一三二年 四月二十五日~
・アリオス暦一三二年 四月二五日 大型巡洋船アクトウェイ
惑星に地表に突き刺さる巨大な何かに、ここを訪れる人々はまず目を奪われる。それほどまでに巨大な建造物が市街地に只中にそそり立ち、威圧感とも閉塞感とも思えぬ圧倒感を伴って、ただただ地上をあくせく移動している人々を見下ろしている。
人類の獲得した建築技術の中でも、その巨大さ故に最高水準のものを利用し、かつ、細心の注意を払って建設された軌道エレベーターを中心として、多数の船が離着陸する宇宙港が広がっている。大気圏突入できない小型船舶などは軌道エレベーターの発着港にランディングする仕組みだ。
四角形の高層ビル群が立ち並ぶ市街地からやや離れたこの場所は、銀河で十番目くらいの繁栄を誇っているレイズ星間連合の首都である。休むことなく稼動し続ける人間と物流の奔流が、他星系、もしくは惑星へと飛躍していく扉が、この宇宙港だ。数百隻規模の民間輸送船や、航宙軍の警備艦などが所狭しと並んでおり、ドッグの中に納まっている。特に惑星政府の運用するひとつの交通機関としての軌道シャトルは、そそり立つ軌道エレベーターの頂上にある、鳥の巣のような第二宇宙港で行き来し、主に衛星軌道を利用しての惑星内航宙を担っている。
その中で、大気圏を忙しく離脱していく幾隻かの船の中、ただ一隻だけ、惑星に向かって降下してくる船体があった。
赤く輝く火球となっているその船が減速し、大気との摩擦熱がPSA装甲と大気の境界面で急激に下降すると、漆黒の塗装が施された巨体が露わになる。おおよそ人の手で作り上げたものの中では最大の部類に入るであろうものを、港湾管理局の管制AIが誰何、認証し、民間船の通常ドッグへとレーザー通信で誘う。全長一キロを超えるそれは、どう考えても他の船とは一味も二味も違っていた。船体の各所に設置されたスラスターは多く、細かい姿勢制御と水平移動、三次元立体機動を容易く可能にしている。広大な宇宙空間ではあらゆる方向へ移動する事が重要なのだ。流線型の前面部分に内蔵された一二門のエネルギー砲塔は、通常の民間船や警備艦隊に装備されている荷電粒子砲塔と違い、純粋に抽出されたエネルギーを指向性を持たせて発射する兵装だ。さらに、自律式の無数の対空レールガンに、数十基のミサイルポッド。強固なPSA装甲は、並みの軍艦よりも幾分か堅い。
青白いプラズマ反動エンジンの尾を撒き散らすように減速し始めた艦体は、そのまま重力加速度による力を相殺する。やがて目に見えてじれったいほどの速さで下降していくと、軽やかに地面へと降り立つ。他の平地に比べて四百メートルほどくぼんだドッグに身を収めると、巨大なアームが左右と下方から伸びてきて、船体を固定した。するするとドッグの端から昇降通路が飛び出し、同時に天井のドッグハッチが閉じられていく。
腹の底から響いてくる深い音と共にハッチが閉じられ、同時に昇降機が船体の横にあるエアロックに接着されると、艦内と通路内、外界の微妙な気圧差を調整するためにエアロックに空気が流し込まれる。そうして数分後に、ハッチから一組の男女が姿を現した。
一人は、長身痩躯で、黒い髪と瞳を持った男。やや鋭い顔つきは、通常の水準よりやや高い、美形の持ち主だ。黒い航宙服を着ていて、少し肌蹴た胸元の下から、白いシャツが覘いている。かなり疲れたような顔色だが、その両眼には強い意志の宿った光が揺蕩っているのが見て取れる。彼の後ろに立っているのは女性だ。肩の上くらいまで伸びた白い髪の毛が、男の黒い髪と対照的だった。瞳はやや黄色がかったブラウンで、こっちは誰もが認める美形であろう。どこか機械的な美しさを感じさせる無表情だった。着ている衣服は、やはり黒い色の航宙服で、こっちはまるで別人のように着こなしている。バランスよく膨れた胸と腰のくびれのラインは、男の視線を集めるに十分なものだ。
「なんとか宇宙港まで到着しましたね」
女が言う。表情と同じく、感情を感じさせない声だった。男は頷きながら通路の中を歩き出す。
