第八話 『鬼ヶ島』
——広い、広い大海原の見える砂浜。
荒々しい波が高く打ち寄せ、海面は白く泡立っている。
風が強く吹き荒れ、波の一つ一つがまるで小さな山のように高い。
海が奏でる音は、轟音と表現するのにふさわしいものであり、恐ろしさを兼ね備えている。
海への侵入を警告するような、拒否するような感覚に陥る。
少なくとも歓迎はしていなさそうだ。
僕たちの目の前で、海が荒ぶっていた。
——【暗鬼】との戦闘から一夜明けた明朝。
泥のように眠って、疲れをとった僕らは、『鬼ヶ島』に行くために舟が必要だった。
「【暗鬼】は舟に乗って、何処かへ行くことがある」と、村人の一人が教えてくれたのだ。
その状況を目撃した場所を聞いて、訪れてみたはいいものの、目の前には小さないかだが一つあるだけだった。
これに四人で乗って、出航したとすれば、たちまち僕らはこの荒れた海に飲み込まれてしまうだろう。
自殺行為である。
どうしたものかと考えていると、宿屋の老婆が、僕たち四人が乗るには十分な大きさの木の舟を用意してくれた。
「いいんですか? こんなに立派な舟を貸してもらって」
「……罪滅ぼしだと思っておくれよ。何も出来なかった私らの、せめてもの償いさね……」
「……ありがとうございます。大事に使いますね」
これまでのことを思い返しているのだろう。
ばつの悪そうな顔をしている老婆に、僕はこれ以上遠慮をするのは失礼だと思い、あれこれ言うのはやめにした。
「桃太郎! こっちこっち!」
栗坊が遠くの方で叫んでいる。
どうやら園次郎たちもそこにいるらしい。
「それじゃあ」と一言、老婆にかけてから僕は声の方に小走りで向かう。
「見てよ! これ! ここを通っていけば多少はマシなんじゃない?」
栗坊たちのところに着いて、栗坊の指差した方向を見る。
あちらからは荒れた波によって見えなかったが、岩が二つ等間隔で並んでいて一本の道が出来ている。
「奥の方は見えないけど、どうやらかなり先まで繋がっているようだよ」
義翔の言葉を受けて、僕は目を細める。
ところどころ波に飲み込まれてはいるが、目をこらすとぽつりぽつりと、岩のような点が見える。
「何もないよりは随分いいね。ここから出航しようか」
「ききっ。食べ物もたくさん貰ったしな。すぐに出発できるぜ」
「きびだんごの材料もいっぱいだぞ! わん!」
「そうだね。闇夜の中を進むのは危険だろうから、今から出発しようか」
結丸と園次郎は、食料や水が入った大きな袋を持って満足そうにしている。
やる気に満ちた仲間たちを見て、僕は出航の決意をした。
「ええっ!? もう行くのか!? もうちょっとゆっくりしていっても……」
栗坊が驚いたように、大きな声を上げる。
「『鬼』の親分を倒したら、すぐに戻ってくるぞ! わん!」
「でも……」
「栗坊」
「何だい? 桃太郎」
「ありがとう。君がいなかったら【暗鬼】に勝つことは出来なかった。僕らの旅もここで終わっていたと思う」
「……うん」
「必ず戻ってくる。帰ってきたら一緒にご飯を食べよう」
「……絶対だからな! 帰って来なかったら許さないからな!」
「ああ、約束だ」
そう言って、僕はしゃがみこんで、栗坊に右手を差し出す。
栗坊も意図を察してくれたのだろう。
右手を差し出して、僕の右手を握ってくれた。
「桃太郎のご飯はほっぺたが落ちるぞ! わん!」
園次郎が僕らの手に右前足を重ねる。
「ききっ。違いねえ! 楽しみだぜ!」
結丸が僕らの手に右手を重ねる。
「さっさと終わらせて帰って来るよ!」
義翔が右翼を僕らの手に重ねる。
「必ず帰って来る。これが最後だ。僕たちは『鬼』退治を終わらせる」
「うん!」
「わん!」
「ききっ!」
「けーん!」
僕らは掛け声とともに、ゆっくりと手を離した。
******
木の舟に乗って、僕らは荒れ狂った海の上を進んでいた。
「海の水ってこんなにしょっぱいんだな! わん!」
「あんまり体を乗り出すと危ないよ!」
どこか楽しそうにしている園次郎を、義翔が注意する。
「ききっ。桃太郎。疲れてないか?」
「まだまだ大丈夫! それに、今は海流が味方してくれてるんだ」
櫂を漕ぐ役割を一任している僕を、結丸が気遣ってくれる。
実際に海流は進行方向に流れていて、思っていたほど重労働ではない。
いつ流れが変わるかは分からない。
だから、今のうちにできる限り進んでおきたい。
海水でびしょ濡れになりながらも、僕たちを乗せた舟は確実に進んでいった。
******
——舟をこぎ始めてから一刻半ほどの時間が経っていた。
岩でできた道の終着点が見える。
辛うじて上陸できそうなその場所に舟を停め、僕らは大きな島に上陸する。
その大きな島には、一切の緑が見受けられなかった。
切り立った岩に囲まれたその島は、むき出しの岩肌によって構成されていて、とてもじゃないが、生物が穏やかに生きていけるような環境には見えない。
顔を上げて、全体を眺めてみると、ごつごつとした岩山が角の生えた怪物のようにも見える。
あたりは荒々しい波の音や激しい風の音、轟く雷の音で騒がしいが、この島からは堂々《どうどう》たる寂寥感が漂っている。
