焦燥(1)
転校初日というのは、慣れない。
僕は廊下で待たされ、これから担任となる先生は、僕の新たな学び所となる教室へ入って行った。
「聞けぇい皆の衆。今日は急な転入生を紹介してやろう!」
うぉォォオオオ!!
中から、とんでもない雄叫びが轟く。
そんなマンガみたいな事を平気でやるクラスメイト達と、僕は共に過ごすのか……?
「ちなみに男だ」
シィ…………ン。
静けさを取り戻す教室。
(……悪かったな、男で)
ここまで極端だと怒る気も起きない。
僕がため息を吐くと、教室の引き戸が開き女の先生が顔をヒョコリと覗かせた。
強気そうな切れ長の双眸。
鼻立ちは良く、口元は凛と引き締まっている。
化粧っ気はまったくない、しかしそれでも綺麗と呼べる先生だ。
色気は皆無で、男女共に人気がありそうな印象を受ける。スーツの上に白衣を着ている。
「入って来な。紹介するからさ」
促されるままに、僕は教室に入った。
キャアキャア!と女生徒が甲高い声を挙げ、僕は思わず顔をしかめた。
「はいどーぞ」
「……一ノ瀬 理吾です。これから、よろしくお願いします」
簡単に自己紹介を済まし、僕は適当に頭を下げる。また女生徒らが甲高く騒ぐ。
うるさい。
「ほら、静かにしろ」
先生の一喝でクラスはシンと静まる。余程の人望がないとなせないだろう。
「あたしはこのクラスを担任してる凪 結城。ちなみに古典教師。この白衣を着ている理由は格好いいから。何か質問はあるかい?」
「いえ、ありません……」
僕は首を振る。破天荒そうな女教師・凪は『そうか』と呟く。
「良かったな一ノ瀬。窓際の最後尾が君の席だ」
見ると、そこには誰も座っていない。
僕はまだ新調していない鞄を肩に担ぎ、その席まで歩む。
「あ……」
と、床にシャーペンが落ちている事に気付き、僕は屈んでそれを拾う。
「落とし物……」
可愛らしくデフォルメされた、シロクマやらペンギンやらアザラシがプリントされたブルーのシャーペン。明らかに男子の持ち物ではないだろう。
「えっと……君の?」
急に立ち止まった事により、周囲からの奇異の視線が強くなり、居たたまれなくなった僕は誤魔化す為にすぐ隣の女子にシャーペンを差し出した。
艶やかな長い黒髪は腰まであり、そそ漆黒の瞳に光の灯ってない、少女。
その女子はゆっくりと顔を上げ、僕を見つめ、シャーペンを見つめ、呟く。
「……ありがとう」
シャーペンを受け取った女子は再び僕から視線を逸らし、俯いた。と思ったら、本を読んでいた。
「ナンパが終わったら席に着けぇ、一ノ瀬。こっちゃ時間押してんだからよ」
ドッ、と教室中に笑い声が湧き上がり、僕は俯く。
「す、すいません……」
視線から逃げる様に、僕はそそくさと一番後ろの席に座る。
「ンじゃ、HRはこれにて終了。一限目の準備をしろぃ野郎共〜」
「私達女の子で〜っす」
凪の言葉にクラスの女生徒が軽口を返す。途端に盛り上がる教室。
あ。
また、だ。
うるさい雑音。
気分が悪い。
やめろ。
やめろ。
騒ぐな。
吐き気がする。
僕に、
そんな汚い音を押し付けるな。
うるさいんだよ。
僕はこの洪水から逃げる様に、重い足を引きずって教室を後にした。
一瞬だけ教室を振り返ってみると、
長い黒髪の女生徒の姿はなかった。
適当に校舎を歩き回り、上へ昇っていく。
ケータイで時刻を確認してみると、すでに一限目が始まっている。
まさか転校した日にサボるとは、自分でも驚いた。
だけど……ダメなんだ、五月蠅いのは。どうしても気分が悪くなる。
最上階の階段を昇ると、頑丈そうな扉があった。
ゴツい南京錠は外されていて、鍵は開いている様だ。
ギギギギギギギ……。
重厚な扉を開け、屋上へと足を踏み出す。
初秋とは言え、陽の照りつける屋上は少し暑い。
フェンスに腰掛け、制服のポケットに仕舞っていたMDを取り出し、イヤホンを耳に装着する。
雑音はこれで聞こえない。整った旋律だけが僕の心を癒してくれる。
チャイコフスキーの交響曲第6番ロ短調『悲愴(Pathetique)』。
落ち着く。冷たい水に身体を沈めた様に、静かで、綺麗な旋律の音。
クラシックが好きな僕は、特にこの曲が好きだった。
痛みも気持ち悪さも悲しみも苦しみも消してくれる、この曲が。
静かな空間に、僕一人。
僕が幸福に浸っていると、不意に屋上の扉が開かれた。
(やべっ、サボってるのがバレた!?)
急いで立ち上がる。
屋上の扉が閉じられた時、そこには一人の少女が佇んでいた。
シャーペンの持ち主の少女。
漆黒の双眸は僕を見つめ、口が微かに動く。
何か言った様だが、イヤホンを通じて聞こえる音楽で聞こえない。僕はイヤホンを外し、訊ねる。
「ごめんっ。何だって?」
「……そこ」
視線は完全に僕に向いているのだが、今度は僕の足下を指さしながら呟く。
いや、この場合は僕が立っている場所か。
「あ、ここ?どけって?」
コクン、と震える様に頷く少女。
(……もしかしたら、ここは彼女の特等席なのかも知れないな。
そりゃ自分のお気に入りの場所に他人がいたらイヤだろう)
イヤホンを再び耳に装着し、僕はその場所から五メートル離れて座る。
少女はフェンスに手をかけて立ったまま、ぼーっと景色を見下ろしていた。
何をするでもなく、僕らは屋上にいた。何度もチャイムが鳴っても、ずっと。
長い黒髪の少女は立ったまま景色を眺め、僕はフェンスを背もたれに座り音楽を聴く。
特に何をする訳でもない――――。