


そのほかにも、アキは宇宙が広いと感じたり、ほか様々な、自分でもよくわからないデータの流れがあることを告白した。その内容は、ひとつひとつが子どものように新鮮な響きを僅かに含んでおり、クルー達にとっても、それがただの話ではなく、何処かの夢物語を聞いているかのような興奮を覚えるものだった。


「しかし、前から思っていたけど」


酔いが醒めたのか、ジュリーは露骨な好奇心を隠そうともせず、アキの膨らんだ乳房のやや上辺り、人間でいえば心臓の真上を指でつついた。


「アキ、あんた、本当に生態端末かい?長い間人と接して、機械として人間との接し方を学んだAIは、今までに何度も見てきた。だけど、あんたみたいに”人間になろうとしてる”AIは前代未聞だよ」


全員の疑問を代表した彼女の言葉に、一番対応に困っていたのはリガルだった。当事者であるアキは、むしろ平然として、ジュリーの言葉を受け止めている。


「私は生態端末です。それは事実ですし、私のコア・プログラムは今もアクトウェイの中の中央コンピューターに、データとして私のプログラムはダウンロードされています」


「ふうん」


ぎくりとして、リガルは出来るだけ自分の感情を表に出さないようにしてジュリーを見た。


それはリガル自身にもわからない、彼の心のうちであったかもしれない。彼は自分の心をつかの間無視して、目の前の仲間達へと語りかけた。


「アキは生態端末だ。あの船………アクトウェイに乗り換えた時、彼女に生体端末に移るように言ったのは俺だ」


「どうして?」


「その方が都合が良かったからさ。乗組員の食い扶持は増えるが、船のAIが隣で歩いてついてきてくれるんだ。それ以外のなにがある」


今度はイーライが口を開いた。


「船長、俺達が問題にしてるのは生体端末のことじゃないんです。アキが本当に、普通のAIなのかということです」


「言っておくが、アキのことで驚いているのは君達だけじゃない、俺もだ。アキは親父から受け継いだAIで、以前までは人との付き合いが長いAI相応だったが、彼女に感情が芽生え始めているのには、本当に驚いてる」


全員が黙り込み、アキとリガルを交互に見ている。不信ではなく不審が、彼らの瞳に色として浮かんでいるのは仕方の無いことだった。アキはどう見ても普通のAIではない進化を遂げつつあるし、隣に立っている唯一のアキをよく知っているリガルにしても、彼らが察知している通り、彼女については戸惑うばかりなのだ。


しばらくの沈黙のうち、セシルが溜息をついて重苦しい沈黙を破った。


「まあ、いいじゃない。これは素晴らしいことよ。アキが機械から人間になろうとしてることは、とりあえず私達の秘密にしましょう。後々、何かめんどくさいことになるかもしれないわ」


「賛成だ」


フィリップが力強い声で言った。


「アキは仲間だろ。それで十分のはずだ」


「ああ、その通りだね。アキ、すまなかった」


ジュリーが素直に頭を下げると、アキは首を振った。


「解りません。どうして航海長は私に謝るのですか」


航海長が、引いてはクルーが感じている疑問はアキですら当然と思われるものであり、そこには合理的な根拠は在っても、非難されるような点はない。ひとつの船の上で生活し、苦楽を共にする以上、私のような得体の知れない相手と過ごすことはデメリットしかないのではないか。彼女はそう説明し、クルー達は顔を見合わせた。


「私はおかしいです。自分でもそう思います。どこがとは具体的に表現できませんが、普通のAIとは違っていることは事実です」


それが彼女の告白であることに気づいたのは、或いはリガルだけだったかもしれない。彼女は自分の置かれている立場と自分自身のことを最も理解している。その彼女が搾り出したこの言葉の羅列は、ともすれば他のAIがひねり出すのに百年はかかるであろうものなのだ。


彼女の瞳には悲しみの色は無い。だが、リガルにはそれがとても苦しい事実に感じられた。


「アキ、気にすることは無いよ」


気まずい空気を断ち切ったのは、やはりジュリーだった。


「違っていることが悪い方向に繋がるとは限らない。あんたは機械として生まれたから、ほかと同じだって言うことに慣れているし、私がいいすぎたのもあるけど、人間なんかみんな違うんだ。あんた一人が違ったからって、何も気にすることは無いよ」


「ほお?さっきまでアキをいじめてたのは誰だろうな」


フィリップがしまったと思ったときには、既にジュリーは着崩した航宙服の胸ポケットにあるブラスターまで手を伸ばしていた。慌ててイーライが止めに入ろうとしたが、彼女はそれを振り回しながら、身震いするほど静かな声で言った。


「機関長、あんたの頭の中を探してやってもいいんだよ」


「すまない!俺が悪かったから!」


流石に見かねたほかのクルー達が止めに入り、リガルは安心した吐息を漏らしながら、危うく忘れかけていたここに来た目的を確認した。


黄金の花束ゴールデン・ブーケの創始者であり、歴史上類を見ない元帝国貴族の大商人、ニコラス・フォン・バルンテージ氏の依頼を受諾するために、彼らはここに来たのである。尤も、リガルは思い出したが、アキ以外の面子がこのことをすっかり失念していたのはいかんともしがたい事実である。


「さあ、それじゃあバルンテージ氏のお住まいへと参上しようか」


リガルの一声で、彼らはごった返したロビーを後にし、アキがダウンロードしておいたこの小惑星の一般人向け見取り図を頼りに、目指す場所へと進みだした。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