表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/34

第13話 起点の起点

扉をくぐると夜の校舎の匂いがした。

ワックスとチョークと誰かの忘れた体育館シューズ。


それらの重なりに灰の街の薄い粉が混ざっている。


廊下の蛍光灯は半分しか点かない。

教室のドアは勝手にスライドして開き、黒板に時刻が自動で書かれる。


〈21:22〉


席は昼の配置のまま。窓の外、鳥居の横木が夜風に揺れている“ことになっている”。


担任が出席簿(赤い紙束)を机に置き、声を落とす。

「最終検証。起点の起点」

白い粉が浮いて、黒板にタイトルが出る。


〈誰が、最初に“親友だ”を言ったか〉

〈書き言葉/話し言葉/思考言語…どれが最初か〉

〈結果→物語 の順を“確かめ”に裏返したうえで判定〉


ユウスケは僕の隣に立った。

左手を軽く開いたまま、右手はポケット。

利き手はさっき決めた。僕=右、ユウスケ=左。

決めたはずなのに、目が油断すると右と左がまた灰に溶ける。


胸骨を三回、爪で叩く。

コン。

コン。

コン。

僕だけの合図。世界はまだ意味を当てない。なら、当てにいく。


「証拠室」

僕が言うと、教室後方のロッカー群が低い音を立てて口を開いた。

引き出しそれぞれに白いラベル。

〈アルバム〉〈連絡帳〉〈健康観察カード〉〈学級名簿〉〈自由記述欄〉


ユウスケが小さく笑う。

「どれからだ」

「言葉の浅い順」

僕は書き言葉から辿ることにする。刃が浅く済む方から。


1) 書いた「親友だ」


連絡帳。

四年の夏。水泳大会の週。

先生への返事の末尾に幼い字で〈親友:ゆうすけ〉。

…声に出してはいない。書式が先だ。

名簿のコピー。


五年の春。座席表の裏に相関図。〈親友〉の線が、僕からユウスケへ向いている。

…相互ではない。片矢印。


自由記述欄。

中学の終わり卒業文集。

〈親友の定義は僕が決める。親友=彼〉

…発行済。配布済。世界に回覧済。


黒板に自動で列が増える。


〈最古の書面:連絡帳(僕)〉

〈相関の矢印:僕→ユウスケ〉

〈定義の宣言:卒文(僕)〉

〈書式の優位:高〉


机が微かに震え三度のリズムが薄く流れる。

コン。

コン。

コン。

“書いた”は言ったに準ずる。ここでは。

世界が読みやすい方に寄るから。


1) 話した「親友だ」


教室の空気が薄く青を帯び、窓の外のグラウンドに昔の放課後が再生される。

ホームベースの近く日が斜めに低い。

僕が言っている。

…言っているはずなのに、音が出ない。


代わりに字幕。

〈親友だな〉


ユウスケの口は、笑う形を作っている。

〈ああ〉の字幕。


短い。受け止めたのは返事で定義ではない。

返事は返事。宣言は僕。


黒板が淡く光る。

〈最古の発話:僕→ユウスケ〉

〈相互承認:あり〉

〈主導:僕〉


机の音が一打だけ強くなり、すぐに落ち着いた。

コン。


3) 思った「親友だ」


教室の天井が少し下がり、蛍光灯の光が文字の影を濃くする。

頭の中の最初の記憶。

…一年の遠足。


僕の弁当の海苔が風で飛び、ユウスケが笑って半分分けた。

そのとき思った。

〈親友〉

音は出ていない。

言語化はしていない。

けれど、その瞬間の“定義”は確かに僕の中で成立した。


黒板に細字。

〈最古の思考:僕→ユウスケ〉

〈書式/発話より先行〉

〈ただし“結果=僕の内側”〉


担任がチョークで黒板を三度、軽く叩く。

コン。

コン。

コン。


「総合」

白い粉が列を結び、太字が浮かぶ。

〈起点の起点:僕〉


ユウスケは笑わなかった。

笑いの準備をやめ、息を落とした。

「……そう、だな」


胸の内側で、何かが軽くなる。

軽くなったものの代わりに、別の部分が重くなる。

免罪符の重さだ。

僕が最初に書き、言い、思った。

なら「親友だ」を僕の側から外すこともできる。


「言葉で刺す」

僕は黒板に向き直り一行書く。

〈“親友だ”の免罪符効力を今ここで失効〉


書いた瞬間、出席簿の赤い紙が一枚、灰に変わる。

〈効力:失効/対象:匿名→ユウスケ 間の呼称〉

〈副作用:空席化〉


空席化。

僕とユウスケの間に置かれていた椅子が一本“かたん”と倒れて横になる。

空いた席は世界にとって危険だ。空白は埋められるためにある。


「触れる」

僕は続ける。


ユウスケが頷き左手を出す。僕は右手を出す。

掌が合い熱が行き来する。


