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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

以て血を

ラフォンテン農場の女

作者: 志摩鯵




"Was mich nicht umbringt, macht mich starker."

「我々を傷つけぬものだけが我々を強くする。」


『Götzen-Dämmerung, oder, Wie man mit dem Hammer philosophiert 』

(偽りの神の黄昏、あるいは人はいかにしてハンマーで哲学を学ぶか)

―――フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ






エベニーザ(エベン)、お前は、優しい子だよ。」


中年女が冬至祭ユール花輪飾り(リース・オーナメント)を作りながら言った。

その隣では、同じように花輪飾りを作る少年がいる。


「なんだよ、母さん。

 そんなこと急に。」


エベンは、朝早くから農場を手伝い、一日中、働いた。

それでも今も母親と一緒に花輪飾りを作っている。


そんな息子を見ながら母親は、幸せそうに微笑んだ。

同じ部屋で彼女の夫と舅姑もくつろいでいる。


彼ら一家は、顔から優しさがにじみ出ていた。

礼儀正しく親切で、恐ろしいことなどできる訳がない。

そんな家庭だった。


だが偏屈な人は、「()()優しそうな顔で家畜を屠殺するんだぜ」と腐す。

だがラフォンテン家の人たちは、言い争わない。


もちろんエベンも子供のころ、家畜を殺すことにショックを受けた。

大切に育てて来た動物たちを殺すのは、悲しいことだった。


(俺は………本当は、最低の人間なのかも知れない。)


去勢器で睾丸を切り取った家畜を撫でながらエベンは、そう思った。

自分が、この手で傷つけた。


豚も鶏も羊も牛も、こんなに温かい。

だが少ししたら皮を剝ぎ、血を抜き、冷たい肉のブロックになる。

自分が殺すのだ。


どんなに優しく動物に接しても自分は、彼らを虐待している。

そんな考えを頭から取り去ることはできなかった。


ある日、買い物の帰り道。

エベンは、路上で薄汚れた老人に声をかけられた。


「げへへっ。

 坊や、どうかお恵みを。」


乞食は、そう言って両手を出す。

エベンは、何の躊躇いもなく財布から金を渡した。


「どうぞ。」


「げ、げへへへっ。

 ………こりゃあ、ありがとうございます。」


思ったより多くの金を受け取った老人は、驚いた。


「ええ………。

 いや、こんなに貰っちゃまずい。

 坊やに半分返しますぜ。」


「良い事をしたいんです。

 俺は、最低の人間ですから。」


エベンは、そう言って立ち去った。

引き留めようとする老人を振り切って。


残された老人は、困ったように路地裏に入っていった。

彼の周りに乞食仲間が集まる。


「どうしました?」


「子供から大金を貰ってしまった。」


そう答えた乞食は、眉毛を指で抑えながら険しい表情を作る。

仲間の一人が答えた。


「あれは、ラフォンテン牧場の息子エベニーザですね。」


「ラフォンテンだな?

 ……何かお返しをせねばならぬな。」


金を受け取った乞食は、鸚鵡オウム返しに確認した。

すると何かに思い当たったのか、ハッとする。


「ラフォンテン?

