透明な点景
蒼い雨が、とくとくと、降り続ける。
黒い霧が、空を焦がし、プシケの扉を切断する。
ビロードの洋服を脱いで、禁断の冠をかぶる少女は、
ひとり黒い湖水の中に沈んでいく。
さらりと絹の髪だけが濡れず、月光を反射して漂う。
脆弱な蹠にガラスが刺さり、真紅の血液が滴り落ちた。
それはまるで遺言状を破り捨てる葬儀屋の落涙、もしくはヘテロセクサリズムの象徴であった。
どうして彼女は茫々たる宇宙に身を投げた?
星団の祈り。ミルク色のフレア。水面の原子。幾億ものクオーク。
遠回りをしてまで入水した彼女は決して壊れてなどいない。
ただ、擬装していただけなのだ。心を凍結していただけなのだ。
澄んだ湖底はまるでたったいま生まれたばかりの深宇宙のようだ。
魚たちは彼女を憐れみ、小波が幼い彼女の身体を運ぶ。
水圧の天蓋。半透明のほのお。柔らかな膜。メルト・ダウン。
酸素に漏洩する強がりと、水素に接着する虚勢が彼女の仮面をめくっていく。
繭が破れるように、鎧がはがれるように。
胸の苦しさも喉の窒息ももう感じることはない。
くるくると回るクラゲのように、快い痙攣のように完全な自由を持っている。
水底から眺める北斗七星は光の屈折によって歪曲し、幾重に形が重複しているのだが、
それは同時に幻影的で愛のレトリックの似ていた。
清浄な緑色に包まれたその肉体は言い換えればその短い人生を終わらせるには適切な状態だった。
しかし、精神はそうではないのだ。この絶景を記憶しようと、耳鳴りと盲いた視界を無視して、
脳に直接詰め込もうとする少女。
夜光雲。心の底から尊厳やパロディが抜けていくのを感じた。
彼女は水音の深淵で嫌いな歌を歌う。
亡びが大きく揺らぎ、光の幕が混ざり合って――結晶。
もう、そろそろ、終焉が近付いている。優しいラストダンスが。
オーロラが踊り、巨岩が舞う。失うときは流れの果て、不安は溶けた。
身に何も着けていないその白い肌から膿を絞り出す。
呼吸もできない状況で欺瞞も嘘も闇に捨てた
不必要な筋肉。拡散する意識。ぬばたまの真黒。デカダンスの澱み。
無音。それはまぎれもなく、精神の消滅した世界。夢に近い。
ほんとうは死ぬことは怖かったのかもしれない。まだ生きたかったのかもしれない。
けれど彼女は臨終の間際に一つの感情を認識した。それは「××××」だった。
まもなくして生理機能の低下と遊び疲れた子どもの数ガロンの麻痺が訪れる。
少女は安心して眠るように溺死した。笑顔だった。幸せそうだった。
――満月が湖面を照らしても彼女の姿はどこにも見当たらない。もう、何もない。