交流(1)
通学路。見知らぬ制服を着ていると、注目を浴びる。
新しい制服は、まだ届いていない。
少なくとも後一週間は都会の学校の制服でいなくてはいけない。
別に注目されるのが嫌な訳ではない。
街に出掛けては、音に当てられて道ばたでうずくまる事もあった僕は、もうすでに奇異の目で見られる事に慣れている。
問題は、話題のネタを作っている事によって喧噪が増す事だ。
大勢の声が一斉に、僕を撃つ。気持ちが悪い。
それでも、やはり田舎に来た事は正解だったかも知れない。
人が少なく車が少ない分、一定以上に騒がしくなる事はないから。
これが都会だったら既に嘔吐しているだろう。
このくらいなら、我慢も立つ。
僕がそう思っていると、背後から凄まじく甲高い声が聞こえてきた。
「せやからな。やっぱウチとしてはチョッパーとしてベースやりたいんやって!ピックより指の方が心に響くんや!」
聞き覚えがある。この声は、昨日の少女の声だ。
「ってかお前、マジでベースやるつもりか?ベースはかなり力がいるんやで?」
「だってぇ、ギターてなんか軟派な感じせぇへん?やっぱ硬派なベースがやりたいで」
「せやったら、ギターベースにすりゃええんとちゃう?あれやったら女の細腕でも弾けるし」
「アカン。アカンわ兄貴。全く分かってへんな」
騒がしい関西弁の二人組は、僕の横を通り過ぎていく。
少しだけ、気分が悪くなってきた。
「モモちゃん、張り切ってますね」
「まぁ、学祭も近いしな。やる気になるのはいい事だ」
さらにその後ろにいた、メガネの少女と大男が通り過ぎていく。
やはり、昨日の四人組の様だ。茶髪ウルフにボブ、田舎ヤンキーにポニーテール。
「……何なんだ、アイツら?」
誰にでもなく、僕は呟く。
教室は、朝の賑わいを見せていた。
飛び交う声と音。
僕は僕専用の精神安定剤を取り出し、耳に当てて再生する。
今日は気分的に、ショパンの『華麗なる大円舞曲』にした。
軽快な音が、僕の身体に浸透していく。
やはり音楽は落ち着く。音を楽しむとは、先人もよく言ったものだ。
世界に満ちた色褪せた雑音とは違い、世界を彩る音楽。
これがなければ、僕はきっと生きていけない。
席に座り、鞄を掛ける。
何気なく窓の外を見てみると、先日の少女が校門をくぐっている姿が見えた。
名前も知らない少女は、一人でいた。
当然だ。昨日、少しだけ話して分かった事だが、彼女は常に人を寄せ付けないオーラを発していた。
まぁ、僕には関係のない事だが。
HRの後、凪先生に昨日のサボりについて軽く叱られた僕は、授業に励んでいた。
前にいた学校より学習内容が少し遅れていたので、余裕を持つ事を覚え、僕は斜め前の席に目をやる。
腰まである長い黒髪の少女は、全く微動していない。
真面目に板書している訳ではないらしい。
「(……なぁ、オイ。転校生)」
何もせずに惚けていると、隣からシャーペンで肩をつつかれた。
振り向くと、僕の隣の席に座っている男子生徒は、間違いなく今朝の男。
「(転校初日にサボるたぁなかなかやるな。何してたんや?)」
なれなれしい男である。
とは言え、訊ねられたからには答えなくてはいけない。
僕は教師に視線を移し、熱心に黒板に古語を書き込んでいる事を確認し、隣の男に向き直る。
「(気分悪かったから、屋上で休んでた)」
「(屋上?って事はアレか。春日部も一緒やったんちゃう?)」
「(春日部?)」
「(俺の2つ前の席の女。なっがい黒髪が幽霊みたいな)」
このウルフヘッドの話によると、黒髪の少女の名前は春日部 奈緒と言い、いつも一人で屋上に佇んでいるんだとか。
「(……ってか、今更だけどアンタ誰?)」
「(あ?自己紹介してへんかったか?)」
してない。
「(俺は轟 祐一。部活は軽音してん)」
「(軽音か……)」
そう言えば、昨日はピックを口にくわえていた気がするし、今朝は妹らしき人物とベースについて話していた。
「(妹とかいる?)」
「(おう。おるで。ここの一年で李言うてな、生意気やけどそこがまた可愛いんや)」
写真見るか、と祐一は定期を出してきたが、僕は丁重に断る。
常に写真を持ち歩くとか……どんな妹溺愛主義かと問いたい。
そうこうしている内に、授業終了の鐘が鳴る。
