一三二年 五月三日~
・アリオス暦一三二年 五月三日 レイズ星間連合国防宇宙軍司令部
多くの幕僚が集まっている中、緊急招集された第二二機甲艦隊指揮官であるアステナ・デュオ准将は、目の前の喧騒ぶりを自分の隔離されたガラス張りのオフィスから眺めていた。
いつものほほんと執務に興じている彼らがこうも大騒ぎをしている理由は、先日確認された、隣国バルハザール宇宙軍による領宙侵犯事件についてである。ここ一ヶ月の間で、相手側の違法行為は国境線沿いのいくつかの宙域で発生していた。相手側が進入してくるたびに防衛軍が出動して、戦力で劣る相手側を囲んで威嚇し、なんとか追い払うということが何度も続いていた最中、遂に決定的な事件が起きたのである。
国境宙域の中でも交通の要衝として存在している、レイズ星間連合のカプライザ星系に、いつものように進入してきた敵船を確認して防衛軍は出動した。彼らの大半は、「またか」と言いつつも弛緩しかけた集中力のまま、今回は何隻が来たか、いつ帰るか、などを長閑に笑い飛ばしていたが、しかし、距離が狭まってその全容が明らかになるにつれ、彼らの余裕は絶望へと変換された。
バルハザールの砂色の軍艦の数は二五隻。比較するなら、レイズ星間連合の防衛部隊は、軽巡洋艦一隻、駆逐艦四隻、フリゲート艦一〇隻のみであった。
突如として出現した敵に対し、レイズは即座に司令部へと報告を送って、接敵した際に退避勧告さえしたが、バルハザール艦隊は発砲し、不利な戦闘状態へと瞬く間に投入していった。結果から言えば、この戦闘でレイズ側は敗北。生き残ったフリゲート艦三隻と駆逐艦一隻を、隣接星系のメキシコ星系方面のジャンプ点で待機させ、万が一のための最終防衛部隊として配備させると、メキシコ星系に三個機甲艦隊を派遣し、さらに偵察艦を二隻、カプライザ星系へとジャンプさせてデータを収集した。
「今更駆けつけたって遅いさ」
アステナは独り言ちる。既に制圧されつつあるカプライザ星系の奪還作戦に用意された三個機甲艦隊は、彼が予想していたよりも強力だった。戦艦一隻を旗艦とし、重巡洋艦二隻、軽巡洋艦三隻、駆逐艦一〇隻で編成される機甲艦隊を三つも導入したのだ。これで勝てない理由がわからないが、それも彼のオフィスにあるコンソール、ならびに全ての指揮官の元へ送られた資料で幻想は打ち砕かれた。
「敵戦力増大、総数八〇隻まで増加せり、か」
依然として慌しいままの会議室を眺めつつ、彼は思考する。
敵が増援を送り込んできたのは、間違いなくカプライザ星系を橋頭堡として確保するためだろう。「侵略軍」にとって、敵国侵攻のためには物資集積能力、つまり補給拠点が必要となる。そうする事で、見も知らずと言う訳ではないが地の利が相手方にある不利の三割は返上できるだろう。長距離を、大量の物資を積載して航行できる大型輸送船弾も無くはないが、動きは鈍重であるし、ここでカプライザ星系を本格的に基地利用するのならば、兵士の休息にも利用できる。その他にも様々な点で重要な戦略的意義を持つ為、橋頭保の確保は戦場の鉄則とも言っていいものだろう。
さらに、送られてくる戦力がこれだけとも限らないのだ。標準的な星間戦争をするのに八〇隻は少なすぎるし、お互いにまだ正規艦隊を出し渋っている状態だ。無論、数百隻規模の正規艦隊を動かすには、レイズの場合は星間連合評議会の承認など、様々な事務手続きも必要になる。戦略的にも補給関連や人事、纏まった指揮系統の見直し……そして、今現在ここに彼がいる理由も、宇宙軍の中で彼が一番その指揮官の役に適任だろうと思われているからであり、上層部に買いかぶられているその点が、彼をここまで不機嫌にさせている理由でもある。
「やりたかないね、そんな役。戦争の矢面に立つのはごめんだ」
