一三二年 六月二六日~
第一章、これで完結です。
ひとまずの区切りで、ここまで読んでくださった読者の皆様方にはお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
・アリオス暦一三二年 六月二六日 バレンティア国防宇宙軍 第五機動艦隊
「これで十分ですな」
参謀であるライン大佐が豊かな髭をさすりながら言うと、隣に立っている第五機動艦隊参謀長ライオット少将は、同意のしるしに微かに頷いて見せた。
今、第五機動艦隊がいるのは、バルハザールの首都機能が集まるセンズ星系の、第三番惑星の衛星軌道上だった。数百隻を越す大艦隊が三つの分艦隊に分けられ、星系各所のバルハザール宇宙軍残党の警備に当たっているほか、航行している船は一隻もない。あるのは気象予報や通信等に使われる一般的な衛星くらいだ。
元々、バルハザールは豊かな星系を持つ辺境国家で、その気になれば豊富な鉱山資源を売り払って、隣国たるレイズ星間連合をも凌ぐ経済力を有するはずだったが、急な開拓事業で国の経済が繁栄の前に立ち行かなくなり、労働階級とそれを使役する人々の格差が広がり続けた結果、改革を叫ぶ反政府軍とそれを鎮圧する政府軍の間で紛争が勃発したのである。凄惨を極めた長い戦いの末、彼らは自分達の国に最後の止めを刺したのだ。その結果として、バレンティアの第七機動艦隊が治安維持の名目で派兵され、数ヶ月のゲリラ戦の末に何とか平定したのである。
そして、それを打開しようとした軍部の強硬派が行ったのが、今回のレイズ侵攻………レイズ=バルハザール戦争だった。それは失敗に終わり、再びバレンティアの機動艦隊が派遣されて、こうして制圧されるに至っている。こうなった以上、バルハザールの主権回復は絶望的であり、その結末に若い参謀長はなんの感慨も見出せなかった。元首や政府首脳人、軍部の人間はともかく、これから国を再建していく民衆の苦労が思いやられる。
「それにしても、早かったですな」
大佐が言っているのは、ことここにいたるまでの道のりである。
第五機動艦隊が出征を開始してから僅か一週間半で、彼らはここまで辿り着いてしまったのである。
元々、治安維持の色合いが強いバレンティア航宙軍の機動艦隊は、その強みを船の性能と数ではなく、優秀な指揮官と兵士達に支えられたその移動速度に持っているのである。さらにハルトは、今回の戦いで分艦隊制をとっていることに起因する、指揮系統の独立性を最大限に発揮した。それぞれの指揮系統を完全に分断して、一刻でも早く目的地である種と星系へと赴くようにしたのである。彼自身は四つの分艦隊の先頭から三番目に位置し、必要以上に距離が開き過ぎないように留意しながらバルハザール領宙の深くへと進攻した。これは指揮系統の分断による、バルハザール軍――当時はまだ戦争状態だった――による各個撃破の懸念があったが、最早大規模な機動部隊は有していないと考え、この電撃戦を敢行したのだった。
これはただでさえ機動力の高い部隊の長所を、これ以上ないほど生かした作戦といえた。その結果、瞬く間に彼らはひとつの国家の首都を陥落せしめたのである。
ハルトは、司令官の指揮スペースで、自分の大きなコンソールの乗っているテーブルに体重を預けて立っていた。自分の占領した惑星を眺めた後、くるりと振り返って参謀を見る。
「予定通りさ。まあ、それより少しだけ早かったのは認めるがね。元々、バルハザールは自国の防衛と侵攻を両立できるような艦隊を有してはいないんだ。たとえあったとしても、分艦隊ひとつで楽に対処できるレベルだ。それが無理なら、後退して本隊が到着するのを待てばいい」
さも当然のように言ってのけるが、八個ある機動艦隊のうち、もっとも優秀といわれる第一機動艦隊司令官、ダニエル・アーサー中将に次ぐ戦績を誇っているハルトだからこその妙案であったのは否めないところであろう。まだ壮年前で、若々しい気力に溢れたこの指揮官は、これほどアグレッシブで巧妙な用兵を朝飯前と言わんばかりにやってみせたのである。
ライオットは頭に載せている軍用ベレーを被り直すと、僅かに歩み出て戦友へと語りかけた。
「司令官、これからどういたしますか。さしあたっては、戦争も終結したことですし、まずは経済面での顧問団を要請したほうがよろしいと存じますが………」
ハルトは即座に頷いた。