「大気圏突入の前に、入港管理局から航宙データベースに事の顛末を載せておいた。これで航宙管理局や警備隊からいらん横槍を淹れられずに済む。今や正式な手続きを踏んだんだ、何も問題は無いさ。君は、あの船に乗っていた生体端末で、私を助けたことになっているよ」
「船長らしい、見事な機転です」
女性の受け答えに、彼は少し照れくさそうにはにかんだ後で、咳払いをして仕切りなおした。
「最近、君に褒められてばかりいるのは気のせいかな、アキ」
「さあ、どうでしょう、船長。それだけ貴方が成長したと言うことではないでしょうか?」
「ふん。言ってろ」
二人の口元に微笑がひらめく。和やかな空気を感じながら、通路のベルトコンベア式の歩道へ乗ると、そのまま早歩きで宙港へと歩みを進める。
ここにいるアキは、間違いなく民間船、アクトウェイに搭載されていた、彼と長年付き添ってきたあのAIだ。あの船にアキのコアプログラムを移植した後、艦内を走査したアキ本人が、この生態モジュールを発見したのである。
AIをデータベース上ではなく、生きた人間として保管する。何処の誰が、何を考えて作り出したのかわからないこのシステムは、銀河の中で皆無と言うわけではない。長年連れ添ったAIを、民間船から降りるときに生態モジュールに移して、そのまま使用人として傍に置く船長や船員もいるくらいだ。別段、珍しい事ではない。最早捨てるのみとなった船から、長く世話になった人工知能をなんとか生かしてやりたいと思う人情は理解できる。ただ、彼らは人としてカウントされない。あくまで機械、例え喜怒哀楽の感情を表そうとも、その根本は電子回路のままなのだ。言ってしまえばプログラムに過ぎない。しかし、そんな理屈では理解できない感情を人間は彼女らに抱く事があって、それは自分も同じことなのだろうか、と彼は首を傾げずにはいられなかった。
「それで、いかがいたしますか、船長?」
「とにかく、第三四五区画の徴募オフィスに行こう。そこで、あの船を動かす為のクルーを募集しなきゃならない。あそこにはオフィスがある筈だから、詰めている事務員に何か聞けば、手配してくれるだろう」
「了解です。確かに、あの船を動かすのには私たちだけでは問題がありますね」
「そういうことだ。いざとなれば君がいれば全てできるが、やはり肝心な部分は人間に任せるに限る。直感や経験といったものは、君には実装されていないからな。だからといって人間に比べて劣っている訳ではない。早い話が、適材適所だ。誰にでも向き不向きはある」
それから、二人は黙って歩き続けた。彼は疲れていたし、彼女も特に話す必要を感じなかったためだろう。あるいは、彼がひどく疲れているのを長い経験から察したのかもしれない。
長い昇降機の中を歩いて、入港警備員の立ち合いのもと人物認証を受ける。どこのドッグに入港した船の所属であるのか、はたまた定期分などの旅客区分で乗り組んでいるのかなどの情報を端末に入力させられる。惑星に来た事由については素直に「人事的問題解決のため」と記しておいた。厚いセラミックの透明なハッチを潜ってそのまま海抜地下に通された広大な空間を移動するためのリニア・モーターカーへと乗り込む。
時速五百キロ以上で区画の間を通り抜ける車両は、到着までに何回も止まったが、一切無駄な動きをすることは無く、まるで蛇のように曲がりくねった線路を通り過ぎていく。広大な宇宙港の中を人員輸送目的で設置されたこれだけを考えても、宇宙港を運営する事がどれほど大規模で経済的に重要な物なのかをうかがい知るには十分だろう。等間隔に配置された車窓には、たまに地表に出たときに見える快晴の天気が明かりを差し込ませる。遥か昔にテラフォーミングされた惑星は、自転周期が二十五時間と比較的地球と同じ環境で、地軸も二十四度傾いているため、人類が住めるように手を加える手間は最小限で済んだ。ただ、惑星の活動期が終わったばかりだったので、やや激しい火山活動と地震、多すぎる二酸化炭素を克服するのは容易ではなかった。多数の遺伝子改良植物を散布し、光合成を開始してようやく人が住めるようになったのが一八〇年前。以来、目覚しい勢いでこの惑星は発展を遂げ、今に至る。
