約束
女の子が、泣いている。
同じ言葉を繰り返して泣いている。
しゃっくりで途切れ途切れになりながら、ごめんなさいと繰り返して泣いている。
ロレンツォが初めて女の子と話した時は、女の子がごめんなさいと言うたびに、意味もなく謝るなと苛立っていた。
シスターの指示で、女の子に仕事を教えることになったロレンツォは、嫌でも女の子と一緒に行動するようになった。
一緒に行動するようになって、初めは嫌な気持ちを隠さなかったロレンツォに、女の子はいつも怯えていた。
けど、仕事は教えなければならない。教える時は、言葉を交わさなければならない。
初めはロレンツォに怯え、辿々しかった女の子の言葉は、徐々に慣れていった。
女の子が言葉を途切れさせることが減っていくのに比例して、ロレンツォが女の子に苛立つことも減っていった。女の子の話し方にも多少の原因はあっただろうが、1番はロレンツォが女の子に慣れたことが大きいだろう。
苛立つことが少なくなったロレンツォは、女の子が自分にだけ懐いていくことを感じていた。そして、ロレンツォ自身も、女の子に気を許していることを感じていた。
不思議なことに、ロレンツォはそれを不快だとは思わなかった。だけど、そう言うこともあると、深く考えていなかった。
ロレンツォが里親の話を聞いたのは、女の子と初めて話した時から3週間程経った時だった。
魔術師で、大学の教授をしていると言う人が、ロレンツォの魔力を見込んで、弟子にしたいと申し出たらしい。
シスターから話を聞いたロレンツォは、女の子と別れることになるのが惜しいと感じたが、この話を受けることにした。女の子の恐怖を無くすと言う希望が見えて。
シスターは驚いた様子だったが、1番驚いたのはロレンツォだった。まさか、人を嫌っていたロレンツォが、1人の女の子の為に、他人の里子、そして弟子になるなど、女の子と出会ってすぐの頃からは考えられなかった。
ロレンツォの意思が確認された後は、どんどん話が進んでいき、ロレンツォはこの2週間後に孤児院を離れ、里親兼師匠となる人、ケンジー教授に引き取られることになった。
当然、ロレンツォは女の子に話した。孤児院から、女の子から離れることになると。
話を聞いた女の子は、寂しそうにしていたが、ロレンツォを応援してくれた。
だからロレンツォは、大丈夫だと思っていた。ロレンツォがいなくなっても、女の子は大丈夫だと、思っていた。
そんなことはなかったのに。
階段の下で、女の子が泣いている。
まだ夜が明ける前、部屋から抜け出して、他の子達とシスターに気付かれないように、子供部屋とシスターの部屋から離れた階段の下で、女の子はいつものように「ごめんなさい」を繰り返して泣いていた。
ここに来た時から、女の子は夜中に時々部屋を抜け出して、1人泣いていることをロレンツォは知っていた。その原因を知ったのは、ロレンツォが女の子と初めて話したから10日経った頃だった。
部屋を抜け出して泣いている女の子の隣に、ロレンツォは何も言わずに腰掛けて、女の子が泣き止むまで黙って寄り添っていた。
そして、泣き止んだ女の子から、嫌な夢を見たと聞いた。悪夢を見るたび、女の子は1人でこうして泣いていると知った。
ロレンツォは、この日から女の子が部屋を抜け出して泣いている時は、女の子の隣に腰掛けて寄り添うようになった。
その頻度は減っていった。女の子が悪夢を見ることが減っていったから。
なのに、最近は、ロレンツォがここを離れると女の子に話してから、女の子は毎日のようにこうして泣いている。毎日のように悪夢を見ている。
明日からロレンツォは女の子に寄り添うことができない。
明日からも女の子はこうして泣き続けるだろう。
でも、明日からは、何もできない。
ロレンツォには、それだけが心残りだった。だから、最後に出来ることを考えた結果が、ロレンツォの人生を縛ることになってもよかった。少しでも女の子の助けになれるなら、自分の人生を捧げることなど、些細なことでしかなかった。
「俺、契約精霊になる」
「けいやくせいれい?」
「うん。魔法少女と協力して、害獣を倒すやつ」
「あぶなくないの?」
「危なくないように、すっごい強くなるよ。それで、契約精霊になったら、君を守りにいくよ。君の近くで害獣が出たら、俺が君を、君の周りの人を守る」
夢を語る子供ではなかった。そうすることもできたのに、ロレンツォは本気だった。
女の子はいつも害獣に怯えていた。いつか女の子の近くに害獣が出現すると怯えていた。
「それで、この世界に害獣が出現しなくなるようにする。どうしたらいいかは分からないけど、いつか、害獣に怯えなくても過ごせる世界にしてみせる。約束する」
女の子は大きな目をロレンツォに向けて考えていた。
やがて女の子の中に答えが出たようでゆっくり頷くと、小さな口を開いた。
「わたしも、やくそくする。まもりにきてくれるってしんじる。ひとりでも、がんばる」
「うん、約束」
片手の小指を絡めて、海を越えた先の、かつてあったという小さな島国から伝わったと言われている約束の儀式をする。
「はりせんぼんのますって、どういういみ?」
「分からないけど、きっと死ぬよりも怖いことだよ」
「そっか。じゃあぜったいまもらないとだね」
「うん。絶対に守るよ」
ロレンツォは決意した。絶対に契約精霊になると。契約精霊になってしまえば、歳を重ねることが出来なくなると分かっていても。命の期限が無くなると分かっていても。
「絶対、契約精霊になるよ」
そして、女の子を、世界を害獣から救うと、決意した。
名前は憶えていないけれど、確かにあの時約束したことは、女の子が最後には笑顔を見せたことは、ロレンツォの心にずっと残っていた。




