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漆黒の戦機  作者: 夏木裕佑
序章 「黒い船は運命を運ぶ」
1/103

一三二年 四月二日~

一隻の民間宇宙船のクルーたちを主人公とする、長編ミリタリーSF。SF冒険記の色が強いかも。

SFが好きな方には、楽しんでいただける作品と思います。

作者は執筆暦三年。感想いただけると、本当に嬉しいです。

よろしくお願いします。

・アリオス歴一三二年 四月二日



 それは、黒い船だった。

 何処までも続く暗い宇宙空間。それに溶け込むほど深い漆黒の塗装が施された船体は、遠く十光分離れた位置にある恒星から放たれる光りに仄かに照らされて、厚い装甲が鈍く輝く。減法混色の結果、宇宙の深遠と同化するが如く闇色に染められた外殻に呼応して周囲に見える小さな星粒が輝きを瞬き返し、それが完全に宇宙の一部となっているこの船にとって、唯一の意思疎通コミュニケーション手段のようだった。

 驚きを通り越して呆れるほど長い間、この宇宙という虚無を漂い続けた船は、自らのレーダーにある反応を見出す。超光速で真空中を進む量子通信波の反射を観測することで周囲の物体を感知するシステムは、経年老化など微塵も感じさせぬ高精度のデータを、巨大で高速な演算装置である中枢コンピュータへと送信し、認識した。既に高度な人格までを有してもおかしくはないこのコンピューターにとって、一連の処理は作業とも呼べない程の速度で実行されたが、その事実は極めて大きな影響を彼女に与えた。

 戦闘である。

 数隻のベルサ星系同盟小型巡視船を改造した、外装が見る目もないほどぼろぼろになった船が数隻、拙い隊列を組んで古めかしい大型巡洋船を追いかけている。決定打に欠ける戦闘の代償として、追う側も追われる側も多大な損傷を被っており、動いているのが不思議なくらいだ。追われる商船の船体に装備されている四門の粗末な荷電粒子ビーム砲塔が、幾度と無く一隻の海賊船へと向かって火を吐く。輝く槍が何本も伸びていっては、幾何学的な直線美を虚空に映し出すが、その大多数は命中せず、当たったとしてもエネルギー防御装甲、PSA装甲に弾かれてしまう。跳ね返された光の槍はあらぬ方向へとエネルギーの保てる限り飛び去って、やがて虚空と一体化し、その姿を消していった。

 反対に海賊船から放たれた何発かのエネルギービームは、防げずにシールドを貫通してしまっていた。船体に開いた穴から、空気や設備の残骸が血液のように流れ出ていく。人間の死体が無いことがせめてもの救いか。ふらりと逸れかけた進路を直す姿は自分の居場所も定かではない亡者のそれで、必至で這いつくばる傷付いた獣のようなスピードで進んでいく船は、しかし威厳を保ったまま、不機嫌な老人のようにその道を頑固に辿り続けた。

 しばらく、人間の命のやり取りを無感動に見守っていた黒い船は、何か思い当たったことがあるかのように、突如としてエンジンを点火し、急速な加速をしていった。

 虚空に、青いプラズマ反動エンジンの航跡が走る。



 船の名はアクトウェイという。

 何度目かの激震が船を襲った。すでに臨界点に達したPSA装甲は所々に大穴が開き、防御装置の用を果たしてはいない。頼みの綱だった船体各所に設置された二次推進装置は、既に三つしか作動せず、鈍重な動きはますます重くなった。今までの攻撃は辛うじて回避できていたが、今では、あの海賊船にとってのただの的でしかない。慣性で動く船体の速度をなるべく下げないようにして、絶望的なまでの進路変更を繰り返すしかできなかった。

 これでもよく持ったほうだろう。そもそもが戦闘を前提としては作られていない巡洋船、取り柄は巨大な船体から所以する耐久力しかなかったし、その有利も今では見る影も無かった。