遠く、宇宙港の船が出入りする向こう側に見える高層ビル群は、この国の経済と行政の中心部なだけあって、見ていて壮観だった。ガラス張りのオフィスビルや、屋上にVTOL機のための着陸パッドなどがあるのは、それだけ忙しく移動する要人が多いことを示している。そんな景色も、またトンネルに入ったことで見納めになり、男はシートに身を預けた。長い宇宙の旅で凝り固まった体を、それなりに柔らかいシートが受け止める。
「お疲れのようですね」
隣で、前の座席の背もたれの裏に備え付けられたモニターに移るテレビを眺めながら、アキが言った。気づかぬうちに嘆息を漏らしていたらしい。何も言わないでいると、彼女は再び口を開いた。
「私のように、造られた体ならいいのですが」
「いや、別に大丈夫さ。疲れってのは、時に心地良い。自分がいかに奮闘したかを再確認させてくれるから」
「そういうものでしょうか」
「そうだよ」
AIは小首をかしげる。人間らしい体を手に入れたからといって、彼女にはまだ細かいことは解らないようだ。
「まあ、それも今に解るさ。君は上達が早いほうだし、学習は得意分野だろ。少し分けて欲しいくらいだ」
「船長が人を褒めるとは、珍しいですね」
「そうか? そうかもしれないな」
くすり、と彼女は笑みをこぼす。それに微笑で返したときに、もうじき目当ての第三四五区画へと到着するリニア・モーターカーのアナウンスが流れた。座席から立ち上がり、二人で緩やかな減速による慣性を感じながら、ハッチの前で待つ。やがて駅に到着し、開いたハッチから外に出た。同時に、モーターカーに乗るために待機していた人々が乗り込み、少し乱暴にドアを閉じると、電車は慌しく走り出していった。
ホームに取り残された一人と一機は近くのエレベーターへと乗り換え、真上のフロアにある徴募オフィスへと向かう。エレベータの表示が地下十階から地上十三階まで上がったところでエレベーターは止まり、二人は開いたドアから騒々しいオフィスへと降り立った。
巨大な営み、最初に受けた印象はそんなものだった。この宇宙港の中でもここしかない徴募オフィスには、よく見れば様々な職業の人々が右往左往している。全員が例外なく、足りないクルーの補充や解雇など、様々な人事案件で訪れている様だ。
「さて、航海クルーの徴募はどこだろう。あっちかな」
天井につるされた表示で、「宇宙航海者」の表示を見つけると、そこまでとぼとぼと歩いていく。時折、肩と肩をぶつけ合ったが、誰しもが少し一瞥を投げて来ただけでトラブルにはならない。この星は平和だ。
振り返ると、アキが何気ない様子で見つめ返してくる。彼女にとって、なるほど、この人混みは何でもないらしい。美人なだけに、少し浮いて見えるが。華がある、とでも言うべきかもしれない。
そうしてようやく辿り着いた受付で待っていたのは、口元に髭を生やした中年の男だった。手元に置かれた珈琲カップに熱い珈琲を淹れながら、新しくやって来た客を見る。
「ご用件は?」
ぶっきらぼうに問いかける受付に、男は何の感情も表さない顔で答えた。
「クルーが欲しい。ここ数日中で合流できる連中のリストが欲しいんだが」
「ここにありますよ」
そういって、受付は脇に置いてある電子スリットをぽんと叩いた。男は頷いて、そこに自分の携帯端末を置き、データのコピーをとる。これで、徴募オフィスに登録されている航海者たちのリストが、小さな携帯端末の中に数メガバイト分保存された。
男は自分の端末と受付の男性係員の顔を交互に見やった。
「しかし、案外手際がいいんだな」
「まあね。なんといっても、最近は航海クルーを求める船長が多いですから。どういう理由か知りませんけど、それを用意しておくに越したことはないでしょう。いずれ必要となるとわかっているんですから」
