第3話新たなる仲間?!
【1】
春風がやさしく吹き抜ける朝。風見亭の厨房では、美月が新しい野菜の乾燥保存に取り組んでいた。
「これで、アトル草も長く使えるようになるかも……」
と、ちょうどそのとき。
「……あれ? なにか……獣くさい?」
厨房の裏戸の方から、ふわりと獣臭が漂ってきた。美月が戸を開けてみると――
「……えっ?」
そこにいたのは、小さな毛玉だった。
もふっ……ともふりと丸まったそれは、猫のようでいて、どこか違う。
見覚えのある灰色の毛並み。特徴的な丸い耳。瞳はつぶらで、かすかに青く光っている。
「グ、グレイベア……!?」
あの“蒼の谷”で出会った、大きな魔獣グレイベア。
その姿が、まるで猫ほどの大きさに縮んでいた。
「……え、なにそのサイズ!?なんで……ここに!?」
驚いている美月に向かって、ちびグレイベアはとことこ歩み寄り、彼女の足元にぴたりと座った。
そして、くんくん……と、美月のエプロンの匂いを嗅ぎ、満足げにゴロンと横になった。
「まさか……においを、たどって来たの?」
鑑定スキルでその体調を確認すると、表示されたのはこうだった。
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〈個体名:ちびグレイベア(仮)〉
●健康状態:良好
●感情:安心、なつき
●必要なもの:あたたかい食事、美月のそば
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「……いやいや、魔獣が“なつき”って出るの、どういうこと!?」
後ろから様子を見ていた店主マルコがぽりぽりと頭を掻いた。
「そいつ……あの森の魔獣じゃねぇか。なんでお前に……」
「えっと……前にスープをあげたら、お腹の調子がよくなったみたいで……」
「……スープひとつで魔獣を手懐けるって、どんな料理人だよ」
とはいえ、町の子どもたちが「かわいい!」と騒ぎ、客たちも「見張りにもなる」と妙に好意的だったため、
結局「ちび」と名付けられ、店の“非公式マスコット”として居座ることに。
厨房の隅で毛玉のように丸まり、時折、煮込み鍋の湯気にうっとりするちび。
その背中を見ながら、美月はふふっと微笑んだ。
「……ふしぎなご縁だけど、ようこそ。うちの厨房へ」
湯気と笑顔に包まれた異世界の台所に、今日もまたひとつ、ぬくもりが増えた。
【2】
「それじゃあ、今日からあなたの名前は……チグー。いい?」
美月がそう言うと、ちびグレイベアは耳をぴくりと動かし、うれしそうに鼻を鳴らした。
名前の由来は「ちびグレイベア」――略して「チグー」。呼びやすくて、どこか愛嬌もある。
「チグー、こっちおいでー。これはね、アトル草。これは……うーん、名前ないけどカリウム多めの葉っぱ」
チグーはまるで授業を受けるように、美月が並べた食材をひとつずつくんくんと嗅ぎ分ける。
そして、いつのまにか――彼の“鼻”が、思わぬ才能を発揮しはじめる。
***
「……こっちだって? また変な方向に行くなあ、チグー」
数日後、美月とチグーは、町外れの丘へと足を踏み入れていた。
最初はただの散歩だった。けれど、チグーがしきりに鼻を動かし、ある一点へと導くように前足で地面をかく。
「ちょ、ちょっと、そこ……崖のすぐ下じゃ――うわっ!」
かと思えば、ずるりと滑った先に――
「あれ……これ、香りが……まさか……!」
美月が目を見開いた。
草陰に生えていたのは、細長く、淡い緑色の葉を持つ植物。その根本には白い球根のようなものがあった。
スキルで調べると――
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〈野生セリオネ草〉:高栄養・抗酸化作用。甘みあり。香り強し。万能野菜。
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「これ……ネギに似てる! しかも野生でここまで香りが強いなんて……!」
美月は思わずチグーの頭をわしゃわしゃとなでた。
「えらい! チグー、すごい鼻だね!」
ぺろりと舌を出したチグーは満足げに鼻をひくつかせ、次の“お宝”へと歩き出す。
***
その後もチグーは、美月の創作活動において大活躍することになる。
・香りの強い野生ハーブを見つける
・新しい“きのこ”を見つけて鑑定スキルと組み合わせて安全性を確認
・腐敗した食材があるとすぐ知らせてくれる
・遠くの市場でも、香辛料や素材の位置をぴたりと嗅ぎ当てる
「……ほんと、もしかして私より食材探すの得意なんじゃ……?」
「ぐぅぅ」
返事なのかお腹の音なのか、チグーが喉を鳴らすと、美月は笑って言った。
「じゃあごほうびに、今日は特製の“にゅうめん風ラーメン”ね。チグー用の野菜だしで作るよ」
そうしてまたひとつ、異世界の食卓に、やさしい湯気と笑顔が増えていく。
チグーはただのマスコットではない。
彼は今日も、鼻ひとつで“麺の未来”を切り拓く、美月の相棒なのだった。
【3】
「今日の限定ラーメン、もう残り三杯で終わりでーす!」
風見亭の厨房から、威勢のいい美月の声が響く。
客席は、昼どきをとうに過ぎても行列が絶えず、町の人も旅人も、皆この“新しい料理”の噂を聞きつけてやってくる。
その日の目玉は――
『チグー特選・香草だしの蒸し鶏ラーメン』
野生のセリオネ草(香りネギ)、ほのかに柑橘の香りを持つグリュ果皮、
そして香ばしい岩きのこ“ヤルミル茸”からとった出汁。
これらすべてが、チグーの鼻が見つけてきた“未知の恵み”だった。
麺はふわりと湯気を含み、スープは透き通っていて深いコクがある。
蒸し鶏にはユリア根の葉で巻いた香りを移しており、健康によく、しかも満足感がある。
「……このスープ、胸がすーっとする……」
「昨日から鼻づまりだったのに、楽になったぞ!」
「これ、魔法か?」
町の人々は驚きながら、笑顔でレンゲを口に運んだ。
なかには食後に「身体が軽くなった」と言って踊りだす旅芸人や、「常連になりたい」とその場で引っ越し先を探す貴族の従者まで現れる始末だった。
***
「すごいな……この香草の組み合わせ。こんなの、今までの料理じゃ考えられなかった」
厨房の隅で、マルコがスープをすする。
「ううん、すごいのは私じゃなくて……チグーの鼻と、この世界の食材だよ」
美月はチグーをひざにのせ、やさしく頭をなでた。
ちびグレイベアはくすぐったそうにぐるぐると喉を鳴らす。
町では今、「風見亭のラーメンには“幸運の獣”が食材を見つけている」という話が広まりつつあった。
実際、チグーが厨房の裏で「ぐるるっ」と鳴くたびに、新しい食材が発見されていた。
チグーの見つける素材はどれもユニークで、しかも体にやさしい。
それを最大限に活かすのが、美月の料理人としての腕と、栄養学の知識、そして《体調鑑定》スキル。
食材とスキルと心で作られた一杯のラーメンが、食べた人の身体を整え、心までも軽くしていく。
「今日もいいラーメンができたね、チグー」
「ぐう」
どこか誇らしげなちび獣を抱きながら、美月はふと思う。
――あのとき、神社で祈った「毎日食べても健康になれるラーメン」は、
いま、こうしてこの異世界で、少しずつ形になっている。
そしてこの町に、今日もまたひとつ、やさしい麺の風が吹いた。