溜息交じりに吐き捨てる。もちろん、誰にも聞きとがめられる事は無かったが、ガラスの向こうでのうのうと多忙な参謀たちを見つめている彼へ怪訝な顔つきを示す士官も大勢いた。
アステナ・デュオが決して愛国心に厚いわけではないという事実は、言うまでもなくこの司令部に知れ渡っている。軍隊に入ったのは他に才能が無かっただけだし、職が見つかればこんな仕事、いつでも辞めてやるくらいの気概でやってきた。だが、それでも才能だけは本当に在ったらしく、若干二十八歳で准将。この異例の人事は、彼の海賊行為討伐などの功績にあったものとして充分だったが、本人としてはわずらわしいこと以外の何物でもなかった。
そんな時、厳しい面構えの参謀長が、ガラス張りのこれまたガラスで出来たオフィスのドアを押し開けて入ってきた。形式どおりに、アステナは立ち上がって気をつけの姿勢をとると、相手の目を見て敬礼した。参謀長は、形だけの答礼をして、息せき切ったように用件を伝えた。
「准将、議会より承認が得られた。正規艦隊が出動するので、君にはその指揮を執ってもらいたい」
驚きではなく、やはりといった感情が胸を支配する。さして驚いた様子を見せない彼を不思議そうに見つめ、参謀長は首をかしげた。
「驚かないのかね?」
その言葉に、内心でせせら笑いながら、しかし無表情のまま、アステナは答えた。
「なんとなく、予想はしていましたから」
「そうか。では、会議室へ来てくれ。そこで、君と艦隊クルーたちとの面会を済ませ、速やかに出動準備に取り掛かってもらう。事態は一刻を争う。祖国の命運は君にかかっているのだ。頼んだぞ、准将」
最後に参謀長は余計なことを言い残して去っていった。
・アリオス暦一三二年 五月十六日 ベルルーサ宙域
どこまでも続く暗闇。人類の認識の及ばない遥か遠くまで続いているこの宇宙は、全ての生命を拒絶する絶対の死だ。生き物は、そのオアシスである惑星の上にへばりつき、資源を消費してなんとか生活している。
人類もその類のものであるが、彼らは鉄を船に変え、無謀か勇敢か判断のつき難いほどの熱意をもって星の大海を渡っていった。多くの惑星に移り住み、子を産み、死んで、その孫がまた別の惑星に飛び立つ。終わる事の無い、他の生き物から見れば目玉をぐるりと回してしまうほど長い連鎖を経て、人間は宇宙空間における活動領域を広げてきた。惑星植民は人類の資源、エネルギー問題を恒久的に解決し、今日、人類は銀河の二割ほどの範囲に足を踏み入れている。尤も、その全ての宙域に人が住んでいるわけではなく、人々は所々に点在する、地球型の惑星を基点として活動していた。
人類がここまで進出できた要因は、超光速航法の開発である。ワセリージャンプと呼ばれる、恒星と惑星が作り出す重力の歪に飛び込み、他の星系の歪から飛び出すもので、船が膨大なエネルギーを用いて独自に異空間への歪を作り出すよりも格段に少ないエネルギーでワープすることが出来る。これにより、人類は星系をひとつずつ制覇し、多数の人員と機材を大量に他惑星に運び込むことに成功した。大規模なものとなる植民やテラフォーミングではこの技術が必要条件であれこそすれ、十分条件になる事は終ぞ無かった。
そうした大昔の技術をさらに洗練した船に、リガルは乗っている。
何度目かのジャンプを終えて、アクトウェイはレイズ星間連合領宙、ベルルーサ宙域へと到達していた。宙域の中央には、直径百キロを越える小惑星を改造した宇宙ステーション、「ムーア」が浮かんでおり、主に民間輸送船、放浪者などが利用している。他に各国の通商公益船や他国へ向かう途中の貨客船など、様々な船が出入りしている。
「船長、ムーア管制塔より誰何されました」
セシルが告げる。リガルは手元のコンソールを叩いて立体映像投影装置からホップアップした報告を確認する。