「それでいいだろう。彼らが仕事をこなす間、少なくとも一年はここに戦力を置くことになるだろうな」
「一年ですか」
「そう嫌そうな顔をするな、少将。恐らく半年後には、手の空いているであろう他の機動艦隊と交代になる。それまでは我々が治安維持の任を負い、バルハザール宇宙軍の組織再編と解体、警察組織の復興を目指すんだ。さしあたっては、顧問団の為の航路整備と警備部隊の派遣を行う。各分艦隊から何戦隊か抽出してやらせれば十分だろう」
ハルトはそう言い、艦橋を後にした。
彼の後ろにライオットがついてきて、周りに誰もいないことを確認してからハルトへと声をかけた。巨大な戦闘母艦の内部は広大で莫大な人員を抱えているが、それ以上の広さで人口密度が普通の船よりも薄くなっているのである。
「ハルト、無人艦隊についての情報なんだが」
その声に、ハルトは疲れた顔で振り返った。ジョン・テイラー統合機動艦隊司令長官から託された任務を、彼はずっと考えていたのである。彼はライオットのみにこの件を打ち明け、若い参謀長はこれまで、誰にも悟られることなくこの件を調査していたのであった。
彼はハルトの隣まで追いつくと、報告をした。
「今のところ、有力な情報はなにひとつ入っていない。バルハザールの奴らもこの無人艦については研究を開始したばかりだったみたいだし、目に見える活動も開始される前だった」
予想はしていたが、面白くもない報告にハルトは掌で額を叩いた。
「つまり、あの艦隊は彼らが開発したものではないということか」
「そういうことだ」
それは、彼らにとって計り知れない技術を持つどこかの集団が存在するということであり、それは意図的にバルハザールに武力を与え、今回の戦争を誘発したという事実を示唆していた。国家的テロリズムともいえるこの所業に、ハルトは気味の悪いものを憶えた。
「なあ、ライオット。この無人艦についての戦闘データを持っているのは、直接交戦したレイズ第三艦隊のみだな?」
「そのはずだ。だが、興味深い事実が出てきたぞ。これを見てみろ」
ライオットは敵の司令部から奪い取った機密情報の数々をスクロールして、ひとつの船のデータを呼び出した。
全長一キロを超える、黒い船のホログラフが、彼らの前でゆっくりと回転しつつ投影されていた。
・アリオス暦一三二年 七月一日 大型巡洋船アクトウェイ
戦争終結!
その報せはレイズ星間連合を稲妻の如く貫いた。それと同時に、まるで火薬が爆発するかのように、民衆は通りへと躍り出て歓喜の声を上げたのだった。
同時に、軍部では戦後処理が始められ、レイズ星間連合最高評議会ではバルハザールへの賠償金等の設定を推し進める形で経済的な傷を治そうという動きが見られた。同時に、最高評議会議長は銀河連合の演壇で、敵国を敗北せしめたバレンティアに深い感謝の意を表し、そのほかの支援を決めた国々へも厚い感謝の意を示した。
「これよりレイズ星間連合は、国際社会へと惜しみのない貢献という形で多大な温情に報いると共に、これからより一層の努力と情熱で銀河の安寧に務めていくことをここに誓います。さしあたっては、戦後処理として受け取る賠償金の一部をバレンティア航宙軍第五機動艦隊宛に送ると共に―――」
アクトウェイの食堂で、集合したクルー達が食事を取っている前に投影されたホログラフテレビがニュースを流している。休暇もそろそろ終わりに近づき、各地でメディアに追い回された彼らが最後の砦として船の中に立てこもって過ごすことを決定すると、郊外に逃れて静かに休暇を過ごしていたリガルとアキは丁度いい機会だからと、各員をここに集めて目的地を設定する会議を開くことにしたのである。
「とにかく、燃料・弾薬の補給は終わりました」
現状報告という形でアキが言うと、彼女は中央コンピューターにアクセスして今も続いているであろう修理の状況を説明した。彼女の説明が始まると同時に、キャロッサが映像を消す。
「実を言えば、今すぐにでも出港できるのですが、度重なる戦闘で外郭にやや傷がついています。この際ですから、残っている数日を使って全てを万全にしたいと思います」
「そうしようぜ」
やけにくたびれた調子で、フィリップが顎鬚をさすりながら言う。彼は以前から興味のあった登山に挑戦し、第二番惑星で二番目に標高の高い山に登ろうとしたのだが、古傷が痛むので中断し、やむなく海へと赴いたところ、アクトウェイのクルーであると知られたために殺到した市民達から逃れる為に、古臭いホテルへと退避していたのである。