“親友だ”の外側で別の言葉の形を探す触れ方。

判は押されない。

木槌は鳴らない。

代わりに鳥居の札が裏返った。


〈検証:完了(言語/触覚)〉

〈残り:刃(任意)〉

〈推奨:書き足す〉


担任が出席簿を閉じる。

「判は押さなくていい」

声が少し柔らかかった。

「押さない規則をここに足すなら」


ユウスケが息を吐く。

「押さないで済む“筋”が一つだけある」

「何だ」

「呼称の条件を作る。二人で。免罪符にしない条件」


黒板の右が空白になる。

書き足すための余白。

僕はチョークのない空中に、ゆっくり書いた。

〈親友=確かめ合う/理由を後にしない/沈黙を合図に使わない〉

〈“世界が決める”を引用しない/必要は必要側が言う〉

〈失効と再発行は双方同時〉


粉が散って、列が整う。

出席簿がもう一枚、灰に変わる。

〈規則:暫定採用〉

〈判押下:停止〉


胸ポケットが震えた。

ヴ…

差出人:僕。

〈合図を〉

句点はない。

さっきまでの命令がいまはただの癖に見えた。

僕はスマホを閉じ、胸骨を三度、軽く叩く。


コン。

コン。

コン。

意味は僕が与える。

〈合図:検証完了→次段〉の細字が黒板に滲む。


窓の外、鳥居の向こうの夜が薄く開いた。

灰の塔の縁に、現実の街灯が重なる。

境界は混ざり、世界は次の辻褄を待っている。


「…最後の一つ」

担任が静かに言う。

「起点の起点が確定した以上、向きを決めなければならない」

黒板中央に、三つの太字が並ぶ。

〈刺す〉〈刺さない〉〈書き足す〉

それぞれに矢印がつき、どれでも筋が通ることを示している。


ユウスケが僕を見る。

笑いはない。

目の奥のガラスは今度はずれない。

「選べ」

「段取りどおりに」


僕は頷く。

「言葉→触れる→刃。いま、言葉と触れるは終わった。

 刃は…保留」


黒板の片隅に、細いログが流れた。


【審理ログ 10】

21:22 教室へ遷移

21:24 証拠提示:書式/発話/思考

21:28 起点の起点:僕

21:30 免罪符「親友だ」失効/空席化

21:32 検証:言語・触覚 完了

21:34 規則:親友=条件式(暫定)

21:35 刃:保留(保留=確定 外)


保留はここでは確定ではない。“確かめ”の側だから。

鳥居の札が小さく鳴る。

コン。


「そのまま向こうに行こう」

ユウスケが言う。

「部室へ。アプリの画面へ。起点の起点を抱えたまま」


教室のドアが開いた。

廊下の先、部室の扉が半開きで白い光が漏れている。

スマホの画面が何も映していないのに僕の顔を照らす。

鏡の役目を押しつけられた光だ。


廊下を歩く。

同じ歩幅。

同じ呼吸。


“親友だ”を失効させた二人の歩調は不思議と前より揃っている。

免罪符は軽い。条件の方が重い。

重いものはガタつきを抑える。


部室の前で立ち止まる。

中から未来の残響が微かにした。

剣の柄へ触れる音のような。スマホの微振動のような。机の三拍子のような。


「開けるぞ」

ユウスケが左手で扉を押す。

僕は右手でスマホを握る。

画面が白くなり黒い文字が後から現れた。


『異世界裁判アプリ』


前と同じ。

でも起点が違う。

黒板に書いた条件が、スクロールの底に小さく見える。

〈親友=確かめ合う/理由を後にしない/沈黙を合図に使わない……〉

アプリはそれを規約として読み込んでいる。


ユウスケが僕を見る。

「じゃあ、合図を」

僕は胸骨を三度、叩く。

コン。

コン。

コン。

そして、言う。


「確かめろ」


白い画面に黒い一行が先に増えた。

〈起動合図:確かめろ〉

〈起点:僕〉

〈運搬:ユウスケ〉

〈利き手:右/左〉


部室の空気が、一度だけ深く息をつき、刃の映像を呼び込もうとして…止まった。

保留。

刃はまだ来ない。

来ない“ことにする”のではなく。来ない。


かわりに机の端に赤い紙が一枚。静かに現れた。

そこには短い文。


〈最初に“親友だ”を言ったのは、〉


僕はペンを持つ。

ユウスケが頷く。

「向こうで言え」


灰の街ではなく現実で。

僕は息を吸い名前を書きかけて…止めた。

止めた指先に彼の左手が軽く触れる。

触れただけ。

“親友だ”の外側の触れ方で。


机が一度だけ鳴った。

コン。

意味はまだない。



意味を与えるのは、次だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