『弱った猫を拾ったら神獣だったんだけど、なぜか私にだけデレデレです』
その日、薬師のアリアは森で人生最大の拾い物をした。
「……猫?」
雨上がりの森。
薬草を探していたアリアの耳に、か細い鳴き声が届いた。
「にゃ……」
木の根元を覗くと、そこには白い猫がいた。
毛は泥だらけ。
前足には傷。
身体はびしょ濡れ。
「まあ……可哀想に」
アリアはすぐにしゃがみ込んだ。
「おいで。怖くないよ」
「……」
猫はじっとアリアを見る。
逃げようとする気配はない。
「怪我してるでしょう?」
「……にゃ」
「治してあげる」
アリアが治癒魔法をかけると、猫の傷が淡い光に包まれた。
傷が消える。
「よかった」
アリアが笑う。
すると白猫は――
ぺろっ。
アリアの指を舐めた。
「ふふ。お礼?」
「……にゃ」
「可愛い」
アリアは猫を抱き上げた。
「うちに来る?」
「……にゃ」
「じゃあ決まり」
白猫は大人しく腕の中に収まった。
ただし。
その顔は、
『仕方ないから付き合ってやる』
という、とても偉そうな顔だった。
*
「名前、どうしようかな」
家に戻ったアリアは、猫をタオルで拭きながら考えた。
「白いからシロ?」
「…………」
「雪?」
「…………」
「ミルク?」
「…………」
「じゃあ、もち?」
「シャアッ!」
「嫌なの!?」
猫が尻尾を膨らませる。
「ごめんごめん。じゃあ……レオ」
「……」
「気に入った?」
「にゃ」
「じゃあレオね」
その夜。
アリアは魚を焼いた。
「はい。どうぞ」
「……!」
猫の目が輝く。
ぱくっ。
「美味しい?」
ぱくぱく。
「ゆっくり食べて」
ぱくぱくぱくぱく。
「誰も取らないってば」
結局、レオは魚を四匹食べた。
「……」
アリアは呆れた。
「あなた、猫よね?」
「にゃ」
「食べすぎじゃない?」
「にゃ」
「反省してないね」
「にゃ」
「可愛いから許す」
「……にゃ」
猫の尻尾が嬉しそうに揺れた。
その夜、アリアがベッドに入ると。
当然のようにレオも布団に入ってきた。
「ちょっと」
「にゃ」
「あなたの寝床、あっちでしょう?」
「……」
猫は聞こえないふりをして丸くなった。
「レオ」
「…………」
「もう」
仕方なくアリアは猫を抱き上げた。
「今日だけね」
猫は満足そうに喉を鳴らした。
ゴロゴロゴロゴロ。
「ふふっ」
アリアはそのまま眠った。
――そして翌朝。
「…………」
目を開けたアリアは固まった。
目の前に――
銀色の髪。
金色の瞳。
整いすぎた顔。
そして。
頭には白い猫耳。
布団の中には、ふさふさの尻尾。
「…………」
「…………」
「…………」
「きゃあああああああああっ!」
「待て!」
「変態!」
「違う!」
「誰!」
「俺だ!」
「誰よ!」
「昨日の猫!」
「…………」
アリアはゆっくり布団をめくった。
青年の尻尾が見える。
「……レオ?」
「そうだ」
「猫?」
「違う」
「じゃあ何?」
青年は胸を張った。
「俺は神獣だ」
「…………」
「白銀の神獣、フェルディア」
「…………」
「この森を守護する――」
「魚四匹食べた?」
「……」
「ミルクも飲んだ?」
「……」
「私の布団で寝た?」
「…………」
「猫じゃん」
「神獣だ!」
*
フェルディア。
それが彼の本当の名前だった。
数百年前からこの森を守ってきた伝説の神獣。
魔物の群れを一瞬で消し飛ばし、巨大なドラゴンすら退ける存在。
――なのだが。
「アリア」
「何?」
「腹が減った」
「神獣なのに?」
「腹は減る」
「何食べたい?」
「魚」
「……」
「二匹」
「昨日四匹食べたよね?」
「今日は二匹だ」
「自分から減らしたことを褒めてほしいの?」
「成長しただろう」
「何の成長よ」
さらに。
「アリア」
「今度は何?」
「眠い」
「寝れば?」
「膝を貸せ」
「嫌」
「なぜだ」
「あなた人間の姿だと重いの」
「……」
フェルディアは少し考えた。
「では」
ぽんっ。
白い光。
アリアの膝に白猫が乗った。
「にゃ」
「…………」
「にゃ」
「ずるい!」
アリアは思わず笑ってしまう。
「そんな顔されたら撫でるしかないじゃない」
頭を撫でる。
ゴロゴロゴロゴロ。
「気持ちいい?」
「……にゃ」
「神獣様?」
「にゃ」
「威厳は?」
「……にゃ」
「ないね」
「にゃ……」
アリアは笑いながら猫を抱きしめた。
すると白猫の尻尾が、アリアの腕にくるりと巻きついた。
その仕草があまりにも可愛くて。
「ずっと猫でいてくれたらいいのに」
アリアが何気なく呟く。
猫の動きが止まった。
「……?」
しばらくすると。
ぽんっ。
また人間の姿に戻った。
「俺は猫ではない」
「はいはい」
「神獣だ」
「でも可愛い」
「……」
「何で顔赤いの?」
「うるさい」
フェルディアはそっぽを向いた。
しかし、尻尾だけは正直だった。
ぶんぶん。
*
そんな生活が一週間続いた。
アリアは気づいていた。
フェルディアが、少しずつ自分に近づいていることを。
最初は猫の姿で膝に乗るだけだった。
それがいつしか、人間の姿でも隣に座るようになった。
そして――
ある夜。
「アリア」
「ん?」
「聞きたいことがある」
「何?」
「人間の男が女に花を贈るのは、どういう意味だ?」