「新品同様でこの惑星を出たいしな。アキもそうなんだろ?」
「はい。実は以前から気になっていたのですが、依頼を遂行する為に必要なことでもないので黙っていました。私が提案するのは、あくまで時間があるから、と言うことです」
「なら異論があろう筈もねぇやな」
全員が頷く中、イーライはそれが女性が肌の乾燥を気にするのと同じ理屈なのだろうか、と首を捻った。
「あ、そういえば」
同じく疲れた顔のセシルが、テーブルの目の前に鎮座しているリガルへと顔を向けた。彼女の端正な顔立ちにも多少のほころびが出ているのは仕方のないことであろう。
「船長、残りの資金はどうするんです?」
リガルは他のクルーに比べればかなりの余裕を持って答えた。
「そうだな。さし当たっては貯金かな。燃料費や弾薬費に充てて、必要に応じて船を改良する際の費用とする。俺としてはそう考えているんだが、誰かの要望があればそれに回してもいい」
「積み荷は?」
イーライがコーヒーを啜りながら聞くと、リガルは黙り込んでしまった。突然の彼の意外な反応に戸惑ったクルー達が顔を見合わせていると、リガルはテーブルの上に置いた指をトントンと鳴らしながら、どこかある一点に視線を固定する。その表情には色々な感情が混ざっており、どういうわけか、隣にいるアキが溜息を漏らした。
「船長。貴方の考えていることは大体解りますが、それを仰る勇気がないのならやめるべきです」
アキの言葉に、リガルは指の動きをピタリと止めた。しばらくの沈黙の後、彼は思いきって顔を上げた。
「そうだな。こういうのは言ってしまったほうがいい。皆、聞いてくれ」
神妙な面持ちになった面々を眺めながら、リガルは切り出した。
「これからのことなんだが………別の国へ行こうと思う」
「まあ、そうなるだろうな」
フィリップが頷いた。
「もうレイズにはいられない。これは確かなことだ。別段悪いことをしたわけでもないが、俺達が、アクトウェイという船がいちノーマッド(放浪者)として活動できる国でなくなったのは確かだ。どこに行っても、戦争の英雄としての評価しか受けられない」
それが悲しいことなのかどうかはリガルにも解らなかったが、少なくとも喜ばしいことではないというのは事実だった。彼らは冒険心に富み、宇宙をまたに駆けることにこれ以上ない悦びと興奮を感じているが、一度そこに他人の視線が集中したとき、彼らはなんとも言えない気まずい空気の中を、凱歌を聴きながら歩かねばならないのである。それは名誉や功績などに関係のない、彼らの矜持が訴えることなのだ。
「うん。フィリップの言っているとおりのことを考えた結果だ。それに、俺は違う星を見ていたい主義なんでね。あるひとつの範囲を往復するだけなんて、ノーマッドになった意味が無いとさえ思う。だから、この際他の国へと渡って、色々と試してみたいんだ」
若く、才覚豊かな船長の言葉に、クルー達は順々に賛同の言葉を発していった。
最後に、イーライが腹を鳴らしながら付け加える。
「まあ、あれですね。船だけでなく、我々の胃袋の燃料補給も早急にお願いしたいものです」
一行は破顔した。
・アリオス暦一三二年 七月一九日 アルファ・ステーション
カルーザ・メンフィス大佐が集合場所となっている会議室へと赴くと、会議室の外で待っていた衛兵二人が敬礼して彼を出迎えた。二人とも完全武装で立っており、先々月、大型巡洋船アクトウェイの活躍で激減した海賊行為に対する油断なしの警備体制を象徴している。
あの一件以降、カルーザは終戦と共に大佐へと昇進した。海賊行為対処に対する軍部での名誉を引き受ける者が必要であり、それは必然的にアクトウェイを重用したカルーザへと集中したのだった。軍部は彼の線当面での手腕も高く評価し、今回の戦争で一段と意識されるようになった、経済的に紛糾した周辺諸国のレイズ星間連合侵略に対する可能性の対症療法として、カルーザは分艦隊司令官として新たに創設される艦隊へと赴任することになっている。つい先日、その辞令が届いたところに、数ヶ月ぶりにアクトウェイがステーションに姿を現したのだった。
