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焦燥(2)

今は何限目だろうか。そろそろ空腹が強くなってきた。

「……なぁ、アンタ。学食ってドコ?」

音楽を止め、僕は五メートル隣で直立不動している少女に尋ねる。

「……本校舎の一階の端。ここから見える……あそこ」

少女が指さす先を見てみる。

この高校の校舎はLHという形をしていて、上の方に校門がある。

五年前に新設したL字をしている新校舎とH字をしている旧校舎という構成らしく、一年と二年は旧校舎を使用していて、三年は受験勉強の為に新校舎に隔離していると凪から簡単に説明してもらった。

少女が指した先は、新校舎のLの短い部分に当たる箇所だ。

「一つ質問なんだが、あそこが学食だとしたら新校舎だろ。あの新校舎が作られる前はどうしてたんだ?」

「……六年前は、学食はなかったって……話を聞いた」

「ウゲっ、マジかよ。学食ない高校なんてあんのかよ……」

これはこれで、ある意味で驚愕の事実だ。

僕は立ち上がり、尻に付いた埃を適当に叩き屋上を後にした。









「ホラ」

買ってきたパンの中から焼そばパンとあんパンとパックの牛乳を少女に渡す。

不可思議と言わんばかりに少女が首を捻る。

「何か食っとかないと身体壊すぞ」

僕はさっきと同じ場所に座り、カツサンドを取り出す。

幸いにもまだ四限目の途中で、人は全くいなかった。

購買のオバチャン連中もいなかったから、パンを拝借してその分のお金を置いてきた。

盗んだ訳ではない。かなり強引だが、一応合法だ。

「あの……」

少女が呟く。風向きがいいお陰で、さっきよりは聞こえやすい。

「ん?あ、弁当派だったりすんのか?」

「いえ……そうじゃなく、て……お金を……」

「あ、貰ってなかったなそう言えば。えっと……確か三二〇円だ」

少女はスカートのポケットから財布を取り出し、小銭入れから三二〇円を探す。

「……ない」

なかったらしい。

「……先に言っとくが、六八〇円なんて中途半端な額はないぞ」

今まさにお札を取り出そうとしていた少女の手が止まる。

しかもよく見てみると、〇が一つ多い。九六八〇円なんて尚更ない。

「……どうしましょう」

イントネーションに疑問符がついている様には聞こえない少女の声。

「いいよ、奢るよ」

カツサンドを噛み千切り、咀嚼しながら答える。

「いいから気にせずに食え。貸しだとか言わないから」

僕がそう言うと、少女は膝をつき三つ指をつき、深く土下座をした。

「この御恩は生涯、忘れません……」

「……どんだけオーバーなんだアンタ?」

しばらく土下座した状態で硬直していた少女は普通に座り直し、焼そばパンの包みを開け、小さく食いつく。

引っ張り、ズルズルと焼そば部分が抜け出てくる。

「……モクモク」

その全てを口に含んだ少女は、何とか咀嚼を繰り返す。

「……焼そばが殆どなくなったぞ。一口で」

五メートル先に座るの少女の手元には『焼そばソースが付着した背割れコッペパン』が残っていた。









昼食も終了し、僕らは全く話さなくなった。

少女は景色を眺め、

僕は音楽を聴く。

元々、僕らは話す為にここに来た訳ではない。

今はそれぞれの目的に戻った、ただそれだけだ。

やがて、陽が下り始め、空気の色が変わっていく。

下が騒がしい。見下ろしてみると、鞄を持った生徒達が続々と帰宅を始めていた。

(放課後、か……)

結局。転入初日を全てサボった事になる。流石にマズいかも……とも思われたが、今更気にする事もない。

僕は腰を上げ、少女の後ろを通り、屋上の錆び付いた扉を開く。

去り際、少女を振り返ると相変わらず、呆けた様子で下を眺めている。

昼間は暖かいというかやけに暑かった屋上だが、夕方は少し肌寒い。だが少女は気にした様子もない。

僕は一瞥しただけで、何も言わずに屋上を後にした。









これは少し計算外な結果だ。教室がどこだか分からない。

よくよく考えてみると、意識混濁した状態で歩いていたのだから、当然と言えば当然かも知れない。

特にこの学校はやたらと複雑な構造になっているので、尚更だ。

「……あれ?マジでここ何処だ?」

見た事がある景色なのかそうじゃないのかまるで分からない。

まさか高二になってまで迷子になるとは思ってなかった。

凪に会いませんようにと祈りながら、僕が校舎を歩いていると、

「アンプなしじゃベースつまらんて」

「しゃあないやろ。見いや、テルかて練習用ドラムで頑張っとるんや。文句言わんと手ぇ動かしいや」

声が聞こえてきた。

それと同時に、叩きつける様な弦の音。不満に満ちたベース音が、僕の耳を震わす。

気持ちが悪い。

頭痛さえしてくる。

騒がしい訳ではない、むしろ放課後の静寂にこんな気分になったのは初めてだ。だけど、どうして……?