「え?」
フェルディアの手には、一輪の青い花。
「……私に?」
「ああ」
「どうして?」
「村の男が言っていた」
フェルディアは真顔だった。
「好きな女には花を贈るらしい」
「…………」
「だから贈る」
アリアの顔が熱くなる。
「……ありがとう」
「それで?」
「それで?」
「俺は今、正しい行動をしているのか?」
「……たぶん」
「なら次だ」
「次?」
フェルディアが一歩近づく。
「好きな女には、抱きしめるとも聞いた」
「ちょっと待って」
ぎゅっ。
「待ってって言ったのに!」
「こうか?」
「……」
アリアの耳元で、フェルディアが小さく囁いた。
「アリア」
「なに?」
「お前を抱くと、妙に安心する」
胸がどくんと鳴る。
「……私も」
「本当か?」
「うん」
フェルディアは嬉しそうに笑った。
その笑顔は、神獣とは思えないほど優しかった。
*
しかし、その翌日。
村に王都から騎士団がやってきた。
「神獣を探している!」
村人たちが騒ぎ始める。
「最近、この辺りで神獣の魔力が確認された!」
「見つけた者は王城へ連絡せよ!」
アリアは不安になった。
「フェルディア……」
「俺ならここにいる」
フェルディアは静かに言った。
「逃げる?」
「いや」
「じゃあ……」
「俺が姿を現す」
フェルディアが立ち上がる。
「でも、捕まったら――」
「大丈夫だ」
彼はアリアの頭を撫でた。
「俺は神獣だ」
その瞬間。
村の外から巨大な魔物の咆哮が響いた。
「グオオオオオオ!」
「きゃあ!」
騎士たちが一斉に振り向く。
巨大な魔獣が村へ向かって走ってくる。
「魔獣だ!」
「逃げろ!」
アリアが恐怖で立ちすくむ。
その前に――
フェルディアが立った。
「アリア」
「……」
「俺から離れるな」
黄金の瞳が輝く。
次の瞬間。
空が白く染まった。
フェルディアの身体が巨大な白銀の獣へと変わっていく。
翼。
角。
長い尾。
そして――
圧倒的な魔力。
魔獣が怯える。
騎士たちも息を呑んだ。
「神獣……!」
フェルディアは一歩前に出る。
魔獣が襲いかかる。
しかし。
一瞬だった。
フェルディアが前足を振る。
ドンッ!
魔獣が数十メートル吹き飛んだ。
「…………」
騎士たちが絶句する。
村人たちも絶句する。
そして。
アリアだけが叫んだ。
「フェルディア!」
『何だ?』
「その足!」
『……?』
「昨日怪我してたところ!」
『……あ』
「治療するから見せて!」
『今!?』
「今!」
伝説の神獣が、村人全員の前で――
しゅん。
と耳を伏せた。
『……はい』
「神獣様、素直すぎる」
「リゼさん……いやアリアさんに完全に尻に敷かれてるぞ」
「伝説の神獣なのに……」
『聞こえているぞ』
「すみません!」
*
騒ぎが収まった夜。
フェルディアは人間の姿でアリアの家に戻った。
「足、見せて」
「もう治っている」
「本当?」
「ああ」
アリアはほっとする。
「よかった……」
するとフェルディアが、彼女の手を握った。
「アリア」
「ん?」
「今日、怖かったか?」
「少し」
「……すまない」
「どうして謝るの?」
「俺が神獣だから」
「関係ないよ」
アリアは笑った。
「私が好きになったのは、神獣だからじゃない」
「……」
「雨の中で震えてた、弱った猫だったから」
フェルディアの耳が赤くなる。
「……俺はもう猫ではない」
「そうだね」
「強い神獣だ」
「うん」
「だから――」
フェルディアはアリアの手を両手で包んだ。
「もう一度言う」
黄金の瞳が真っ直ぐ彼女を見る。
「俺と共に生きてほしい」
「……」
「妻になってほしい」
「……フェルディア」
「嫌か?」
アリアは首を横に振った。
「ううん」
「では――」
「ただし」
「条件か?」
「魚は一日二匹」
「……」
「三匹食べたら?」
「……」
「罰として猫姿で一日過ごしてもらいます」
「…………」
フェルディアは真剣な顔で考えた。
「三匹食べても猫になれるなら、むしろ得では?」
「……」
「…………」
「あなた、本当に神獣?」
「神獣だ」
「じゃあ、もっと威厳を持って」
「努力する」
その直後。
フェルディアがアリアを抱きしめた。
「アリア」
「なに?」
「大好きだ」
「……私も」
「もう離さない」
「うん」
「一生そばにいる」
「うん」
「魚も二匹で我慢する」
「そこは頑張って」
そしてフェルディアは――
ぽんっ。
白猫になった。
「……」
「……」
「にゃ」
「…………」
「にゃ」
「……ふふっ」
アリアは笑って、白猫を抱き上げた。
「やっぱりこっちのほうが好き」
「……にゃ」
白猫は恥ずかしそうに顔を隠した。
しかし尻尾は、嬉しそうにアリアの腕へ巻きついている。
――こうして。
雨の日に拾われた一匹の弱った猫は、
薬師の少女の心まで拾ってしまった。
世界最強の神獣なのに。
魚には弱く。
撫でられると喉を鳴らし。
大好きな女性には逆らえない。
そんな彼の妻になったアリアは、後に村人たちからこう呼ばれることになる。
**『神獣を完全に手懐けた女』**と。
ちなみに本人は、
「私は猫を拾っただけです」
と最後まで言い張った。
そしてその隣では――
「にゃ」
世界最強の神獣が、今日も幸せそうに鳴いていた。