「ここが『鬼ヶ島』……」
岩山の中心——怪物の口の部分は空洞になっており、この場所からは中を見通せない。
他に建造物のようなものはないように見える。
「……あの洞窟に入るしかないか」
「ききっ。村長の話通りなら『鬼』どもはあの中だろうぜ」
「『鬼』の匂いはあの中からするぞ! わおん!」
「覚悟決めな! 逃げるなんて選択肢とっくに残っちゃいないよ!」
「……ああ。行こう!」
不退転の覚悟は決めてある。
努めて大きな声を出して、僕らは己を奮い立たせたのだった。
******
洞窟に入っていくと、道が迷路のように枝分かれしていた。
もしも、秋の村の村長からの情報が無かったら、僕らはここで永遠に迷っていたかもしれない。
「——右、左、左、真ん中、右から二番目、次は左から三番目だね」
村長の情報を頼りにして、僕らは順調に洞窟を進んでいた。
洞窟の道には松明が飾られており、明かりで困ることはなかったが、狭い空間とここが『鬼』の本拠地だという事実によって、味わったことのない緊張が僕を襲う。
(……大丈夫、大丈夫)
心の中で何度も同じ言葉を唱えながら進んでいると、大きな扉の前にたどり着いた。
「ぐるるるるるる!」
突然、園次郎が怒気を放ち、唸りだした。
「園次郎……?」
心配した僕は、思わず園次郎の名前を呟いてしまう。
「いるぞ! あいつだぞ! ぐるる!」
「ききっ? あいつ?」
「……とにかく進むよ! 準備はいいかい?」
「あ、ああ。じゃあ開けるね」
扉の取っ手に手をかけて、勢いよく開く。
それなりに広い部屋だった。
しかし、足の踏み場はほとんど存在しない。
あたり一面に骨が飾られている、とても悪趣味な部屋であったのだ。
その部屋の中央に、黄色い目と耳を持つ『鬼』が骸骨の上に座っている。
その『鬼』は、他の『鬼』たちとは違い、小柄だった。
身に纏う空気感や迫力も、【暗鬼】と比べれば大したことがないように思えた。
(あれが『四天の鬼』先鋒【電——)
黄色の『鬼』がこちらに向けて、人差し指を伸ばす。
——雷が轟く。
思考が途切れ、目の前の状況を整理出来ない。
バリバリという音は、光より遅れてやってきた。
「あれま……。止められたのは久しぶりだなあ」
いつの間にか、全身の毛を逆立たせた園次郎が、こちらに背を向けて立ちふさがっている。
園次郎の装着している鉤爪が、パチパチと火花を放っている。
「お前ら! あいつは……【電鬼】は、俺様に任せて先に行ってくれ! わん!」
「む、無茶だよ! 一人でなんて危険すぎる!」
「……ききっ。園次郎以外、【電鬼】の妖術に反応できてねえ。それに、その爪は、確かに【電鬼】対策としては上物だぜ」
「それでも……」
「信じておやり! 桃太郎! あれは覚悟を決めた雄の背中だよ!」
「……っ!」
そうなのだ。
義翔の言葉通り、園次郎からは今までに感じたことのないような気迫を感じる。
それでも、怖い。
仲間を失うのも、一緒に戦えないのも。
「……わん!」
園次郎がこちらを振り向いて、ひと吠えする。
その表情と眼差しで、僕も覚悟が出来た。
「……必ず、一緒に帰ろう」
「わん!」
園次郎はもうひと吠えして、【電鬼】に向かって走っていく。
「ふぁーあ。遺言は済んだのか? 犬公」
律儀に待ってくれていたのか。
【電鬼】は骸骨の上であぐらを組みながら、退屈そうにあくびをしている。
そこに園次郎は飛びかかる。
「明日のご飯はきっとうまいぞ! わお——ん!!」
******
園次郎と別れた僕ら三人は、新しい部屋にたどり着いていた。
【電鬼】のいた部屋と広さは変わらないように思える。
この場所もまたあそこと同様に、歩きにくい部屋であった。
部屋の足場全体が白い灰で覆われており、とても息苦しい。
この部屋の中央、灰の中に寝転んでいる『鬼』がいた。
【暗鬼】の灰色より、白に近い灰色の目と耳を持った『鬼』。
『四天の鬼』次鋒——【灰鬼】だ。
「兄者を——【暗鬼】をやったのは、てめえらか」
寝転んだ体勢のまま、【灰鬼】が話しかけてきた。
「……そうだ。……僕らが倒した」
若干の戸惑いがありながらも、僕は正直に答えた。
「……ぷっ。がはははは!」
「……っ!?」
【灰鬼】が突然高い声で笑い出す。
「な、何がおかしいんだ!」
「こんな雑魚どもにやられたのか、糞兄者は! 鈍っていたにしても、ひでえなあ! おい!」
「……ききっ。桃太郎。先に行け。あいつは、おいらたちで片付ける」
「えっ……」
「どうせ、相性的にはこうなると思ってたよ」
結丸の言葉に、義翔も続けて言う。
「ききっ。奴らの大将相手なら、無傷のお前が戦うのが、一番勝率が高いだろ」
「そんな顔、しないでおくれよ。あたいたちの強さは知ってるだろう? それに今はこれもあるしね」
そう言って、義翔は小刀を装備した翼を広げる。
結丸も小型の鎌と錐を取り出して、気合十分といった様子だ。
「……分かった。必ず戻ってくるから、二人も絶対……」
「ききっ! 勝つぞ!」
「け——ん! 任せといておくれよ!」
振り返らない。
僕はみんなを信じているから。