「船尾への着弾を確認。PSA装甲、完全崩壊。機関出力低下。敵船団、加速。ベクトルが我が船のそれと交錯しています」

 死にかけた船の人工知能(AI)が告げる。自らの肉体は崩壊寸前であろうに、この上なく酷い状況とは裏腹に妙に落ち着いたソプラノの声は、目の前のコンソールの上に立体映像投影装置から浮かび上がる女性から発せられているように聞こえる。こんな時でも性能を発揮している立体音響システムの耐久度には感嘆してしまう。その前に推進装置をどうにかして欲しかったが、船の中枢であり最重要区画として、古めかしい安全策が幾重にも張り巡らされているこの艦橋が最後に残るのは仕方がない。

 ぼんやりと、立体映像投影装置が浮かび上がらせるホログラフ、青い自船のアイコンへ向かってくる赤いアイコンの群れを見つめる。奴らは三隻。接近してくるのは、間違いなく拿捕するためだろう。血と肉の飛び散る白兵戦だ。そんなことになったら、彼は勿論、この船の命運は尽きることになる。為す術もなく死んで、船からは余すところ無く部品や食料、電力、燃料が抜き取られていき、何週間か後にこの航路を使った船のクルーたちに同情される羽目になるだろう。そもそも、この船には今、自分しか乗り込んでいない。他のクルーは救命ポッドに乗り込んで脱出した。後は連中が乗り込んで、”おれ”を殺すまで待つしかない。

 そんな事はごめんだ、と、男は航宙服の腰に差しているブラスターを撫でた。この船とは運命を共にするつもりだが、抗わないと決めた訳ではない。生憎と往生際の悪さで有名なこの身だ。

「いかがいたしますか、船長?」

「アキ、残った武装は?」

 愛称で呼ばれた人工知能(AI)は、今度の爆発で起きた振動と同時にホログラフが一瞬揺らいだ自身の変化に気づかない様子だった。無駄に凝った環境再現システムにより、振動に合わせてホログラフの短髪が揺れる。

 男は思わずほくそ笑んだ。こんな生きるか死ぬかの状況でさえ、美人を見るのはいいものだ。

「三番砲塔がひとつ、最低稼働状態で残存。砲身に著しい破損を確認しています。発射は――」

「荷電粒子砲塔、発射準備。照準は、最も近い海賊船に定めろ」

 彼女はそれを聞くと困ったような表情をつくり、次いで溜息をついた。やれやれというように首を振る。人工知能がここまで人間らしい呆れ顔をするのも稀だろう。

「こういうときの船長の判断には頭が下がりますね」

「褒め言葉、有り難く頂戴しておくよ。今後の参考のために」

 くすり、と彼女は笑った。時折、彼はこの人工知能が本当に人間ではないのかと首を傾げるのだが、それは目の前を高速で処理されていく数字の羅列を見ればすぐに消えた。こんなことが出来るのが人間である筈が無い。

 今後と言っても、後があるかも疑わしい状況だ。

 船の中枢AI――アキは、反撃のための演算を即座に終了させ、告げた。

「照準固定、完了。発射準備が整いました。発砲権を船長に譲渡。タイミングはお任せします。コントロールは砲雷長席からどうぞ」

「了解。ありがとう、アキ」

 お礼の言葉に、人工知能は飛び切りの笑顔で答えた。可憐な花がホログラフに咲く。

「いえ。これが終わったら新しい船に乗り換えましょう、船長。オンボロ船には飽き飽きです」

「もちろん、君も来るんだろう?」

「可能であるならば。ですが、最優先は人命です。わたしの疑似人格ひとつ、どうとでもなります。まずは生き残ることをお考えください」

「はっきり言って、君を置いていくのは心苦しいが、どうしようもなくなったらそうすることにしよう。この際、贅沢は言ってられない」

 含み笑いで答え、男の指がコンソールを忙しく叩く。命令が光ファイバーケーブルで伝達され、発射のためのトリガーが本来、砲雷長の座る空席のコンソールへと渡ったことを知らせる電子音とワイプが現れた。古めかしい台形箱型艦橋、隔壁に程近い船長席からやや離れた位置にある席へ向かって、彼は歩き出す。細かい振動が続く中、平然とした様子で足を運ぶのを意識する。こういう時は、慌てたほうが負けると知っている。

