第三話 秋の村へと
「いやー! この兄ちゃん、すげえんだぜ! まさか『鬼』を殴り飛ばしちまうなんてなあ!」
「……にわかには信じられんが、実際に『鬼』が気絶しているのを見せられてはな……」
「うーん。世の中、不思議なことだらけだな」
豆腐売りのおじさんが、興奮気味に話していた。
話を聞いたお侍さんたちは、目の前の光景に困惑している様子だった。
なんでもおじさんは、一人だけ逃げ遅れて、物見櫓に逃げ隠れていたらしい。
そして櫓の中から、僕たちの戦闘の一部始終を見ていたというわけだ。
その後、『鬼』が倒れてから少し経って、お侍さんたちがやってきた。
「とにかく礼を言わねばならんな。ありがとう。少年。君、名前は?」
お侍さんのうちの一人が、優しく話しかけてきた。
「桃太郎です。……春の村の桃太郎」
お侍さんの質問に、僕は答える。
「そうか、桃太郎か……。覚えておこう。本当にありがとう」
「いいえ。とんでもないです。犬くんがいなきゃ勝てませんでした」
「もっとほめていいぞ! わおーん!」
僕の言葉に、犬はぶんぶんと尻尾を振っている。
「そうか。ではお犬殿も、ありがとう」
お侍さんは優しそうな笑みを浮かべ、小さく会釈する。
「わん!」
僕は、犬くんの尻尾がちぎれるてしまうんじゃないかな、と心配する。
「それでは、大儀であった。桃太郎。お犬殿」
そう言って、お侍さんたちは『鬼』が入った大きな籠を持って、去ろうとしていた。
だけど、僕はお侍さんを引き止めて、尋ねる。
「あの、その『鬼』はどこに連れて行かれるんですか?」
「うん? ああ、『地獄谷』という牢屋だよ」
「……『地獄谷』」
恐ろしい響きの言葉を、僕は口にする。
「心配しなくていい。ものすごい深さの谷だ。『鬼』がそこから逃げ出したことは一度もない」
「そう……、ですか……」
お侍さんの発言を聞き、僕は複雑な気持ちになる。
「では、さらばだ! またいつか会おうぞ! 二人とも!」
「わん!」
「はい! さようなら!」
別れの挨拶を終えて、お侍さんたちは去っていった。
余計なことを考えても仕方ない。
僕は前向きな提案をしようと考えた。
「犬くん。お願いがあるんだけど」
「わん?」
犬がこちらを見上げる。
「僕と一緒に来てくれないかな? 『鬼』退治の旅に」
「もちろんいいぞ! わおーん!」
「良かった! これからもよろしくね!」
犬の元気いっぱいな承諾に、僕は破顔する。
「それよりずっと気になってたんだ! 腰につけたその巾着! すごく美味そうな匂いがしてるぞ! わん!」
「ああ、これ? おばあちゃんが作ってくれたんだ。きびだんご。食べる?」
そう言って、僕はきびだんごを取り出した。
「わん!」
犬くんは一吠えした後、大きく口を開く。
僕はそこに優しく、きびだんごを放り込む。
「きゃいーん! きゃんきゃん! わおーん! わんわん! なんだこれ! こんな美味いもん、初めて食ったぞ! わんわん!」
夢中でもぐもぐしている犬くんに、僕は問いかける。
「そういえば、犬くんには名前はあるの?」
「俺様か! 俺様の名前は園次郎! よろしくな! 桃太郎!」
******
『鬼』との戦闘の翌日、僕と園次郎は、僕たちが初めて出会った山の頂に来ていた。
「人間は不思議なことをするんだな! わん!」
「うーん。そう言われればそうかもね。結局は、残された人の自己満足かもしれない」
園次郎の言葉に、僕は少しだけ思案する。
まあ、自分が納得できればそれでいいのだろう。
「よくわからん! けど悪い気はしない! わん!」
「それは良かった。本当は故郷に作ってあげたいんだけど」
「気にするな! 俺様たちは旅犬! 故郷なんて覚えてないぞ! わおーん!」
僕たちは、園次郎のお兄さんのお墓を作るために、この山に来ていた。
園次郎には、お墓を作る文化はなかったらしい。
それでも、僕の提案を承諾して、この場所に一緒に来てくれた。
「これでよし、と」
「終わったか! 出発するか! わん!」
「園次郎はもういいの? 仇はとったぞ、とか報告しなくていいの?」
僕を急かす園次郎に質問する。
「何言ってんだ? 仇討ちはまだ終わってないぞ! わおーん!」
園次郎が遠吠えする。
「えっ!? じゃあ昨日の『鬼』は何だったの?」