「確認した。通信は入っているか」
「入ってます」
「よし、繋いでくれ」
セシルが流れるような手つきでコンソールを叩く。少しして、リガルの腰掛ける船長席に据え付けられた投影機が、ムーア管制塔からの通信を立体映像化して空中投影した。管制塔には人はおらず、大規模な宇宙港は全て大型AIによって管理されている。外見上は少女のようなAIがリガルのコンソールの上に現れると、丁寧なお辞儀をした。なんとなく、先代アクトウェイの死にかけた艦橋で目にした、アキのホログラフに似ていなくもない。今は違う。彼女は確かな形を持って、リガルの左斜め後ろ、オブザーバー席に無表情のまま座っていた。
「巡洋船アクトウェイ、船体認識番号二〇一一三四七の船長、リガル様ですね。ステーション・ムーアへとお越しいただき、誠にありがとうございます」
AIが喋ると、リガルは軽く頷いた。このAIも使われ始めてかなり経っている筈だが、管制を行うに当たり不要な人格部分はカットされているため、民間船のAIであるアキなどとは違って、感情的な素振りを見せることはない。ただ、機械のような笑顔だけが、顔に張り付いている。もっとも、本当に機械である彼女を前にしてのこの言葉は語弊であるだろうが。
「通常入港、補給を行いたい。滞在期間は三日。それと、ホテルの予約も頼む」
また少しの沈黙の後、AIは答えた。裏では複雑機械な処理が行われたに違いないが、そんな事を知る由も無かった。
「承知いたしました。八七番ドッグへどうぞ。誘導いたしますので、そちらへ」
「了解だ。どうもありがとう」
AIが消えると、リガルは顔を上げて、暇そうにあくびをしている航海長へと向き直った。よく見れば、片手に小さなポケットウィスキーの瓶などを持っている。
「航海長、八七番ドッグだ」
「あいよ、了解」
ほろ酔い加減のジュリーが舵を回す。その指令をアキが忠実に実行して、船が徐々に減速し、船は緩やかな軌道を描いて宇宙ステーションのドッグへと向かっていった。驚くべきことに、アルコールが入っていても、彼女の腕前にはいささかの衰えも見えないどころか、より安定している様に感じられる。
「砲雷長、FCSがオフラインである事を確認」
「確認、サー」
海賊行為に備え、何時でも起動できるようになっていた十二門のエネルギー砲塔や、各所のミサイル・対空レールガンのシステムをイーライがオフである事を確認しなおす。当然のことながら、大勢の人間が宇宙服も着ないで多く活動しているステーション内では、大事故を防ぐ為に原則として火器関連のシステムはオフラインにしなければならない。言うまでもない事だし、四六時中戦闘態勢を取っている訳ではないノーマッドの船にとっては確認の必要も無い事であるが、これを違反した場合の罰金がかなり手痛い物である上に、ステーションの住人や職員からは冷たい目で見られる様になるから気を付けるに越した事はない。
ようやく仕事が無くなり、リガルは座席の背もたれに体を預けた。初めてのクルーたちと共に乗り越えた、新生アクトウェイが無事にドッグへと入港するまでの、残り二分半ほどを目を瞑って過ごそうと思い――
「警告。未確認船、一二隻接近」
見事なまでに、セシルの叫びで中断された。
「海賊か?」
確認するまでも無いことを、リガルは目を開けながらセシルに問うた。彼女は、厳しい表情で目の前に浮かんでいるホログラフの立体映像を見つめている。アキの中枢コンピューターが、量子レーダー波で観測した敵の反応を表示しており、コンソールを叩いてセシルは報告を続けた。同じ表示がリガルの目の前にも投影される。
「先ほどまで、慣性航行を行っていたようです。ほぼ一二隻が同時に、ステーションから、三二光秒、我が船との相対位置、方位二一〇の位置で反応が出ました。標準的な長方形陣形で接近してきます。目標は八八パーセントの確率でムーアステーション」
