一三三年 三月二十日~
・アリオス歴一三三年 三月二十日 大型巡洋船アクトウェイ
やれることを粗方やり終えてしまうと、後は潰しようのない、永遠とも思える自由時間がやってくる。戦闘中などはこうした時間をキープしておきたいと願うほどの間、リガルはアクトウェイ船内に設置されているトレーニングルームで汗を流したり、ぶらぶらと船内を散策したりして時間を潰していた。
船長である以上、この巨大な船の全てを把握している必要があるが、それでも半日を埋めるのが精々だ。アキを誘って展望デッキに行こうかとも考えたが、大事な戦いを前にしてクルーの前で惚気るのも如何なものかと思い留まる。
しかし展望デッキへ行くというのは良いアイデアだ、と、リガルは最後部上甲板へ向けてぶらりと歩き出す。
こうした時は艦内重力が恨めしい。長い距離を歩くことは苦ではないが、時には無重力化での遊泳も楽しみたかった。
航宙船では、人工重力を切ることは航宙法規上、認められていない。無重力化では慣性補正も働かない他、万が一の場合に船体が振動することとなった時、重力が無ければ四方八方へ体がスーパーボールのように跳ねまわることになる。
良い運動だ。そう言い聞かせながら十分ほど歩き回り、ようやく無人の展望デッキへと辿り着いた。
そして予想通り、落胆の溜息を漏らす。
一面が塗りつぶされたように灰色一色となっている超空間が、透過壁を通した向こう側に広がっている。
壁の手前に、まるで転落防止策のように据え付けられている鉄柵が据え付けられている。これに肘をつき、体重を預けるようにして、リガルは景色に見入った。
目を凝らせば、この灰色は白と黒の集合体なのではないか。そんなあどけない疑問も、目を凝らす内に潰える。
この空間はどこまでも続いているのだろう。遠近感さえも失われている灰色は、本当に変化がない。試しに携帯端末を懐から取り出し、アキを呼び出す。
「アキ、今、いいか」
「いかがいたしましたか、船長?」
「アクトウェイは今、進んでいるのか、止まっているのか、わかるか?」
その質問で全てを察したらしいアキは、言葉で説明するよりも手っ取り早く、アクトウェイの座標認識系をそのまま端末に転送してきた。
小型の立体映像投影装置が起動して、掌の中に収まったそれからホログラフが立ち上がる。小さなアクトウェイのモデルが浮かび上がり、舳から船の進路、つまり前方へ向けて矢印が伸びる。
「本船はただいま、巡航速度で航行中。超空間内では、我々の知る三次元座標は意味を為しません。どの向きへ進んでいるかという概念のみが適用されます」
「む。座標に意味が無いなら、進んでいるなんて、無いんじゃないのか?」
「いいえ、そうではありません。超空間内では『位置』という概念が縮小されているのです。つまり、無視できる。イメージとしては、移動に所要するエネルギーが極端に少なくなるのです」
「いまいちよくわからないな。物理学講義をここで聞くことになるなんて思わなかった」
「つまり、噛み砕いて言いますと。船長が自室から展望デッキまで歩いた消費カロリーが、超空間内だとずっと少なくて済むのです。しかし、私達は同じ分のカロリーを消費したがる。そうなりますと、急ぐ必要がある、結果からみれば早く到着することになります」
「なるほどな」
言ってみれば理解できるかと思ったが、そんなことはなかった。礼を言って回線を切り、再び何も考えない時間を過ごす。
そうして幾許かの時が流れた後。
「星を見ておいでですか」
最もこの場にいて欲しくない男の声がした。
振り返ると、灰色の髪に青い瞳。まったくの感情というものを排した顔の男が目の前に立っていた。
同じ灰色ならこちらを見ているほうがマシだと言わんばかりに、リガルは視線を元に戻した。
「星なんて見えないよ。もう少しの辛抱だけど」
「ジェイスも星がお好きな様でした」
一瞬、心臓さえも止まってしまいそうなほどの驚愕の波が押し寄せ、それが引くと同時に、リガルは再び、ゆっくりとプリンストンを振り返った。
バレンティア航宙軍の制服に身を包んだプリンストン。この男に対する印象は、のっぴきならない、艦へ侵入した異物ではなく、純然たる脅威へとリガルの中で変わっていた。
この男は、今、なんと言ったのか。
何を問うべきかも定まらない混濁した意識の中で、リガルは彼の淡々とした告白を聞いた。まるで風の音の様に、頭の中を意味が素通りするのを押しとどめる。
「私は彼の仲間ではありませんよ。かといって敵でもありませんが。そうですね、言うなれば傍観者です」
リガルは以前に抱いた疑念を思い起こす。
もし、自分ではなく、この灰色の男こそが、バレンティア航宙軍情報部に疑われている人物であったのなら。クライス・ハルトだけでなく、バレンティア情報軍の中でも異端として扱われている彼であったなら。