成る程。この男、態度は悪いが、別段嫌な奴でもない様だ。コピーを移し終えて、男は端末で中のデータをチェックした後、座席から立ち上がる。今度は、無表情ではなくて笑顔だ。
「どうもありがとう。その気使いのお陰で手早く済んだよ」
「それはどうも。こちらも、それが言われたくてやってるようなもんです。クルーが見つかったら、ここにきて申請をするより先に会っておいた方がいいですよ。これから運命を共にするクルーですから、手続きなんて二の次で結構です。ああ、それと、ここにお名前をいただけますか?」
「わかった」
そういって差し出された小さなモニター付きキーボードに、カタカタと名前を入力する。受付に向かって機械を押し返すと、彼はその表示を一目見てからにっこりと笑った。先ほどの仏頂面とは比べ物にならない、話の分かる物わかりのいい客に対する、本心からの笑みだ。
「リガル船長、徴募オフィスをご利用いただき、ありがとうございました」
「こちらこそ。また来るよ」
そのやり取りの間、一歩下がってそれを見つめていたアキと連れ立ってオフィスを後にすると、リガルは携帯端末をアキへと手渡した。彼女はそれを受け取って、何処か遠くを見るような視線で端末を見つめ、それをさりげなくリガルに返した。
「データファイルのコピー、完了しました」
無線通信技術の発達で、彼女は、この携帯端末はおろか、遠く離れたアクトウェイの船体奥深くに設置されている大型の中枢コンピュータともリンクを取る事が出来る。というのも、彼女の意識そのものはまだアクトウェイの中にあり、そこから無線でこの生体端末をモニターしている様な状態だからだ。距離は離れていても、大出力の高速演算装置と高速通信によって、ほとんどタイムラグを感じずに会話もできるし、今の様に接続手段さえあれば、どんな端末とも連携が取れる。
リガルは、人混みの中を歩き出しながらアキに言った。一刻も早くこの人混みを抜け出たい。
「よし。早速だがアキ、その中で、砲雷、航海、通信、機関で優秀な人物をリストアップしてくれ。早ければ明日にでも全員と会ってみたい」
「了解しました。場所の手配は?」
「任せよう。どこか、話のできる酒場で」
今日のホテルはどこにしようか。彼の頭は、既にその一事でいっぱいだった。
翌日、夜。第二九七区画のとある酒場に、五人の男女が集まっていた。
アキがリストの中から優れた経歴や、優秀であろう腕前を示す記録を保持している人間を絞り込み、そこからリガルと相談しながら選考を行った。人員だけでなく、久々に惑星に降り立って最初に向かう酒場というのも、極めて重要な議題としてリガルは提起したが、人工知能でしかないアキは別にどこでもいいと素っ気ない返事を返すばかりだった。その結果選ばれたのは、少し小さな『ベリーとホップ』という名の酒場だ。気のいい小太りの店主が経営するバーの片隅、少し薄暗いテーブル二つに分かれて座るグループに向かって、入口の人いきれの濃い空気を胸いっぱいに吸い込んだリガルは、アキと共に入り口から一直線に向かった。
酒場ということもあり、無機質な美貌を備えるアキはそれなりに目立っている。黒い航宙服を着た男女はリガルとアキしかおらぬ故、連れ合いかと目を逸らす男が大半だが、中には執拗に彼女の白髪を目で追っている輩もいる。リガルは、いつでも護身用のブラスターを引き抜ける様に手を腰の脇に垂らし、ぶらぶらと店の奥へ歩いていった。
最初に近づいてくる二人に気が付いたのは、大柄で筋肉の盛り上がった、がっしりとした髭面の男だ。目つきは鋭く、顔に張り付いた仏頂面でリガルを見つめる。それに気づいたほかのメンバーも、ある者は好奇の瞳で、ある者は期待の眼差しでリガルとその連れ合いを見つめた。黒と白、その双方を身にまとった彼女に多くの視線が降り注いだのは言うまでもない。
「やあ、諸君。既に始まっているみたいだな」
彼らの座るテーブルの一歩手前まで歩いてくると、リガルは平坦な口調で言った。すぐ近くに座っている先ほどの男が、右手に持っていたビールのジョッキをごとりとテーブルに置いた。よく見れば、既にいくつも乾いたグラスが置いてある。彼は赤ら顔を綻ばせて、自分の髪を少し整えた。