まだ勤務時間だったカルーザは時間を割いて会議室を用意させ、警備部隊の連中とアクトウェイのクルーを会議室へと集合させたのだった。それは嬉しい来訪であり、軍人であり、日々の雑務とステーションの暮らす人々に責任を果たし続けてきた彼の、貴重な休憩時間とも言える出来事であった。
心なしか表情の弛緩している衛兵二人に一瞥を送ると、彼らは背筋を伸ばしてドアを開けた。
会議室は元々、多くもない警備部隊の連中の為に作られた部屋であり、それほど多くの人数は収容できない。今の会議室の状態は腹八分目と言うところで、彼がドアを潜ると同時に複数の目が彼を捉えた。その中で再起に集まっていた警備部隊の兵士達が略式の敬礼をすると、カルーザはそれに答えてから輪の中へと入る。
アクトウェイのクルーは、以前と比べて風格を持っているように、カルーザには思えた。居並ぶクルー………航海長ジュリー・バック、砲雷長イーライ・ジョンソン、機関長フィリップ・カロンゾ、管制長セシル・アカーディア、衛生長キャロッサ・リーン、艦の人工AIであるアキ。
そして、一番の成長を果たしたであろう、船長のリガルが歩み出てきて、カルーザは黒ずくめの男と硬い握手を交わした。
「よく来てくれた、リガル。活躍は聞いているよ。またやんちゃをしたそうだな」
リガルは愛想ではない心からの微笑を返すと、しっかりとカルーザの目を見て答えた。
「そっちもな、カルーザ。大佐への昇進、おめでとう」
「君の戦果に比べたら微々たるものさ。ほかの皆も、よくやってくれたな。レイズ星間連合宇宙軍を代表して礼を言わせて貰う」
やり手の若い青年大佐の謝辞を頷いて受け止めると、クルー達は照れくさそうな笑みを漏らした。気づけば、部下達が持ち寄ったブランデー、コニャック、ウィスキー、様々なスナック類、調理班が供出してくれた料理と、会議室には慎ましやかだが、豪華な一品が揃っている。誰かが用意した紙コップの封が開けられ、それぞれに思い思いの酒を注いでいくと、全員がそれらを手に持っていることを確認してから、カルーザは咳払いをして注意を集めた。
「では、諸君。もっとも勇敢なノーマッド(放浪者)であるアクトウェイとそのクルー、我々警備部隊の再会を祝して………乾杯!」
「乾杯!!」
兵士達とリガルたちが合唱して紙コップを掲げ、数千年前から変わらない習慣として、コップの中に入っている液体を一気に飲み干した。
カルーザ自身も、一品モノのウィスキーを胃袋に流し込んで、つかの間の食道を流れるアルコールの気色を確かめると、同じように満足の吐息を漏らしているメンバーへと視線を移した。
「みんな、今日は無礼講だ。楽しめ!」
おお、と声を上げる兵士達は、次々に酒を注ぎ、クルー達を中心として和やかな会話が交わされる。
話題はアクトウェイの遂行した任務と、その間のステーションでの出来事等だ。様々な会話を彼らがしている間、カルーザはリガルの元へ赴き、リガルもカルーザを探していたようで、二人で会議室のテーブルの一角に腰を下ろすと、コニャックの酒瓶を一本頂戴して親交を深めた。
「それで、どうだったんだ?アステナ司令官から受けた依頼は」
カルーザが問うと、リガルは少しも酔いが回っていない瞳で遠巻きに盛り上がっているクルー達を順々に眺めやった。
「そうだな。危険は伴うが、実行できないモノは一つもなかった。皆と悩んだこともあったが、彼らの信頼と技術に助けられて所も大きい」
「へえ。つまり、君自身の能力は二の次だったということか?」
「ああ。俺は方法を提示したに過ぎない。船の戦果は、そのほとんどがクルーのお陰さ。船長は命令を下してふんぞり返ることはできても、全ての部署を同時に行うことはできない。一番偉い部署であると同時に、実は一番役に立たない部署でもあるんだよ」
そう語るリガル。カルーザは考え深げな目で手に持っている紙コップに残っている琥珀色の液体を見つめながら、柔らかく首を振った。
「それは違うぞ、リガル」
「どういう風に?」
カルーザの否定に、リガルは興味を惹かれたようだ。カルーザは新たに酒を注ぎ足しながら、リガルのコップにも同じ量を注いでやった。
「俺が思うにな。君はクルー達さえ揃っていれば、船は動くと思っている。違うか?」
「完全にとは言わないが、そうだ。結局は最終決定権しかないんだよ、船長は。指示を下すのが人間でなければいけない必要は無いし、今のアクトウェイなら、アキに任せても十分にやっていけるだろう」