リガルは溜息をついた。二週間の生活で溜まった疲れを、ようやく解消できると思っていたのだが、どうやら簡単には休ませてもらえないらしい。残りの一二パーセントは何なのだろうかと考え、言うまでもなくステーションの周りに浮かんでいる鈍重な動きの輸送船なのだと気が付く。
「セシル、他に航行している船の詳細を」
「三隻いますが、全てがレイズ星間連合の貨客船です。戦闘能力は皆無」
となると、現状、自分達の身を守るには自分達で戦うしかない、という事だ。幸い、敵は古びた海賊船の集団。今のアクトウェイなら、やれる。
「やれやれ」首の骨を鳴らしながら、リガルは意識を切り替えた。「航海長、左舷に一五〇度旋回して海賊船団と正対する軌道を取れ。砲雷長、何時でも砲撃できるように砲門開け。総員、戦闘配備だ」
「了解!」
威勢のいい声が艦橋に響く。巨大な船体がステーションへと接近する軌道から外れて、緩やかな弧を描きつつ反転した。滑らかな動きには寸分の狂いも無い、正に芸術の域。次第に船は加速し、プラズマの青白い尾を引いて海賊船団と相対した。徐々に距離が詰まっているレーダー表示を、セシルが捕捉のデータを付け加えていき、その度にリガルの目の前にあるホログラフが更新されていく。
「敵船一二隻のうち、一〇隻はバルハザール宇宙軍のゲント級哨戒艦を改造した船型であると思われます。データベースにある既存の固定武装と比較すると、かなり無茶な改造を施したみたい。残りの二隻は、民間輸送船を改造した強襲艇と思われます。船型は不明ですが、少なくとも一〇〇人前後のならず者が乗り組んでいると推測」
コルベット級の小型海賊船が一〇隻、他、血に飢えた話の通じない野蛮人が満載された強襲揚陸艇が二隻。ムーア・ステーションはひとたまりもないだろう。通常は警備部隊が常駐している筈だが、生憎と今は巡回に出ているようで、ステーション内部にいる警備艦艇も即応出来る状態ではない様だ。やはり、アクトウェイが迎え撃つしかない。
「規模が大きいな。アキ、管制塔にアクセスして、ここ五年のムーアステーションにおける海賊活動の資料をダウンロード」
「了解、船長」
船長席の右後方に据え付けられたオブザーバー席に座るアキが目を閉じると、すぐに膨大な量のデータがリガルの目の前に表示された。
ここ数年の海賊行為は、ムーアステーション付近で増加傾向にある。それも、徐々に徐々に隻数が増えていき、今では確認できる隻数だけで、海賊行為を行う船は一〇〇隻以上になっていた。民間船の富裕層を狙った海賊行為で、資金と経験を積んだ海賊船団は力を強めていったに違いない。他の宙域から海賊が移動してきたことも考えられるが、主な要因は海賊船団の増強にあるだろう。星間連合警備艦隊は仕事をしていないらしい。いや、一〇〇隻もの大所帯が相手となれば、そんじょそこらの警備部隊では歯が立たないだろう。既に、正規軍が表に出張って来てもおかしくはないほど、この宙域の治安は悪化していると見える。
「やれやれ。そのツケをここで払わされるのか、関係ない俺たちが」
いらただしさがこみ上げてくるが、これを乗り切ればレイズ星間連合軍から報奨金がもらえるかもしれない。そう考えた途端に、気分が浮つくのをリガルは感じた。他のクルーも同様の様で、素早く目配せをしあって薄ら笑いを浮かべている。唯一の例外はキャロッサ・リーンで、アキの座るオブザーバー席の隣で拳を握りしめていた。とにかく、こいつらを蹴散らした後に苦情を入れるだけだ。
「接敵まで、残り三分」
「PSA装甲展開。主砲、出力充填。機関長、調子はどうだ?」
フィリップはいかつい指先を頻繁に動かして機関出力の項目を参照すると、一人、頷いて笑った。
