第8話 ラーメン屋の娘 冒険者ギルド長を味方につける
それは、まさに異世界グルメ界における小さな革命だった。
《グルン白湯・火霊草香るとろコクラーメン》の完成以降、風見亭の前には、早朝から人々の列ができるようになった。
行列は日を追うごとに長くなり、今や平均待ち時間は三時間。
けれど、誰も文句を言わなかった。
「待ってでも食べたい」
「昨日の疲れが取れたんだ」
「このスープを飲まなきゃ、一日が始まらない」
そう口々に語り合うのは、商人、農民、冒険者、職人――そして、貴族たちですら例外ではなかった。
◆
ある日の朝、風見亭の前に立つ行列の一角に、ひときわ目を引く装束の集団が並んでいた。
金糸の縫い取りが施された外套に、香水のような香りを漂わせる、王都の第四階級貴族・レルフィン家のご一行だった。
その当主は、従者に向かってにこやかにこう言った。
「この行列に並ぶという経験も、民の気持ちを知る良き学びになるだろう」
本心は、ただ早くラーメンを食べたいだけなのだが、その姿勢は確かに気高かった。
「我ら貴族であっても、平等に並ぶのがこの店の流儀……ならば従うべきだ」
それがこの町で“ルール”になったのは、美月の信念があったからだ。
「このラーメンは、誰かひとりのものじゃありません。
疲れた人、病気の人、頑張った人、ただお腹がすいた人――誰にでも、平等に届いてほしいんです」
その思いは、店のあり方にも反映されていた。
予約制度なし、接待なし、貴族用特別席もなし。
庶民も貴族も、同じ行列、同じ器、同じ一杯。
その姿勢は称賛を受ける一方で、一部の上級貴族たちの中には、当然ながら不満を抱く者もいた。
「王都に呼び寄せ、我が家専属の料理人にすればよい」
「使用人として抱えれば、いつでもこの味が食べられる」
「それが、美月殿のためにもなるだろう」
◆
だが――
それを真っ向から拒み、盾となった男がいた。
冒険者ギルドのギルド長、ガロス・バルトロメウス。
年齢は四十代後半。かつては一級冒険者として名を馳せ、今も威圧感と存在感を放つ、筋骨隆々の大男だった。
無骨な言動の奥には、情に厚く義理堅い心を宿していた。
美月が異世界に来てからずっと、ラーメン屋としての努力を近くで見守り続けていたガロスは、
貴族たちの“引き抜き話”を耳にすると、すぐに動いた。
「――悪いがな。美月のラーメンは、民のものだ」
ある晩、風見亭の前に現れた貴族の密使に、ガロスは仁王のように立ちはだかった。
「城の厨房に移れば、安全も名誉も得られる。お前たちの言い分はわかる。だがな――」
と、彼は吼えた。
「この町で、クエスト帰りに腹を空かせた若ぇ奴らが、
三日ぶりにありつく一杯のラーメンのありがたさを、貴族の口先で量れると思うなよ」
密使が言葉を失うと、ガロスは静かに続けた。
「彼女は、味だけじゃなく、“居場所”を作った。
ここに来れば癒される、明日も頑張れる、ってな。
――その居場所を、金と地位で囲おうとするなら、まず俺を倒してからにしてくれ」
◆
以降、貴族たちは美月への引き抜きを表立って言わなくなった。
ガロスの言葉が、ただの脅しではないことを、皆理解していたのだ。
むしろ、逆に敬意を表し、貴族たちも“ルール”を守って列に並ぶようになった。
「我ら貴族は、民を導くもの。
ならばまずは民と同じ釜の飯――いや、ラーメンを食すべきだろう」
そんな言葉が町に溢れるようになったのは、美月とガロスの努力の結果だった。
◆
ある日、美月はふと、行列に並ぶかつての病人や老人たちを見つけて目を細めた。
「……なんだか、夢みたいですね」
背後からガロスの笑い声が響いた。
「まだまだ夢の入り口だろう。お前さんのラーメンは、これからもっと、遠くまで届く」
美月は笑って頷いた。
ラーメンの湯気は、町を包み、
貴族も庶民も、子どもも老人も、冒険者も学者も――
すべての人を、ひとつの行列に並ばせた。
そこには、力も地位も関係ない。
ただ、美味しさとやさしさに導かれた“平等の器”があった。
それこそが、彼女のつくるラーメンの、最大の魔法だった。