「待たせて申し訳ない。と言っても、約束の時間よりも前なのだが。きっとみんな待っているだろうから、早々に始めよう」
リガルはアキと共にテーブルの輪の中に加わり、黙ったまま次の言葉を待っている男女へ向けて、いった。
「俺がアクトウェイ船長、リガルだ。既に知っていると思うが、今日は新しいクルーの面接ということで集まってもらった。酒場でやる面接なんてどんなものかと思うだろうが、まあ、気楽にやるのがスタンスでね」
誰も口を開こうとはしなかった。はだけた航宙服姿の女性が、にやにやとリガルへ目配せしている。彼女の顔から目を逸らして脇に座っている大人しそうな黒髪の女性を見つめると、今度は目を逸らされてしまった。だが、全員が例外なくこの喧騒の中でリガルの話を聞こうと集中しており、無駄話をする様子は微塵も無い。
中々よく訓練された連中だ、とリガルは思った。隣に座っているアキに興味津々の目を向けているものが何人かいるが、そこはまだ触れないでおこう。まずは自分と、アクトウェイについて知ってもらうべきだ。
「それで、まずは質問を受け付けよう。各々の携帯端末には、昨日のうちにデータを送信しておいたので、アクトウェイについては諸君が知っている事と思う。この間撃沈されたばかりだから、そのデータもまだ一週間しか経っていないんだがな」
苦笑交じりに説明する。事実、あの船を失ったのは精神的にも物質的にも堪えた。新しい船がその後にすぐ手に入ったからいいものの、長年愛用した船を撃沈されたという事実は、一ヶ月で拭いきれるものではない。
「残念でしたね」
金髪の女が言う。その口調には、あざける様子も詰る様子も無い。慰めの言葉を、リガルは有難く受け取った。
「ありがとう。ええと……」
「セシル・アカーディア。この間までレイズ星間連合の民間輸送船の管制官をやっていたわ」
ブロンドの、肩甲骨にやや掛かるくらいの髪の毛を撫でながら彼女が自己紹介すると、それが発端になって、メンバーが次々と自己紹介し始めた。
「イーライ・ジョンソンだ。元シヴァ共和国国防宇宙軍巡洋艦砲雷長。三二歳」
イーライは、手元にあったジョッキを手に取ると、それで隣に座っている、少し派手な格好の女を示した。次はお前だ、ということなのだろう。旧地球のテキサス人が被っているようなハットを取って、金色の髪の毛をかき回すと、女はにやりと笑って自己紹介を始めた。その間に、イーライはちびちびとビールを飲み始める。
「ジュリー・バック。フリーの航海クルーだ。皆からは『少し荒っぽい』って言われるが、腕には自信があるよ」
「それは頼もしいな。年齢は?」
その質問に、戦慄するほどの笑顔を浮かべると、リガルは己の軽率さを呪った。両手を挙げて降参するポーズをとると、ジュリーはその隣に座っている大人しそうな、黒いショートカットの女性の肩を叩く。彼女は少し体を震わせると、か細い声で自己紹介を始めた。
「ええと……キャロッサ・リーン……昔、星間旅客船で医務員をしてました。よ、よろしくお願いします」
ちらり、と隣に座る大男を見る。髭を生やした中年の男は、硬い鉄のような表情でリガルを見据えた。
「フィリップ・カロンゾ。元レイズ星間連合軍巡洋艦、機関長。こないだ怪我をしてね。軍を退役して、フリーになった」
そう言って、彼は腕を叩いた。成る程、直ったばかりの傷で、肘の辺りに跡がある。
「ああ、成る程。だが、それだけで退役か? 何か仕事に障害が出るようには見えないが」
「他に足もやっちまってんのさ」とフィリップ。歯を見せて笑うと、しゅうしゅうと吐息が漏れた。「今は、軍隊はどこも軍縮でね。最後の星間大戦が百年前だ。いくら隣で内紛が起きてたっていっても、世論には負けるのが政府さ」