 とてつもなく長く感じた道のりを歩き終えて座席に深く身を沈めると、指を走らせて再びコンソールを叩く。一瞬で、立体画面に照準データが表示された。アクトウェイのレーダーユニットは軍用艦艇とは比較にならないほど貧相な火器管制装置(FCU)で、可能な限り精密に隊列の先頭に立つ海賊船へと照準を定めており、アキの言った通りあとは引き金を引くだけの状態だ。

「警告。指定された武装は危険な状態です。繰り返します、指定された武装は―――」

 火器管制システム(FCS)の無機質な声が途切れる。アキが気を利かせてくれたのであろう。思わず微笑み、自分の名前をコントロールパネルに入力して、座席に座っているのが本来の砲雷長ではなく船長の自分である事を示す。即座にアキが中枢から介入してシステムを把握し、あとは発射するだけの状態へと荷電粒子砲塔の火器管制装置を掌握した。自分の仕事は引き金を引く事だけ。他は全て彼女がやってくれる。

「敵海賊船の位置を表示。相対距離と予測軌道をオプションだ」

「了解、表示します」

 現れた球形のレーダー表示は、巡洋船アクトウェイを中心に海賊船団との相対位置を表している。船長席で見たものと差異は無い。この宙域の公転軌道を水平面とし、片方を上、片方を下に定めている。進行方向などがひと目でわかりやすいよう、ホログラフの表示は色付けされていた。細く伸びる三本の敵船予測軌道は赤く染まり、アクトウェイのものは青く表示されている。何とも頼りない。それらは複雑に交錯し、浅い角度で衝突するかと思われたが、アクトウェイの小刻みな進路変更に合わせて敵船も軌道制御を繰り返しているため、一定のリズムを置いてつかず離れずの追撃戦を展開している。

 距離にして一万キロを示す位置に一隻の海賊船、もう二隻がその六千キロ後方にいた。隊列が乱れていることを考えると、統率のとれていないならず者お決まりの競争でもやっているのだろう。既にこちらが戦闘不能になっていると思っているに違いない。

 目にものを見せてやる。男は腹を括った。

発砲準備レディー

準備完了スタンバイ。充填率八〇%が最高値です」

「構わん」

「了解」

 短いやり取りが終わり、艦橋は再び沈黙に包まれた。響いてくるのは、艦の反対側で頻発しているであろう小規模な爆発の音と、慣性補正装置が上げる悲鳴だけ。そんな船乗りにとって地獄のような環境で、男は瞳を閉じた。

 短い間、祈りを捧げる。もちろん、この宇宙に向かって。

「敵船、接近」

「主砲発射」

 目を閉じたまま発射を命じ、ダメ押しに発射ボタンを叩く。

 残された荷電粒子砲が発砲され、白熱する粒子の槍が、見事に敵の海賊船の先頭を疾走する一隻に命中した。左舷艦腹に直撃し、微弱なPSA装甲を突き抜け、槍は容赦なく小さな海賊船の船体を貫通する。

 どてっぱらに開いた穴から、一瞬の間をおいて血液のように残骸が噴出してきた。数秒後に海賊船の小さなパワーコアがオーバーロードし、青白い爆発が宇宙空間の中に広がっていく。強烈な時空震とパルス波が放出され、この宙域にいる二隻の海賊船と、逃げ続けるアクトウェイを揺らした。男は座席にしがみついて必死に揺れを堪える。本来ならばなんでもない揺れだが、慣性補正装置は既に限界寸前だった。

「被害報告」まだ収まりきらない振動の中で彼女は告げた。「損傷率四三%。先ほどの砲撃で荷電粒子砲塔は使用不可能。急加速状態だった海賊船は進路を逸れました」

「これで少しは、星系警備隊の連中が来るまで時間を稼げるか。非常信号は?」

「先ほどから、緊急通信回線を含む全回線で出しています」

 男は椅子に深々ともたれた。後は、もう為す術もなしに敵が乗艦してくるのを待つだけ。もう敵を追い払うための鞭はないし、進路を外れた敵はどうせ戻ってくるだろう。仲間をやられたことで怒り心頭に発し、復讐のために乗り込んでくるに違いない。ここは艦橋だ。アキが起動させた自動防衛機器が全滅した後で、腰にさしたブラスターの出番がやってくるだろう。