 ド・ラ・フォンテーヌか?」


「……なんですか、院長チャンピオン

 あの農場に何かあるんですか?」


仲間がそう訊ねると乞食に扮した老人、ジョハン・ヴィリアム・エヴァルト・スペンサー・キャヴェンポールは、ギラッと目を光らせる。


「忘れよ。」


ジョハンが短く凄むと仲間たちは、静かに頭を下げた。


「はっ。」


8歳の頃から浮浪者に姿を変え、帝都の裏町に潜む悪癖のある、この男。

彼こそ、ヴィネア帝国首相、イングルナム公爵。

そして糞虫の巣(スカラベズ・デン)の長なのである。


彼の手下は、掏摸スリに詐欺師、娼婦にコソ泥。

だが、そのいずれもが夜の闇を駆ける獣狩りの狩人であるのだ。






ある日、エベンは、牧場の小屋の中で屠殺された牛を見下ろしていた。

ハンマーで頭を砕かれた牛が倒れている。

エベンが殺したのだ。


「………。」


血塗られたハンマーを握るエベンの顔は、冷たい。

いつもの優しい少年ではなく機械のような冷たさ。

その心は、表情と同じく凍り付いていた。


しかし特別な感情はない。

いや、今は何も感じないと言えば嘘になる。

今でも家畜を殺すことにためらいがある。


だがそれでも幼い頃より鈍化していることは、自覚していた。


「ちっ。」


エベンは、舌打ちをすると道具を持ち替える。

ここから牛を解体しなければならない。

自分は、動物を虐待して面白がる異常者ではない。


嫌な仕事を終えるとエベンは、普段通りの優しい少年に戻る。

悲しい顔をしていたら両親が悲しむ。


「こんにちわ。」


エベンが外を歩いていると少年が声をかけて来た。

上等な服装は、貴族の従僕フットマンのようだ。

少年は、天使のように微笑む。


「エベニーザ・セス・ド・ラフォンテーヌ様ですね。

 狩人の騎士団(オーダー)より使いで参りました。

 この手紙をどうぞ。」


少年は、そう言ってエベンに黒い封筒を差し出した。

苗字を間違われたエベンは、困りながらそれを受け取る。


「ラフォンテーヌ?

 …ウチは、ラフォンテンだけど…。」


封筒のフラップには、黒い封蠟で牡鹿の紋章がされている。

狩人の王、ヘルレ・ハーンの紋章だ。


「俺に?」


獣狩りの狩人のことは、御伽話で知っている。

いや、最近では、現実のことだと誰もが知るところだが。


老いや病のように人間が突然、獣に変身する怪異。

その原因は、呪いだとか血統だとか伝染病だとか。

いろんな意見があるが本当のことは、誰も分からない。


問題は、獣が仲良く人間とそのまま暮らせないということだ。

獣は、周りに広まるというし、正気を失って人を襲うようになる。

だから獣を狩る狩人が必要になった。


狩人は、夜を駆ける英雄だ。

家族を殺された人は、悪く言うが。

英雄神アルスの血を引き、怪異を破る袚魔の霊験ちからがある。


「…俺、神様の血を引いてるってこと?」


エベンは、封筒を両手で握った。


これまで特に自分が信心深いと思ったことはなかった。

―――なんといっても宗教は、血統鑑定局ブラッドウォッチに禁止されている


だがエベンは、興奮が止まなかった。

かつて教会だった文化会館の物置に仕舞い込まれた宗教画を思い出して。


エベンが封筒を両親に見せると母は、喜んだ。


「これは、エベンが狩人様にお仕えするの!?」


「わ、分からないよ。

 だって封筒をまだ開けてないもん!」


「素晴らしいことよ!」


はしゃぐエベンと妻をよそにエベンの父親は、押し黙ってしまった。

まるで知られたくない何かがあばかれたように。


「………エベンは、狩人になるんだよ。

 狩人に仕える従者になる訳じゃない。」


エベンの父親がそういうと母親は、目を白黒させる。


「…そ、そんなことある訳ないわ。

 だって、この子に…()()()なんか…。」


急にエベンの母親の顔が青褪めて来た。

恐ろしいものを見る目で黒い封筒を睨む。

エベンも封筒を持つ手が震え始めた。


やがてエベンの父親は、家族に真実を告白し始めた。


「エベン、いいかい。

 父さんは、覆面アンダーカバーアーロンで通った獣狩りの狩人なんだ。

 ほら、騎士証メダルもある。」


そう言って父親は、息子に勲章を見せた。

こんなもの初めて見たし、本物かどうかも分からない。

だがエベンは、目を輝かせる。


「す、すごい!

