第5話異世界の食材を求めて旅の始まり
【1】出発準備
ラーメンの未来を担う旅は、装備と覚悟から始まる。
目的は、健康と満足感を兼ね備えた“ギトギト白湯ラーメン”の完成。
必要な食材は、命懸けでしか手に入らない“魔物級の素材”たち。
そんな前代未聞の「ラーメン素材探索遠征」に、美月は全身全霊で臨もうとしていた。
朝の風見亭。
まだ店が開く前、厨房の奥には活気ある音と湯気が立ち込めていた。
「チグー、干し麦と乾燥スープの材料、倉庫から持ってきてくれる?」
美月は鍋に火を入れながら、エプロン姿で大量の野菜を細かく刻み続けている。
にんじん、アトル草、ヤルミル茸。栄養価と保存性を重視した素材ばかりだ。
鍋で煮詰めたスープは、何時間もかけてとろみが出るまで炊き込まれ、布で濾して真空保存される。
「……よし、これならお湯を足せば即席スープになる!」
旅先で栄養のあるものが食べられるかは、コンディションを左右する重要事項。
ましてや目的が“こってりラーメン”なのだから、下準備は抜かりなく行う必要がある。
美月はさらに、折りたたみ式の小型ラーメン鍋、調味料の小瓶、香味油の小袋、乾麺をセットにして、
**“携帯ラーメンキット”**と名付けた自作の食材ボックスを完成させた。
「……これがあれば、どこでも一杯、作れるよ」
同じころ、ティナは中庭で静かに矢じりを研いでいた。
手元には耐久性と貫通力を高めるための特殊コーティング薬剤がある。
「今回は猪系が相手だから、貫通力重視のセッティングにしておこうかしら」
彼女は以前より少しだけ柔らかくなった表情で、ラーメン素材のためという理由に少し苦笑していた。
だが、仲間と一緒に動くことに迷いはない。
一方、レオンは手元の革靴を点検し、底の補強を丁寧に施していた。
「黒岩山地は、湿地と岩場が交互に来る。靴が壊れたら最後……俺は、何より足場を大事にする」
無駄のない動きに、長年の経験がにじみ出ている。
その目線は美月の作ったキットにも向けられ、ほんの少し微笑んだ。
「……しかし、お前は本当に、ラーメンに命かけてるな」
「かけてますよ。だって、命の源ですから、食は」
リューナは店の隅で、複数の小瓶を並べていた。
「これは解毒用、こっちは疲労回復、で……これは“胃もたれ防止”ブレンド。火霊草に合わせて調整済みっと」
「ラーメンって、ほら、漢方的に見るとすごく面白い食べ物なのよ。五臓六腑に染み渡る、って感じ。ね?」
彼女の興味はすでに“ラーメンの薬膳的応用”にまで広がっていた。
最後に現れたのは、荷車を引いて現れた屈強な戦士――グラウ。
薪束、テント、鍋、保存樽を山のように積み上げ、筋肉でうなりながらそれをひとつずつ調整していく。
「食材は重い。戻るときは満載になるからな。体力勝負だ」
「火霊草を見つけたら……豪快に焼いて脂とぶつけてやる。くくく……夢が広がる……!」
薪の横にしっかりと調味料壺を積んでいるあたり、彼の“こってり欲”も本物だった。
そして、隊列の先頭をうろうろと行き来する小さな毛玉――チグーは、旅支度中の全員の荷物を点検するように鼻をぴくぴくさせている。
「チグー、落ち着いて……! まだ出発前だよ……!」
しかしその尻尾は、もう興奮を抑えきれないように左右に小刻みに振れていた。
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こうして――
数日分の水、野営道具、携帯調理器具、応急薬草、保存食、そして夢と希望をすべて詰め込んだ一行は、
小さな町の門を抜けて、まだ誰も知らないラーメンの味を目指し、歩みを進めた。
「みんな、いってきます!」
「ラーメンの未来、取りにいこう!」
美月の背中には、調理器具の詰まった大きなリュック。
腰には湯温計、胸元には小さな香辛料瓶。
まるで“異世界ラーメン職人”そのものの姿だった。