「絶好調だ。先ほどまで眠ろうとしてた奴とは思えないほどに元気だよ、船長」
「それはよかった。砲雷長、砲撃準備。目標設定は任せる」
「アイアイ・サー」
それからは、何もすることの無い二分がすぎた。あっという間に接近してきた十二個の光点は、三つの集団に分かれている。アクトウェイから向かって左右両翼に、海賊船三隻ずつが展開し、残りの船は中央で大きな集団を作っていた。なかなかに機能的で、理に適った隊形だったので、リガルは少し驚いた。ただの海賊とは思えないほど統率がとれている。余ほどリーダーを尊敬しているらしい。ならず者集団の海賊船がこれほどまでに整然としていると、思わず笑みが零れるほど清清しい何かを感じるが、しかし彼らの目的は冷酷なものだ。敬意を込める筋合も無ければ、同情の余地も無い。
残りの一分で、海賊船団の両翼に位置する集団が、真ん中の大きな集団から僅かに加速して前に出ると、その大きな集団を中心として反時計回りに回転し始めた。たった一隻しかいないアクトウェイ相手に、ここまで複雑な戦術を取るとは。
そして、いよいよ接敵したとき、アクトウェイと海賊船団は、合成速度およそ時速三十万キロですれ違った。通常の集団先頭とは違い、小規模な部隊同士での戦いのため、戦いは足を止めての殴り合いではなく通過射撃で行われる。
アクトウェイの主砲が、青白いエネルギーの刃を放出する。
数千分の一秒の時間で、イーライ・ジョンソンの優れた手腕が存分に発揮された。気難しい彼らしく、エネルギービームで確実に命中させられる船にはビームを、それ以外の複雑な軌道を描いていた船にはプラズマ弾頭ミサイルを放っていた。一二隻のうち、中央の六隻はビームの直撃を受けて爆発し、残骸に残されたパワーコアが暴走して青白い球となって宇宙空間を照らした。回転していた集団の片方もミサイルの直撃を受けて全滅し、プラズマの雲と残骸が入り混じったデブリが慣性の法則にしたがって広がっていく。残りのもう一つの集団の一隻にもミサイルが命中し、残りの二隻は命中しきれずに近接信管が作動した。至近距離で大規模なプラズマ爆発を食らった二隻は、機関部分から血液のように残骸と煙を吐き出しながら、あらぬ方向へと流されていき、やがて救難信号を示す黄色いランプを点灯させ、あらゆる周波数帯で助けを求め始めた。
「他愛ないな!」
フィリップが叫ぶ。ジュリーは機嫌よく笑うと、はだけた航宙服の腰のポシェットの中にある小さな酒瓶を取り出す。先ほどとはまた違う瓶の栓を抜くと一息に飲んだ。口元から瓶を放すと、思いっきり酒臭い息を吐き、にやりと歯を見せて笑い声を上げる。
「何を飲んでるんだ?」
フィリップが聞くと、ジュリーはほろ酔い気分で答えた。
「九二年物のブランデーさ。戦闘の後はこれに限るね」
ふうん、とセシルがぼやく。理解できない、と首を振りつつも、その瞳には見事な操舵技術へ対する尊敬の念が見て取れた。互いに実力を発揮し、認め合ったクルーたちの和やかな訃音気を感じながら、リガルは戦闘後の緊張の解けた艦橋で微かに笑みを浮かべた。再びムーアステーションの管制塔に連絡して、再入港の準備を始める。先ほどと同じようなやり取りをした後、AIが先ほどとは違うことを言った。
「リガル様、ステーション警備部門の担当者がお呼びです。準備が出来次第出頭願います」
それでは、とAIは姿を消した。その通信を見ていたクルー一同が、無表情のまま船長を見つめる。キャロッサが、後ろの衛生長席で心配そうな声を上げた。
「あの……船長……」
「何、大丈夫さ。何か罰金を付けられたとしても、俺たちは何も悪いことはしていない。もし何か文句を言われたら、法廷で訴訟を起こすさ」
ジョーク交じりの断固たる決意の言葉を聞いて、クルーはみな等しく微笑を浮かべた。
星の海では、まだ爆発を起こす海賊船が一際明るく映し出されていた。