 じゃあ、俺にも狩人様の血が流れてるんだね!?」


「………このことは、総長しか知らない。

 俺は………。」


父親は、椅子から立ち上がる。

そして何か緊張しながら目を閉じた。


「あっ。」


エベンは、驚愕した。

エベンの母親は、叫ぶことさえ忘れた。

祖父母は、息子の身に起きたことを受け入れられない。


一瞬のうちにエベンの父親は、狼男に変身していたからだ。


「いやあああ!」

「うわあ、あああ!?」


大騒ぎする家族を無視してエベンの父親は、息子に語り掛ける。


「エベン、驚くな。

 俺たちは、普通の狩人とは違う血が流れている。


 代々、ラ・フォンテーヌ家は、姿を変えて獣の動きを探る役目を負って来た。

 この能力は、血と共に継承されてきた。


 この任務は、総長しか知らない。

 月の都におられる狩人の王、ヘルレ・ハーン様だけがな。」


エベンの父親は、そう話し終えると人間の姿に戻った。


「獣の中にも人間の姿に戻れるものもいる。

 この能力は、()()()()()()()()。」


「ど、どういうこと、父さん?」


エベンが顔を引きつらせて父親に問う。

父親は、難しい顔で答えた。


「俺たちの能力を他の狩人が見たら、どう思う?

 獣が人間に化けてるとしか思わないだろう。


 世間の連中だってそうだ。

 人間が獣に変身できるなんて情報が広がれば、獣もこれを()()する。

 人々は、人間に化けることができる獣を人間だと信じるようになるかも知れない。」


父親がそう話すとエベンは、これがどれだけ危険か気付いた。


「デマがデマを呼び、真実は分からなくなるだろう。

 これまでは、それでも問題なかった。

 獣も狩人も人々は、御伽話だと信じ込まされてきたからな。」


父親がそう言うとエベンは、質問した。


「父さん、俺たちは、本当に人間?

 …それとも父さんは、嘘を吐いてるの…?」


この質問に父親は、困ったように頭を傾ける。

額に力を込め、慎重に答えるだけだ。


「……俺にも、それが分からないんだ。

 だが強く念じてみてくれ、エベン。

 お前もこの能力を継承しているか確かめたい。」


父親にそう言われてエベンは、神経を集中させる。

こんなことは、生まれてから一度も試したことも教わったこともない。


だがこれまで一度も動かしたことのない身体の一部に命令を送るようにエベンは、何かに強く念じた。


「………どう?

 父さん、母さん。」


エベンがそう訊ねると父親の返事が返って来た。


「……封筒を開けてみるがいい。

 お前も俺と同じ任務に就けるだろう。」


父親にそう告げられてエベンは、封筒を開いた。

そこには、獣の姿で潜入し、街に潜む獣の群れを探すよう指令が書かれていた。


「い、いやよ!」


エベンの母親が大声で騒ぎだした。

目を赤らめて息子を抱き寄せる。


「こ、この子に人殺しなんかできないわ…。」


彼女にとって今日は、最悪の日だ。

ずっと信じて来た優しい夫が血濡れの狩人だったとは。

しかも我が子まで殺戮の夜に招かれようとしている。


ブルブルと震えながら彼女は、エベンを抱きしめた。

もし放せば彼が果てしない惨劇の渦に連れ去られてしまう。

それは、断じて誇張ではない。


地味で華やいだことなどないが確かに幸福な人生。

ずっと見えていた穏やかな日常が崩れていく。

彼女が信じて来たものは、最初から破綻していたのだ。


夫が狩人だったせいで息子は、その業を継いでしまったのだから。


「ひどいわ!

 な、なんで狩人だと明かしてくれなかったの!?