チグーが一声「ぐるるっ」と鳴くと、旅は静かに、しかし確かに始まった。
【2】冒険の途中
目的地の黒岩山地と静水の沼までは、徒歩でおよそ3日間の行程。
平坦な道は最初の半日だけ。
町の見張り塔が見えなくなった頃には、旅路はもう“冒険”と呼べる険しさを帯び始めていた。
初日は静かな森の中を進むルートだったが、午後を過ぎた頃から、道がしだいにぬかるみ、足元の安定を失っていく。
「うわっ……足場、ぬかるんでる……!」
ぐちゅ、と泥に足を取られた美月がバランスを崩しかけると、すぐ隣から手が差し出された。
「美月、こっち。ここの石の上を渡って。足元をよく見て」
それはレオンだった。
長年の冒険で培われた動きで、彼は素早く位置を取り、美月の腕をしっかりと支えた。
その手は温かく、硬く、頼もしかった。
「ありがとう、レオン……すごい、全然滑ってない……」
「慣れてるだけだよ。でも、焦ると余計危ない。焦らず、一歩ずつな」
その後ろを、ティナが片腕でチグーを抱えて素早く追いついてきた。
泥にまみれないよう、ふわふわの毛を気遣って抱えながら、冷静に足場を読み取っている。
「このへん、雨のあとだと水がたまるの。獣道のほうが乾いてるかも。こっちを進もう」
彼女の声には、自然との付き合い方を熟知した者の落ち着きがあった。
しばらく進んだ後、一行の前方上空に、白く光る影が走った。
「……あれは、雷鳥の群れか」
ティナが呟いたと同時に、雷鳥の群れが低空を飛び交い、羽ばたきとともに微かな静電気が辺りに弾けた。
湿気を帯びた風がざわりと揺れ、空気が緊張を帯びる。
「群れの下に入らないように! 落雷の危険がある!」
レオンの指示に皆が一斉に動く。
雷鳥は一種の魔獣で、その羽ばたきが雷気を帯びることで知られていた。
難を逃れてしばらく進むと、今度はぬめぬめと光る巨大な影が木の間から現れた。
「……出た、“森の粘獣”!」
それは体長3メートル以上、巨大なナメクジに似た粘体魔獣。
体を振るわせて粘液を飛ばし、飲み込んだものを体内で分解するという厄介な存在だった。
「グラウ、正面からはまずい! 粘液が――!」
「ならば、その粘液ごと断つ!!」
豪快に斧を振りかぶるグラウ。粘液の粘りに一度は刃が鈍ったものの、彼の力技が怪物を無理やり押し返す。
その間にティナが矢を打ち込み、リューナが毒分解の香草煙を投げ込み、チグーが背後の安全地帯へ美月を誘導した。
連携は完璧だった。
戦闘の後、リューナが植物の根を掘り起こしながらつぶやいた。
「この“シュレン根”、毒素を吸収する成分があるの。魔獣の近くでしか育たないけど、乾かしておけば調味にも使えるかも」
一方、チグーは森の奥でじっと何かを嗅いでいた。
「くん、くん……ぐるっ!」
その先にあったのは、黒っぽいきのこ群。
鑑定スキルで確認すると――毒性なし、むしろ鉄分と旨味が豊富な“岩茸”だった。
「やった……これは、ラーメンの具にぴったり……!」
体力も気力も削られるような道中だったが、少しずつ、必要なものが集まっていく手応えも確かにあった。
やがて、日が傾き、空が朱に染まる頃、彼らは安全な野営地を見つけ、焚き火の準備を始めた。
火が灯り、スープの香りが立ち込める頃には、体も心もゆるやかにほぐれていく。
その夜、美月は持参していた即席スープに、森で採れた岩茸と干し肉を加え、ハーブで香りを調えた。
「はい、“旅ラーメン・森の岩茸風”です。野営仕様だからちょっと質素だけど……温まりますよ」
一口すすった瞬間、皆がふっと表情を緩めた。
「……このだし、しみるな……」
「美月、これ……本当に、外で食べてる味なのか……?」
「……この旅、悪くないな」
グラウがぽつりとつぶやくと、焚き火のそばで丸くなっていたチグーが「ぐるっ」と小さく喉を鳴らして応えた。
音のない夜の森に、湯気と、満足のため息だけが静かに立ち上っていた。