「いやぁ、終わった終わった。今日も一日ご苦労さんって自ら褒め讃えたいわ〜」
「まだ一限が終わっただけだけどな」
背伸びをする祐一に、僕は呟く。すると祐一が、
「アカン!人のノリツッコミを殺したらアカンで自分!」
何故かキレてきた。
あまりの急事態に呆然とする僕だが、祐一は続ける。
「今んトコは、俺がノリツッコミする筈だったんやで!?それをまァあんなヌルいツッコミで殺されたら、俺は死んでも死にきれへんっちゅうに!」
「いや……死ぬなよ」
「だから殺すな言うとるやんけ!またノリツッコミ潰しやがって!自分、笑いなめとらへん!?そんなんじゃ登竜門はくぐれへんぞ!!」
祐一の叫びに、気付けば周囲が拍手をし始めた。
彼らの目はまるで漫才を見ている客の様で、僕は凄まじく逃げ出したい。
「ええか!?自分にはこれから俺がつきっきりで笑いの何たるかを教えてやる!俺について来いや!」
「……ってか、どうして僕がこんな事態に巻き込まれて」
いや本当に。本気で事態がよく分からない。
困惑しまくる僕に構わず、祐一の暴走は更に拍車かかる。
「見ときいや皆の衆!俺はこれから一ノ瀬を立派な芸人にしてみせるさかい!」
その言葉で、教室中が沸く。事態が大事になっていく。
(何なんだ、コイツは……どうにか話を収めないと……)
と、そこまで考えてふと思う。
(ノリツッコミを潰されただけなのにこの大がかりな展開……待てよ。
これはボケか?どうでもいい事で盛り上がるというタイプのボケなのか?)
だとすれば、生半可なツッコミでは抑えきれない。
この場合、『別にお笑い狙ってないし』か?いや、こんな中途半端ではこのボケを殺してしまう。
また祐一が騒ぎだす。それだけは何とかして避けねばなるまい。
「……て言うか、ボケるなら普通にボケろよ」
「あ、分かってたん?いやぁ良かったわ止めてくれて。このまんまじゃ収集つかんトコやったし」
ニヘラ、と祐一が笑う。何とか事態が鎮まった様だ、僕は胸を撫で下ろす。
クラスを見渡してみると、笑ってる人とよく分かっていない人が半々いる。
あそこまで高度なボケならこの結果も仕方ないだろう。
「……っつーか、分かりづらすぎる」
すでに周りの友人達と和気藹々と話し込んでいる祐一は、僕の呟きを聞いてはいなかった。
四限目も終わり、全校が一斉に昼休みムードに切り替わる。
机を合わせて弁当箱を取り出す生徒、談笑しながら教室を出ていく生徒。
祐一は後者なのか、鞄から財布を取り出して立ち上がる。
「ほな、行こか」
「は?僕?」
「他に誰がおるん?俺、部室で食うんや。一ノ瀬も来ぃや」
……本当になれなれしい奴である。
「いや、僕はいいよ。……騒がしいの苦手だから、屋上で食べるよ」
誰も来ない場所という事は昨日確認した。
まぁ、若干一名いはしたが、無口な奴だから別に気にならない。うるさくなければそれでいい。
「……だから、僕は遠慮するよ。部活の人を誘い……轟。何だその面は?」
見れば、祐一は顔をひきつらせて身を強ばらせている。
「寒ッ!寒い!何や今の!?澄まし顔で『騒がしいの、苦手だから……』うっわぁ寒!天然や天然!!」
「……何だよそれ。意味分かんないんだけど」
反応の意味も『寒ッ』の意味も全く理解できない僕としては、そろそろコイツのテンションに引く頃かなと心底思う。
「まぁそれはともかく、ええやんええやん。たまには騒ぐのも楽しいで」
「だから嫌だって言ってるだろ!?」
「あ、それともアレか〜。『春日部と一緒にご飯食べたいの〜』って事か〜」
「違う!」
「こりゃ失敬失敬。ほなら俺は消えたるわ。気ぃ遣わせてすまんかったなぁ」
ケラケラと笑いながら、祐一は去ろうとする。
果たして、奴に誤解を与えたまま野放しにしていていいのだろうか。
一限終了時のクラスを見る限り、奴はかなりのムードメーカーで、かなり人望がある。
しかもやたら軽薄な印象もある。
誤解を広めてそのまま真実にしてしまいそうな風潮すらある。
だが嘘と発覚した時、後でガッカリさせるのは僕になるだろう。
しかも春日部 奈緒はただのとばっちりだ。
……これは何か?転校生イジメって奴か?
僕は祐一の肩を掴み、無理矢理振り返らせる。
「……僕も行く」
そう答えた時に見た、祐一の満面の笑顔が網膜に焼き付いた。