 知っていたらあなたと子供なんか作らなかった!!」


激しく慟哭する母親にエベンは、凍り付いた。

あの優しい母が父を罵っている。


「アーロン、おまえ、本当に狩人様だったのかい?」


震える唇でエベンの祖父が訊ねた。

エベンの父親は、難しい表情をしている。


エベンの祖父母も信じられない。

朴訥な牧場の農夫が血と美に彩られた狩人とは、思いもよらぬ。

50年見続けて来た我が子の信じられない真の姿だ。


「…アガサ、父さん、母さん。

 すまない。

 けれど、騎士団の秘密を明かすことはできない。」


追い詰められた父は、それだけしか答えることはできなかった。

泣き出したエベンの母親は、息子の手から封筒を奪おうとする。


「ううっ!

 エベン、こんな手紙は燃やして頂戴っ!!」


「か、母さん…。

 でもこれは、大切な役目じゃないか。」


エベンは、そう言って母親から封筒を守ろうとする。


人が人を失い獣となる怪奇、獣化。

それによって獣となった人を狩るのが狩人だ。

だがそれが尊い道であると同時に忌むべき血塗られた道でもある。


「獣狩りなんて冷酷な人殺しやがるものよ!

 あなたみたいな優しい子がやることじゃないわ!!」


「母さん、もうやめて。

 父さんが可哀そうだ。」


エベンは、泣き喚く母親をなだめようとする。

だが祖父母も背中を丸めて泣き出した。

エベンは、助けを求めるように父親の顔を見る。


だが彼の父親も家族をなだめる手立てなどない。

姿が変わっても獣は、人間で狩人が人殺しという事実は動かせない。


「……エベニーザ。

 騎士団オーダーから招聘が届いた以上、拒否する権利はない。

 月の都で総長とまみえることになるだろう。」


「うううっ!

 いやあああっ!!」


「俺が……間違っていたんだな。」


残念そうにエベンの父親がつぶやいた。


「狩人が温かい家庭なんか望むべきじゃなかった。

 …ダメなんだな。」


なんと言葉をかければいい。

きっとエベンの父親の言っていることは、間違っていない。


だがあなたは、家庭を持つべき資格がある。

そう断言できる人などいるだろうか。

それでもエベンは、父親が間違っていなかったと思ったのだ。


「…父さんは、何も悪いことしてない。」


「エベン…。」


「うう…っ。

 うわああ……ああああっ!」


静まり返った牧場でエベンの母親だけが慟哭していた。


「これは、夢よ!」




結局、エベンの家族は、暗く落ち込んでしまった。

エベン自身、不安を胸にベッドに潜り込む。

だが彼を待ち受ける運命は、足を止めてはくれなかった。


「うっ。」


嗅いだ事のないかぐわしい花の蜜の香りにエベンは、目覚めた。

漆黒の瑞々しい花弁と黄金色のずいが虹色に輝く不語仙ロータスが池に揺れている。


「……なんだ、ここ。」


ここは、宮殿の中庭らしい。

黒大理石の建造物は、見たことのない建築様式で成り立っていた。


訳知らずエベンは、裸形のまま目の前の宮殿の中に進んでいく。

か黒い石造りの宮殿は、壁に宝石を嵌め、金細工で飾り付けられている。

ふと露台バルコニーから見れば知らない星空が望む。


本来、この季節に見えるはずのない星があった。


いや、それだけではない。

明るすぎる。

こんなに空気が澄んだ場所があるのか?


そもそもこんな星空は、地球から見ることができない。

───何より()()は、なんだ、月の4倍もある


「………地球。」


それを認めてエベンは、ここが月の都なのだと理解した。

誰もが知りながら辿り着いた者とていない最果ての地、伝説の狩人の騎士団本部、ヘルレ・ハーンの城なのだ。


「うぼおおお!!!」


正気とは思われぬ大声に驚いてエベンは、そちらを振り向いた。

同時に辺りの景色が自分の寝室に様変わりする。

夢から覚めたエベンは、自分の家に戻っていることに気づいた。


「死ねえええっ!!

 死ねえええっ!!

 ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!!」


エベンは、凍り付くような恐ろしい哄笑に縮み上がった。

ドアの向こうから気のれた女の声がする。


(こ、これは、人間の声か?

 こんな人間が現実にいる訳ない。)


人間がこんな恐ろしい言葉を喚き散らすはずがない。

エベンにとって信じられないことだった。

彼の暮らして来た常識には、こんな生き物はいない。


(嫌だ、怖い。

 こんなの夢に決まってる!)


だがドアの向こうに家族がいる。

優しい両親や祖父母が恐ろしい目に遭っているかも知れない。

そう思えばエベンは、もたつく足を必死に動かしてドアの外に出た。


「ああっ!」


ドアの外の光景は、エベンの脳神経をズタズタにした。


跡形もなく変形した祖父は、完全に挽肉だ。

部屋の隅に転がる祖母の首を見た瞬間、エベンは、目を背けた。


「うう、ひいっ!」


(まさか父さんが!?)


エベンは、そう考えるだけで死にたくなった。


(狩人は、ときどき狂っておかしくなるって…!)


今すぐに人生そのものを終わらせて欲しい。

これ以上、真実を、家族を見舞った災厄を目と耳が報せる前に。


(お願いです、神様!

 俺がこれ以上、恐ろしいものを見る前に!!

 どうか、この悪夢から引き離して下さいッ!!)


「ほっほォッ!!

 いるのか、誰かァァァ!?」


何がそんなに楽しい。

殺人鬼は―――女の声だ、父さんじゃない

そいつは、嬉しそうにはしゃいでいた。


「うっ………ぷぶ。」


エベンは、熱い鼻血に驚いた。

あまりの強い生理的負担ストレスに身体がおかしくなっている。


「へえっへっへ…。

 おーい、母親は、まだ生きてるぞ。

 助けたくないのかァァァ?」


凶女の声が聞こえる。

同時にエベンは、急速に狩人として目覚めていた。

声の主が狩人だと感じ取れるようになっていたからだ。


(……に、人間じゃない、こいつ。

 でも()()()

 この気配は、父さんと同じで、これが狩人のものだったんだ。)


「ぎ、きぃあああっっ!!

 エベン、来ないで!!」


母親の悲鳴にエベンの心臓は、破裂しそうになった。


「あ、ぎい!?

 あいいいッッ、あた、助けッ!!

 やめてやめてやめて死にたくないッ!!」


エベンが恐怖を突き放して目を開く。

そして祖母の死体を蹴って母親の声がした居間リビングに駆けて行く。


「ッ!」


そこでエベンを待っていたのは、目を覆う光景だ。

血塗れの母親と返り血を浴びた女狩人。


「よお。」


醜く歪んだ目鼻立ち、異形の女の目がランランと光った。

姿が不気味だからといって心まで崩れている訳ではないはずだ。

だがエベンは、目の前に現れた醜怪な女が姿も心も一致していると確信した。


「母さんを放すんだ!!」


エベンは、そう言って手近な何かを引っ掴んだ。

興奮気味で分からなかったがそれは、職人エドワード・サヴェッリが考案した「仕掛け武器」仕込み背骨斧スパインアックスだった。


「……なんでこんなことをする?

 俺の家族は、獣だったのか?」


エベンが凶女に質問した。


「あはははっ。

 知らないねえ。」


凶女は、歪んだ歯並びを見せて憫笑した。

小鬼インプのような顔が嬉しそうにケラケラと揺れた。


「ああ………でも、誰だいお前。

 爺と婆が二人で()()()()と聞いてたんだけどねえ。」


その一言でエベンは、心の支えが崩壊した。

彼の家族は―――父親がいたような気もしたがそれは夢だと思い出したので全員、殺されたのだ。


「ちくしょう!!