 かくして敵船二隻は、やや逸れた進路を再びアクトウェイに戻し、左右同時に接舷するコースを取った。満身創痍のアクトウェイは、残骸と空気を撒き散らしながら慣性で直進している。メインエンジンはまだ生きているが、これだけでは僅かしか回頭できないし、そんなことをしたところで機動性に富む海賊船は何の影響も出ないだろう。

「ここまでか」

 不意に、ポケットから携帯食料を取り出してかじる。昼食時に食堂でくすねたものだ。そのまま立ち上がって砲雷長席から船長席まで戻ると、座り慣れたシートにどっかりと座った。同時にアキが目の前に表示される。この船の女神は、こんな状況でもその美しさに傷一つついていなかった。

「船長」

「なんだ?」

「敵船が接近してきます。このままだと、あと五分で――」

 突然、アキは言葉を切った。沈黙したまま、どこか遠くを見つめるような目になる。それが、彼女が何か察知したり、演算している時の癖であることを、男は知っていた。

「どうした?」

「……未確認の船が接近してきます。敵船はそれを探知して回頭し始めました」

 その言葉に、男はしばしばと瞬きをして、それから残りの携帯食料を口の中に放り込んだ。何かは知らないが、どうやらまだ希望はあるらしい。くそったれなことに。

「映像を出せるか?」

「お待ちください……映像、出ます」

 目の前に現れた映像ホログラフは、およそ彼には予想外な光景だった。

 全てが黒く塗られた船が、複数のエネルギー砲塔を光り輝かせている。何度も発砲し、白熱するエネルギービームを撃ちまくりながら、進路をアクトウェイと海賊船団の間に固定して突き進んでくる。

 それはまるで、漆黒の宇宙に光る恒星のようであった。

 魅入られたような男の意識が戻る。ホログラフの画面に、船に向かって伸びていくいくつもの光条が映った。

「敵艦が、未確認船に発砲しています」

 アキが告げた。男は彼女の言葉が耳に入らないほど、黒い船に見入っている。船はアクトウェイの装甲を貫通した荷電粒子砲を難なくPSA装甲で弾き返すと、そのままの進路で突き進み、再び発砲した。

 四本のエネルギービームが、青白い軌跡を残しながら海賊船を粉砕する。例えるならば、バレンティア航宙軍の重巡洋艦に匹敵する火力である。巡視船を改造した程度の海賊船に耐えるだけの装甲が在るはずは無かった。エネルギービームは黒い船に比べれば余りにも貧弱な小さな艦体をこともなげに粉砕すると、黒い船は逃走に掛かるもう一隻の海賊船へプラズマ弾頭ミサイルを何発か放った。それらは別々の方向に展開して、凄まじい速度で海賊船のミサイル防衛システムの砲火を潜り抜け、着弾する。後に残ったのは塵と、薄く広がるプラズマの帯だけとなった。

 思い出したように、口の中の携帯食を嚥下する。それをしっかり飲み込んでから、男は言った。

「アキ、あの船の所属は?」

「わかりません、船長。全ての国家の艦船データベースにアクセスしていますが、該当無し」

 男はアキから再び視線をモニターに移すと、黒い船の接近ベクトルを注視した。後、三分もしないうちに船はアクトウェイの隣に停止するだろう。巨大な破壊力を誇るあの船に攻撃されては、ひとたまりもない。アクトウェイは海賊船以上に損傷が激しい。

 だがそれも、敵意があればの話だろう。

「アキ、左舷側のエアロックを何時でも使えるように。それと、俺の真空作業服も用意してくれ」

「了解、船長。どうなさるおつもりですか?」

「連中の面を拝みに行く」



 十分後、男はアクトウェイの振動が続く船体の外郭に立っていた。安物の真空作業服、その靴底に装着された磁力ブーツで外壁に張り付き、飛んでくるデブリはアキが残り少ない出力で形成したPSA装甲で防いでくれるので、彼は安心して外に出ることができた。そして、見上げるように頭上に聳える黒い物体を見る。今は地面がアクトウェイであるので、黒い船を見るには首を上に向けるしかない。