・アリオス暦一三二年 五月十三日 ムーア・ステーション警備隊長オフィス
「……というわけで、今回のアクトウェイがムーア・ステーションの戦闘禁止宙域で海賊と交戦した件については不問とし、今回と次回の入港の際に搬入される補給物資については、その全ての費用をレイズ星間連合が負担する物とする。公式な報酬は支払えないから、そのつもりで。以上」
殺風景で、実用一点張りのオフィスの中央に座る金髪の警備隊長が言うと、リガルは拍子抜けした表情で書類を受け取った。どことなく彷徨わせた視線が、オフィスの警備隊長に向かって右の壁に掛かっている、レイズ星間連合宇宙軍の二年前の観艦式のものに吸い寄せられた。それを慌てて外して、リガルは一礼する。
「ありがとうございます、警備隊長殿」
「そうかしこまらなくていい、船長」まだ若い、リガルとそう年齢の違わない彼が笑みを浮かべて言った。「実際、我々の方が頭を下げたいほどなんだ。こう、日々を奴らに邪魔されている身とあってはね」
はあ、と気の無い返事を返すリガルへと、警備隊長の男は困ったような笑みを浮かべて見せた。
レイズ星間連合の中でも重要な交易拠点となっているムーア・ステーションの警備隊長がどんな堅物かと思ったら、どういうわけか気のいい青年士官だった。年齢はリガルと変わらないほどであるが、いくらか年上であることは間違いない。肩についている中佐の階級章が、部屋の真上にある電灯の光を受けて鈍く輝いた。
この部屋に入ってから続いていた緊張がいつの間にか解けて、リガルは深く溜息をつく。クルーには大言壮語を吐いたものの、実際には肝を冷やしていた。一歩間違えれば、少なく見積もっても十年の執行猶予処分ということも有り得たので、今回の件では本当に胸を撫で下ろす事が出来た事に感謝を捧げる。
放浪者は、片や冒険野郎、片や常識を意に介さない野蛮人と言われる程粗野なイメージが世間では定着している。そもそも、ノーマッドが生まれたのはオリオン腕全域に人類が広がっていった植民時代に、急先鋒を務めた探検者たちが安定した社会の中で、腕っぷしを頼りに危険な宙域での物資輸送を始めた事が始めとされている。いつの時代でも、海賊行為を行って人命を奪い、楽に生活費を稼ごうとする輩は後を絶たなかったから、必然的にノーマッドとなる人間はそうした豪放磊落さが求められた。
だがそれも一昔前までの話で、百年前のオリオン腕大戦からこっち、正規軍の役割が国家規模の国際紛争から対海賊へとシフトされた事によって、ノーマッド自身がならず者と相対する場面は減りつつあった。それでも、時として今回の様に、波瀾万丈な事に遭遇する事もあるにはあるのだが。
「しかし、アクトウェイは良い船だな、リガル船長。あれほど見事に戦う船を、私は見たことが無いよ」
「ありがうございます、中佐」
「ああ、中佐なんて堅苦しい呼び方はよしてくれ。お互い歳が近い同士だし、私のことはカルーザと呼んでくれればいい」
その言葉に、目を白黒させながら、リガルは何とか頷いた。どうも、狐に化かされている気がしないでもない。
「ええ、はい。ええと……カルーザ、私はもうこれで?」
「ああ、引き止めてすまなかった。だが最後に一つだけ言っておくことがある。私の個人的なアドレスをその書類の中に同封しておいた。何かあったら、ここに連絡をくれたまえ」
成る程。どういう理由か知らないが、この中佐が書類で処分の旨を記録に残したのは、これを忍び込ませることが目的だろう。データ化したものでは、軍の記録にそれが残ってしまい、色々と面倒だからに違いない。報酬として渡される物資についても、軍による民間への善意による物資供与とでも書いてあるのだろう。それと、「連絡をくれたまえ」、じゃなくて、「連絡するように」だろう?