懐からブラスターを抜き、プリンストンの眉間へと突きつけた。安全装置を解除する音が、やけに大きく展望デッキに響く。
これだけの殺意を向けられながらも、プリンストンはいささかも動じることなく、ブラスターの銃口を無感動に見つめていた。
「お前、何を知っている」
「逆に、あなたは何を知りたいのですか」
リガルはブラスターを握る腕に力を込めた。これだけの状況に陥りながらも、プリンストン・B・エッジは、自分の生死ですら他人事であると断定しているかのようだ。
「お前は、何者だ」
「プリンストン・B・エッジ。男。二十九歳。バレンティア航宙軍情報部大尉で、現在は大型巡洋船アクトウェイの――」
「そうじゃない! くそ、機械みたいな奴だな。融通が利かないなんてもんじゃない。本当に感情というものはあるのか?」
と。彼は口の端を微かに吊り上げた。他に表情に変化らしきものは見当たらないが、それが彼にとっての笑みであることは辛うじて理解できる。
「今はお答えできません。私が何を言ったところで、あなたは信用なさらないでしょうから」
「当たり前だ、この裏切り者め」
半ば呆れているとも思える態度で沈黙した後、そうですね、と彼は言った。
「埒が明かないので、私とジェイスの関係性からお話ししましょう」
プリンストンは、リガルの背後にある透過壁へ向かって歩き出した。近付いてくる彼の鼻先に銃口が触れそうになる。リガルは自分で右に動き、結果として、超空間を見つめるプリンストンの左こめかみにブラスターを突きつける格好になった。
彼のこめかみに触れるほど近く、銃口を当てる。引き金に指をかけて引けば、こいつは死ぬ。
本当に死ぬだろうか? 馬鹿みたいな疑問を抱いてしまうほどに感情を見せないプリンストンが口を開くのを、リガルは自分の鼓動と呼吸音を頼りに、待った。
「ジェイスが真っ当な人間でないことは、薄々勘付いておられるでしょう。顔形はあなた、リガルと同じように整形されたと聞いています。では彼は何者なのか」
「生体端末、か。いや、あそこまで自律的に活動しているのならば、より高度なアンドロイドというべきか」
「ご明察、恐れ入りますが、アンドロイドではありません。そう、彼は生体端末。アキと同じです」
あの白い男を思い浮かべ、馬鹿な、とリガルは頭を振る。
「馬鹿な。この大戦は――機械が引き起こしているとでも?」
馬鹿げている。そう毒づくリガルを横目で一瞥し、プリンストンは再び超空間へと視線を戻した。
そして、その言葉は意味の無いことだと悟る。
これほど科学の進んだ時代において、アンドロイドの製造は行われていない。アキのように、生体端末として人型を機能させるのが精々だ。これは技術的な問題からではなく、一重に人類が、同じ人型を生み出す事に対する倫理的ハードルを乗り越えられなかった結果に過ぎない。
同じ人型であり、人間と同じ行為を行い、考えることができる以上、それは人類にとって多大な影響を及ぼす。端的に言えば、人に成り代わることができてしまうのだ。サイボーグ化が自重され、法律で規制されるのも同じ理由。宇宙に上がるにつれ、人類は知的生命体との遭遇という可能性を決して無視できなくなった。そうなった時、人間が人間のままでいなければ、他種族との線引きも行えない。それは人類間の格差にもつながる、と考えられたのである。
そう。人型は人のカタチをしているという理由だけで、戦争を起こすどころか、莫大な影響力を人間に行使することができるのだ――
「そうであって、そうではないのです」
彼にしては曖昧な表現で、プリンストンは語尾を濁した。
「これは人間というものが如何なる形態であるのか。その概念の定義にまで及ぶ話題になりましょうが、ジェイスは列記とした人間と言っても”差支えない”のです」
「つまり、完成度が高い、と」
彼は微かに肩を竦めた。
「そのほうが理解しやすいのでしたら、解釈はお好きなように」
「で。ジェイスが何者なのかは、まあ、確かに推測を立ててはいたさ。船から船に生身で漂流したり、外見が異様だった」
「あれは演出です。ジェイスはあなたとアキを狙って、その実行勢力として旧銀河帝国軍残党をまとめ上げました。私は彼の計画の下で育てられ、送り込まれた人間です」
「生身の?」
「ええ、純度百パーセントの、ヒト、です」
何がおかしいのか。プリンストンはくつくつと、喉の奥からひりつくような笑い声を漏らした。それでも、表情には口元以外に感情は見られない。
これほどまでに動揺しているらしい彼を見るのは、短い付き合いの中で初めてだ。リガルは戦慄さえ覚えながら、彼の言葉の続きを待つ。
「ジェイスは、そうですね、あなたがレイズ=バルハザール戦争終結後、アルトロレス連邦へ向かうのと同時期に目覚めています」
「待て。時間的に、そんな短時間で帝国軍の首魁になり上がれるのか?」
「不可能です。始めから定められていた場合を除けば」