 記憶に無い形の船が、忙しくスラスターを吹かして徐々に接近してくる。まるで、夜空が落ちてくるかのような錯覚に囚われた。滑らかに近付いてくる、夜だ。

「未確認船、軌道を完全同調させて停止しました。相対速度、ゼロ」

 アキの声が、ヘルメットのヘッドフォンから流れてくる。それに応答するために、男はヘルメットの左側面のスイッチを手で押しながら答えた。

「了解した。相手方からの通信や、交信の意志は見受けられるか?」

「ありません。完全に沈黙しています。あらゆる手段で連絡を取ろうとしていますが、現在までのところ、何も応答はありません」

 男は足下のアクトウェイを見やり、次いで直上の黒い船を見上げた。

 中にまで入って来い、ということか。もうどうにてもなれという諦念が男を襲い、覚悟というほどでもない無気力感が体の隅々を満たした。

「仕方ない、これからあの船に乗り込む。どちらにしろ今のアクトウェイに留まるのは無理だ。どういうわけか警備隊も来ない。アキ、モニターよろしく」

「勿論です、船長。片時も目を離しません」

「ありがとう。よろしく頼むぞ」

 彼女が見ていてくれるなら安全だ。たとえ何も手を出せないとしても。彼も彼女も、ここであの船に乗り移れるのならば乗り移りたい。幼い頃から慣れ親しんだアクトウェイを放棄するのは残念だが、あの船はもう自立航行できないし、どう考えたって修復不可能だ。ならばこの船に乗って、安全な惑星の造船施設まで行き、新しく借金をして船を買うほか無い。誰か人が乗っていても近くの星まで連れて行ってもらうことはできるだろう。幸い、父の代から続いたアクトウェイの借金ローンは、先月までで返済し終わっている。

 意を決して、男は両膝を曲げ、伸ばした。ブーツの磁力を切って、軽く背中のイオンブースターを吹かしていく。背中を両手でそっと押されるような感触があり、間もなく彼の肉体はそれなりの速度で黒い船へと流れていった。

 近付けば近付くほど、黒い壁のような船の外壁が間近に迫ってきて、男は軽く身震いする。

 アキの話によれば、この船は全長一二〇〇メートル、全高二七〇メートルの大きさを持つ。軍用艦艇の中でも二番目に大きいとされる重巡洋艦と同程度の質量と大きさを誇るのだ。舳から艦腹までは流線型、後半部は動力系やエンジンとなっているらしい矢尻型をしている。損傷したセンサー類から鑑みて、正確な情報は乗ってみるまでわからないのだそうだ。

 まったく有り難い話である。閉鎖されたヘルメット内で、男は軽くため息をついた。

 数分間の宇宙遊泳の末、ようやく数百メートル離れた船の外壁へと着地する。この距離でも、宇宙空間ではほとんど接していると言っていい。静止しているように見えて、互いの速度は秒速三千キロほどだ。

 黒い船の外壁に何とか着地した彼は、今度はアクトウェイを見上げるような形で黒い外殻を歩き、ヘルメットバイザーのHUDに表示されている一番近くのエアロックまで向かった。開閉スイッチに跪いて手を伸ばすと、独りでに船のハッチがスライドして開く。

「まだ触れていないぞ」

 恐れと期待を込めた呟きが漏れる。とにかく中に入るために、身を翻して飛び込んだ。「地面」と立体映像で表示された床に磁力ブーツをつけると、ハッチ内の人工重力が作動して加圧される。エアロックは正常に彼を収容した。人工重力も作動し、男は普段と何ら変わらない状態で床にへこたれている。