僕は驚いてしまう。
「あんな『中級鬼』に兄貴が負けるはずないぞ! あれはたまたま遭遇しただけだ! わん!」
「『中級鬼』?」
園次郎の語った衝撃の事実に、聞きなれない名前が混ざっていた。
「『鬼』にも強いやつと、弱いやつがいるんだ。『雑鬼』、『中級鬼』、『上級鬼』ってな! わおん!」
「へー。そういえば最初に会った『鬼』は水を飛ばしてきたりしなかったな」
僕は、最初に出会った緑色の耳をした『鬼』を思い浮かべた。
「『雑鬼』だな! 運が良かったんだぞ! 桃太郎は! 『中級鬼』と『上級鬼』は『妖術』を使うんだぞ! わん!」
「『妖術』? 水を飛ばすだけじゃなくて、他にもいろんな能力を持った『鬼』がいるの? それなら『中級鬼』と『上級鬼』は何が違うの?」
僕の中に、新たに疑問が生じた。
「単純に強さだな! 長生きしてるらしいから賢くもあるぞ! わん!」
園次郎が簡潔に回答してくれる。
「なるほど。見分け方はあるの?」
僕は、さらに疑問をぶつける。
「『上級鬼』は瞳の色も耳と同じ色に変わるんだ! そういえば、桃太郎も目は薄桃色だな! わん!」
園次郎が答えてくれる。
「……そうなのか。それじゃあお兄さんは『上級鬼』にやられたの?」
僕は少し間を置いてから、最後に尋ねた。
「黄色い『鬼』だ! 真っ黄色の耳と瞳だったぞ! ぐるる!」
園次郎は思い出したように唸っていた。
******
夏の村近くの山から出発して、三日後。
心地よい風が、僕のちょんまげと園次郎の毛並みを優しく揺らす日。
僕たちは、『鬼』や『鬼ヶ島』の情報を集めるために、秋の村へとやってきていた。
秋の村は夏の村の半分ほどの広さの町である。
それでも、春の村よりはかなり大きい。
この町はとにかく草花が多かった。
木で造られた家が、等間隔で並び、その間には彼岸花やすすき、金木犀などが咲き誇っていた。
その中でも、圧倒的な存在感を放つ二本の大木があった。
町の中心にある大きなカエデの木とイチョウの木である。
赤と黄色の鮮やかさが輝き、時折吹く風によって、お互いの色が混じり合う様子は、思わず息をすることを忘れてしまうほどの美しさだった。
「草木は綺麗だけど、おかしいね」
僕はつぶやく。
「鼻が曲がるぞ! くさいぞ! くーん……」
園次郎は銀杏の匂いで意気消沈といった様子で、それどころではないようだった。
町の中を歩いて、違和感の正体に気づく。
町の中央まで来ても、誰もいない。
それに、人の声どころか生活音すら聞こえてこなかった。
「うーん。みんな寝ているなんてことは、ありえないよね」
「早く去りたいぞ! 誰もいないしな! わん!」
「……そうだね。そうしよ——」
ぼ——————ん!
園次郎の提案を受け入れようとしたときだった。
「何事だ!? わん!」
どこからか、何かが爆発した音が聞こえてきた。
「たぶんあっちからだ! 煙が見える!」
「走るぞ! わん!」
「ああ!」
僕たちは急いで、煙の元へと向かっていったのであった。
******
あちこちに爆発の痕が見える森。
地面や木が深くえぐれていた。
突然、僕の耳に野太い叫び声が届いてきた。
「な、何なんだ!? 何で、この俺が獣なんかに!?」
森と村の境目にたどり着いた僕は、耳が橙色の生物を見つけた。
『鬼』だ。
だが、何かおかしい。
右腕がちぎれ、全身傷だらけの『鬼』はすごく焦っているようだった。
「桃太郎! やっと来たか! わおん!」
「園次郎、これは……」
「もうすぐ終わるぞ! わん!」
先についていた園次郎が、簡潔に状況を説明する。
「はあ、はあ……。ちくしょう! ちくしょう! くそが! やってやる!」
そう言って『鬼』は、残った手を天にかざそうとした。
「け——ん!!」
甲高い声とともに雉が現れ、『鬼』の腕をめがけて飛ぶ。
ざっ! ぶしゃあっ!
「ぎゃああああああ!?」
『鬼』は残りの腕も失ってしまった。
「ききっ!」
追い討ちをかけるように猿が現れ、『鬼』の喉仏を、鋭い爪で切り裂いた。
「がっ……」
ばたん、と音をたてて、『鬼』は力無く倒れていった。
「すごい……」
僕は目の前の——『鬼』があまりにも簡単に退治される光景を、ただ信じられないという気持ちで眺めていた。