成る程、と頷いて、リガルはアキに視線を送る。今、彼女の回路は、超高速でクルー志願者たちの経歴を照合しているところだ。ここで嘘偽りを述べたとしても何の利益にもならないが、身分を偽って船に乗られては、後々、面倒なことになる。放浪者は根なし草だ。だからこそ、自分のみに降りかかる病原菌へは自分で対処しなければならない。何物にも干渉されない代わりに、どんな脅威に対しても、自らの実力のみで立ち向かうしかないのである。
やがて、彼女はこくりと頷くと、リガルは視線を志願者たちに戻した。
「よし。ああ、こっちは船の生態端末のアキだ」
軽く会釈をする白髪の美人に、彼らは視線を向けた。そうしてから、生態端末という言葉への驚きが波のように広がっていくのが、手に取るように見られた。
「生態端末?」
ジュリーが、訝しげにアキを眺める。イーライやセシルも同様だ。
「そうだ。新しく手に入れた船の中に端末があってな。こちらの方が、何かと都合が良かったんだ」
「こりゃ驚いた。まさか、自分の船のAIと生活するとは」
フィリップが素直な感想を述べる。彼は毒気のない性格のようで、その言葉には微塵も嫌な空気は含まれていなかった。
「うん。まあ、一応話しておこうと思って」
「船長、ちょっといいかい?」
ジュリーが声を上げた。少し柄の悪い航海長は、ビールのジョッキを二つ手に握っている。
「なんだ?」
「船の機動性はどんなもんだい? 数字じゃなくて、乗った人間の意見が聞きたいんだ」
もっともだ。
「俺の感じた限りでは、軍用艦より動けると思う。軍の船に乗ったことは無いが、動きを見たことはあるからな。それと比べる限り、アクトウェイは繊細な、細かい動きも出来る。あらゆる方向への推進装置も完備されているし、なにより安定した機関出力で、同じサイズの船の一、五倍のスピードも出すことが可能だと、アキは言っている」
アクトウェイのカタログスペックの高さに、テーブルを囲む面々はあんぐりと口をあけた。次いで、交互に顔を見て、それぞれの分野の装備について質問の雨を浴びせた。それほどの船に乗り込むという事は、宇宙を駆ける人間にとって憧憬の的であり、真空と絶対零度の支配する宇宙空間において自分を守る唯一の道具である船についてよく知りたいと思うのは、当然のことだろう。そうした質問の全てに、リガルが、或いはアキが答えていき、最終的にそれぞれが考え込んで思案し始めた。
もう、皆で顔を合わせて話すことはなくなったのだろう。やがて誰もが顔を上げ、頷いてくるのを見て、リガルはいつの間にか手に持っていたジョッキを傾けながらいった。
「よし。じゃあ、最後に何か質問のある者は?」
「ありません」
全員が声を揃えて言った。
「ありがとう。では、一週間後の一〇〇〇時に、アクトウェイまで来てくれ。それぞれの持ち場で惑星外へ出てから、改めて話をしよう」
リガルは背を向けて歩き出す。が、その足が唐突に止まった。
「ああ、そうだ。今日の飲み代は俺が払う事になっている。好きなだけ飲んでくれ」
まだ初対面で、ぎこちないクルーたちだったが、この言葉には誰もが笑顔を浮かべていた。
この船での、新しい仲間との生活が始まって、最初の昼食の時間がやって来た。衛生長であるキャロッサが作る食事は、当然ながら初体験だ。艦橋から少し離れた所にある食堂で、クルー達はテーブルについて皿が運ばれてくるのを待っていた。
アクトウェイは、その船体の大きさと反して少人数で操作することを念頭に置かれた船であるらしい。自分で建造した船ではないので、船長のリガルや、AIであるアキにもそのコンセプトはわかりづらいものだったが、あの艦橋設備からしてどうやらそのようだという結論に至っている。より大人数を前提として作られた船ならば、あの艦橋だけで済む規模ではないだろう。それに、無人機技術が進歩した現代、船の整備などは人間が、あるいは人工知能がそれらを駆使してより大規模なものを行うようになっているから、そもそも巡洋船ではクルー自体の人数が少なかったりする。これが軍用艦艇になると多くの武器・兵器の管制や様々な雑務までをこなす兵士までを収容しなければならないから大変だ。