「アキ、聞こえるか」

「はい、船長」

 AIは即答する。どうやら通信は遮断されていないようだ。

「今、船内に入った。エアロックの第一気密室にいる。外気は呼吸可能か判断できるか?」

「大丈夫です。人間の呼吸には何の支障もありません」

 それを聞いて、男はようやくヘルメットを脱ぐ。やや伸びた黒髪が汗で湿ってくしゃくしゃになっていた。それを手で整えると、意を決して目の前にあるハッチを開く。

 予想に反して、中は白かった。外見があんなに黒いのに、中がこんなにも綺麗で真っ白だと、拍子抜けするくらい驚いた。もっとも通路の中まで真っ黒だったら、それはそれで驚いていただろう。目に映るもの全てが黒い船なんて、考えただけでも落ち着かないし、宇宙船内は照明の光を最大限に活用するため、反射率の高い白色を内装に施すことが多いのである。

「船長」

「どうした?」

「この船のPSA装甲が僅かに出力低下して、内部のエネルギースキャンが可能になりました。先ほど軽く走査した結果、この船の艦橋の位置が判明しましたので、作業服に情報を転送します」

 彼は困惑する。どういうことだろうか。この船のPSA走行の出力が低下した?  しかし、この船はどう見ても……

「アキ、この船はどう考えても無人だ。おれの他に人間がいるとは思えない」

「なぜですか?」

「なぜってそりゃ……気配がしないんだ」

「それは、わたしには理解不能な概念ですね」

「確かに。おかしなことを言っているな、おれは。船内に何か生命活動を示す反応は?」

「ありません。PSA装甲で妨害されているというのもありますが、仮に人間が活動しているとしても静かすぎます。この規模の船体ならば、数百人規模の乗員がいておおかしくは無い筈です」

 こんな時、銃の一丁でもあれば。ブラスターでもあればいのだが、なんて思ったところに、アキの声が響いた。

「こんなこともあろうかと、作業服の右ホルダーにブラスターを忍ばせておきました」

 感謝のあまり、男は軽く胸の前で十字を切ってみせる。このAIには、飛び切りのシミュレーションソフトを買ってやろう。

「ありがとう、アキ。帰ったらキスしてやる」

「恐縮です、船長」

 妙に上ずった声でアキは答えた。長年人間と接してきた人工知能は、その行動パターンを学習してより人間らしくなっていくという。彼女もその例に漏れず、とても人間くさい反応をするようになったようだ。海賊船に追いかけられることで、人間らしい感情が芽生えたのかと思われる。

 ヘルメットをうなじのラックに引っ掛けて歩き出す。右手は常にブラスターを握りしめている。安全装置セイフティは外した状態だ。いつでも発砲できる構えである。

「さて、凶と出るか吉と出るか……」

 作業服の硬い靴底が、船の通路の床に当たって、無機質な音が響く。船は、確認するようだが、間違いなく無人だった。わざわざ海賊船を撃沈してアクトウェイと男を救って接舷までしておいて、出迎えをしないほうがおかしい。何よりここまで大きな船で、内部へと踏み込んで人がいないのもあり得ないことだった。無人船は航宙法で用いることが禁じられている類のものだ。暴走した場合には鎮圧するために軍を出動させなければならないためである。

 静寂で満たされた船内とは対照的に、懸念は助長されていく。無人状態とは矛盾するように船は手入れが行き届いており、ぴかぴかに磨かれた通路の隅には埃ひとつ無く、汗まみれで歩いている自分のほうが場違いに思えてくる程であった。

「道がわからん」

 当然と言えば当然のことに、十分歩いてようやく思い至った。当ても無く艦内を歩き続けたものの、一行に艦橋らしき場所に辿り着く気配は無く、ただドアの列を横目に見ながら通路を行き来しただけだった。

「どうしたもんか……」

 その時、音が響いた。後ろから重々しく響いたそれにホルスターにささっているブラスターを抜き、振り返って構える。だが、それも杞憂だった。

 音の正体は閉じた隔壁で、船のあちこちに設置された密閉シャッターが次々と下りてくるのだ。少しだけ不安を感じたが、その後の光景に対する驚きで掻き消えた。目の前にあった十字路が、隔壁で閉じられて一本道になっている。

