願い 3
「ん‥‥‥」
いつの間にか眠っていたらしい。
口の周りの涎をぬぐって、本が汚れていないか確認する。幸い涎はついていないし、皺もできていなかった。
「ルシア、そろそろ起きれるか?」
「ロレンツォ‥‥‥」
「ああ、起きたんだな。お昼は食べるよな」
「‥‥‥うん」
もうお昼だったのか。
本当はまだご飯の気分ではなかった。それでも流石にお昼は食べないといけない。そうでないと、いざという時に力が入らないから。
ゆるゆるとベッドから降りてリビングに行くと、温かいクリームの香りがやさしく身を包み込んだ。今日のお昼はクリームシチューらしい。
柔らかい白いパンにシチューをつけて口に運ぶと、バターの香りと甘いミルクの香りが口いっぱいに広がる。寝起きでも食べやすい。
ロレンツォの事はあまり好きではないけれど、彼の作る料理は好きだ。さっきまで食べる気力もなかったのに、いざ食べだすと手が止まらなくなるから悔しい。
もくもく食べ進める私の向かいにロレンツォも座って綺麗な所作で食べ始める。
「さっきハンナさんからアップルパイを貰ったんだ。食後のデザートにどうだろう?」
「‥‥‥うん。食べる」
ハンナさんはお隣に住むおばあさんだ。いつもロレンツォと彼が作った朝ごはんを食べているから、時々お礼にとおいしい手作りスイーツを持ってきてくれる。
あまり話したことのない私にも、ロレンツォに対するように接してくれる、とても優しい人だ。
彼とはあまり口を利きたくないけれど、無視し続けると返事をするまでうるさい。それに無視はダメだとグチグチネチネチ言われる。面倒くさい。
ペロリとシチューを平らげて、ハンナさんのアップルパイも食べて一息つく。
「ルシア、髪が跳ねている」
「別にいい。外に行くわけじゃない」
「外に行かなくても、身だしなみは整えておくべきだ。それにいつ要請されるかわからないしな」
身だしなみなどどうでもいいし、彼にあまり触られたくないけれど、言っても彼が納得するまでうるさいから好きにさせておく。
ロレンツォに髪を梳かされながら私は本を読む。
でも1ページも読み進めることはできなかった。
魔法少女専用の端末が、大きく振動してブザーを鳴らしたからだ。
『K地区2丁目、国立自然公園にて、災厄レベル7、害獣No.8、エウアルが出現。魔法少女は直ちに現場に向かい、害獣を駆除せよ。繰り返す‥‥‥』
「ほらね。いつでも身だしなみは整えておくに越したことはないよ」
どこか偉そうなロレンツォは無視して、右耳のピアスに触れる。一瞬で魔法少女の姿に変わった私は、今日も窓から飛び出す。
「っおい、置いていくなよ!」
慌てて猫に姿を変えて肩に飛び乗ってきたロレンツォと、今日も言い合いをしながら現場に向かう。
「これは、酷いな」
現場はいつものように一般の人が入れないようにと透明な魔法壁で閉鎖されていた。普通の人は入ることができないが、戦闘状態の魔法少女と契約精霊は魔法壁をすり抜けて中に入ることができる。
中に入ると、外から見えていた以上の酷い光景が広がっていた。
公園の木は無惨に切り刻まれ、ベンチがあっただろう場所は巨大な備中鍬で抉られたように地面から掘り返されている。噴水とその周りも大きな生き物の爪で傷がつき、抉られた縁からは水が溢れ出している。
そして何より酷いのは、あたりに漂う濃い血と、獣臭さの混じった瘴気の臭い。血が土や芝を赤黒く染めているところもある。
(この血の量、怪我だけでは済まなかった人もいるのではないかしら?)
ただ気になるのはそれだけではない。
「ここら辺には、いないな」
エウアルは体長2、3メートルの大きな鷲のような害獣だ。飛ぶことも可能だから、既にここからは飛び去ってしまったかもしれない。
「まあ、公園内にはいるみたいだな。僅かに反応がある」
魔法少女は魔術を使うことができない。出来るのは自分の魔力を武器に変えて害獣を撃ち倒すことだけ。所謂前衛だ。
対する契約精霊は、魔法少女の防御や援護、索敵を担う。こちらは後衛だ。
契約精霊は精霊である以前に魔術師だ。当然魔術の扱いに長けている。
「どこにいる?」
「ちょっと待てよ。ここから4キロ、いや4.2キロ先の木の下を歩いている。方角は、北北西だ」
「分かった」
ロレンツォが示した先は樹々が生い茂る森の中だ。空を飛んで行きたいけれど、エウアルも空を飛ぶことができる。と言うか地面を歩くよりも空を飛ぶ方が得意だ。空から行ってしまえばすぐに感づかれる。戦闘の直前までは控えたい。
樹が邪魔で全力で駆け抜けることができないのがもどかしい。それでも魔法少女の姿の今は約4キロ先の標的の場所まですぐだ。
「あと500メートル。ここで止まれ」
ロレンツォの指示で足を止める。ロレンツォが呪文を唱えて、私に防御結界と飛行魔術をかける。
「1時の方向、3本目のオークの木の先にいる。まだこちらには気づいていない」
肩から降りたロレンツォが1番近くにあった木に登っていく。空中戦になった時、いつでも見守ることができるようにだろう。
私は指輪に手をかざすと、溜まっていた魔力を形にする。すらっとしたスタイルのライフル銃は私が1番得意とする武器だ。接近戦よりも遠距離から仕留めたい。
できることなら1発で仕留められたら1番いい。そうは思っても難しそうだ。
害獣の弱点である魔石が、エウアルは嘴のすぐ下にある。こちらに気づいていない今はそれが確認出来ないし、もし気づいてこちらを向いたとしても、羽に埋もれていては見えないし、上の方を見上げないとどちらにしろ見えない。狙いにくい獲物だ。
何とかしてこっちを向いて、且つ上を見させる方法は無いかと思考を巡らせていると、エウアルが動いた。
「!!」
しかも都合良くこうならないかと考えていた体勢になっている。魔石がハッキリ見えて、狙いやすくなった。
(今だ)
引き金を引いた瞬間、ドッと空気が震えた。




