身勝手な悪魔の祈り
自室のベッドに身を投げ出し、次から次へと溢れる涙を拭うこともせず、ルシアは歪む本棚を見つめる。
今日、両親の眠る墓の前で再会したシスターは、ルシアが初めて入った孤児院でお世話になった人で、ルシアのせいで大怪我を負った人だ。
「お久しぶりですね。元気に、していましたか?」
優しく笑う、右腕のないシスターは、ルシアの記憶そのままだった。シスターの目に映っているだろうルシアは、シスターの記憶にある姿から大きく変わっているのに、シスターは何も変わっていなかった。
「は、い……シスター、も…………」
そこまで口にしたルシアは、続く言葉が出てこなかった。
元気でしたか? とルシアが問うのは違う気がした。目の前の人は、ルシアのせいで右腕を失い、右足を自由に動かすことが出来なくなったのだから。
言葉を探すルシアは、目の前の人がふっと息を吐き出すのを感じて目を上げる。
「ルシアさん、よろしければ、お茶でもいかが?」
「え、と……」
「予定があるのでしたら無理にとは言いませんよ。ですが、予定がなければ、どうでしょう?美味しい茶葉があるのですよ」
変わらず優しく微笑むシスターを前に、気付くとルシアは頷き、彼女に案内されて協会の中に入っていた。
目の前には黄味のかった赤い紅茶。それからシンプルなスコーンと苺のジャム。
「遠慮しないでいいですからね」
舐めるようにチビチビと紅茶を飲んでいたルシアは、心を読まれたのかと思い、肩をピクリと震わせる。
すぐに帰るつもりだったルシアは、今日は何も口にしていない。自分から食事を取ろうと思うことは滅多にないが、お腹が空いている時、こうして目の前に食べ物を出されたら、食べたくなる気持ちは抑えられない。
チラリとシスターに顔を向け、「いただきます」と小さく呟いてから、ルシアはスコーンに手を伸ばす。
仄かに温もりを感じ、手で小さく割ると、割れ目から食欲をそそるバターの香りが漂い、焼きたてなのだとわかる。
口に含めば、外はカリッと、中はフワフワとした軽い食感で、より一層バターの香りと甘さが広がる。
1つ目のスコーンはそのまま何もつけずに食べ、紅茶で一息ついてから、2つ目のスコーンに苺ジャムをたっぷりつける。ジャムを垂らさないように気をつけながらスコーンにかぶりつくと、バターの香りと、苺の酸味が口の中で絡み合う。咀嚼を続けていくとジャムの優しい甘さが引き立ち、その甘さが体を喜ばせる。きっとジャムも手作りなのだろう。
「本当に、元気そうでよかった」
スコーンを頬張るルシアは、視線をあげたが、目の前のシスターと目を合わせることに耐えられなくてスコーンに視線を戻す。
目の前の人は、ルシアのせいで大きな怪我を負った。その怪我のせいで、彼女の人生は狂ってしまった。
なのに、彼女は笑っている。あの頃から変わらない優しい笑みを、今もルシアに向けている。
「ルシアさんは、今、大学生でしょうか?」
「…………」
スコーンを食べることに集中しようとしていたルシアは、シスターの言葉に、再び体が固くなる。
本来であれば、ルシアは20歳で、大学に通う年だ。だが、ルシアは大学に行っていないし、見た目も大学生になることはない。魔法少女になってしまった3年前から、ずっと変わらない。
魔法少女であることを、他者に知られてはならないという規則はない。だが、ルシアはルシアが魔法少女になったことを、自分の過去を知る者には知られたくない。
「……いえ。今は……仕事を、しています」
知られたくないが、黙っていては怪しまれる。
無理矢理口の中のスコーンを紅茶で流し込んで、無難な答えを出す。
「本当に、立派になりましたね」
2つ目のスコーンを食べ終わり、目線を落としたまま紅茶を飲むルシアには、シスターがどんな顔をしているのかわからない。
だけど、シスターの声は温かくて、ルシアの成長を、心から喜んでいるように感じられる。
シスターの放つ温かい空気は、それだけでルシアの心を締め付ける。
「シスターは、」