「わかりました。それでは」
リガルは、最後にもう一度一礼してから部屋を出た。それをにこやかに見送ると、カルーザは一転して厳しい表情になり、卓上に設置されたコンソールを叩いて、警備部隊の副隊長を呼び出した。彼よりも少しだけ年配の男性士官が敬礼の姿勢で立体画面に表示され敬礼し、形式どおりに片手で答礼をする。
「少佐、あの船をどう思う?」
このオフィスをモニターしているカメラからの映像を脳裏に呼び覚まし、これあると予期していた少佐は、自分の調べた資料と手元に浮かぶ巡洋船アクトウェイの映像を交互に見つつ、肩をすくめてカルーザを見た。
「見たことも無い船です、中佐。色々とデータを呼び出して解析しましたが、あれは我が軍の重巡洋艦以上の戦闘力を持っています。機動性、防御力に、火力、……様々な面から考慮して、あの船が暴れだしたら正規軍の一個戦隊では抑えきれないかもしれません。機関部の技師からの同意も得ております。総じて、極めて高いレベルでバランスの取れた戦闘艦である事は疑うだけ無駄でした」
カルーザは溜息をついた。手元にある、リガルが立っていた位置からは見えないところにあった書類をパラパラと捲ると、軽い舌打ちを零して少佐に向き直る。
「誰からの情報か知らんが、近日、このステーションに海賊船団の船の一隻が忍び込む、とある。もしアクトウェイがそうだとすると……」
「私たちでは止めることはできません、中佐」
無表情で少佐が答える。今、このステーションの付近にある独立した警備隊ドッグに入ってる船と、宙域内を巡回している船を合わせても、警備部隊は重巡洋艦一隻、駆逐艦五隻、フリゲート艦六隻しかいない。近々、大規模な作戦行動があるとかで、何隻かは国境線に持っていかれたのである。ただでさえ少ない兵力が削り取られ、反比例しつつある海賊の脅威へと対処しなければならない所へ来てのアクトウェイだ。始まりかけた頭痛が収まる様に祈りながら、彼はデスクの上にある黒い船の外観データを横目で見る。
もし、現有戦力でアクトウェイと戦闘状況に陥ったと仮定すると、まずフリゲート艦は助かる見込みが無い。駆逐艦は二隻くらいは生き残るだろう。そして、重巡洋艦でさえ、あの驚異的な火力に耐えうるとは限らない。だがアクトウェイが本当にただの民間船という見方もある。それにしては状況証拠が少なすぎるが。海賊船団は本当に疑わしいくらい呆気なく敗れたし、行動にも妙に機械的なところがあって、その気になればアクトウェイのコンピューターで海賊船団を操り、そのまま撃沈するという芸当も不可能ではないように思えた。そして、見たことも聞いた事も無いような形の船、というのも気になる。民間船にしては戦力として十分すぎるし、クルー達の経歴も揃いすぎている。
青年指揮官は自身のキャリアに傷をつけかねない相手に対して、深い溜息をついた。市民の安全が保障されればこの命など安いものだと、心の底から思っている彼にしては珍しく、少し弱気な笑みを浮かべる。
「少佐、万が一の為に、部隊の全艦に第二級の戦闘態勢をとるように伝えてくれ。後、本部に送る報告書はもう書いたから、それに目を通してから送信をお願いしたい」
「了解です、中佐」
少佐は画面の中に現れたときと同じような、見事な敬礼を残すと、やがて画面ごと消えた。デスクチェアの背もたれに体を預けながらそれを見ていたカルーザは、豊かな茶髪の髪の毛を掻きあげて低く唸る。これは、彼の追い詰められたときの癖である。そのままデスクの上で視線を泳がせた後に、思い立ったように手元にある冷めたコーヒーを飲み干した。
実際、近々予定されている大規模な軍事行動のために、様々な方面で負担を強いられている現状で、さらにステーションのこの頭の痛い問題を処理するとなるのだ。とにかく、問題を全て同時には処理出来ない。ひとつずつ潰していくこととしよう。
そう決めると、最初の問題である空腹の解消の為、カルーザは食堂へと赴いた。始まった頭痛は無視するにもし切れない。