ますます深まる疑問が溢れださないよう、リガルは懸命に唇を引き結んでいた。
腕が痺れる。一歩をひいて、彼はブラスターを下ろした。それでも、プリンストンは視線を超空間から外そうとはしない。
リガルは戸惑ったように、プリンストンの投げる視線を追った。
「つまり……ジェイスは、旧銀河帝国軍を迎合し、統轄するための司令官として生み出された生体端末ということか。人間が人形の糸を引くのではなく、その反対……」
「そうです。ジェイスは極めて優秀な戦術モデルを再現した人格を備えています。それはおよそ、あなたに似通った誰かのものです」
「誰なんだ、それは」
「ジェームズ・ストラコビッチ」
絶句するリガルへ、プリンストンは言葉を叩きつける。
「かの英雄には、少なくとも判明している限りで子孫はいません。では、彼は何を遺したのか。答えは、あの白い男です」
「では、奴の目的は銀河帝国の再興などではないだろう」
「ええ。あの男の最終目標は、今の人類を完膚なきまでに叩き潰すことです。第二次オリオン腕大戦では、旧銀河帝国軍残党とバレンティアが殲滅対象となっています。これは巨大なシステムが行っている洗浄作業にすぎません」
人類は愚かしい。第一次オリオン腕大戦で何も学んでいない。ジェームズ・ストラコビッチはそう考え、そして、二度と人類が戦争という愚行に走らないよう、一計を投じた。
それがジェイスを始めとする、その時代に合わせて起動するようにプログラムされた周期的な戦争の渦。
自分もその一人だ、とプリンストンは独り言ちた。
「言いそびれていましたが、プリンストン・B・エッジという名前は、正真正銘、私の個人名です。ただ、存在意義が幼い頃に与えられているという違いはあれど、あなた方人間と何も変わらない」
「あんたはジェイスの仲間なのか」
「言ったはずです。敵でもなければ味方でもない、と。だからこそ、あなたにこうして彼の話をしている。私の任務は、機動艦隊の司令官が反乱を企てる手助けをすることでした。連絡員として、ね。その役割はもう果たしましたから、後は好きな様に生きるつもりです」
「誰にも与せず?」
頷いて見せる彼へ、リガルは再びブラスターの銃口を突きつける。
「なるほどな。でも、どうしてそれを今になって言う? タイミングはいつでもよかったはずだ」
「こうしてジェイスとの接敵が間近に迫り、尚且つ超空間にいて、あなたと私が自然とクルーたちから離れられる機会を窺っていたのです。今、アキの監視映像には偽の、あなたが超空間を見つめて呆けている姿しか映ってはいません。この時のために細工をするのは、骨が折れました」
「あんたは俺に何を求めるんだ」
プリンストンは、無機質を通り越して静謐な静けさを湛えた面差しでリガルを振り返った。
「何も。あなたが望むことをおやりなさい。求めるなら手助けもしましょう」
「ジェイスを殺す時になって手の平を返すなんてことは、無いよな?」
酷薄な笑みを浮かべて見せてから、プリンストンは両手を広げてだだっ広い展望デッキを示した。
「それは不可能ですね。この船には女王がいますから」
「その通り」
入口のハッチがスライドする。
ブーツの音を高く立てて、アキが入って来た。彼女一人で、手に持っているのはやや大型のブラスター。微動だにせず、銃口は真っ直ぐにプリンストンの頭部を狙っている。
ほらね、と言わんばかりに肩を竦めた彼は、アキへ顔を向けた。
「時間稼ぎにしかならないことはわかっていましたが、なるほど。思っていたよりも優秀なようですね」
「どうも。嬉しくはありませんが」
「その対応も感情故ですか」
「その様に感じ取っていただけるならけっこう。リガルを傷付けるあなたを撃ち殺せば、さぞ”嬉しい”でしょうね」
「よせ、アキ」
彼女は黄色がかったブラウンの瞳で、黒いほうの青年を見やった。小鳥が首を傾げるようにして、何故ですか、と問う。
「彼にはまだ利用価値がある。まだジェイスの情報を聞き出せるかもしれない。それに、戦闘時には艦橋にいてもらったほうがいい」
ほう、と両眉を吊り上げて見せるプリンストンを睨み付けたまま、リガルは自分のブラスターを航宙服の懐に収めた。そしてアキを見やる。彼女は少しの間迷っていたが、やがて銃口を下ろした。
プリンストンは笑うでもなければ怒るでもなく、無表情のまま立ち去ろうと歩き出す。
その背中に、リガルは声をかけた。
「なんでしょうか?」
斜に構えるようにして振り向きかけたプリンストンへ、リガルは問うた。
「何故、奴は俺を狙う。アキは奴とどう関係があるんだ」
と、彼は初めての感情を露わにした。目を細め、不快そうに口元を歪める。
それは、軽蔑だっただろうか。
背を向け、プリンストンは歩き出した。
「それは彼に直接お聞きなさい。浅からぬ因縁ではないのですから」
それきり、彼は何も言うことなく展望デッキを後にした。