 死にがやれ、この気狂い女ッ!!」


エベンは、握り締めた背骨斧を振り上げる。

そして家畜を屠殺する時のように凶女の小鬼顔に鉄塊を叩きつけた。




「………ちッ。」


エベンは、血だらけになって家で座り込んでいた。

記憶が混乱して何が何だか分からない。


(ああ…。

 父さんが豚をれって言ってたよな。

 その豚は、どこにいった?)


エベンは、中年女の死体を眺めながらぼんやりと考える。


(この人は…誰だっけ?)


エベンの脳は、それ以上、何も考えられなかった。

拒絶の檻に閉じ込められていたのだ。


(いや、俺に父親なんかいなかった。

 どっかの男に子供仕込まれた独り身の母親と爺さん、婆さんと暮らしてたんだ。


 ………いや、違う。

 俺は、この家に忍び込んで、この家の暖かい暮らしが憎らしくって…。

 それで滅茶苦茶にしてやろうと。)


「う、うううっ。」


エベンの頭の中で妄想と記憶が混乱する。

自分が保てない。


(俺が他人の家庭を壊したのか?

 違う、俺の家に殺人鬼が来て………!)


涙とはなが溢れ、目が恐ろしく血走る。

エベンは、拳を握り締めて床にうずくまった。


「ああ……ああっ。

 なんなんだ、これ……。

 違う、違うよ、こんなの現実じゃない……!」


「殺せ。」


エベンは、突然、聞こえて来た声に振り返る。


「え?」


そこには、顔面を潰された女が倒れていた。

何重にも鎖やロープで縛りつけられている。


「……どうしてお前は、私を殺してくれないんだ…。」


女が喚いた。


「私は、帰正するんだ!

 あの悪夢に…!!」


「な、何言ってるんだ、おまえ?」


エベンは、立ち上がって女を見た。


(全身を切り刻まれているが俺がやったのか?

 家に侵入した殺人鬼を俺が撃退した?)


記憶がない。

思い出せない。

エベンは、寒気や気持ち悪さと戦っていた。


「殺せぇ!

 …ああ、楽しみだなァ!!

 お前も私の悪夢ゆめに出て来いよ、飽きるまで八つ裂きだからなァッ!!」


口から泡を飛ばして女が悪態を喚き続けている。

どうしても死にたいらしい。


いや、狩人の手で殺されないと駄目なのだ。

だからエベンを狙って、この家に来た。

自分で自分を傷つけたり他の何かで死んでも悪夢には帰正できない。


悪夢に戻るとかは、何の話か良く分からない。

エベンに分かったのは、この女が自分に殺されたいということだった。


だがエベンは、この女を殺す気になれなかった。


それは、彼が人を殺せるような人間ではなかったこともある。

家族を殺されて復讐を考えないなんて不自然だと思うだろうか。

だがエベンは、ちっとも女を殺そうという気持ちが湧かない。


それ以上にこの女をおかしくした過去を考えた。

彼女に対する同情が彼の中に積み上がっていく。


(どんなつらい経験が人間をこんな風にするんだろう。

 この女は、俺みたいに家族に優しくされたことがないのか?

 だから死にたいってことなんじゃないか。)


考えながらエベンは、床に伏せる女を見つめている。

女もずっとエベンを見上げていた。


「あはは…ひひひ。

 私がお前の家族を殺してやったんだぞ?

 早くさっさと殺してくれないとおかしくなるだろォォォ!?」


女を縛る鎖が軋む。

信じられないが鉄の鎖が変形していた。


だがエベンは、女を殺す気持ちになれなかった。

代わりに彼女に問いかける。


「……どうしてお前は、そんなことになった?」


「はあッ!?」


女は、目から火を噴くように怒り狂って怒鳴った。


「良いからさっさとれよ!!