「って兄貴。どこ行こうとしてん!?」

「便所や便所。すぐ戻たるから待っときや」

近くの教室の引き戸が開き、中から茶髪のウルフヘッドの男が出てきた。

口にピックをくわえた男は鼻歌を口ずさみながら、僕の脇を通り過ぎていく。

その雑な旋律が僕の心を益々かき乱す。吐き気が一層高まる。

「ん?どないしました、お兄さん?」

男を見送る少女は、僕を見て小首を傾げる。

「うっわ、顔色わるぅ!真っ青やん!ちょ、カガミン!ちょっと来てぇや!緊急事態発生、緊急事態発生!」

背中をさすりながら、少女は関西弁(なのか?)で叫ぶ。

耳元で喚かれる事により、更に僕の吐き気が増す。

「なぁに、モモちゃん。そんな大声出して」

「どうかしたのか?」

少女が出てきた教室から、また誰か出てきた。メガネの少女と大男である。

「このお兄さん今にも死にそうやわ!助けたってや!」

「……勝手に、殺すな」

こみ上げる吐き気を鎮め、僕は少女の腕を振り払う。

MDの音楽を再生し、イヤホンを耳にあてがえばいつもの精神安定剤(トランキライザー)が出来上がりだ。

「大丈夫ですか?」

メガネの少女が呟く。不思議と気分が落ち着いてくる。

僕は三人の間をすり抜け、一言も言葉を発しないまま、その場を後にした。









なんとか教室に辿り着き、鞄を発見して事なき事を得た僕は、自宅であるマンションに帰ってきていた。

一昨日越してきたばかりで家財の殆どが段ボールに納められたままの、何もない部屋。

ベッドと机とテーブルが置いてあるだけだ。

僕は制服のまま、ベッドに倒れ込む。

田舎に越しただけあり、車の音はしない。完璧な静寂が心地よい。

ポケットに入れっぱなしだった、ケータイの着メロが静寂を破壊し、僕はケータイを取り出して通話ボタンを押す。

『やあ、理吾。転校初日、どうだった?』

聞こえてくる穏やかな声は、一つ上の兄・詩吾(シア)のものだ。

「詩吾か。別に。いつも通りだったよ」

『いつも通りって事は、気分が悪くなったって事か?』

「……いつも通りだよ」

心配げな詩吾の言葉は、いつも僕に嫌悪感を与える。話せば話す程、鬱になる。

『……都会(こっち)に戻るつもりはないのか?』

一拍置いて、詩吾が切り出してきた。

田舎(こっち)での状況なんて初めからどうでもよくて、本当はこれが聞きたかったのだろう。

『父さんも母さんも、お前が知らない土地で一人暮らしをする事を心配してる。今すぐとは言わないが、せめて高校を卒業した時、都会(こっち)の大学に来ると知れば、あの人達も心配せずに――』

「戻るつもりは更々ないよ、詩吾」

僕は詩吾の言葉を遮り、切り返す。

「もう一度言う。戻るつもりはない。僕は田舎(ここ)に死ぬまでいる。絶対に都会(そっち)には帰らない」

『理吾!』

「大声出すなよ、詩吾。耳に響く。……大体、あの両親が僕の心配?バッカじゃねぇの?原因不明で具合を悪くする、手の掛かる子供の心配をする筈がないだろ。……ダメなんだよ、都会(そっち)じゃ。都会(そっち)には音が洪水みたいに溢れてて、吐きそうになる」

『だから、その病気を解明する為にも進んだ医学は必要だ。田舎(そっち)じゃ、持病は一生治らないかも知れないじゃないか』

「詩吾。やっぱ僕は、アンタが嫌いだ」

通話を切り、ケータイの電源を落として放り投げる。

再びの静寂。

この世に音なんかいらない。全てが無音であれば、僕がこんなに苦しむ事はない。

詩吾は持病と言ったが、僕のこれはそんな物じゃない。そんな物じゃない筈だ。

「……苛々する」

心底から僕の心配をしているんだと分かる、詩吾の声。

それが非道く苛々する。喉をかきむしりたくなる様な嫌悪感。

今年大学を受験する優秀な兄と、原因不明で手の掛かる弟。

親がどちらを気にかけているか、子供心ながらに分かる。

分かるから尚、苛々する。

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