「これは……」

 選択肢は無いようだ、と首を振る。再び、この船の通路を歩き始めながら、ホルスターへとブラスターを戻した。

 懸念はあきらめに変わりつつあった。




 へとへとに疲れ切った体を引きずって、彼はようやく表れた大きなハッチの前で立ち止まった。隔壁で閉鎖された通路はほとんど一本道で、さほど苦労することなく艦橋へと辿り着くことができた。途中、食堂やブリーフィングルームらしき部屋の前を通り過ぎて、この船が以下に巨大かを痛感させられてきたところでもある。それらの部屋の大きさから見ても、この船には本来、大勢の人間が乗り込んでいるものらしいことがわかった。無論、ここまで歩いてくる間に人の気配を感じたことはない。

「アキ」

「はい、船長」

 AIの声は、どんな状況でも落ち着いて聞こえた。それが、意図的に相手を安心させるためなのかどうかはわからない。

「おれが今現在、立っている位置はわかるか」

「わかりません。流石にそこまで深部ともなると、PSA装甲や他様々な影響で細かい位置の判別は不可能です」

「でも、通信はできているじゃないか」

「恐らく、その船の船内無線ネットワークへとわたしの通信波がそっくりそのまま転送されているものと思われます。本来なら、宇宙線を遮断する外殻から内部へと電気信号は送れない筈ですから」

 成る程。ということは、ここは確かに最深部。船の中で二番目に重要な艦橋であることは、ほぼ間違い無さそうだ。なお、一番目は言うまでもなくパワーコアのある機関室である。

「アキ、いま俺は艦橋らしき部屋の前にいる。ひときわ分厚いハッチだ。これから中に入ろうと思う」

「了解です。お気をつけて、船長」

 通信を切る。念のため、ホルスターからブラスターを抜いて構えを取る。もっとも、民間船に設置されているレベルの艦橋保安システム相手にしても、何の変哲もない装甲服を身にまとった生身の人間が立ち向かえる可能性は万に一つも無い。それでも、億が一のために生き残るための努力はしておきたかった。

 さあ、いくぞ。

 ハッチの開閉パネルに触れる。ロックは掛けられていなかった。簡素なパネルを操作すると、空気の抜ける音と共にドアが開き、その向こう側の景色が露わになった。

 この船の全長は一二〇〇メートルある。通常、そのクラスの船を動かすためのブリッジは会議室二個分くらいの大きさになるのが常だ。座席はいたるところにちりばめられ、機関、管制、砲雷などの各セクションにまたがって人員が配置され、中枢AIによってある程度処理された情報を元に船を動かす。

 だが、この船は違う。どこからどう見ても、座席は八つしかない。小ぢんまりとした室内には、上部を露出した半球形状に高解像度ディスプレイが設置され、宇宙空間を壁が透けたように映し出している。光量は調整されて艦橋そのものはとても明るいのだが、本来は真っ暗に見える筈の宇宙空間は映像が調整され、満点に輝く星の海が見て取れた。ここでも人はいない無人状態であるのだが、ひとつだけ動きのある座席へと男は目を走らせる。真ん中の船長席らしい、一段高いところにある座席のコンソールユニットが点滅し、座席の立体映像投影装置からホログラフがいくつか立ち上がっていた。

「やはり無人か」

 呟いて、ブラスターを収める。足音を響かせながらとりあえず船長席まで移動すると、表示されているホログラフを覗き込んだ。そこにはワイプで、「welcome,sir」と表示されていた。

「ようこそ、ねぇ?」

 そのまま視線を右にずらすと、男の接近を感知したのか、コンソールから何かがせり上がって来た。突然のことだったのでぎょっとしたが、すぐに無害だとわかると思わずまじまじと見つめてしまう。

 生体認証ユニットだ。よく、ステーションの保安区画などに出入りする時にやらされる。煙草の箱ぐらいのサイズの白い物体で、表面に黒いくぼみがある。大昔から使われている静脈認証装置で、同時に生態スキャニングで遺伝子走査も済ませる優れものだ。今の時代、様々なことの誤魔化しが利くようになり、信用できるのは自分の遺伝子と頭の中だけに存在するパスワードくらいのものとなっていた。技術の進歩は様々な情報、物品の価値を低下させようとあらゆる試みを続けているが、最終的にそれら悪意ある工作を押しとどめているのは人間そのものなのである。