だから、その空気を感じ取りたくないから、ルシアは無理矢理声を絞り出す。
「今は、ここで働いているのですか?」
そうしなければ、シスターの放つ空気が、きっと彼女自身を傷付けることになるから。彼女の温かい空気を受け取ったルシアによって、再び。
「ええ。今年からここにきたのですよ。力仕事ができない分、カウンセリングや事務仕事をメインに行なっています」
シスターの言葉に、ルシアは唇を噛み締める。口の中に鉄の味が広がり、美味しい紅茶が台無しになる。
「ルシアさんとは、10年ほど前に孤児院で別れたきりでしたね。あの後私はI地区の修道院を転々としていたのですが、今年からG地区に来たんです」
紅茶が無くなり、カップの白さが目に眩しくても、ルシアは顔を上げられない。
「地区の異動は初めてですので不安もありましたけど、でも、よかったです」
シスターの優しい顔を、見ることが出来ない。
「またこうして、ルシアさんと会うことができましたもの」
ゆるゆると顔を上げたルシアは、シスターと目が合って苦しくなる。
「ルシアさんの元気な姿が見れて、本当に良かった」
泣きそうな顔で、子供の成長を喜ぶ親のような顔で、シスターはルシアを見つめていた。
正面から優しい視線を受けることが出来なくて顔を俯ける。
冷たいものが溢れそうになる目をキツく閉じ、何度目になるかわからない言葉が喉を震わす。
「……ごめん、なさい……」
シスターは、ルシアの目の前に座る人は、ルシアのせいで大きな怪我をしたというのに、それでも変わらず優しい顔を向けている。
シスターの人生は、ルシアがメチャクチャにしたというのに、それでも変わらずルシアに優しい気持ちを向けている。
それが、ルシアの心を締め付ける。
優しい気持ちを向けないでくれと、心が声にならない叫びをあげている。だけど、ここでは、ここでなくても、心が叫び声をあげてはならない。そうすることで、ルシアは再び彼女を、関係のない人を傷つけることになるから。
気づけばルシアは、自室の前にいて、ロレンツォに手をつかまれていた。
どうやってここまで戻ってきたのか覚えていない。だけど、気付いたらロレンツォに捉まっていた。
乾きだしていた涙は、再び目から流れ出し、シーツにシミを作る。
止まることを知らない涙は流れ続けるのに、ルシアの頭の中はぐちゃぐちゃで洗い流されることはない。
これまで傷つけてしまった人が頭の中で溢れている。そのほとんどは、ルシアを温かく包み込んでくれた人だ。今日再会したシスターのように。
「‥‥‥どうせなら、」
涙で揺れる声が、口から漏れ出る。
「恨んでいてほしかった‥‥‥」
誰にも言えない、ルシアを心から案じてくれていると分かっているから、言葉にすることはできない。
これまでルシアのせいで傷ついた人たちの顔がよみがえる。
「‥‥‥‥‥‥もう、ヤダ‥‥‥」
部屋の前で、初めて本気で拒絶してしまったロレンツォの驚く顔が、よみがえる。
頭の中で、悪魔がささやく。
3年ぶりに現れた悪魔は、ルシアの抵抗をあえなく振り切る。
「‥‥‥死にたい‥‥‥」
言葉が宙に放たれてから、ルシアはハッとする。
水分を失いすぎて怠い体を無理やり動かし、窓辺に近寄って外の様子を観察する。
たっぷり10秒見つめ、詰めていた息を吐き出す。
「だ、いじょうぶ、だった‥‥‥」
足の力が抜けてしゃがみ込むルシアは、涙が頬を伝った後、鋭い悲鳴を聞いた。
顔をあげたルシアは、最悪の事態を無理やり否定する。
だが、ルシアの否定が届くことはなかった。
魔法少女専用端末が重いブザーを鳴らしたのと、右耳のピアスが熱をもったのは同時だった。
『ルシア! っすまない、今は顔を見たくないだろうが、そうも言ってられない! 緊急事態だ! 害獣が、出現した!』
『G地区2丁目、ネビュラ住宅街の広場にて、災厄レベル10、害獣No.7、ペラタチスが出現。魔法少女は直ちに現場へ向かい、害獣を撃破せよ』
ピアス越しに聞こえるロレンツォの叫び声と、端末から流れる無機質なアナウンスは、ルシアが呼び込んだ悪夢を報せていた。