「いいや、やっていけないね。どうしたってやっていけない」
カルーザはかぶりを振った。まるで酔いを醒ますかのようでもある。
「いいか、リガル。君が船長じゃなきゃ、アクトウェイは駄目なんだ。確かにクルー達は、俺の目から見ても最高の腕を持ってる。それは君も熟知しているし、だからこそ、その意見なんだろう。しかしな、あれほど癖のある彼らが、君に素直に従っているのはどうしてだと思う?」
「そんなの、皆がプロ意識を持っているからだろう」
「それもある。だがな、本当の理由は君にある」
リガルは無表情で、隣に座る盟友の顔を見た。
「俺に?」
「そうだ。君がいつでも正確に、その時点で最良と思われる選択肢を選んで見せることが、彼らを束ねる一番のものとなっているんだ。船と言うものは、高度に組織化された軍艦でさえ、クルーが優秀なだけじゃ動かない。尊敬を集め、尚且つ優秀な艦長があってこそ、彼らは迷いなくひとつの行動のために全力を注ぐことができるんだ。この回避行動は正しいのか?このタイミングで撃って当たるのか?機関はこのままでいいのか?ダメージコントロールは?敵の位置情報はどうする?それらを凌ぐ信頼と言う力がなければ、船など動かん。俺はそう思う」
そう話を締めくくると、しばらくリガルは無言のまま、遠くで暴れ始めたジュリーを見やっていたが、やがてイーライが止めようとして逆に殴り飛ばされ、兵士達の間で歓声が上がると同時にカルーザを見た。
その瞳には、今までには見られなかった気持ちが煌いているのを、若い大佐は見て取った。
「わかった、とは言わない。自分自身を過大評価してしまいそうになるからな。だが、カルーザ。ありがとう」
カルーザはコップの中の酒を飲み干した。
「構わないよ。俺だって、ひと言言ってやりたかっただけなんだ」
酒をもう少しだけ注いで、二人はコップの縁をぶつけて、同時に残ったコニャックを飲み干した。
・アリオス暦一三二年 七月二〇日 大型巡洋船アクトウェイ
リガルが艦橋に戻ると、最初に出迎えたのはイーライだった。
「おかえりなさい、船長」
イーライは相変わらず、アクトウェイ支給の黒い航宙服をきっちりと身に纏っている。襟元だけは開けてあるが、それでも元軍人と言うこともあって、本人としてはこれで落ち着くのだろう。
「ただいま、砲雷長。準備は?」
「できてます。後は船長の指示次第で、いつでもいけますよ」
「そうか。それでは、あんまり未練の残らないうちに行くこととしよう」
いつも通りの船長席に身を沈めると、リガルは艦内の状況データを呼び出して、ざっと今の船の状態を確認した。それは別段、クルー達のことを信用していないわけではなく、数値として頭に叩き込んでおきたかったのだ。そうしておけば、いざと言うときにいちいち確認する作業が省ける。尤も、平和を取り戻したレイズの宙域では、万が一等起こらないだろうが、用心しておくに越したことはないのだ。
「よし。フィリップ、機関始動」
「了解」
フィリップがコンソールを操作し、遠くのほうから地響きにも似た甲高いエンジン音が響いてきた。気づけば、リガルの座っている座席の後ろに二つ並んで接地されているオブザーバー席に、キャロッサとアキが座って、出港が終わるのを待っている。アキはその頭脳で、出港に関する様々な手続きの処理を管制塔と済ませ、最終的な決済をリガルのコンソールへと転送した。目の前に投影された書類のデータファイルにコンソールでサインを打ち込むと、それを管制塔に送信し、出港許可が下りると同時にハッチが開き始めた。
アクトウェイほどの巨大な船を収容できる港を持つアルファステーションのハッチが開くにつれて、その奥に見える数多の星の輝きが質感を伴いつつ増大していく。その光景を、リガルは楽しそうに見ていた。
「アクトウェイ、船体番号二〇一一三四七、出港を許可します。貴船の航海に幸あらんことを」
港の管制AIの声が流れ、リガルは意識を船に戻した。
「微速前進。アクトウェイ、出港」
漆黒の船体がステーションの港から緩やかに加速を開始し、三分後、他の星とは見分けがつかなくなった。
長かったのは、これで分けてしまうと中途半端になってしまうためです。申し訳ありません。
重ねて、ここまで漆黒の戦機にお付き合いいただけたことにお礼を申し上げます。ありがとうございました。
次から始まる第二章をお楽しみに!