 男は立ち尽くしたまま口を開いた。

「アキ、いいか」

「何でしょう、船長」再びつなげた通信の向こう側でAIが答えた。

「いま艦橋にいる。ここは無人だが、船長席と思われる椅子のコンソールユニットから生態認証をするように勧められている。どうやら誰何されるみたいだ。どうすればいいと思う?」

 半ば自暴自棄な問いかけに返ってきたのは、しばしの沈黙であった。

「……やるべきです、船長」

 自分と同じ結論を出したAIが、きっと今は複雑な表情をしているだろうなと想像して、男は天を仰ぎ見た。

「だよな。ここでやらなきゃ、今はどうにもならん。無いに等しい携帯食料を食いつないで餓死するのを待つだけだ」

「ええ。とにかく結果がわかったら教えてください。私は待っていますから」

 思わずどきりとして、慌てて通信回線を切る。たかがAI、と心を落ち着けてから、必死に首を振って様々な雑意を振り払うと、深呼吸をしてから装置に指を書ける。

 数秒の間で、機械は男の認証を済ませると、艦内に大きなエンジン音が響き、やがて静かになった。

 溜息をついて、再び通信回線を開く。

「アキ。認証が終わった。今、コンソールに……『船長の認証作業完了』と表示された」

「了解しました。おめでとうございます、と言うべきでしょうか?」

「ああ。例え不気味な船でも、おれは新しく船を手に入れたんだからな」

 心の底から安心してへたり込みそうな体を支えていると、くすくすとイヤホンの向こう側で笑い声が聞こえる。それで難局を乗りきった後の疲労で眩暈を起こしかけたが、何とか自分を保って押さえつけた。そのまま船長席に座ってコンソールを叩くと、ある改善策を思いつく。

「船長?」

「アキ、お前を別の船の中枢システムに移殖するのにどれくらいの時間がかかる?」

 しばらくの演算の後、ソプラノの声が響いた。

「移るだけでしたら、私のコア・ユニットをそちらに設置するだけで事足りますが――」

「この船、中枢システムに擬似人格AIが設定されていない状態だ。先ほどから無言なのはそのせいで、軍用艦艇と同じような管制AI、それも最低限のものしか働いていないようなんだ。指揮を執る中枢が無いんだよ。各関数が独立して船が保持されている」

 しかしそれもおかしい。今の航宙規定では、AI無しの船は航行中に事故を起こす可能性が高いとして、見つかっただけで膨大な罰則金を支払わなければならない。見たところ軍用ではないだろうし、商船ならば多大な罰則金よりも便利なAI搭載の道を選ぶ。考えるまでも無いことだ。たとえ先ほどの海賊船であっても、廃棄品をかき集めてでもAIを搭載するのだが、この船は違う。そんな船に乗っているのを想像するだけで身の毛が弥立つが、そうしなければ、ここで残った食料を食いつないでいくしかない。沈んだ船と運命を共にするのは悪くは無いが、特に華々しくも無い散り際は彼の望む所ではなかった。

「なんともね。日ごろから善行を重ねたつもりだが、どうも星々から見放されたらしい」

 人生とは、どうも上手くいかないように設定されているみたいだ。自分にとって都合の悪いことばかり覚えているからそう感じるのだと誰かに言われた気もするが、この時ばかりは痛感する。

「アキ、君のコアプログラムをこの船に移す間におれは――」

「船長はお休みください。作業ポッドは、幸いいくつか残っています。それを使えば私だけでも作業を終えることは可能です」

 しょぼついた目を宇宙服のグローブ越しにこすりながら、彼は頷いた。

「わかった。よろしく頼む」

「ええ、おまかせください」

 返事をする間もなく、男は船長席の慣れない座席の中で眠りに付く。暗くなる意識の中で、夢も宇宙も同じ色なのだと気付いた。

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