しかしアクトウェイは民間船であるため、食堂はそれなりに広いのだが、今は少人数で占領している状況である。彼らが着ているものはアクトウェイにはじめから常備されていた黒い航宙服だ。機能的で洗練されたデザインは、高度な体温調節機能などを持っている。暑い時は涼しいし、寒い時は温かい。ポケットも目立たないように工夫されていて、上下分割式なので各人の思い思いのコーディネートも可能だ。
「ツーペア」
イーライが押さえきれない笑みとは対照的にぶっきらぼうな口調で言い、テーブルの上にクローバーとダイヤの二と、ハートとダイヤのキング、そしてスペードのジャックを放り投げる。ほぼ同時にフィリップとジュリーが音高い舌打ちをした。それぞれがノーペアの手札を放り投げる中、セシルは手札と場にあるカードを見比べて、自分の手札を披露する。
「ジャックのスリーペア」
してやったりといった表情で、セシルはイーライを見た。彼は先ほどまでの笑顔をどこかにワープさせ、代わりに厳しい表情でセシルを睨んだ。彼女はといえば、柔らかい微笑でイーライの視線を受け止めると、手早く次のゲームの準備を始める。ポーカーテーブルの隣では、リガルとアキが座っていた。アキはぼうっと食堂の一角を眺め、リガルは手に持っているブラスターを手入れしながら隣のテーブルのゲームの行く末をにやつきながら眺めていた。
「砲雷長、一本取られたな」
金髪の青年はますます不機嫌な表情になって答える。
「わかってますよ。負けたのは船長じゃなくて、俺ですから」
「まあ、セシルが勝ってくれて助かったぜ。このままだとイーライの独壇場になっちまうところだったからな」
一安心、とばかりに、フィリップがいかつい肩をすぼめた。ジュリーは、相変わらず怪訝な表情のままだ。
「納得いかないね。フィリップ、アンタはさっきっからちょくちょく勝ってていいだろうけど、あたしゃそんなに勝ててないんだ。いいことばっかりじゃないよ」
「そうかね。まあ、女のお前はいいじゃねぇか。賭けるもんがなくなったら脱げばいい。俺やイーライは男だからそういう訳にもいかねぇって」
ジュリーが睨む。フィリップはいかつい顔をくしゃくしゃにして笑うと、手元に放られたカードを拾って手札を組んだ。
その時、キャロッサの明るい声が厨房から響く。
「皆さん、食事ができました」
トレーが七つ載せられた台車を押して、キャロッサが姿を現した。黒い服に白いエプロンを装着した彼女と鼻をくすぐる料理の匂いが絶妙なコンビネーションを発揮して、男性クルーから感嘆の吐息が漏れる。それがさらにジュリーの不機嫌さを加速させ、彼女は腹いせに各員の持っていた手札をひったくると、それを纏めてテーブルの端に置いた。
「ホラ、食事しながらポーカーなんて、キャロッサに失礼さね」
「折角いい手札だったのに!」
フィリップが唸る。それを見て、ジュリーは愉快そうにひとしきり笑うと、イーライとセシルも笑みを浮かべた。
「まったく……この埋め合わせは、料理でするしかないじゃないか。キャロッサ、今日のメニューは?」
フィリップの言葉に、衛生長は天使の様な微笑でトレーを差し出した。
「今日は初めてのお食事ということで、豪華にステーキです。サイドメニューで、レタスとコーン、養殖マグロのツナのシーザーサラダ、ライス、濃厚な出汁で作ったスープです。ステーキのほうは、ステーキソースとデミグラスソースを別々で用意させてもらいました」
思わず生唾を飲み下すような料理が目の前に並ぶ。イーライをはじめとする、アキ以外のクルーの目が点になると、キャロッサは嬉しそうな表情でリガルにトレーを差し出した。
「どうぞ、船長」
「あ、ああ。ありがとう」
放浪者として生活し始めてから初めて見るような豪勢な食事を目の当たりにし、たじろぐリガルだったが、取り敢えず、メインであるステーキを小口に切り、デミグラスソースの満たされた器の中に突っ込んでから口に運ぶ。途端に、えもいわれぬ旨みを含んだ肉汁が溢れ出て、デミグラスソースと混ざり合って口の中でダンスを始めた。思わず吐息が漏れる。
「美味いな」