 復讐もできないほど臆病なのか、テメーッ!!」


「ずっと、家族からも愛されずに…。

 一人っきりだったんだな。」


エベンは、女に優しく声をかける。

女は、答えなかった。


エベンは、ゆっくりと女に近づいていった。

そして彼女の傍で腰を下ろす。


「悪夢を見ることだけが望み、おまえの?」






「おはよう、ナーシャ。」


エベンは、鎖でぐるぐる巻きに縛られた女に声をかける。

大型船の錨が女の信じられない怪力を抑え込んでいた。


「…セス。」


項垂れていた女は、顔をあげてエベンを睨みつける。

鎖と肌が擦れ、細かな傷に蛆が湧いていた。


ラフォンテン牧場は、穏やかな日々を送っている。

凶女が喚き散らしても家畜たちは、気にしない。


家族を失ったエベンも今は、子供たちが大勢いる。

彼から家族を奪った女が、今は彼に家族をくれるのだ。


「6人目だ。」


エベンは、女の妊娠の兆候を確認する。

女は、小鬼のような顔を震わせた。


「も、もう……殺す気になった?」


そう女に訊かれたエベンは、困ったように笑って首を傾げた。


「ちッ。

 おまえは、家族に愛されなかったというよりも、そもそも誰かを愛そうとしないんだね。」


「父様。

 母様は、御病気なのですか?」


吐き気がするような醜い顔の子供がエベンに声をかける。

他の子供たちも全員、顔が崩れていた。

凶女の血を受けた証だ。


小鬼のような男の子が家畜をハンマーで屠殺する。

小鬼のような女の子が羊たちを追う。


農場のあちこちにヒキガエルみたいな顔の子供がいる。

それでも皆、明るく暮らしていた。

かつてのラフォンテン家のように。


「違うよ。

 赤ちゃんができたんだ。

 アズラの弟か、妹になるんだよ。」


「うがああああッ!!」


凶女が大声を出すと女の子は、耳を指で塞いだ。

面白がるように父親に抱き着く。


「あはははっ。

 母様、毎日、騒いで馬鹿みたい!」


「ご飯を食べさせてあげられる?」


「怖いけど、やる。

 ふふふ…。」


アズラは、他の家畜にそうするように母親に食べ物を持ってくる。

フォアグラを取るガチョウにそうするように食べ物を流し込む。

その表情は、昏い喜悦を浮かべていた。


「はい。

 暴れないで母様。」


「うえっ……うっぷ。

 や、やめろ、このクソガキ!

 お、お前に殺されたら、悪夢に…おえっ!」


「母様。

 母様。

 母様は、()()()()()()

 ざーんねん。」


牧場を歩きながらエベンは、子供たちの様子を見る。


誰も理解できないだろう。

彼は、家族を殺した女を本当に愛している。

彼女との子供も何よりも大切に思っている。


(彼女を幸せにすることで俺も幸せになる。

 動物たちを傷つけて来た俺の人生で、ナーシャを愛する以外に価値あることなんかないだろう。)


「父様、騎士団オーダーから指令の手紙です。」


声は幼いが怪物のような大男がエベンに黒い手紙を差し出す。

エベンは、憂鬱そうに手紙を受け取った。


「ちっ。

 ……人殺しの指令か。」


エベンは、嫌そうに手紙を開く。


手紙を持ってきた息子が心配そうに隣で待っていた。

だが彼は、やがて堪え切れなくなってエベンに話しかける。


「…父様、はやく帰って来て。」


「いいんだ。

 俺は、この瞬間が一番、幸せなんだから。」


「え?」


息子は、不思議そうに眉を動かした。


エベンにとって狩りの指令は、悪い知らせではない。

まだ子供たちの中に血塗られた狩人の業を継ぐものがいないから。

彼は、いつか来るかも知れない騎士団の招聘を恐れていた。


「エノス。

 母様とアズラたちをよろしくな。」


「はい、父様。」


「殺せーッ!」


家の方から割れ鐘のような女の絶叫が響いた。


「こんな暮らし、もうたくさんだ!!

 戻って来い、この糞野郎!!

 早くこっちに来いーッ!!」




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