飲み込んで、またしばらくの余韻を味わってからリガルが言うと、それを見ていた他のクルーも次々と口に運び始め、食堂は即座に簡単の呻きで満たされた。その言葉を聴いたキャロッサも、嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます!」
「うむ。しかし、驚いたな。今回は民間用でも少し安価な食材を積んだと聞いていたが、それでもここまでの味とは」
その疑問に、キャロッサは得意げな笑みで慎ましやかに胸に手を置いて答えた。
「安い食材でも、それなりにいい物はありますよ。様々な搬入ルートを辿れば、脇道で見逃した穴場に行き着くんです」
「穴場?」
「はい、穴場です」何かのスイッチが入ったのか、大人しいキャロッサが滔々と語り始める。「何処の惑星でも、競争を勝ち抜くために安く、よく作られた作物はあるものなんです。規格外品でも十分に味はいいですし、探そうとすればいくらでも出てきます。特に、大きな宙港のある惑星では物流の流れがとても速く、流れに乗せればどこにだって売れますから、多くの商業が盛んです。その横から掠め取る技術も、また必要なんですよ。でも、たまに同じことを考えている人もいますから、そういう時は少し手こずりますけど」
小さく舌を出して微笑む彼女だが、リガルは思った。こういう才能を持っているのなら、諜報部でも充分食っていけるのではないか、と。
「美味い! 美味いぞ!」
「本当、美味しい。なんで? どうして?」
フィリップとジュリーは呟きつつ、流し込むように食材を口に運んでいる。何はともあれ、彼女のお陰で、アクトウェイ初の食事は多いに満足のいくものとなった。
「ところで、船長。この船についてなんだが」
すぐに終わってしまった食後に、フィリップが爪楊枝で歯に挟まった肉を取りながら言うと、リガルはキャロッサに渡した皿から視線を向けた。
「うん?」
「資料に載ってなかったことで質問がある。どんな仕事をやってくつもりなんだ? 実はノーマッドは初めてで解らないんだ。俺は軍で働いていたもんだから、あんまり知らねぇんだよ」
セシルとイーライがこくりと頷く。テーブルを囲む、元軍人の面子に目を走らせると、アキが一人でキャロッサの元に皿を運んでいるのをちらりと盗み見てから話し始めた。どうやら、彼女も食事を体験したらしい。生体端末は食事をどう消化するのだろう、と変な疑問が頭に浮かんだ。
「ああ、そうか。君達はノーマッドを知っていても、その詳しいところまでは知らないんだな」
「そう。これもいい機会だし、教えてもらいたいわ」と、セシルの言葉に、イーライが以下同文とばかりに頷いた。
「そうだな、まずノーマッドなんだが……フィリップ、君としてはノーマッドの印象はどうだ?」
突然聞かれて、フィリップはいかつい顎を指でさすりながら考えた風に視線を空中に投げていたが、やがて寝ぼけたように言った。
「そうさなあ。なんか、色々な依頼を受けて生活してる……そのくらいだな」
「そうか。まあ、大方は間違っていない。俺達ノーマッドは軍や運び屋が請け負わないことを生業としている。まあ、民間船護衛とか、海賊討伐とかだな。いくら軍用艦艇が多くても、全ての民間船を海賊から守るには人手が足りない。それに、軍はいちいち民間船のために動いてはくれない。そんなとき、頼りになるのが放浪者だ。俺達はどこにでもいる。そして大抵の連中は武装しているから、ある程度は頼りになる。珍しい時は、惑星探査なんかもさせられる。そういうことを金を貰ってやるんだ。基本は各船長たち、ノーマッドってのは個人で活動しているものだが、それでも群れみたいなものはある。それと、ランクも話しておいたほうがいいか」
「ランク?」
口を揃えて疑問符を浮かべるクルーたちに、リガルは新たに運ばれてきたシチューを手に取ると、それを口に運びつつ続けた。
「各ノーマッドは、ランク付けされているんだ。評判とか、実績とか。まあそれはおいおい話せばいいだろう」
そう無理矢理締めくくると、これまた美味いシチューを、リガルはただ食べ続けた。